第三十六幕:現実とは・・・・・・・・・
裏門から出た袁紹軍は遠くまで曹操軍を追い掛ける呂布軍を見ていた。
「殿、どうやら成功のようですね」
袁紹の隣に馬を進めた男---郭図が話し掛ける。
「そうだな。これで董卓の軍には・・・・・・」
華雄と胡軫くらいだろう。
どちらも武将である。
しかし・・・・・・・・・
「こっちにだって顔良と文醜が居る。二人相手に不足はない。そうであろう?」
『殿の期待に応えてみせます』
袁紹と郭図の背後に控えていた二人---顔良と文醜は頭を垂れた。
共に袁紹軍の武将であり、袁紹が頼る人物である。
「良い答えだ。さて、行くか。とは言え・・・・袁術達の事も考えろ。呂布が戻って来たら真っ先に奴等をぶつけるのだ」
そうなれば自分達が夜姫を助けられる。
『・・・腹黒い方だ。何時からこうなった?』
袁紹の暗い笑みを見て、顔良は眼を細めた。
前の袁紹は少なくともここまで腹黒くはなかった。
腹違いの袁術に関しては別にしても、だ。
しかし、今の袁紹は誰だろうと容赦しない感じが見えている。
『・・・・織星夜姫。あの姫君が殿を変えたのだろうな。いや・・・・皆を変えたのだ』
織星夜姫。
別名を天の姫。
その名に相応しい容姿と性格である。
彼女を手に入れたら、世の中を動かせる。
そう思えてもおかしくない。
何せ天の姫なのだから。
しかし、同時に存在事態が皆を惑わせるのも否定できない。
連合軍が分散していない時は、確かに良かった。
彼女の存在が良い方向へと行って皆も戦ったのだ。
だが、彼女が居なくなった途端に連合軍は分散となった。
そして皆が我先に、と夜姫を助けようとしている。
『毒であり薬だな。袁術様には薬となったが・・・殿の場合は色々とあって毒となった』
袁術の場合は夜姫に改心されて、薬となった訳だが袁紹の場合は毒となってしまった。
このままでは不味い。
幾ら自分と義兄弟であり、親友でもある文醜も武に自信はある。
かと言って、自分達だけで董卓を敗れると思っていない。
『どうした?我が兄弟』
文醜が顔良を見て小声で話し掛ける。
『いや、我らだけで夜姫様を救出できると思うか?』
『・・・・無理だろうな。呂布が居なくても、董卓自身が強い。それに長安に籠られたら厄介だ』
まだ連合軍が健在だった、そして夜姫と言う人物が居たからこそ・・・・陽人の戦いは切り抜けられた。
しかし、今は皆の足取りが乱れているし、数も少なくて難しい。
如何に袁紹とは言え無理に近い。
『主もそう思うか。それに・・・殿は変わられた』
『あぁ。これも夜姫様の寵愛を受けられなかったせい、か』
『だろうな。とは言え、夜姫様も袁術様達も否定している。どう思う?』
『少なくとも本当であろう。もし、本当に寵愛しているなら彼等を出させず、我らを行かせる筈だ』
寵愛とは傍から離さない事だ。
戦となれば、自らの傍に置いて前線には出さないだろう。
それを夜姫はしない。
それが寵愛していない事を意味している。
『ただ・・・些か過保護な面があるから、ああいう風に“隔離”したのだろうな』
宴を始め袁術達は何かしら干渉した。
出来る限り宴には出さないようにしたし、出たとしても左右を固めている。
過保護と言われ、隔離と言われても仕方が無い。
それが袁紹を始め、寵愛を一人占めしている、と映ったのだ。
『確かにな。しかし、我が殿だって袁術様達の立場になれば同じ事をするだろう』
『あぁ。誰もがそうだ。あの方は何処か儚いし陰がある。男はそこに惹かれる』
『女に聡い主らしい』
『何を言うか。そなたも同じ事だ。いや、寧ろ・・・・そなたの方が女子には好かれている』
「全軍、進軍するぞ。奴等を長安に入れてはならん!!」
二人の会話は袁紹の掛け声で途絶えた。
「さぁ、皆の者。い・・・・・!?」
袁紹は最後まで言う前に落馬しそうになった。
風のように何人もの人と馬が通り過ぎたのだから無理もない。
