第三十四幕:過ぎた物・・・・・
洛陽の中にある皇帝などが集まり、政をする部屋の中は重々しい空気で入る者、居る者を重圧して行く。
それというのも、上座の席に座る壮年の男---董卓が無言で腕を組み、鋭い眼をしているからだ。
何時もこんな感じではあるが、今回に到っては何時も以上に迫力がある。
「・・・・天の姫は、まだ見つからんのか?」
重い口を開き、岩のように重圧的な声色で董卓は居る者に訊ねる。
「げ、現在、必死に探しております・・・・・・・・」
董卓に仕える者が震えつつも答える。
天の姫が城壁から姿を消す前に、董卓達は会議を開いていた。
洛陽を捨てる最終会議だったのだが、そこへ雑兵が二人来て城壁から音が聞こえる、と伝えてきたのだ。
剣が交わる音、と聞いて急いで行ったら天の姫が居た訳である。
そして現在、捜索中という訳だ。
「急がせろ。そろそろ連合軍も来る。そうなれば、向こうに取られる。或いは・・・巻き込まれて死ぬ」
「で、ですが、天の姫を・・・・・・・」
「言った筈だ。巻き込まれると。天の姫だろうと矢などが自ら避ける筈はない。何より、雑兵などが天の姫を信じていると思うか?」
否・・・信じないだろう。
恐らく天の姫こと織星夜姫を見れば、直ぐにでも襲い掛かる。
そうなっては手遅れなのだ。
「もう一度だけ言う。何としてでも探し出せ。傷付けないで、な」
それだけ言うと董卓は席を立った。
その動作だけでも皆を怯えさせるには十分であった。
しかし、董卓本人は気にせず部屋から出て行った・・・・・・・・・
「・・・・はぁ、寿命が縮むかと思いましたよ」
董卓に話し掛けた男が、冷や汗を掻いて息を吐く。
「それは私もですよ。貴方が話し掛けて下手に刺激したら火の粉が私達にも飛んで来るんですから」
その通り、と他の者も頷く。
だが、この男が話し掛けたお陰で自分がしなくて済んだ、という向きもある。
「それはそうと、どうなるんでしょうかね?連合軍も間近に迫っている。しかし、こちらも遷都の準備は出来ている・・・・・・・」
「どちらが先に動くか・・・それが勝負の鍵、でしょうね」
「そうなると董卓は天の姫を見つけ出したら勝ち、ですね」
「その逆に連合軍は董卓より先に見つけたら勝ち、ですね」
『・・・・・・・・』
どちらが先に見つけるのか。
これは気になる事だ。
董卓が先に見つけたら、また前みたいな事になる。
逆に連合軍が見つけたら董卓は、大事な戦略的な道具を一つ失う事になるから痛い。
しかし、と思う。
『何もどちらかが見つけなくても良いのではないか?』
正直な話、どちらも自分達から言わせれば厄介な相手だ。
連合軍も董卓を倒して、皇帝を救出するというのが理由だが、それはあくまでも表向き。
見事、董卓を倒せば名も上がる。
そうなれば皇帝に顔を覚えてもらえるし、傍に仕える事も夢ではない。
そんな裏の理由もあるだろう。
だが、それは自分達にとっては有り難い事ではない。
寧ろ迷惑だ。
皇帝に仕えている自分達は、今まで美味しい蜜を吸ってきた。
止められる訳が無い。
それを別の者に取られたくない、と考えるのは普通である。
「どうでしょう・・・・我々も見つけては?」
「悪くないですね。運が良ければ天の姫を“駒”に出来る」
「確かに。皇帝と天の姫を結び付ければ、誰も逆らう者は居りますまい」
“まるで悪代官と悪商人の密通だな”
誰かの声がした。
夜姫に話し掛けた声であるが、生憎と彼等には聞こえない。
“・・・・醜い。実に醜い。このような糞のような人間どもの世界に何故・・・何ゆえ姫様は降りたのだ?”
“理解不能だ。こんな人間ども・・・皆、死んでしまえば良い”
また誰かの声がした・・・二つだ。
二つとも、同年齢の声であり、最初の声に比べて若く聞こえる。
“来たのか”
“うむ。姫様は現在、隠れている”
“あそこに隠れれば問題あるまい”
二つの声は、夜姫を隠したと言った。
“何処だ?いや、その前に姫さんに変わった所は?”
“そうだな・・・・些か血が出ていたな”
“俺の元婚約者が付けたんだよ”
“貴様の?まったく、昔から貴様は姫様に迷惑ばかり掛けおって”
“その通りだ”
二つの声は揃って、もう一つの声を批判した。
“姫さんにも言われた。後でお仕置きだと”
“当たり前だ。それはそうと、我らはどうすれば良いのだ?”
