第二幕:総大将の提案
天の姫こと織星夜姫が来てから既に7日が経過した。
総大将の4人が直接、対面した事で噂・・・・真実は広まった。
天の姫が降り立った。
この真実は瞬く間に広がり興味本位で訪れる兵達が続出したのは想像に難くない。
それは夜姫が居る義勇軍の陣内も例外ではなかった。
ただし彼等は他の兵達と違って興味本位ではない。
夜姫は眼が見えない。
それを典医は皆に伝えた。
普通なら伏せて置くのだが何れは知られる。
それを理解していた典医は先手を打ち教える事で要らぬ揉め事などを先に解決させたのだ。
それと同時に皆の協力を期待した。
これは当たりだった。
典医の説明を受けた兵達は出来る限りの物を用意した。
ここで手に入る眼が治る薬や魚などを用意しては夜姫に差し出し始めたのだ。
それ以外にも前以上に勇敢に戦うようになった。
前まではただ敵が来たら追い払うだけだったが、今は敵が来なくてもこちらから攻めて行く。
その真意はただ同じ。
眼が治って欲しい・・・・・・・・
自分達は義勇軍。
お荷物と言われ馬鹿にされている。
その証拠がこの陣だ。
何の価値も無い不毛な場所。
こんな所を護れと言われてはやる気もへったくれも無い。
だが、そんな自分達の陣に天の姫は来た。
それは自分達を励ます為。
それなのにここに来たせいで盲目となった。
それは自分達が情けないから。
ならば勇敢に戦えば眼は戻る。
戻してみせる!!
これが兵達の心理だった。
根拠がまるで無い。
だが、彼等はそう思う事で自分達を叱咤したのだ。
甘んじていたこの環境に・・・・ぬるま湯に浸かり切って腑抜けとなっていた自分達に。
こういう所は典医は期待なんてしていなかった。
無論の事だが・・・・連合軍も同じである。
何せ連合軍から見れば義勇軍は何処にも属していない。
つまり敵でもなければ味方でもない。
そうかと言って無碍に扱えば面倒な事になる。
それを肌で感じ取っていた彼等は敢えて何の意味も無い場所を拵えてやったのだが、そんな場所に天の姫は降り立った。
これが話をややこしい事にしたが、それは表立って出来る事じゃない。
こういう裏の事情もあるが場所を少し変えるとしよう。
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天の姫こと織星夜姫が居る天幕。
本来なら天幕とは白い天幕の事を意味する。
だが、急ごしらえで用意された為か、あちらこちらに綻びがある。
その上で薄汚れているが、義勇軍の陣ではこれでも「良い方」だから文句は言えない。
元々は義勇軍の総大将である劉備玄徳の天幕ではあるが、今は夜姫だけの為に使われている。
その天幕を劉備の両腕とも言える関羽と張飛が仁王立ちで護っている。
こうでもしないと変な輩が来るからだ。
つい先ほども袁術の使者と名乗る者が勝手に入り込んで夜姫を連れて行こうとした例があるから尚更とも言える。
だが、この二人が立つと変な輩は来なくなったから効果は抜群と見て良いだろう。
そんな天幕に夜姫は居た。
「夜姫様。今日はこれを試してみましょう」
典医は簡単に作られた寝台の上に腰を降ろす夜姫に魚の肝を差し出した。
魚の肝は難病に効くという噂がある。
それを聞いた兵の一人が苦労して手に入れ差し出してきた。
しかし、この肝はとても臭いがきつく簡単に食せる物ではない。
特に歳若い女子などからは嫌悪されている。
それを典医は知っていたので臭いを和らげる薬を使った。
そのため臭いは強くない。
典医はレンゲでスープ状にした魚の肝を夜姫の口に運んだ。
夜姫は口を開け魚の肝を口にした。
そして飲んだ。
「・・・・良薬、口に苦しですね」
一口飲んだ夜姫は言った。
その顔は歪んでいた。
「その通りです」
典医は夜姫が見せる歳若い娘の表情に苦笑した。
「いえ。私みたいな者の為にこんな事を・・・・・・・・」
「何を言います。貴方様がここに来てからというもの皆は活気づいております」
貴方様が来る前は誰からも相手にされない事で士気は低下していたと典医は語った。
「私ごときで役に立てたなら嬉しいです。でも、どうして義勇軍をこんな所へ配置したのですか?」
夜姫自身は既に歴史などを調べてある程度の事は分かっていたが、この時代に生きる典医の口から説明を聞きたいと考えたので敢えて疑問を投げ付けた。
「義勇軍は先に起きた“黄巾の乱”で活躍したのは分かりますか?」
「えぇ。劉備様も参加したんですよね?」
「左様です」
典医は夜姫の質問に頷いた。
黄巾の乱とは後漢末期の184年に大平道と呼ばれる宗教の教祖をしていた「張角」が農民達を先導して起こした反乱である。
張角は自身を天公将軍と称し政治腐敗で民衆に対する苛性政を正す為に兵を起こしたと触れ回った。
では何故に黄巾と呼ばれるのか?
