第三十九幕:鋼鉄の意志を
「急げ!急げ!!何としてでも董卓軍に追い付くのだ!!」
『おぉ!!』
「背後を常に警戒しろ!何時、呂布が追って来るか分からんぞ!!」
『おぉ!!』
夜だと言うのに、長安へと続く道なき道は昼間か、と思うほどに明るく喧しかった。
馬の蹄、鎧が擦れ合う音、人の足音・・・・・これらが幾つも別々に鳴る。
この者たちは反董卓連合軍に所属して“いた”袁術と劉備の軍団であった。
いた、とは既に彼等は連合軍から離反しているからに他ならない。
連合軍のやる気の無さ、対応の遅さなどが原因で彼等は連合軍から離反したのだ。
とは言え相手が相手だから、やる気の無さと言うのは語弊があるだろう。
彼等が董卓を追うのはただ一つだ。
天の姫であり自分達が生命を賭けて護り通す至高の存在である姫君---織星夜姫を助ける事だ。
洛陽には同じ志を持ち、袁術の部下である孫堅が居る。
彼は燃え盛った洛陽を復興する為に敢えて残った。
しかし、復興が終わり次第、直ぐに後を追い掛けて来るだろう。
問題は背後だ。
背後には呂布が居る。
つまり、彼等は遥か彼方に居る董卓を追っているが、背後を丸見えにしているのだ。
呂布が居るから怖い。
飛将と謳われ、名馬---赤兎馬に跨り方天画戟を片手で操る彼を恐れない者は居ないだろう。
だが、ここで逃げれば夜姫は助けられない。
永遠に・・・・・・・・・・
これが最後の機会と言える。
最後かどうかは不明だが、彼等の置かれた状況を考えれば有り得なくない。
その為、誰もが必死だった。
中には彼女から声を掛けられた者達も居る。
その者達は他の仲間を叱咤し急がせていた。
「急げ!夜姫様が危ない!!」
「何としても追い付くんだ!あの方を助けられるのなら、この生命は捨てられる!!」
彼女は言った。
『戦いで死んだ者は全員、私が抱き締めて私の都へ誘いましょう』
「恐れるな!死して骨となっても戦うんだ!!」
我らが姫君の為に・・・・・・・・・・・
『我らが姫君の為に!!』
一種の宗教集団と言えなくはない。
しかし・・・・・・・・・・・・
“懐かしいな”
誰かの声がしたが、彼等の熱気とも言える雰囲気に飲み込まれるように消えて行く。
“昔を思い出すぜ”
声の主は昔を思い出したのか、僅かに声が震えた。
“我らが姫君の為に・・・・・合い言葉みたいなもんだったからな”
かつて・・・・彼は他の者達と共に夜姫と戦場に出ていた。
夜姫が剣を抜けば、自分達も各々の武器を手にしたのだ。
そして彼女が突撃すれば、自分達も突撃した。
その時に言うのは・・・・・・・・・・・
“我らが姫君の為に、か”
これを言い突撃した。
今の彼等を見ていると昔の自分を見ているような気分になる、と誰に言う訳でもなく声の主は言う。
“お、走ってるな”
声の主は先頭を走る黒い物---漆黒の狼を見た。
風のように走る狼は前しか見ていない。
後ろの事など知った事か、と言わんばかりの速さだ。
彼の狼はフェンリル。
北欧神話に出て来るブリーズ・ヴィトニー(悪名高き獣)の名を持つ狼である。
しかし、織星夜姫には絶対的な忠誠を誓う狼であるが、この国の者達にとっては馴染みのない名前を与えられた狼、という認識しか無い。
そんなフェンリルだが、風のように疾走して劉備達を導いている。
“精が出るな”
声はフェンリルに話し掛けた。
“貴様、か・・・・あの二匹はどうした?”
フェンリルは走りながら“気”で声の主に話し掛ける。
この者達から言わせれば、口が駄目でも気で話し合う事くらいは朝飯前なのだろう。
慣れた感じで話し合っていた。
“遠からず近からず、という距離で居る”
“そうか。それで何の用だ?”
“おいおい、酷い言い草だな”
“ほざくな。貴様、姫君を敢えて董卓に渡しただろ?”
フェンリルが吠えると声の主は悪びれもしなかった。
“否定しない。しかし、それはお前もある程度は予想していただろ?”
