第三十二幕:赤い髪の女
今から一週間ばかり旅に出ます。
謎の声に導かれてドアまで辿り着いた夜姫は、取っ手を掴んだ。
そして引いてみる。
すると、静かに開いた。
「・・・・・・・・」
ドアを開けて空中を彷徨わせながら、壁まで手を近付けて見つけた。
「壁伝いに進めば、出口がある」
謎の声はそう言った。
出口がある。
この暗闇の世界に出口と言う名の“光”があるのだ。
それが夜姫には大きな希望となっていた。
『出口がある。まだ、私は一人ぼっちじゃないんだ』
もう前みたいな事にはならない。
そうだ。
自分には劉備達が居る。
関羽達に、一度こそ邪魔者扱いされたが・・・それでも劉備は自分を優しく受け止めてくれた。まるで泣く娘をあやす父親のように。
孫堅、典医、袁術、諸葛亮も同じである。
『私は、一人ぼっちじゃない。まだ・・・大丈夫』
まだ“痕”を増やさなくて良い。
その行為をするのは、夜姫にとって痛い事だった。
しかし・・・・それだけ彼を愛していた意味もある。
「出口、何処?」
どれ位、進んだのだろうか?
かなり進んだと思うが、まだ出口らしい所は見つからない。
声も聞こえないから、まだなのか?
訊く訳にもいかない。
「・・・・・」
仕方なしに進んで行く。
“悪いな。姫さん、ここからは姫さんが進むんだ”
誰かの声がした。先ほどの声であるが、夜姫に聞こえなかった・・・聞こえないようにしている。
“助けたいのは山々なんだが、姫さんが覚醒するには・・・・姫さん自身の努力も必要なんだ”
声の主---男は自分で言った言葉に酷く嫌悪感を覚えた。
自分から言わせてもらえば“努力”ほど胸糞悪い言葉は無い。
努力をすれば成功する。
努力をすれば報われる。
努力をすれば何とかなる。
など数えたら切りが無いほど努力という言葉は使われる。
何故か?
・・・・・胸糞悪い程に、努力と言う言葉に力があるのだ。
“努力なんて下らねぇ。姫さんなんて血の滲むような努力をした。それなのに・・・・成功も報われもしなかった”
そう・・・・夜姫は努力をした。
昔も、今も・・・・・・
それなのに現実はどうだ?
何も変わらない。
誰にも認められていない。
才能あるのに、無いと見られている。
夜姫より才能が無いくせに、そして努力もしてないのに表舞台に立つ奴等は大勢いる。
それなのに夜姫は、ずっと裏で頑張っているのだ。
それが男には気に入らなかった。
今も、昔も、だ。
“どれだけやっても報われない努力ほど・・・・虚しい物は無い、と姫さん言ったよな?”
かつて酒を飲んでいた席で夜姫は、自分にそう言ったのだ。
『努力をしても、報われない。これほど虚しい物なんて無いわよ。だって、そうでしょ?私が、どんなに頑張っても・・・・両親は認めてくれなかった。皆も、ね』
“あの時、姫さん・・・・泣いてただろ?”
幼い頃から夜姫を育て、陰日向の如く支え続けて来た老龍と四獣達。
その者達は常に夜姫に努力をすれば・・・・・繰り返し言った。
そして影で自分等も動いて、夜姫の努力を報われるようにした。
結果を言えば、報われなかった。
『爺達は幼い私を励ましたわ。でも、駄目だった・・・それからね。努力という言葉が“大嫌い”になったのわ』
決して老龍たちを責める訳ではない。
ただ・・・・大嫌いになったのだ。
努力をすれば・・・・・・という安直な結び方に。
それを言う時、夜姫は涙こそ流していなかったが・・・本当は泣いていたのだ。
今までの苦労が全て無駄だった、と思い知らされたのだから無理も無い。
“しかし、今回は違う”
男は断言した。
“今回はちゃんと報われるように俺がする・・・させる。俺を・・・俺たちを導いてくれた姫さんの為に、な”
かつては敵同士だった自分と夜姫だが、今は違う。
いや・・・最初に戦った時から自分は夜姫という敵に惹かれていた。
戦場を走り抜ける夜姫の姿は、敵であった自分さえ魅了して止まなかったが、それ以上に憐れみを覚えた。
何て悲しいまでに美しいのだ・・・・・・・・・・
それが最初に持った印象であり、今もそれは変わらない。
“俺たちが姫さんを・・・・・・ん?”