“左様。我らは姫様が居てこそ、初めて真価を発揮できるのだ”
“だったら傍に居ろよ。と言うよりも、何で俺に訊く?”
“肝心の姫様が気絶したからだ”
“またかよ・・・・・取り敢えず何とかしろ”
“やっておる。だが、起きんのでは話にならん”
“だから、貴様に訊いておるのだ”
“ちっ・・・まぁ、なるようになれだ”
“・・・・・・・”
“・・・・・・・”
この言葉に二つの声は無言になる。
今にして思えば、この声の主---男は、こういう風な状況になると流れに任せる癖がある。
今回もそれであるが、些か頭に来るのも無理はない。
かと言って、何か手があるのか?
そう問われたら無い、としか言えないが。
“答えられないなら流れに任せるしかない。違うか?”
“・・・・違わない”
“胸糞悪いが、その通りだ”
“だろ?なぁに・・・・姫さんは悪運が強い。そう簡単には死なないさ”
この言葉に両方の声は無言となり、それからは何も話さなくなった。
そして場所は変わる。
何処か分からない場所を黙々と歩く男が居た。
年齢は壮年で逞しい身体付きに髭が特徴で、一目で戦をする者だと判断できる。
腰には剣があり、雑兵なら楽に斬れそうな雰囲気が鞘越しからも判った。
「・・・何処だ?」
男が口を開いたが、見た目からは想像もできない程・・・・弱々しい声だった。
男の名は董卓。
連合軍が間近に迫り洛陽を焼き払おうとしている男である。
その男が、こんな弱々しい声を出すだろうか?
否・・・・出す訳が無い、と彼を知る者は断言するだろう。
しかし、現実は現実だ。
董卓は辺りを探して天の姫こと織星夜姫が居ないか探し続ける。
何故、自分が出て夜姫を探すのか?
それは董卓自身、理解できなかった。
居なくなったなら部下達に探させて、自分は会議をするなり脱出する準備をすれば良い。
それなのに自らの足を棒にしている。
とても不思議だったが、嫌な気持ちはしない。
寧ろ夜姫が無事で居る事を願う気持ちが心を占めていた。
「何処だ?出て来てくれ・・・・・・・・・・」
名前も知らないが、とても大事な娘である。
天の姫だからではない・・・何か、とても大事な娘なのだ。
しかし、何処を探しても見つからない。
最悪の展開も考えているが、それは出来るだけ考えないようにして探し続ける。
『・・・あの衣装と容姿だから、身を隠せる場所などは限定される筈だ』
民達の中に紛れ込むなど出来る訳が無い。
となれば・・・家などに隠れている筈だ。
そう思い、手当たり次第に家々を探し始めた。
“おお、随分と熱心だな”
先ほどの声がするも、董卓には聞こえていないのか探す眼を止めない。
“さぁて・・・どう流れるかな?”
流されるに任せる、と先ほど言った。
だから、助けはしない。
いや、まだ助けられる力は無いから見守るしかないのだ。
“まぁ、様子を見る限りじゃ・・・大丈夫だな”
董卓の様子を見ると、特に夜姫をどうこうしようという感じは無い。
それ以前から見ているが、やはり変わらない。
“史書や演技では叩かれてるが、まぁ・・・やっている事はやっているが、姫さんの前だと餓鬼みたいに怯えてるんだよな”
おかしな話である。
だが、夜姫だからこそ出来たのかもしれない。
「・・・・・・・」
不意に董卓が足を止めて、地面に耳を押し付けた。
「・・・不味いな」
連合軍が来た。
蹄の音で判ったのだろう。
董卓は先ほどよりも更に急いで探した。
それでも一向に見つからない。
「何処だ?出て来てくれっ」
泣きそうな声で切に願った時である。
井戸から光が出たのは・・・・・・・
「・・・・・・・」
もはや祈る気持ちで井戸へと走り、中を見る董卓。
そこには夜姫が居た。
しかも、光を放って宙を浮いていた。
そしてそのまま上まで行くと董卓の前で横になり、静かに降りた。
「・・・・・・・」
董卓が夜姫を受け止めると光は消えた。
見た所外傷は見当たらない。
「・・・良かった」
先ずは無事な事に一安心する。
しかし、その手に握られていた物に董卓は眼を見張る。
黄金の小さな物だった。
「こ、これは・・・・・・・!?」
董卓はそれに眼を見張ったが、直ぐに顔を険しくして夜姫の手から取り上げると・・・・・・・・・
「・・・・・・・」
井戸へ放り投げた。
「・・・・わしには過ぎた物だ。この娘もそうだが・・・手放したくない」
誰に言う訳でもなく董卓は言い残して、急いでその場を去った。
それから直ぐに城門が破られる音がした。
連合軍が洛陽へと押し行った音である。