第四十二幕:交わした誓い
休憩が終わり出発を始めたのは朝になる前だった。
その間、夜姫は剣を抱き締める形で寝ていたが、蛇は片時も夜姫から離れず終始・・・・縦眼の気持ち悪い眼を周囲に向けていた。
「・・・あの蛇は何でしょうかね?」
華雄は馬車に揺られながらも寝ている夜姫を見ながら、同じく馬に乗る董卓に小声で訊いた。
「さぁな。とは言え、あの様子だ・・・・下手に近付けば咬まれるだろうな」
蛇が毒を持っているのかは不明だが、董卓の言う通り近付いたら咬まれるのは眼に見えている。
「あの蛇、夜姫様を護るようにしておりますが・・・・・・・・・・・・・」
「あの娘も動物には好かれる、と言っていたからな。ある意味では才能、と言えるか」
「才能、ですか」
「わしはそう思う。それはそうと呂布はまだ来ないのか?」
「はい。恐らく殿は務めたが、私たちを追っている者達と戦っているのではないでしょうか?」
「なるほど。有り得なくはない。まぁ、そうだとしても奴なら直ぐに来る」
確かに、と華雄は思いながら背後に戻る為に馬の手綱を引いた。
民達は華雄を見るなり顔を伏せるが、憎悪の眼差しをチラチラ、と見せている。
それを気付かない筈が無いのだが、華雄は敢えて無視をした。
戦いで災難を浴びるのは民達だ。
自分達も災難---怪我もするし、運が悪ければ死ぬ。
しかし、やはり誰が一番の被害者か?
そう問われたら民達、と華雄は答える。
だから、彼らの憎悪に満ちた瞳は敢えて受け入れる。
何より武将として生きる彼には憎悪とは、常にある物だと達観していた。
戦をして、相手を殺す。
極単純に見えるが、一歩でも間違えれば己の生命を失う。
それ所か兵達まで犠牲になる。
その為、誰もが精進して勝つ事に必死なのだ。
しかし、勝つ方が居れば負ける方も居る。
負ければ地獄だ。
家は焼かれ、女なら犯されるし、男や子供なら奴隷、もしくは兵士として連れて行かれる。
それか殺される。
こんな事を進んで武将はやらなければならない。
怨まれて当然である。
董卓の配下となり、戦場を駆け巡っている内に・・・・その達観した心境は更に高まった。
彼の男は自分が見てきた武将の中でも、随一の残酷さを持っていた。
戦の腕前は申し分ないが、それを掠めるだけの残酷さがあるのだ。
それは彼が辺境の出、という事が原因だろうか?
辺境ともなれば異民族との戦いが日常のようなものだ。
相手が異民族ともなれば、残酷でなければ生き残れない。
だからこそ、董卓は残酷になったのだろうか?
などと華雄は考えたが、直ぐに止めた。
『無意味な事だ。殿に仕える時点で、そのような事を考える必要など無い』
董卓が命令した事をやる。
それが武将の仕事だ。
戦に勝ち、董卓を生かす事。
簡単な答えではないか。
一々、考える必要など無い。
華雄は自己完結をした。
馬の腹を蹴り、更に速度を上げようとした時である。
「ん・・・・・・?」
夜だというのに・・・・・翼が羽ばたく音がする。
しかも、4枚。
つまり二羽いる、という事だ。
梟、か?
いや、梟にしては羽ばたく音が妙だ。
それに梟は木などに普段は居り、獲物を見つけたら動く動物の筈だ。
何だ?
空を見上げるが、生憎と月は出ていない。
暗い空が周りを囲み、月を隠してしまっている・・・・・・・
暗闇だけで何も見えない。
だが、羽ばたく音は近く、一定の距離を保ちつつも離れていない・・・・・・・・・・
馬車に乗る織星夜姫の傍からだ。
夜姫の乗る馬車から一定の距離を保ちつつ飛び続けている。
つまり・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・」
華雄は馬の手綱を握り、馬車に近付いた。
「・・・誰、ですか?」
眠っていた夜姫だが、気配を感じたのか虚ろな眼差しを開け、気配のする方向へ向ける。
蛇は夜姫の右手に絡まっていたが、眼だけ華雄を見る。
「華雄です。天の姫」
蛇を一瞥してから華雄は名乗った。
「私は織星夜姫です。天の姫、なんて名前じゃありません」
ハッキリとした口調で夜姫は言い、その事に華雄は少しばかり驚いた。
董卓と会話をした時は怯えていたのに、今回は違う。
ただ単に董卓が居ないから、ではない。
自分の名前を愚弄した、と取ったのだろう。
「これは失礼しました。しかし、天の姫に変わりはないので・・・・・・・・・」
「それでも名前はあります」
これまたハッキリと言われて、華雄は微苦笑する。
「失礼しました。では、夜姫様」
「何でしょうか?」
「音が聞こえますか?」
音?
