第三十一幕:後一歩で・・・・・・・・
洛陽の後宮にある寝室。
その寝台に眠る娘が居た。
天から降りて来たと言われる天の姫こと織星夜姫である。
夜姫は未だに眠り続けていた。
可愛らしい寝息を立てていた夜姫だが・・・不意に呻き出した。
「・・・・や・・・・いや・・・・・て・・・・・・は・・・・・・が・・・・・・」
夜姫の脳裏に思い出したくない過去が出て来る。
雪が降り積もる中で、夜姫が立っており、誰かを待っていた。
しかし、一向に来ない。
右手に填めた時計を見る。
もう数時間は経過しているのに・・・・来ない。
どうして来ないの?
「・・・・・は・・・・・・を・・・・・・・」
夜姫の閉じられた瞳から一筋の涙が零れ落ちる。
本来なら、それを拭ってくれる者が居る。
今は居ない。
いや・・・もう何年も前から居ないのだ。
何故なら・・・・・・・・
不意に夜姫は振り返る。
そして、その眼に入ったのは、かつて・・・・・・・・・・・
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ガバッ・・・・・・・・・
夜姫は寝台から上半身を起こして、絶叫をした。
「・・・はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・ゆ、夢?夢、なの?」
空虚な瞳で周りを見るが、何も見えない。
それでも、“あの場所”でない事は雰囲気などで判った。
「・・・・・はぁ」
大量の汗を掻いていると、額に手を当てて判り軽く手で拭う。
「・・・もう、何年も前の事、なのに」
無意識に首に掛けたネックレスを握り締めて、吐息を吐いた。
何年と言っても、彼女がまだ18歳の時である。
つまりまだ2年しか経過していない。
しかし、夜姫にとっては、もう何年も前の事である。
もう既に遠い過去の事だと思う事で、忌々しい記憶を消そうとしているのかもしれない。
「・・・フェンリル」
夜姫は、先日から自分に懐いてきた狼の名前を呼ぶ。
彼なら何処へ行っても直ぐに駆け付けてくれる。
今は、そんな忠実で家族思いな狼に慰めて貰いたい。
そう思い声を掛けた。
しかし、返事も無いし来る気配も無い。
「フェンリル、何処?」
再度、夜姫は声を掛けるが返事が無い。
いや・・・・部屋の雰囲気も違う。
その事に遅くも気付いた。
連合軍の天幕ではない。
「・・・ここは、何処?」
夜姫が見えない眼を動かし、虚しく手を彷徨わせて棒を探そうとした。
しかし、誤って空を掴み寝台から落ちてしまう。
「痛ッ・・・・・」
身体に鈍い痛みを覚えた。
だが、夜姫は手を、這うようにして入口を探し始める。
「出口は、何処?」
床を這い、出口を探すが・・・広いため見つける事が出来ない。
だが、何とか机を見つけて立ち上がる事は出来た。
そして怖がりながらも手を前に出して・・・・出口を探し続ける。
「誰か、誰か・・・居ないの?」
誰も居ないし、何も見えない。
この二つが彼女の心理状態を極限にまで追い詰めていた。
先ほどの悪夢もあるが、来た事も無い世界に理由も分からず送られたのだ。
それを今まで我慢して来ただけでも凄い事である。
しかし・・・・もう限界に近かった。
「誰か・・・居ないの?私、また、一人ぼっち・・・・・・・・・・・・」
夜姫はポロポロと涙を流す。
“姫さん、あんたは一人じゃない”
誰かの声がした。
何時もなら聞こえないのだが・・・・今回は夜姫に聞こえた。
「貴方は、誰?」
涙を流しながら夜姫は声の主に訊ねた。
“あんたを昔から知っている男だ。今は名乗れないが・・・何れは思い出す”
「思い、出す?もしかして、夢に出て来る人?」
“そうさ。幼い頃から見ている夢に出て来る奴さ。今はまだ、皆は来ていない。しかし、必ずここへ来る。あんたを迎えに、な”
「私を迎えに?まさか、あの劇団の事務所での事も・・・・・・・・・」
“それは違う。だが、あれは姫さん自身も関係している”
「私自身?」
“あぁ。まぁ、今はそれ所じゃないな。そこから真っ直ぐ進んでくれ。そうすれば、ドアがある。そこを出たら壁伝いに行ってくれ”
そうすれば出口がある、と声の主は言った。
「ここは、何処なの?連合軍の陣じゃないんでしょ?」
涙を拭きながら夜姫は声に問い掛ける。
“あぁ・・・董卓の居る洛陽さ”
「董卓・・・・・・・」
夜姫は連合軍が倒すべき相手の居る都だと聞かされて愕然とした。
“姫さんが一人走りして力尽きたんだ。自業自得と言えば、それもあるが・・・・・・・・・”
“貴様!姫君の行動を自業自得と抜かすか!!”