それは目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いた事からこう名付けられた。
この反乱により後漢は衰退し三国の時代へ行く事になるという歴史的にも重大な反乱と言えるだろう。
しかし、反乱途中で張角は死亡し後漢も押し戻して来たので反乱は治まったように一時は見えたが・・・・・・・・
張角が死んでからも自らを張角と名乗り反乱を続ける者が続出した。
これによって後漢の権力は地に落ちたのだ。
話を戻すと張角亡き後の黄巾党は散り散りになって山賊などに身を落とす者まで続出した。
その者達は・・・・ここ劉備玄徳が指揮する義勇軍にも居ると言う。
「・・・・それで、こんな所を?」
「それもありますが・・・・実際の所は皆が自分達の力を誇示する為にここを任せたとも言えます」
夜姫の言葉に典医は付け足すように言った。
反董卓連合軍は一枚岩ではない。
いや、岩などではなく人々の思惑が嫌と言うほど混ざり合い出来あがった組織だ。
そして少しでも亀裂が入ればあっと言う間に崩れてしまう危うさを持つ。
「つまり、皆は自分の力で董卓を倒し世間に自分の力を見せつけたい。だけど一人では倒せないから連合軍を作った」
「その通りです」
「でも、皆が疑心暗鬼に陥って役に立たない。そこへ義勇軍と称する・・・・押し掛け軍が来た」
ただでさえ前の状態でも難しかったのに更に義勇軍と称する押し掛け軍まで来た。
しかも黄巾の者も居る。
そんな者達をおいそれと自分の陣へ入れる訳にはいかないし使う訳にもいかない。
だからと言って下手に追い返すと後々面倒な事になる可能性も捨て切れないから・・・・・・・・
「重ね重ね・・・・その通りです」
「ある程度は想像していましたが・・・・酷い話ですね」
夜姫は余りの現実に吐き気を覚えた。
黄巾の乱に参加した者を入れている劉備が指揮する義勇軍だけではない。
曹操や孫堅だって、他の群雄達も同じ事。
それなのにどうして劉備だけがこんな目に遭っているのだ?
そう問われたら・・・・何も無いからとしか言えない。
劉備は王朝の血筋を引いていると言われているが明確な証拠は無い。
曹操や孫堅などは家柄もそうだが身分もある。
袁術と袁紹は名家の出身。
そこが劉備と違う所だ。
「それが現実という物です。天の姫である夜姫様には・・・・我慢できない事でしょうが」
典医は自分のように顔を歪ませる夜姫を諭すように言うと、レンゲで再びスープ状にした魚の肝を夜姫の口へと運んだ。
「これを食べたら少し歩きますか?」
「はい。じっと部屋の中に居るのは余り好きではないので・・・・・・・・」
それに典医は頷いた。
魚の肝を腹に収めた夜姫は右手を典医に預けると左手に棒を持った。
何の変哲もないただの棒だが夜姫にとっては宝物だった。
何せ劉備玄徳が自ら木を削り作った棒なのだから。
左手に棒を持つ夜姫。
その手首には白い布---包帯が巻かれていた。
だが、典医はそれを知らなかった。
典医に手を引かれて天幕を出た夜姫は太陽の眩しい光に見えない眼を細めた。
そしてその後を関羽と張飛が無言で付いて行く。
「太陽の光が気持ち良いですね・・・・・・・・」
「そうですね。私のような老人には些か強い気もしますが」
「そうなんですか?」
「えぇ。どうも歳をとると色々な事に対して強いと思うのです」
若い頃は出来た事も今は出来ない事は多々あると典医は言った。
「夜姫様のご両親はそんな事を言わないですか?」
「・・・・私、両親が居ないんです」
夜姫は僅かに間をおいて・・・・心を落ち着かせるように答えた。
「両親が居ないとは?」
典医は踏んではいけない所を踏んでしまったと直ぐに悟ったが、下手に話題を変えるのはもっと不味いと思ったのか続きを言った。
関羽と張飛に到っては僅かに顔を曇らせたが、ここは典医に任せようと考えたのか無言になった。
「私、産まれた時・・・・一人で泣いていたんです」
雨が降っていた夜、誰も居ない路地で白い布に包まれて泣いていた所を保護された。
それから親と暮らせない子供などが居る施設へ連れて行かれ育てられたと夜姫は語る。
「でも、周りの子達は何時も一定の時になると両親が来るんです」
手には玩具などを持って子供達に渡して抱き締めたり抱き上げる。
「それを羨ましく思いました。何で私にだけ両親が居ないの?」
これを・・・・ある時そこの長に尋ねた。
『どうして夜姫にはお父さんもお母さんも居ないの?』
これに長は何も言えなかったらしいが夜姫はそんな長にこう言い続けた。
『夜姫が神様にお願いしたらお父さんと母さん来てくれる?』
それを聞いた長は何も言わずに夜姫を抱き締めたらしい。
夜姫を抱き締める長は僅かに身体を震えさせていたらしく、それに夜姫は気付かなかった。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
3人は何も言えなかった。
幼い頃に夜姫が言った言葉は子供だからこそ純粋なのだ。
純粋ゆえに罪を知らない。
それゆえ長は何も言えなかった。
何も言わなかった代わりにその時は自分が親代わりとして抱き締めたのだろうと3人は推測した。
「・・・・今にして思えば、無知な子供の我儘でした」
夜姫は自嘲した。
その歳の娘にしては余りに痛々しい自嘲であり、典医は不味い事を訊いてしまったと自分の不覚に憤りを覚えた。
張飛などは僅かに瞼を赤くさせたが、それを関羽は堪えるように眼で合図した。
「典医様。今日は少し遠くへ行きたいです」
夜姫は典医にお願いした。
「もう少しここの場所を知りたいんです」
「・・・・分かりました。夜姫様の望みのままに」
典医は深く一礼した。
夜姫は自分の気持ちを知ったのだろう。
知ったからこそ敢えて遠くへ行こうと言い場を和ませようとしたのだ。
それが典医は痛い程理解できた。
だからこそ夜姫の気持ちを無下にせず敢えて頷き歩き出した。
そんな4人を太陽はまるでこれからの未来を暗示するかのよう神々しく輝きを放ち続けた。