第三十幕:厄介な相手とは
後漢王朝の都である洛陽。
その城の中は騒然としていた。
誰もが身支度を急かされて、出る準備をさせられている。
逆らえば殺されるか、強制される。
そのため誰も逆らえずに黙々と準備をしていた。
理由は何だ?
それは、分かり切っている。
この洛陽を捨てる為に他ならない。
と言うのも、ここ洛陽を支配しているのは皇帝ではなく、辺境の将軍である董卓だからだ。
皇帝が支配していれば、このような真似はしない。
何故なら当時、都を移す行為---“遷都”は儒教では墓荒らしと同じく最大の悪行とされていたからだ。
しかし、辺境の将軍でしかない董卓はそれを無視するのだが、戦で言うなら寧ろ良い判断と言える。
何故なら洛陽の先---眼と鼻の先には前線基地とも言える陽人という城がある。
ここを奪われたとなれば、戦略的に不味い。
何せ急所に牙が当たっているに等しいのだから。
儒教では、最大の悪という理由で無理など馬鹿馬鹿しい。
それを董卓は知っているからこそ、敢えて遷都する事に決定したのだ。
連合軍は、もう来るから慌てるのも無理は無い。
民達から言わせれば、董卓を倒し平和に暮らせるという希望だが、本人から言わせればとんでもない。
わざわざ自分を殺しに来る相手を、どうして待つ必要があるのか?
そう思うのが普通だ。
「・・・まったく。どうして俺たちまで移動するんだか」
忙しなく荷物を纏めながら民の一人が、愚痴を零した。
「余り声を出すなよ。何処で密告されるか分からないぞ」
隣で準備をしている民が、小声で窘めるように言う。
「本当の事だろ?俺たちは別に悪くないんだぞ」
全ては董卓と言う野蛮な男のせいだ。
「そうだが・・・・従わないと、ああなるぞ」
男は指を指す。
その先には四肢を八つ裂きにされた死体が晒されていた。
董卓に逆らった者の末路だった。
自分に逆らえば、こうなる。
そう教えているように死体は、鴉や犬に喰われた痕があり、見る者を竦ませた。
「・・・早く準備するか」
「それが賢明だ」
二人は死体から眼を逸らして黙々と作業を続ける。
それだけの効果が死体にはあった・・・何も言わないが。
場所は変わって連合軍の陣。
現在、連合軍は二つに別れていた。
袁術を大将とする離反組と袁紹を大将とする残存組である。
元々は一つだったが、度重なる問題で袁術が離反した。
その中には江東の虎という異名を持つ孫文台も居り、黄巾の乱から義勇軍として参加していた劉備玄徳も居る。
この二人が袁術に従っており、残りは袁紹に組している。
圧倒的に袁紹の方が兵の数などは多いも、士気の高さ及び実力で言うなら袁術の方が上であろう。
何せ孫文台が居るのだ。
董卓が最も恐れている男が、孫文台であり彼が袁術に居るだけで身も心も引き締まる。
それだけ存在感がある袁術の軍を民達が見たら、こちらが連合軍だろうと思う筈だ。
対する袁紹は数などは多いが、董卓と真正面から何度も戦ったのは曹操位で、後は損害を恐れて戦わない者たちである。
そのため士気も余り良くない。
所が一度は袂を別ち合ったが、相手が相手だけに会議を開く事になった。
元々倒す相手は共通しているから、それほど問題は無い。
ある一つの問題を残しては・・・・・・・・・・・
腕を組み不機嫌そうな顔をする男---袁術は同じく、腕を組み不機嫌そうな顔をする男---袁紹を睨んだ。
この二人は腹違いの兄弟であるが、仲は悪く顔を合わせれば喧嘩する。
それは周囲に知られている。
現にこうして会議を開いている訳だが、一触即発の状態だった。
「そんな条件を私に飲めと?」
袁術は腕を組んだまま、袁紹に訊ねる。
「そうだ。元々、貴様は連合軍の総大将だ。しかし、私より下だ」
故に私の命令に従うべきだ、と袁紹は腹違いの兄弟に言う。
