第二十八幕:正史と演技では・・・・・・
「・・・・・・・」
薄暗い後宮にある寝室で一人の男が寝台で寝息を立てる娘を見ていた。
娘の喉元には男の手で握られた痕がクッキリと残されており、娘の寝顔を見ている男の顔を険しくさせる。
「・・・馬鹿者が」
男はギリッと唇を噛み組んでいた両手を握り締めた。
血管が浮き上がり男の感情を表していると言える。
男の名は董卓。
字は仲穎で辺境の一将軍でしかなかった彼だが、現在は漢王朝の実権を握っている者であり、連合軍が討とうとしている人物だ。
演技でも正史でも彼は悪く書かれている。
しかし、どちらも三国に偏った見方をしているのは否定できない。
演技は蜀で正史は魏だ。
どちらも彼を必要以上に乏しめている節がある。
それだけの事をこの男はして来たのだが・・・・目の前の男---董卓はそんな事をするような男ではなかった。
まるで大切な人物を護り切れなかった男の顔である。
「・・・わしが、もう少し呂布の行動を見ていれば、そなたにこのような痕を・・・・・・・・・」
董卓は握っていた手を離し、娘の喉へやった。
ハッキリと残された痕に董卓は怒りを覚える。
娘が寝ている部屋から大きな音がしたので、会議を一時中断して華雄と胡軫を連れて行ってみると気絶している呂布を見つけた。
そして寝室を除けば倒れている娘が居る。
華雄が直ぐに駆け寄り喉を見ると・・・絞められた痕がある、と言われた。
誰がやったかは一目瞭然である。
直ぐに呂布を叩き起こし問い質す。
彼は素直に認めた。
その素直さに驚きながらも、罰として牢へ入れる事にした。
その一方で華雄に娘を寝台に寝かせるように言い、娘を寝かせると人払いを命じて自分だけ残して追い出す。
娘の喉へ近付かせる手が震えているのは、彼が恐れているからだろう。
血で汚れた自分が、このように美しい娘に触れて良いのだろうか?
それを恐れているのだ。
それでも手は近付いて行く。
まるで生き物の如く独立した動きだ。
「・・・・・」
止めようとするも、やはり止まらず手は娘の喉に掛った。
「ん・・・んん・・・・」
娘が僅かに動いた。
それに董卓は慌てて手を退かす。
「・・・・・」
しかし、娘は起きず寝息を立て続け董卓は安堵の息を吐いた。
娘が眼を覚ましたら何と言えば良いか・・・董卓には皆目分からなかった。
大声を出すだろうか?
泣き出すだろうか?
面を引っ叩くだろうか?
分からない。
だが、と思う。
「・・・わしを、嫌わないでくれ」
泣きそうな声で董卓は娘に懇願した。
何で会って間もない娘に、こんな事を言うのか?
それは董卓自身も分からなかった。
今まで生きて来た中で、こんな事を願い口にしたのは初めてだった。
言うなれば一目惚れかもしれない。
しかし、考えるのを止めて部屋から出ようとする。
そこで・・・・・・・・・・・
「・・・・な・・・・・わ」
微かに娘の口元が動き何かを言っている。
董卓は何を言っているのか気になったが、起こす訳にもいかない。
どうすれば良いか、と考えていた時である。
「・・・・嫌ったり、しないわ・・・皆、私の、家族だもの・・・・・・・」
微かだが、ハッキリと娘は眠りながら言った。
「夢、か・・・・・」
恐らく夢の中に出て来る人物へ言った言葉だろう、と董卓は推測した。
家族、か・・・・・・
「そなたにも家族が居るのだな」
当たり前か、と直ぐに思い直す。
この娘は天に住む姫だ。
何不自由なく幼い頃から暮らしていた事だろう。
優しい母と父に、兄弟か姉妹、使用人に囲まれて暮らしていた筈だ。
そして自分は、彼女から家族を奪うかもしれない。
いや、連合軍の手からこちらに奪った時点で・・・そうかもしれない。
恐らく彼女が言った家族とは、連合軍の事を言っているのだろう。
この国に娘が来てから少なくとも一月は経過していると思われる。
一月もあれば、連合軍に親しい者も出て来る筈で、彼等を家族と見ると考えられる・・・・・・・
きっと夢の家族とは彼等を言っているに違いない・・・・・・
『とことん・・・・わしは悪人だな』
董卓は今まで生きてきた中で、悪に手を染めなかった時があっただろうか?
