幕間:剣は今も・・・・・・・
神話、伝説に出て来る者たちを登場させつつ、歴史上の人物も出したいと思います。
夜も更けて来た、と言うのに松明無しで大勢の人間と馬が道なき道を・・・・ひたすら進んでいる。
彼等は洛陽から半強制的に連れて来られた民達だ。
行く場所は長安。
つまり遷都である。
儒教において遷都は悪であり、墓荒らしもまた大罪であった。
しかし、自分達を連れて行く人物---董卓は儒教など信仰していない。
それは辺境の将軍であるから、と言うのが民達の一致した考えだった。
本人が、儒教をどう思っているのかは不明だが、民達は董卓を憎んでいる。
それだけは確かだった。
そしてそんな民達より遠く先にある馬車。
馬車は傘が取り付けられており、雨風などを防げるようにされていた。
造りも職人が丹精込めたのか・・・・・中々の具合だった。
本来なら董卓が乗る筈の馬車だが、生憎と董卓は乗っていない。
代わりに乗っているのは20代の娘だった。
娘の衣装はどんな高級な生地よりも、綺麗で着ている本人の美しさも相まって見る者を魅了する。
だが、当の本人は可愛らしい寝息を立てて寝ていた。
娘の名前は織星夜姫。
都内の大学に通う20歳の娘で、劇団員だが・・・・・どういう訳か三国志の世界に迷い込んで来た。
最初は連合軍に居たが、董卓に攫われてからは彼等と行動を共にしている。
そんな彼女を民達は見たが、嘆息する。
『天の姫、とは言え・・・・所詮は女だな』
『あぁ、あんな華奢な身体じゃ戦えない』
『ちっ・・・・天から来たなら俺達を助けろってんだ』
口々に夜姫を誹謗中傷する言葉を小さな声で言った。
彼等は力が無い。
そう思っている。
実際の所だが、本当に力が無い物など赤子位だろう。
子供は素早さ、大人なら腕力、老人なら知恵。
年齢によって、或いは性別によってだが、それぞれ何かしらの力は持っている。
ただし、人一人の力など微々たる物でしかない。
では、どうするか?
集団で戦えば良いだけの話だ。
集団で戦えば、どんなに強い者でも何時かは押される。
かなり集団の方は死傷するだろうが、それでも勝てなくはない。
それなのに彼等は自らを力無き者、と勝手に思い込む事で力ある者に跪き媚び諂う。
人として、どうなのかは分からない。
ただ、生き残る術で言うなら・・・・その生き方もまた良しと言える。
しかし・・・・・・・・・・・・
“兄弟よ。人間とは、どうしてこうも醜いのであろうな?”
“それは人間という生き物が、この世で最も侮蔑の対象だからだろう”
誰かの声がした。
二人の声だが、民達には聞こえなかった。
“まったく・・・我らが姫様を、ここまで愚弄するとは良い度胸だな”
“その通り。やはり愚民は何をやっても愚民でしかない、という事だろう。それにしても姫様が憐れだ”
声は上に居るのか?
下の方を向いて言葉を紡いだ。
“寝ているとは言え、誹謗中傷を浴びているのだ。余り良い気持ちではないだろうな”
“そうであろう。と言っても・・・・あ奴が居るのだ。何れ愚民共は始末される”
声の主たちは夜姫の腕に絡まっている蛇を見た。
灰色と褐色が合わさった模様を持つ蛇はジッと縦の眼で、小声で未だに誹謗中傷を続ける民達を睨みつけている。
“何か用か?”
また誰かの声が聞こえた。
しゃがれた声で何処となく冷たい声でもあった。
“いや、姫様はどうなのか、と思ってな”
“寝ているのだろ?”
“あぁ、寝ている。悪い夢は見ておらん・・・・・・・・・”
しゃがれた声は少し間を置いてから言った。
“人間の身でありながら、近衛兵に選ばれた者が居るからな”
三人分の声は夜姫が握っている剣を見た。
姿が見えないのだが、声から察するに剣を見ているのだろう、と推測は出来る。
一見、武骨で何の変哲も無い剣・・・・・・にしか見えない。
ただし、それは“仮の姿”だ、という事を声の主たち---三人は知っている。
彼は単騎で敵を数百人も打ち倒した男だ。
だが、最後は自分の愚かさ故に、自らの生命を自らの手で断ったが・・・・・・・・・・・
そんな彼だが、彼等から見れば所詮人間でしかない。
彼等---声の主たちは人間ではない。
人間ではないからこそ、人間という生き物がどれだけ汚い生き物なのか長い時間で知っている。
そして蔑んでいる。
ただ、寝ている夜姫は違う。
彼女もまた人間、とは言い難い。
それでも声の主達に比べれば遥かに、人間に近い存在だ。
だからこそ、良い所も悪い所も知っているし、決して無闇に蔑んだりもしない。
そうでなければ・・・・・・人間の身である剣---彼を栄えある近衛兵の長になど任命しない筈だ。
声の主たちに見られている剣は、と言えば・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『ふんっ。忌々しい愚民が』
恐ろしい程に怒りを隠しもせず震えていた。
『姫様に力が無いだと?愚かな・・・自分達では何も出来ないし、しないくせに他人を愚弄するとは情けない』
剣が、かつて人間“だった”頃も、こういう人間は大勢いた。
