第四十三幕:飛将対美髯公
「はっ、はっ、はいや!!」
『や!や!や!や!や!!』
遥か彼方からでも確認できる程に燃え上がる洛陽・・・・・・・
その洛陽を背に馬に乗る軍団。
先頭を走る馬は赤色で毛並みも立派な物である。
一目で駿馬と判り、誰もが一度は・・・・・・・と願望を抱く事だろう。
駿馬に乗る男は立派な鎧を着て右手に方天画戟を持っている。
方天画戟とは槍や戟から発展した物と言われており、穂先に三日月状の月牙と呼ばれる片刃が取り付けられている。
所が、これは両方に月牙が取り付けられていた。
そして赤い色をした馬。
これを見れば誰もが震え上がるだろう。
雑兵なら間違いなく尻尾を巻いて逃げるが、誰も止めようとしないし怒りもしない。
否・・・・彼を見て、どれだけ逃げずに対峙する者が居るだろうか?
董卓の養子にして飛将と謳われる呂布奉先に・・・・・・・・・・・・
「些か“道草”を食い過ぎたな。皆の者、急ぐぞ。親父殿が怒る前にな」
呂布は片手---左手で手綱を操りながら後ろから付いて来る部下達---五原騎兵団を見て足を速めさせた。
「しかし、殿。案外、連合軍と言うのも呆気ないものですね」
部下の一人が呂布に言うと、呂布も頷いた。
「あぁ。所詮は烏合の衆、と言う所だな。中には骨のある者も居たが」
呂布の称賛とも言える言葉が誰なのか、部下は判ったのか言葉を紡ぐ。
「義勇軍、ですね?」
「そうだ。こんな世に義の為に集まって来た風変り共だが、勇ましい」
義勇軍は戦場という広大な場で見るなら決して見栄えはしない。
どちらかと言えば服装から装備までバラバラで、情けない者共と映る。
しかし、呂布が見る限り連合軍内で戦う意志があったのは極僅かだ。
後は出来るだけ安全で、自分も戦っているように見せていた節がある。
その中でも義勇軍は勇ましく戦っていた。
『俺を三人係りで退いた奴等・・・・・個々でなら勝てる。しかし・・・・・危うかったな』
最初に魚のような男が蛇矛で戦いを挑んできた。
強かったが、呂布の敵ではない。
そこから髭の立派な青龍刀を持った男が加勢してきた。
魚のような男が、荒々しい割に急所を狙う攻撃をする。
髭の立派な男は外見通りと言えた。
しなやかだが、鋭い攻撃だった。
並みの武将なら彼等に瞬殺されるだろうが、そこは飛将と謳われる呂布だ。
二人係りでも優勢だった。
そこへ義勇軍の長と思われる男が来て、やっと向こうが優勢になった。
三人目は細身の両刃の剣を操っており、二人に比べると隙もないが特徴は無かった。
それでも並みの者に比べれば戦い慣れていた。
あのまま行っていれば、危うかっただろう。
死にこそしないが、手傷は負った筈と呂布は思っている。
今まで手傷を負った事など片手で数えられる位しかない。
しかも、大抵は遠くから矢で射られたり、乱戦に持ち込まれた時くらいだ。
つまり一人か複数で戦った時に手傷を負った事は無い。
以前までは・・・・・・・・・
『・・・・あの小娘くらいだ。俺を地面に落とした上に手傷を負わせたのは』
天の姫・・・・・・・・・・・
名前は知らないが、連合軍の間では姫君、と言われていた。
現在、彼女はこちらの手に居る。
自分を毛嫌いしている武将---胡しんが連れ去って来たのだ。
本当なら直ぐにでも彼女と戦いたい。
自分を打ち倒した女だ。
今度こそ打ち倒したい、と呂布は思っている。
所が養父は殿を任せた。
それに怒りは無い。
寧ろ実力を買われたんだ、と自負しているが・・・・・多少の憂さ晴らしは入っている。
その為、道草を食い過ぎたのだ。
『まぁ良い。長安へ行けば、時間はタップリある』
あれだけ痛め付けたのだ。
暫く所か・・・もう来ないだろう。
そうなれば邪魔者は居ない。
時間を掛けるなど彼はしない。
嫌がろうと、兵士が止めようと力づくで彼女---天の姫と戦う。
そして完膚無く打ち倒す。
衣服が切れようと、身体が泥だらけになろうと、身体に傷が付こうと止めない。
もう・・・止めて・・・・・・
向こうが、そう言うまでやり続ける。
それを言わせた時こそ自分は勝つ。
その後はどうする?