「確かにそうだが、もう連合軍から離反した。貴様の命令に従う理由は無い」
「いや、ある」
「何故だ?貴様は夜姫様を助けられなかった男だぞ」
そんな男の命令に従う気は無い、と袁術は言い切る。
「さっきからそれしか言わないな」
「事実だからな」
『・・・・・・』
互いに無言で腹の探り合いをする。
とは言え、どちらも答えなど当に見つけていた。
天の姫である織星夜姫を手に入れる事。
これが二人の考えている事だ。
だが、袁術はあくまで夜姫を護る事が理由であり、袁紹のように邪な考えは持っていない。
それが違う所と言える。
「とにかく命令に従え」
「断る。貴様の命令に従って夜姫様を助けられなかったら、私は死んでも死に切れん」
「では、訊くが・・・そなた等だけで董卓を打ち破れるのか?」
「・・・・・・・」
痛い所を突かれて袁術は無言になる。
「出来ないだろ?如何に孫堅が居よう、とな」
「・・・・・・・」
袁紹の勝ち誇った顔に、袁術は拳を握り締める。
「所詮、貴様に出来る事など・・・この程度だ」
「・・・・・・・」
この勝ち誇った男の顔を思い切り殴りたい。
そんな激しい衝動に袁術は覚えた。
だが、それを必死に抑えて・・・黙る。
「話は終わりだ。さっさと自軍へ伝えろ」
私の傘下で戦う、と・・・・・・・・・・
「断る。しかし、共同戦はする。だが、覚えておけ」
袁術は沈めていた顔を上げた。
瞳は燃えるような火が宿っており、袁紹を真っ直ぐに見え透いている。
「もし、また前みたいな事をしたら貴様を・・・殺してやる」
何時にない殺気を込めて、袁術に袁紹は少しばかり恐怖を覚えた。
「ふ、ふん・・・やれるものならやってみろ」
「やってやる。貴様と刺し違える形になろうと、な」
それだけ言い残すと袁術は天幕を出た。
そして、その足で自陣へと戻る。
「どうでした?」
自陣へ戻ると彼の腹心である閻象が真っ先に訊いてきた。
「この顔で良い答えが得られたと思うか?」
袁術は自分の険しい顔を見せる。
「いいえ。まったく」
「だったら訊くな。思い出すだけでも腹立たしい」
「そう怒っても仕方ないでしょうに」
「煩いっ。それで、何の用だ?」
「劉備殿達をどうしますか?」
「どうする?」
袁術は閻象の言いたい事が解からずに訊ねる。
「義勇軍は負傷兵なども多く厳しい言い方ですが、足手纏いです」
「・・・それで?」
「ここは動ける者だけを連れて行くべきかと。勝負がつけば、連れて来る」
それでどうでしょうか?
「良いだろう。ただし、決して見捨てないぞ。仲間は見捨てない」
それが夜姫様の望む事だ、と袁術は言い切る。
「分かっておりますとも」
閻象はそれに頷いた。
袁術が横を去り、閻象はその背中を見て眼を細める。
しかし、彼が眼を細めたのは袁術に対してではない。
もう直ぐ到着する洛陽に、だ。
『・・・洛陽を焼き払う、か。董卓ならやりかねない』
董卓の配下に潜入させた間者から得た情報によれば・・・・・董卓は長安へ逃げるらしい。
それは予想していた事であるが、董卓は自分達に利用されないように洛陽を焼き払うと言う。
儒教において都を移す事は墓荒らしと同じく最大の悪である。
如何に戦術的、戦略的に良くても・・・悪とされてしまうのだ。
これを実行すれば確実に、こちらには不利であるが、同時に董卓側にとって不利になる。
民衆の支持などを得られなくなる。
以前から民衆に対して苛烈な行いをしており、支持など皆無であるが、それを行えば確実に国全体を敵に回すと考えて良い。
董卓ならやるだろう。
国全体を敵に回そうと、勝てば良い。
そう董卓なら言うに違いない。
歴史に自分の汚名が残ろうと、生きている間に勝てば良いのだ。
そう言うに違いない。
『・・・厄介な相手だ』
その厄介な相手とは董卓だけではなく、連合軍にも向けて閻象は言った。