いや、そういう人間の方が圧倒的に多く、自らの生命も顧みず何かの為に動いた人間は非常に少ない。
かと言って、彼等を許す優しさなど欠片も無い。
『忌々しい・・・もし、身体があれば直ぐにでも八つ裂きにして皆殺しにすると言うのに』
かつて、それをやった。
今は身体が無い魂だけの存在。
剣に辛うじて魂を宿しているが、それだけの存在であり何も出来ないのは変わらない。
『一体、何時になれば・・・・私は身体を手に入れられるのだろうか?』
“何時から弱気を吐くようになった?小僧”
しゃがれた声が聞こえて、剣は震える。
『貴方でしたか。今にして思えば・・・・姫様の傍に居ましたね』
“居た。それから気付いているだろ?上にも居る”
『嗚呼、そちらも居ましたか。いやはや、見苦しい所を見せてしまいましたね』
先ほどの声とは打って変わり、剣は小刻みに震えて・・・・自嘲した。
“別に構わん。そなたは人間だが、ある意味では人間を超越している”
『ありがとうございます。しかし、我々は何時まで、こうしているのでしょうか?』
“さぁな。姫様が、この様子では判らん。だが、貴様の場合は直ぐにでも実体を得られる”
『どういう事ですか?ハッ・・・・・なるほど。そういう事ですか』
剣は小刻みに震えて、何か判ったのか・・・・笑った。
『なるほど・・・・いやはや、恐れ入る。目的達成の為なら、主人である姫様も利用しますか』
“戯けた事を。利用ではない。姫様ならば、こう言う筈だ”
勝てるなら、私さえ囮にしなさい。
かつて、ある戦場で夜姫はそう言った。
総大将である彼女だったが、常に戦場の前線に出ては指示を出し剣を取り戦った。
本来、総大将とは剣を取り戦わない。
寧ろ後方で全軍の動きや情報などを取り扱うのが任務である。
しかし、夜姫はそれまでの戦術を一新させた故に、総大将も前に出なければ上手く指揮が出来なくなったのだ。
その為、彼女も前線に出ては幾つもの戦場を勝ち抜いてきたが、同時に自分さえ利用させて勝つ事にも躊躇わなかった。
先ず新しい戦術、と言える物で“機動戦術”である。
文字通り素早い動きを活かした戦術だ。
機動戦術で有名な人物は誰か?
問われるなら“カルタゴのハンニバル”と答える物は多いだろう。
三国志の時代で言うならば夏候淵だ。
ハンニバルは馬を利用した機動力で、素早く相手の後方へ回り込み包囲網戦術を編み出した。
更に言えば敵の情報を逐次報告させて、待ち伏せや地形の選び方などで有名であろう。
夏候淵に到っては陣を含めて移動する時間が極めて早く、こんな言葉が残されている。
“三日で五百里、六日で千里”
一里が500メートルだから、一日の行軍距離は約83キロメートルとなる。
道路なども整備されていない時代で、このように大軍で動けるのは稀だ。
それだけ彼は奇襲、急襲などが得意と言える。
しかし、夜姫は彼等より先に確立させたのだ。
兵同士で戦うのが当たり前だった戦術などを全て一掃した、と言える。
『いやはや・・・・流石は姫様だ。私共など足元にも及ばない』
剣は震えて夜姫を称賛した。
“笑止。人間など所詮は人間。我らに比べれば劣って当然。人間姫様より勝る訳が無い”
しゃがれた声は堂々と自慢するように言って、剣は更に震えた。
『確かに。では、先ず私が身体を手に入れるのですね?』
“その通りだ。貴様が身体を手に入れたら、敵う者など皆無に近いだろう。だが、貴様だけでは力不足だ”
“言えてるな。個の強さは随一だが、多を操る事に関しては劣る。それでは姫様が危険だ”
上から二人分の声が聞こえたが、どちらも剣の“個”としての実力は買っているが、“多”を操る力に関しては低い、と断言した。
剣は個としての実力は高い。
用兵術に関しても良い・・・・しかし、個としての実力がどちらかと言えば高いし、用兵術に関しても些か統率力に欠陥がある。
そうでなければ、あれほどの実力を持ち合せていながら・・・・・あんな悲惨な最期は迎えなかった筈だ。
それを踏まえて二人は低い、と断言したのだろう。
『しかし、貴方達では未だにこちらへは来れない。どうするのですか?ここに居る者達なら出来るとは思いますが』
“案ずるな。既に二人が居る”
二人?
『ああ、姫様の弟子を自負している者達ですか』
剣は最初こそ判らなかったが、直ぐに思い当たる者が居るのか納得した。
自分と同じ時代---少なくとも近い時代に生を受けた者が二人居た。
どちらも個としての実力は、自分に劣るだろう。
だが、多を操る実力に関して言えば自分より上だ。
“彼の者達も人間だが、姫様の弟子であり臣下だ・・・・そなた等が居れば暫し安全、と言える”
しゃがれた声が言えば空の二人も頷くように声を出した。
“そうだな。そうであろう?兄弟”
“あぁ、そうだ。三人合わせて一人前、と言う所だな”
『承知しました。では、暫しは私が姫様を警護します』
“当たり前だ。まぁ、もう直ぐ来るさ。そうなれば・・・・・・・・・・・・”
しゃがれた声は最後まで言わないが、何を言いたいのかは皆に伝わったようだ。
そして声の主たちは沈黙した。