自問して直ぐに無い、と導いてしまう。
生きる為には何でもした。
それを思うと卑屈になる。
そうだ。
自分は卑屈で、民達から怨まれる悪人だ。
採用した者たちからも「辺境の出」、「田舎者」と陰口を叩かれている。
ならば、とことん・・・その道を進めば良いだけだ。
そう思う事で自分の中で虚しいまでに流れている涙を忘れようとした。
“これは本当の事か?”
誰かの声が聞こえるが、董卓の耳には入らず、そこから先の言葉の投げ合いもまた聞こえない。
“あぁ。採用した者からも陰口を叩かれている”
“酷い物だな。こ奴のお陰で取り立てられたというのに”
“しかし、中には感謝している者も居る”
例を上げるなら“蔡邕”だろう。
字は伯喈で、儒者にして書家である彼は董卓に重宝された。
そして董卓が亡くなった時は涙を流したと言われている。
こういう人物も居る為、彼の評価は一部では捏造も含まれているのでは?
そう言われているし、蔡邕も彼の功績ならびに正当な評価を史書に書き記そうとした。
だが、それを恐れた者達に獄死と言う悲惨な眼に遭わされたが・・・・・・・・
“そうか。姫君もまた似たような感じだったのか?”
“いいや。少なくとも自分が採用した者からは何も言われていない。寧ろ身分に関係なく取り立ててくれる女性と言われていた”
何時の時代でもそうだが、身分や性別などで差別される事はある。
それのせいで功績を残せない者も居るから酷いものだ。
だが、どうやら声の主たちの主人である姫は、そんな器の小さい者ではないらしい。
“流石は姫君だ。それに比べて『餓鬼共』は何時まで経っても身分だ、性別だ、と下らん事に拘っていたな”
“それは仕方ない。奴等から身分を取り上げたら何も残らない。それを恐れていたのさ”
“なるほど。自分の力では何も出来ない。だが、身分があるから出来る訳か”
“その通り。つくづく軽蔑の対象に値するぜ”
“そうだな”
片方の声---壮年と思われる年齢の声に片方の声は納得する。
“で、お前はいま何処に居るんだ?”
“もう少しで着ける、と言われた。だが、余計な者達も付いている”
“嫌なオマケだな”
“まったくだ。そして、もっとも汚らわしい者が劉備達に近付いている”
“曹操か?”
曹操。
字は孟徳で北の大国である魏を支配し、劉備玄徳にとっては最大の敵である。
演技でもそのように描かれている。
“そうだ。奴は、どちらに転んでも良いように行動している。しかも、上手く両方と渡っている”
“流石は乱世の奸雄だな”
“ふんっ。下らん。あのような小僧・・・我が本気を出せばオーディンの如く一飲みで済むというのに”
“そう怒るなよ。あいつを生かして置けば姫さんの覚醒も早くなるぜ”
“何故だ?”
“俺の可愛い姫君をあやしていた時に思ったんだが・・・・俺たちの世界でも『敵役』が居ると成長は早いだろ?”
この世界を物語としよう。
物語に登場する重要人物は先ず主役だ。
主役が居なければ物語は進まない。
しかし、主役一人ではつまらない。
そこで登場するのが敵役である。
敵役は主役とは真逆の性格などを持つ事が多い。
そして主役より最初は強い。
それに対して主役は対抗意識を燃やし強くなる。
というのが物語的に良いのだ。
“つまり、あの餓鬼を敵役と称し姫君の覚醒を早める材料にすると?”
“察しが良いな。そうだ。まぁ、姫さんも多少の危ない眼には遭うだろう。だが、それだけ覚醒も早くなる。そうなれば後はこっちの物だ”
また以前のように彼女の手足となり戦場を跋扈できる。
だが、そんな物はあくまで『添え物』でしかない。
“今度こそ皆で幸せになるんだよ”
あの月で・・・・・・・・・・・・・
“・・・・そうだな。では、我も暫し我慢するとするか”
“そうしておけ。さぁて、俺は帰るか”
“また稚の面倒見か?”
“そうだ。上さんに子育てを押し付けるなんて時代遅れだ”
“尤もだ。では、帰れ。我もまた戻る”
見る限り董卓は夜姫を乱暴にする様子はない。
ならば、戻っても安全だろう。
そう思ったのか声の主たちは消えて行った。
史書でも演技でも悪人と言われ続けている董卓だが、果たしてこの世界ではどのような結末を迎えるのか?
それは誰もまだ知らない事である・・・・・・・・・