第二十九幕:未だに目覚めず・・・・・・・
「・・・殿は、また天の姫が眠る寝室か?」
後宮の外にある部屋で董卓軍の将軍である胡軫は腹心の華雄に訊ねた。
後宮に入れるのは皇帝と宦官だけ。
例外的に許される男も居るし、現状況では男が入ろうと問題ない。
しかし、許しも無く入ればどうなるか・・・・それは呂布の一件で皆に知らしめる事が出来た。
そのため胡軫も華雄も敢えて入らず外で待っている訳だ。
その胡軫は華雄に天の姫---織星夜姫の事を訊き、華雄は答えていた。
「はい。呂布殿の一件もあり、不安なのでしょう」
「不安、か・・・まぁ、分からんでもない。で、その呂布は?」
「今も牢に繋がれております。ただ、その気になれば無理でも出ましょう」
呂布の怪力を持ってすれば鎖を引き千切る事も可能であろう。
そしてそのまま兵士を脅して出させる事も可能だ。
「それなのに出ないのか?」
「はい。もし、出れば殿の怒りを買うのは明白ですからね」
その通りである。
仮に出れたとしても養父である董卓が、呂布を許さない。
それを考えて出ないのかもしれない、と華雄は推測したのだ。
「なるほど。一理あるな。しかし、天の姫は何時まで眠り続けるのだろうな?」
「かれこれ・・・数日---三日以上は寝ておりますね」
「普通の者がそこまで寝るか?」
「いいえ。病人ならあり得ますけど、些か異常ですね」
華雄は胡軫の言葉に同意する。
「だが、我らが勝手に行く訳にもいくまい」
後宮に入ろうとすれば、不義密通と断罪されて処刑される。
「そうですね。それはそうと胡軫様。貴方様は天の姫と戦ったのですよね?」
「正確に言えば部下だ。それはそなたも同じだろ?」
「私の場合も正確に言えば、矢を遠くから射られただけです」
「その時の感想はどうだ?」
胡軫は自身の事を答える前に華雄に訊ねた。
「恐ろしく狙いが鋭かったです。更に言えば射る速さも半端ではなく、防ぐのが手一杯でした」
あの速度と正確な狙いは半端ではなかった。
華雄は思い出したのか身震いする。
「あの狙いと速さは・・・弓兵10人と見ても良いでしょう」
“それはまだ力が完璧じゃないからだ”
また誰かの声がした。
しかし、二人には聞こえない。
“そうであろうな。姫君が覚醒すれば弓兵の万人に値する”
また誰かの声がするも、こちらは最初の声に比べて若い。
“そうだな。それはそうと、もう直ぐ到着か?”
“あぁ。姫君の方もそろそろ眼が覚めるか?”
“そう、だな。本人も後1日か2日で眼が覚めると言っていたからな”
“だが、そうなると・・・いや、そうでなくても我らが到着したら否応なくまた、連れて行かれるのだろうな”
ここではなく長安へ・・・・・・・・・・
“あぁ。そこで董卓は死ぬ予定だ。まぁ、どうなるかは分からないな”
意外と誰かが出陣して敵の進撃を遅らせる可能性もあるのだ。
“若しくは連合軍内で身内争いを始めるかもしれんぞ”
織星夜姫は洛陽に居る。
しかし、そこには董卓達も居る。
つまり二匹の兎が居る事になるのだ。
そうなれば、また身内争いを始める可能性が高い。
獲物を眼の前にしたら、相手が誰であろうと興奮して我を忘れるのだから。
しかも最高級の獲物となれば尚の事だ。
そんな声達を余所に華雄と胡軫は話し続けていた。
「そなた程の強者が言うか・・・・・・」
胡軫は華雄の評価に唸る。
「はい。胡軫様はどうですか?」
「・・・そなたと同じだ。部下がまるで子供のように薙ぎ倒されて行った。そして迅速な指揮と伏兵が居る、という予測・・・・・・・」
あれは幾多の戦場を駆けた者だけが、持つ技術だ。
そう胡軫は断言した。
「となれば、天の姫は戦に出た事がある、という事ですか」
「あくまで推測に過ぎん。だが、一理あると思っている」
見た目からは想像も出来ないが、あそこまで迅速に指揮を執れるとなれば戦に出た事がある、と武将である彼らは断言できるのだ。
「私もです。あの呂布殿を倒したんですから」
華雄が言った一言。
この一言だけで、天の姫が常人ではない、と表しているだろう。
“人中に呂布あり、馬中に赤兎あり”
こんな言葉もあるほど、呂布の実力は高く畏怖されている。