“あぁ、していた。とは言え、本当にやるとは思っていなかった”
“それをやるのが俺様だよ。大丈夫さ・・・あいつ等も居るし、董卓自身が姫さんを手に掛ける事はない、と断言できる”
“その根拠は?”
“あいつが姫さんの昔だからだよ”
誰にも認められない上に蔑まされた。
“・・・・つまり、姫君が董卓に自分を重ねている、と?”
“さっき見たんだが、どうやらそうらしい。悲しそうな男、と姫さん言ってた”
“なるほど・・・まぁ、良いだろう。我は姫君さえ無事なら構わん。ただし、もし、何か遭ったら貴様を頭から喰うからな”
脅しではなく、本気の声だった。
“怖い怖い。しかし、生憎と喰われたくない。妻子持ちなんでな”
“我も同じだ”
“お前の方は独立しているだろ?俺の方は、手がまだ必要だ”
“子というのは親が居なかったら、勝手に育つ。独立独歩だ”
“お前の考えをそのまんまにしたら人間なんて、遥か昔の猿に逆戻りだぜ”
“口が減らない奴だ。それで、これからどうする気だ?”
“そうだな・・・・・・・・・”
“言っておくが、流れに任せるなど言うなよ。そのように、ふざけた事を言えば足を噛み切るぞ”
言おうとした言葉を封じられた声の主は笑い声を上げる。
“参ったな・・・・まぁ、そろそろ俺も動き出すさ。元婚約者さんも来たんだ。そろそろ力が戻り始めている筈だ”
“そうなると、少しは力が使えると?”
“まぁ、そうだな・・・武器を手にする事くらいは出来るだろう。ただし、精神が統一されていない時では制御も難しい”
“そこは我らではどうしようもない、な。そればかりは姫君の心が強くならないと出来ん”
彼等が言うには夜姫の心が強くならなければ、戻った力も上手く使用できない。
そう言いたいのだろう・・・・・・・・・・
“で、今の状態は?”
“ハッキリ言えば弱い。弱過ぎる。あれでは生まれたばかりの赤ん坊だ”
“では、餓鬼などを倒したのは一種の防衛反応という事か?”
“それに近いな。だから、仮に力を戻しても今のままでは駄目だ。防衛反応があるも、それは一時凌ぎに過ぎない。何より半端無く力を食う”
継続してやるには、どうしても夜姫自身の精神が鋼鉄のように硬くならなくてはならない。
昔のように・・・・・・・・・・
“どれ位、掛る?”
“さぁて・・・予想できないな”
・・・・・あの時、夜姫は完全に弱り切っており、助ける事が不可能だった。
否・・・・・・・・
彼女自身が拒否したのだ。
『私を助けないで・・・・・私がいけないのよ。だから、罰として転生するわ』
転生とは輪廻転生の事で、文字通り何か別の物に生まれ変わる事を意味する。
それをやれば、何に生まれ変わるのか誰にも分からない。
何より失敗すれば、その者の存在が確実に消えてしまう。
これほど怖い罰は無いが、それを夜姫は自らに施したのだ。
『安心して・・・私は必ず・・・・・必ず生まれ変わる。そして、今度は皆で幸せになりましょう』
そう言って転生をした。
転生した為、夜姫自身の気も変わり、探し出すのに苦労した。
やっとの思いで探し出したら、前と同じような眼に遭った・・・・・・・・・
“こんな事だから、前みたいに鋼鉄の意志を持つには時間が掛る。そして誰にも予想できない”
“そうか・・・しかし、姫君なら問題ない。違うか?”
“いいや。姫さんなら大丈夫さ。現に今だって怯えながらも強い意志を持っている”
二人は気を集中させて、夜姫の気を感じ取った。
『・・・必ず、劉備様達は助けに来てくれる。その間はどんな眼に遭っても耐えなければ。それが私に出来る唯一の事だもの』
“・・・貴様の言う通り、これは予想できんな。だが、これなら問題ないだろう”
“だろ?まだまだ・・・昔には程遠いが、直ぐに鉄の意志を持つさ”
何より敵が敵だ。
嫌でも鋼鉄の意志を持たなくてはならない。
時間の問題である。
そう二人は結論付けて静かに笑い合った。