第四十七幕:力無き者とは
後数話辺りで、劉備達を再登場させます。
それから長安編に移りたいと思いますので、もう少々お待ち下さい。
「・・・・雷雨が連続で何処かに落ちたな」
雨の中でひたすら進んでいた民衆と軍隊。
その中で雨に打たれながら馬に跨り、進んで行く壮年の男が後方を見て独白した。
壮年の男は董卓。
献帝を蔑ろにして私腹を肥やす大悪党、と天下に名を轟かせており、現在は長安を目指して逃亡中である。
腰には剣があるのだが、彼は丸腰だった。
唯一の武装である剣を天の姫に渡してから、彼は丸腰となった。
今なら誰かが討てる、だろう。
しかし、彼は逃げ延びる武将独自の哀傷は感じられない。
寧ろ再起を誓い、生き延びようとする強い気持ちが感じられる。
丸腰だろうと、彼に刃向かえば生命は無い。
そう民衆には映ったのか、誰も行動を起こそうとしなかった。
その気迫が董卓と言う男、と言えばそうかもしれないが・・・・・・・
「殿、もう少し急がせますか?」
董卓の隣に馬を進めて来た男---華雄の言葉に董卓は首を横に振る。
「いや、良い。これ以上、急がせれば落伍者がもっと増える」
「・・・・御意」
華雄は董卓の言葉に間を置いてから頷いた。
洛陽から長安までは距離があり、更に荷物などを持ち大集団で移動する。
更に夜も徹して慣れない道を歩く。
これほど辛い事は無い。
中には身体の弱い者も居るが、その者にとっては地獄以外の何でもない。
幾ら体力に自信がある者でも・・・・これは変わらない。
いや、逆に体力があるから苦しみが長くなると言えた。
そして、こんな移動を続けていれば、どうしても力無き者から落伍者が出る。
当たり前と言えば当たり前だ。
ここまで来るのに何人、何十人、何百人と落伍者は出て来た。
それも女、子供、老人という体力の無い者達だ。
しかし、落伍者を助ける者は皆無に近い。
自分の事で手一杯で、他人の事など眼に入らない。
置いて行かないでくれ・・・・・・・・
何人かは助けを求めるが、それを見ないで民達は歩き続ける。
耳にも入らないし、入らないようにしており、落伍した者達は前を進む者達に怨みの言葉を言い残して息絶えて行く・・・・・・・・・
もう董卓の怨みなどは考える事も出来ない。
今は一刻も早く長安へ行きたい。
それが彼等---民達の願いでもあった。
落伍者達も董卓に対する怨みより、自分を置いて行く同胞たちに怨みを残して行く。
それを知っているであろう・・・・董卓は落伍者が出るのを予想していた。
前々から準備をしていたが、ある程度の落伍者は予想済みだ。
移動する速さも上げたから、更に増える事も・・・・・・・・・・
だが、これ以上増やすと長安に付けるのは僅かだ。
そうなると政に支障が出る。
臣下たちは馬車や馬などに乗っているが、税を納める民達も必要なのだ。
それを考えて華雄の進言を退けたのだろう。
「所で、天の姫はどうだ?」
董卓は華雄に天の姫について尋ねた。
「はっ、今の所は大丈夫です。ただ、民達の眼が・・・・・・・・・・・」
主である董卓の問いに華雄は答えるも、最後の方は言葉に出せなかった。
「・・・・・・・・・・・」
董卓は何も言わないが、気配で怒っている。
華雄には解かった。
彼が連れ去った天の姫は後方で馬車に乗り、後ろから来ている。
それを4人の騎馬が護る形だが、民達から見れば憎悪の対象となるだろう。
望んで来た訳ではないが、現状を誰かにぶつけたい。
自分より良い奴を恨む。
董卓達では無理だが、天の姫になら・・・・・・・・
これは人間だから仕方ない。
だが、董卓にとっては我慢できる物ではなかった。
何故かは彼自身、判らない。
しかし、領民の憎悪は彼女に向けられない。
寧ろ向けて来るべき相手は自分なのだ。
それを眼に留まるから?
自分より弱いから?
相手が強いから?