またもや誰かの声が聞こえた。
「あの、貴方は・・・・・・」
何故か懐かしい声に聞こえて、夜姫は戸惑いながら訊ねた。
“姫君っ。我らの姫君っ。ご無事でしたか?!”
「あの、貴方は・・・・・・」
“姫君、待っていて下さい。必ずや貴方様を助け出しに・・・・・・・・”
“姫さんの問いに答えろよ”
片方の声が酷く興奮している声を宥めた。
“これは失礼しました・・・・姫君、貴方は先ほど我が名を呼んだではないですか”
「先ほど・・・・フェンリル?フェンリルなの?」
“はい。貴方様を護る為に存在するフェンリルです。この度は我が力不足故に、このような事になってしまい・・・・・・・・・・・”
「貴方、喋れるの?」
“えぇ。あの、姫君。我に命令した事を覚えていないのですか?”
「命令?あの、一体・・・・・・・」
“まだ完全に姫さんは覚醒していない。覚えてないんだよ”
“そうであったな・・・・・・申し訳ございません。姫君”
「あの、さっきから話が理解できないんですけど・・・・・・・・」
“それも何れ分かる事さ。それはそうと、ドアに行きな。もう直ぐ董卓が来る”
その前に遠くへ行くのだ。
そして身を隠して、自分達が来るのを待ってくれ。
暫くすれば、“誰か”が来る。
「劉備様達では、ないんですか?」
出来るなら劉備が来て欲しい、と夜姫は切望したが、声の主は違うと言った。
“生憎とまだ来れない。だが、もう直ぐ姫さんを昔から知っている奴が来る”
“おい、我は聞いてないぞ”
“言う必要があるか?”
“ある”
“それじゃ今度から気をつける。まぁ、そういう訳だから姫さん、ドアを開けて隠れるんだ”
「・・・・・・」
夜姫は言われるままにドアまで進んだ。
声の主が何者なのか?
それは覚えていないし、知らない。
だが・・・何故か懐かしい気持ちを覚えるのは気のせい・・・ではないだろう。
『この声・・・私は知っている』
何処で知り合った?
『・・・・あれは』
夜姫は空虚の眼差しを真っ直ぐに向けながら思い出した。
何処とも知れぬ戦場・・・・・・
雨のように矢は降り注ぐ。
そんな中で自分は甲冑を着て、直立不動で一点を見ている。
傍らには黒毛で立派な体格をした狼が・・・・・・・・・・
そして背後に一人の男が現れて、話し掛ける。
何を話しているのかまでは分からない。
しかし、知り合いであるような会話だったのは口の動きで分かる。
『私は・・・知っている』
だが、それが何処で、誰なのか、までは未だに分からない。
“・・・・思い出し、始めたか”
先ほどの声がした。
所が、今度は夜姫に聞こえない・・・聞こえないようにしている。
“あぁ。やっぱり姫さんもまだ覚醒し切れてないな。とは言え、あいつ等と会えば・・・後一歩だ”
“あ奴ら、か・・・二羽で一組・・・昔を思い出す”
かつて自分と二羽は、戦場において斥候ならびに偵察、そして夜姫の護衛を担っていた。
二羽が上空から、そして自分が地上で夜姫を補佐していたのだ。
そして、誰よりも夜姫の傍に居り可愛がられていたと自負している。
“後一歩・・・・後一歩で我らの願いが叶う”
“そうだな。後一歩だ。覚醒すれば、こちらの物だ”
皆で幸せになるという・・・・願いを叶えられる。