その反面で直ぐに裏切る癖もまた知れ渡っており嫌悪されているが。
しかし、だ。
そんな呂布を、たった一人の娘が圧倒的に倒したのは事実である。
それも大勢の者たちが見ている中で勝ったのだから、疑いの余地は無い。
この事実が華雄と胡軫に推測を与えたのだ。
「しかし、天の国は話によれば争いなどとは、無縁と聞いております」
「それは私も聞いている。いや、誰もがそう思っているだろう」
天の国は争いなど無く皆が平和に暮らしている、と。
乱世だからこそ、見た事も行った事も無い天の国は平和な所だと、誰もが思っている。
この腐った国の上に乱れた世を生きて行くのだから、そう思いたくもなる。
だが、それだと天の姫が戦に出た事がある、という推測は消えてなくなってしまう。
「結局は本人に訊かない、と分からない・・・ですね」
華雄は苦笑して胡軫に言った。
「そうだな。しかし、当の本人がああも寝ていては、無理だな」
「はい。何より殿が果たして天の姫を・・・どのように扱うのか・・・それが問題ですね」
「確かに・・・・妻、などとは思わんが、少なくとも自身の傍には置くだろうな」
胡軫の言葉に華雄は頷いた。
董卓の性格を考えれば、自分の手が届く範囲に必ず置く。
そうする事で彼女が他の者---敵に渡さないようにするのだ。
しかし、天の姫を妻にするとは考え難い。
そうなると今以上に反感を買うのは眼に見えている。
寧ろ彼女を利用し有利な状況へ持ち込み、和睦などを結ぶと考えるべきだ。
“董卓は、どう出る?”
声達は華雄と胡軫の話を聞いて、興味を持ったのか片方に訊ねた。
“まぁ、こいつ等の言う通り有り得なくはない。しかし、和睦なんて直ぐに破られたりするもんだろ?”
古今東西の歴史において和睦を結んだが、一定の期間になると一方的に破棄されて再び戦になるのは、よくある話だ。
ここでも同じ事である。
特に連合軍から言わせれば董卓は殺さなくてはならない。
『絶対的悪』
と言える存在だ。
和睦を申し込まれたら考えるだろう。
だが、それはあくまで一時凌ぎに過ぎない。
互いに力を取り戻したら、また戦うという事になる筈だ。
ギィ・・・・・
重厚そうな扉が開き武官の衣装に身を包んだ壮年の男---董卓が現れた。
「殿、天の姫は目覚めましたか?」
胡軫が彼に訊ねると董卓は首を横に振る。
「まだだ。流石に数日も寝ていると・・・心配になる」
「はっ。ですが、典医などに見せても果たして分かる事か・・・・・・・」
「分からん、だろうな。見た目こそ我々と同じだが、不思議な力を持っているのだ。人間とは根本的に違う筈だ」
「では、待つしかない、ですか」
「そうだ。それはそうと呂布は?」
「はっ。牢へ繋いでおります。しかし、あれから大人しくしております」
「・・・そうか。もう直ぐ連合軍も来る。今の内に牢から出しておけ」
「御意に。長安へ行く準備も出来ておりますが、何時にしますか?」
「奴等も馬鹿ではない。直ぐに追い掛ける者も居るだろう。そういう輩だけ倒す。後の者は捨ておけ」
“ここだと曹操が追うんだよな”
正史や演技では曹操が洛陽から逃げる董卓たちを追い掛けるが、殿を務める呂布に阻まれて、そこで連合軍から離反する。
“なるほど。それで孫堅は洛陽を復興するのか?”
“歴代皇帝の墓を、な。で、井戸から見つけるんだよ”
董卓が洛陽にある歴代皇帝の墓などを暴き、長安へ逃げる間に孫堅は墓を修復する。
そこで井戸が光っている事に気付いて、部下に命じて調べさせると玉璽を発見した。
これは皇帝が使用する印鑑の事である。
だが、それは演技での話に過ぎない。
本当かどうかは不明だ。
“しかし、ここでは何もかもが分からない。正史でも演技でもない展開へ行く可能性があるのだろ?”
“あぁ。だから、俺たちは傍観するしかない”
未だにこの世界へ来れない以上は、下手に干渉するべきではない。
そう片方が言うと、もう片方も同意した。
“まぁ、何はともあれ・・・姫さんが目覚めないと進まない”
片方の声が言うと、もう片方は黙った。
それは肯定であったが、敢えて何も言わずに声は静かに気配を消した。