などの理由では納得できない。
「華雄、供をしろ」
「御意に」
華雄は馬の手綱を引き、向きを変えて泥道を進む董卓の後を追った。
「!?こ、これは殿!!」
馬車を囲んでいた騎馬の武将は董卓を見るなり頭を下げ、民達は一斉に董卓を見る。
ここに来るまで、民達の視線はあったが、馬車に近付いてからは一層強まった気がした。
「・・・・・・異常は無いか?」
董卓は馬車を見てから、騎馬する武将に尋ねた。
「はっ。今の所は」
「・・・・・・・・・」
董卓は天の姫こと織星夜姫を見た。
民達は自分が見られたように思ったのか・・・・一斉に眼を背ける。
『自分達が力無き民、と思っているのか?わしが怖くて眼を背けるのか?愚か者共が』
力が無いのに、同じく力無き者を憎悪し攻撃する。
そんな弱者特有の心理が、董卓には我慢できなかった。
彼も最初から強者、という訳ではなかった。
故に、彼等の気持ちも解からなくはないも、こればかりはやはり醜い、と思わずにはいられない。
同時に・・・・この娘を護らなくてはならない。
そう・・・・思えてなからった。
「天の姫、起きておりますか?」
華雄が近付いて声を掛けるも、天の姫---織星夜姫は眠っている。
代わりに蛇が口を開け、華雄を睨み上げた。
『何かすれば咬む』
そう蛇は口を開け、牙を見せる事で華雄に告げている。
「・・・・・・何もしない。ただ、天の姫が眠っているのか知りたいのだ」
蛇に恐怖を抱く華雄ではない。
しかし、蛇を見ていると答えなくてはならないと思った。
蛇は夜姫の左腕を登り、顔に触れるが夜姫は起きない。
それから華雄を見た。
眠っている、と蛇は言いたいようだ。
「眠っている、か。起こせるか?」
『起こせと言うのか?』
蛇がまた縦眼を華雄に向ける。
その縦眼は明らかに・・・・非難している眼差しに見えたのは、華雄だけではあるまい。
「良い。寝ているのなら、そのまま前へ移すぞ」
董卓は蛇を一瞥して、部下に命令する。
「前へ移動させるのですか?しかし、そうなると、敵が先回りした時など・・・・・・・・」
「前には、そなた達も居る。何より・・・・このような醜悪な者共が居る所に、天の姫を置けるか」
このような醜悪な者共・・・・・・・・
そこだけ強調し、民達に言う董卓に華雄たちは理解できた。
『力無き者、と勝手に思い込む民達に怒りをぶつけている、か』
華雄を始め、董卓に従う者達も民達の気持ちは理解できなくはない。
彼等も今の身分と実力を得るまでは・・・・・・民達同様に力無き者達、だった。
それは董卓も同じ事だ。
つまり、彼等も董卓達になり得る。
それなのに勝手に自分は何も無い。
だから、こうして虐げられている。
勝手に自己判断して、おまけに力ある者に媚びて、憎悪する。
そんな醜悪な民達を、董卓が辛辣に評するのも解からなくはない。
天の姫もまた眠っているが、起きていれば否応なく・・・・民達の視線を浴びて罵声されていた事だろう。
それを考えれば、蛇が批判的な眼で見たのも頷ける。
「馬車を移動させる。華雄、先導しろ」
「御意に。行くぞ」
『はっ』
華雄に先導される形で馬車は移動する。
その四方を騎馬兵が護り、後方を董卓が護衛した。
民達は慌てて横に避けるが、批判的な眼差しは絶えない。
董卓ではなく・・・・・天の姫に・・・・・・・・
『胸糞悪い・・・・自分達で何もしないくせに、相手を批判する精神が気に食わない』
董卓は民達が天の姫---織星夜姫に投げる眼差しに怒りが湧き起こってきた。
今すぐにでも八つ裂きにしたい。
しかし、それでは夜姫に返り血が飛び散る。
それを思うと、怒りは自然と治まり底へ戻って行く。
それでも底に戻っただけで、何かあれば直ぐに沸騰する。
『難儀な物だ』
董卓は人間という物に少しばかり自嘲しながら、馬の手綱をシッカリと握った。