夜姫は耳を澄ませた。
「・・・翼の音が、二羽分」
静かに音を聞いて夜姫は口にする。
「そうです。貴方様の直ぐ近くです。何か心当たりはありますか?」
華雄は見えないのに頷いて訊ねた。
「心当たり、と言っても・・・・・まだ、起きて間もないので」
起きて間もない?
洛陽で起きたではないか。
華雄は疑問に思うが、眼の前の娘が嘘を吐いているようには見えない。
では、どういう事だ?
そう問われると、答える事が出来ない。
「あの、華雄様。私からも質問、良いですか?」
夜姫からの申し出は華雄にとって有り難かったので、快く頷いた。
「どうぞ」
「どうして、貴方は董卓に仕えているのです?」
いきなりの質問に華雄は驚くと同時に答えに窮した。
『今にして思えば・・・・何故、だろうな?』
元々は漢王朝に仕えていた身であるが、それは董卓を始め連合軍も似たような物だ。
だから、董卓に味方せず連合軍に味方する事も出来た訳だ。
寧ろ世を乱している董卓、と一般的に言われている。
普通なら連合軍に味方している筈だ。
それなのに敢えて董卓に味方したのは何故か?
「さぁ、どうしてでしょうね。私自身も分からないんです」
「・・・・私と同じ、ですね」
夜姫は剣を握り締めて言った。
「その剣を、大事そうに握っておりますが何かあるんですか?」
「・・・・・・・・」
何も言わず夜姫は剣を抱き締める。
それだけで何かある、と華雄は推測できたが深くは推測しなかった。
代わりに夜姫の言った言葉を思い出す。
夜姫は董卓を悲しそうな男、と言ったが理由は判らない。
自分もまた何故、董卓に仕えているのか判らない。
だから、同じような物だ。
「夜姫様の言う通り、私も同じですね」
華雄は少しばかり大きな声で笑ってみせた。
それを聞いた夜姫は面白そうに笑った。
『綺麗な笑顔だ。この笑顔を汚しては・・・・ならんな』
乱世においては余りにも純粋で無垢とも言える笑顔だ。
これを汚しては駄目だ。
乱世を生きる華雄もまた、夜姫の笑顔に少なからず羨望を覚えずにはいられなかった。
その間・・・・剣が光って微かに震えている事を華雄は知らなかった。
無論、抱き締めている夜姫自身も、だ。
『やっと・・・・やっと貴方様は迎えに来て下さいましたね。姫様』
剣は震える事で、夜姫に再会の喜びを示す。
今は気付いていない。
しかし、直ぐに気付いてもらえる。
『姫様、貴方様とあの日、交わした誓いの通り私は自らの血を剣に吸わせました』
漢王朝が出来あがってから何年経過したのか?
それは判らない。
何故なら剣に己が血を吸わせて、首を跳ね飛ばしてから時間という概念が判らなくなったのだ。
ただ、今まで何人の手にも渡って来た事は判る。
中には下種な者も居たが、それも今にして思えば自分を愛おしそうに抱き締める娘と会う為の試練だったに違いない。
『姫様、私が貴方様と再会した以上は、下種な者など指一本触れさせません』
自分はまだ人間だ。
ただし、夜姫に従い戦場を駆けたし、栄えある近衛兵の長に任命されるだけの実力はある。
それに驕り、自分の力しか信じられなかったばかりに・・・・・過ちを犯した。
『今にして思えば愚かだった。あれさえなければ、私は姫様を護り通せたのに・・・・・・・・・・・』
明らかに自分の過ちだが、夜姫は決して自分を責めなかった。
それ所か自分と再会した事に涙している。
『やはり貴方様は私が生涯を賭して、愛し護り抜きたいと誓わせただけある』
剣は震えるのを止めた。
『今は剣として甘んじましょう。しかし、近い内に必ず貴方様を護る為に・・・・・・・・・・・』
そこで剣の言葉は途絶えたから、何を言おうとしたのかは分からず仕舞いだ。