“疾きこと風の如くだぜ。袁家の殿様”
誰かの声がした。
そして何処か皮肉気に呆然とする袁紹に語り掛けた。
勿論、袁紹には聞こえない。
その先頭を走るのは・・・・・・・・・・・・・・
「な!?ふ、フェンリル!!」
袁紹は先頭を走る狼---フェンリルに叫ぶ。
彼の狼が先頭を切り、僅かに空いた隙間から馬と人が通り抜けたのだ。
「皆の者、急げ!我らの姫君を助け出すぞ!!」
「皆、夜姫様の為に我らの生命を捧げようぞ!!」
『おぉ!!』
声の言う通り疾きこと風の如く・・・・彼の軍団は走り去る。
疾風のように・・・・袁紹たちの視線から消えて行く。
「ほぉう・・・・・・」
「やるな・・・・・・」
顔良、文醜は走り去って自分達を置いて行った軍団に嘆息する。
決して嫉妬ではない。
“孫子”の軍争篇第七で、軍隊の進退について書いた部分にある文章を、そのまま体現したような彼等に驚きと称賛をしていた。
「・・・な、何をしている!我等も追うぞ!!」
余りの素早さに袁紹は暫し茫然としていたが、直ぐに気を取り戻すと自軍を進める。
『おのれ、袁術!フェンリルを味方にして私を出し抜くとは・・・・・・・・・ッ!!』
袁紹は馬の尻に鞭を打ちながら歯ぎしりした。
だが・・・・・・・・・
『見事、と言ってやる。孫子の兵法を体現したのだからな』
孫子の兵法・・・・・・・・・
彼の兵法家を知らぬ用兵家は居ないだろう。
また知らないで用兵家と自負していれば、間違いなく三流も二流も良い所である。
袁紹も若い頃は暴れ回っていたが、孫子の兵法などに関しては勉強していた。
家を継ぐとかそういう事を考える前に・・・・男子として兵法などに惹かれたのだ。
無論、袁術も例外ではないだろうが、それを体現するなど出来る事ではない。
それを見事にやったのだから仲が悪くとも褒めたくなる。
否・・・仲が悪いからこそ褒めたい。
同時に憎かった。
『あ奴に出来て私に出来ない訳が無い。それに我らの姫君だと?ふざけおって・・・・・夜姫様は私の姫君だ!!』
“おお・・・一皮剥けたか?”
先ほどの声がした。
今度は驚いている。
“この程度で一皮剥けた、と評するか”
また誰かの声がした。
“評価できる。人間ってのは複雑だ。本能と理性があるからな”
“つまり、この男も袁術を褒めながらも憎んでいる、と両方の感情が出ているのか”
“そうさ。そうだな・・・・姫さんも同じだ”
彼の男を殺したい。
しかし、愛している。
“・・・名前を出さんとは殊勝だな”
“言ったら腕を食い千切るだろ?”
“全てを喰らい尽くす所だ”
片方の声は怒りが込められており、例えるなら噴火寸前の火山だった。
“おぉ、怖っ。まぁ、良いんじゃねぇか?殺したんだろ?”
怒られた声は怖がった様子は無い。
それ所か返す形で血生臭い事を訊く。
“あぁ、殺したさ。四肢を八つ裂きにした。まぁ、それは序の口だ”
“だろうな。『俺達』は神話・伝説において『悪』とされているからな。残酷?冷酷?全然OKだ”
“その通りだな。しかし、この世に果たして完璧なる『正義』があると思うか?”
“いいや。コインの表と裏さ”
悪と正義は紙一重・・・・・・・・
確かにその通りだ。
世の中は裏と表が必ずある。
森羅万象において、それは決して変わる事がない。
陰と陽は二つがあって初めて成り立つ。
悪と正義も同じ事だ。
“だが、現実では我らは悪として裁かれる。正義に、な”
“それが現実。現実ってのは昔も今も残酷にして冷酷。俺達より性質が悪いぜ”
“確かに・・・それで、姫君は?”
“今は寝ているが、近い内に眼を覚ますな”
“それで董卓はどう出る?”
“そうだな・・・長安でも荒れるが、末期みたいに酷くなる”
それに夜姫が巻き込まれなければ良いが・・・・・・・・・
しかし、彼等の言葉を借りるならこうだ。
現実は今も昔も残酷にして冷酷。
神話に出て来る化物たちより性質が悪いのだ。