男は最後まで言う前に何かを感じたのか、言葉を遮断する。
“まさか・・・いや、あり得なくは無い、か”
自分の予想が正しければ不味い。
しかし、と思う。
“・・・ちょうど良い。悪いが、利用させてもらうぞ”
夜姫が完全に覚醒する為に利用させてもらう。
そう男は言った。
誰にも聞こえないのにだ。
そして利用すると決めた相手は・・・・・・・・・・
“精々、俺の為に頑張ってくれよ?元婚約者さん”
何とも非情な言葉である。
しかし、まったく後悔も、反省の色も含まれてはいなかった。
元々この男は周りから「淡泊の塊」などと揶揄されるほど無頓着な所がある。
だから、元婚約者だろうと利用するし、それに対して罪悪感なども感じない。
彼を知っている者が傍に居れば口を揃えて・・・・こう言うだろう。
『ご愁傷様』
彼に利用されたら最後・・・・・悲惨な眼にしか遭わない。
そして彼が気に入り傍に居る者は、幸福になる。
夜姫の場合は幸福になるだろう。
“姫さん、少し怖い思いをするが、直ぐにあいつ等が来るから頑張ってくれ”
無責任な言葉を放ち声は途切れた。
「出口はまだ、なの?」
延々と続く壁に夜姫は些か疲労を覚え始める。
どういう訳か身体が、鉛のように重い。
病は気から、と言うが・・・彼女も場合もそうなのだろうか?
彼女の疲労は見る限り、尋常ではない。
先ほどまで疲れている様子が無かったから、尚更と言える。
あの声が原因かもしれないが、夜姫に知る術など無い。
「・・・行くしかない」
疲労を覚える自分の身体を叱咤して、夜姫は歩くのを止めなかった。
あの声には覚えがある。
誰なのかは覚えていないが、それでも声は覚えている。
それだけは確かだった。
そして延々と続く壁も・・・やがて出口へと到着する。
「光?」
僅かに手が温かい。
光の温かさだ。
「出口、ね・・・・・」
まるで迷宮から、やっと抜け出せるような気持ちで夜姫は光が来る道を進んだ。
すると夜姫の身体を温めるかのように、光が差す。
「温かい・・・・・・」
今は夜か?
それとも朝か?
どちらかは分からなかったが、この温かさから言えば朝だろう。
「出口、よね?」
光が差したのだから出口だと思いたい。
それが夜姫の気持ちだった。
しかし、声は聞こえないから確認も出来ない。
「これから、どうしよう・・・・・・・」
眼も見えないし、洛陽に連れて来られたと言われた以上・・・頼れる者など居ない。
声も聞こえない以上、どうしようもないのだ。
無責任にも程がある声であり、少なからず夜姫は怒りを覚えたが、怒りをぶつける相手が居ない以上は空回りである。
「はぁ・・・・・・・・」
誰も居ないのは気配で判るから、夜姫は溜め息を吐いた。
何の意味も無いが・・・やったのだ。
「これからどうしよう・・・・・・・」
また同じ言葉を言った。
答えなど返って来ない・・・筈だった。
『ならば、死になさい。この売女が』
「え?」
誰かの声がすると、同時に夜姫は肩に鋭い痛みを覚えた。
眼が見える。
突然の事に驚きながら右肩に手を置いてみると・・・生温い感覚がする。
まさか・・・・・・
恐る恐る左手を見てみると、赤く染まっていた。
「血・・・・・・・」
『そうよ。血よ。共通した色の赤い血よ。この売女が』
声がして手を見ていた視線を上げる。
視線の先には女が立っていた。
赤い髪に水色の瞳をしており、両手に両刃の剣と盾を持って夜姫を睨んでいる。
年齢は夜姫と同い年くらいであるが、殺気立っており友好な関係は築けそうにない。
この殺気は・・・・・・・・・
「私は、貴方を、知っている・・・・・・」
『そうよ。覚えていてもらわないと困るわ』
凛とした声で女は言い、剣を夜姫に向ける。
『この私から婚約者を寝盗った淫売が!!』
婚約者を奪う?
寝盗った淫売?
それは、違う。
「私は、奪っていないわ。あの人が、私を裏切ったのよ・・・捨てたのよ」
思い出したくもない過去に夜姫は顔を沈めながら返答する。
『何を言ってるの?私が言っている婚約者は・・・・・・よ』
・・・・・・
「そう、だったわね・・・・だったわね。あの男の名前は」
『その通りよ!貴方は、私からあの男を奪った憎き女よ!!』
女が唾を吐きながら剣を持ち上げて、夜姫に斬り掛る。
しかし・・・・・・・・
「・・・馬鹿な女」
クスッ
夜姫は口端を上げて嗤った。
そう笑ったのではなく・・・“嗤った”のだ。
そして両手を強く握り締める。
すると、一瞬だが光に包まれて両手に武骨な物と繊細な物が握られた。
右手を上げる。
武骨な物を迷わず女に定めると、躊躇わずに引き金を引いた。
友好が有効になっていたので訂正します。