『俺の女にでもするか・・・・・・・』
ふと、呂布は思った。
これまで生きてきた中で女、という生き物に対して執着した事など一度も無かった。
それは呂布が戦いに明け暮れていたから、と言えるが・・・・呂布自身が女という生き物を軽蔑していた節もある。
女など男に媚び諂い生きて行くしか出来ない弱い生き物、と認識していたからだが・・・・・天の姫は違う。
自分を何度も負かした。
一人だけだが、呂布にとっては今までの価値観を粉砕された、と言っても過言ではない。
故に自分の女にするのも手、と考えた訳だ。
『親父殿に進言してみるか』
養父である董卓は女を傍に置く事が多い。
吐いて捨てるほど居るのだから、その内の一人くらいは貰っても罰は当たらないだろう。
そう呂布は思った。
手綱で赤兎馬に激を飛ばそうとした時である。
「!!」
横から空を切る音がして、反射的に方天画戟で叩き落とす。
一本の矢だった。
だが、一本ではない。
四方から矢が飛来して襲い掛かって来る。
「ちっ!!」
舌打ちをしたが、呂布は片手で方天画戟を操り矢を全て叩き落とした。
「誰だ!姿を見せろ!!」
呂布は獣の雄叫びに聞こえる奇声を上げて、四方へ叫ぶ。
「流石は飛将、と謳われる呂布ですね。矢を全て払い落すとは・・・・・・・・・・・」
眼の前に一人の男が現れた。
体格は呂布と同じ位であるが、服装は緑を主体としており地味な印象を受ける。
しかし、右手に持たれた青龍刀は業物、と見えるし立派な髭もまた人格者と映る・・・・・・・・・
「ほぉう・・・貴様か」
呂布は眼の前の男に覚えがあり、眼を細めた。
「義勇軍の関雲長と申す。そちらは呂布奉先ですな?」
「如何にも。で、俺に何の用だ?」
「知れた事。ここより先は一歩も通しません」
関羽は青龍刀で道を塞ぐ仕草をしてみせる。
「面白い事を言う。俺を相手に負けないと?」
対する呂布は余裕で言い返した。
「それは判りません。ただ・・・姫様を助ける為なら、生命を賭しても良いです」
「随分と・・・・あの小娘に熱を上げているな」
自分だけではない・・・・他の男も天の姫に熱を上げている。
それが呂布には我慢できない物があったが、関羽はそれに気付かず喋り続ける。
「私は失礼ながら、あの方を傷付けた過去があります。しかし、あの方は軽い罰で許された。故に・・・・・何としてでも護りたいのですよ」
生命を賭して・・・・・・・・・・
「では・・・死ね。俺は、あの小娘を打ち倒して物にする」
邪魔する者は排除するのみ。
簡潔にだが、ハッキリと自己の気持ちを伝えた。
呂布にとって天の姫は自分を打ち負かした、ただ唯一の女だ。
その女の所へ行かせない者は容赦しない。
それを素直に伝えた。
『・・・・・・・・・・・・』
二人は静かに馬の手綱を引いて前に出る。
どちらの馬も鼻息が僅かに荒く、乗り手を振り落とすのでは?
そう思えてしまう。
固唾を飲み見守る五原騎兵団。
義勇軍達は草木を鎧に付けて、身を隠しながら何時でも反撃できるように準備をしていた。
だが、尋常じゃない汗を流して必死に拭うが、直ぐにまた汗を掻いた。
ある程度の距離---己の得物が届く距離で二人は停止する。
どちらも動かず、ただジッと互いを睨みつけた。
その場だけ時間が停まっていたように見えたのは、全兵士に共通する事であろう。
唐突に風が一瞬だけ吹いた。
だが・・・・・・・それが合図となったように、二人は己が得物を繰り出した。
史書には記されない呂布と関羽の戦いが始まる。