第二十三幕:攫われた姫君
「どうした?どうした?貴様等の実力はその程度か?!」
赤い毛並みの馬---赤兎馬に跨がり、戦場を疾走する男の名は呂布奉先。
別名「飛将」と言われる董卓の養子で、精鋭の騎馬集団である五原騎兵団の指揮官でもある。
そんな彼等を相手にするのは装備はバラバラだが士気は高い義勇軍だった。
この義勇軍の指揮官は漢王朝の血を引くと言われる劉備玄徳。
「何としても奴等を食い止めよ!ここで食い止めなければ夜姫様が危ない!!」
愛剣を振いながら劉備は義勇軍を指揮するが、騎馬である敵と戦うには些か厳しいものであった。
と言うのも馬に乗れるのは指揮官など極一部の限られた者であり大抵は歩兵だ。
騎馬はその足の速さが強みであり、歩兵は連携が強みであるが奇襲で、しかも相手が五原騎兵団とあっては余りに分が悪過ぎる。
「義兄者!どうする?!」
魚みたいにエラが張った虎髭が特徴的な男の名は張飛。
劉備が挙兵した時から常に傍らに居る男で、蛇矛と呼ばれる矛を武器としている。
この蛇矛は刃が蛇のように曲がっている事から名付けられた代物だが、その曲がった刃で斬られれば傷口が簡単には塞がらないので・・・・・破傷風などになるから恐ろしい武器だ。
それをこの豪傑が扱うのだから、恐ろしさは倍になる。
「敵の状況は?」
「騎馬の特性を活かして遠くから弓矢で攻撃か陣を築こうとした所を突っ込んで阻止して来る。ちくしょう・・・男なら一騎打ちで戦え!!」
敵に怒鳴るが戦とは勝つ事が前提である。
一騎打ちでしか戦えず勝てないなど武将を語る資格も無いのだが、張飛の言葉は武将云々ではなく男としての負け惜しみでもあった。
「義兄者!左翼の兵達が包囲されてしまった!!」
劉備の所へまた一人の男が来た。
手入れが行き届いた立派な顎鬚が特徴的な男の名は関羽。
この男もまた劉備に仕える者で張飛の義兄であるが、三人の中では一番の年長であるが劉備を義兄として慕っている。
「何っ・・・くっ・・・・・・・」
劉備は左翼が包囲されたという事で舌打ちをした。
現在彼等は呂布軍を相手に奮闘しているが、時間の問題は確実でこうなるのもまた予想の範囲内であったのだが、やはり改めて言われると舌打ちをしたくなる。
「義兄者、このままでは全滅だぜ」
張飛が迫る敵を威嚇しながら劉備に言うが、彼は何か良い案は無いかと考える。
そこへ・・・・・・・・・・・
「はいや!!」
風のように劉備達の前を通り過ぎたのは馬に乗る夜姫だった。
『夜姫様!!』
三人は声を合わせて名を呼びつつ、追って来た敵を撃退する事なった。
「私が包囲された左翼を助ける。貴方達は援軍が来るまで味方を鼓舞しなさい。このままでは全滅よ!!」
馬を走らせながら夜姫は三人に怒鳴る形で命令し、包囲された左翼へと向かう。
「・・・あそこね」
夜姫の視線の先には騎馬に包囲されながら戦う義勇軍の姿が見えた。
騎馬はまるで弄ぶように回り続けて、矢や槍で義勇軍を攻撃している。
「・・・・・・愚か者が」
吐き捨てるように夜姫は言うと弓を引き絞った。
下から上へ行く形で弓を引き絞ると矢を放ち、その矢は騎馬の一人に命中する。
その者は横から脳天を貫かれる形で死んで馬上から落ちた。
味方がそれを踏み付けてしまい顔は原型を留めない形となる。
その間も夜姫は弓を引き絞り、矢を放ち続け騎馬を着実に減らして行く。
だが、矢は無限にある訳ではないので尽きる。
「・・・まだ完全には出来ない、のね」
夜姫は僅かに沈んだ声で言いながら、弓を消して手を翳したが・・・・・・何も出て来ない。
それ所か眼が霞んできた。
「こんな時に・・・・まだ、よ・・・まだ私は、戦える・・・・・・・・」
霞む眼を指で擦りながら、夜姫は馬の手綱を握ろうとするが出来ずに馬から落ちてしまった。
「くっ・・・・・・」
馬から落ちた時に足を挫いたのか鈍い痛みが来る。
情けない・・・・こんな落馬で不覚を取るなど・・・・・・・・・・・
土などで汚れたが構わずに夜姫は落ちていた槍を杖代わりにして立った。
「私は、必ず味方を助ける・・・・もう、“あの時”みたいな事は・・・・・させ・・・ない」
させないのだ・・・もうあんな眼に遭うのは御免だし部下達もまた助ける。
皆を助け出し絶対に幸せになるのだ。
そう誓った筈だ・・・筈なのに・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・」
夜姫は倒れてしまった。
そこへ近付くのは茶色の毛並みをした馬に乗る胡軫だった。
「・・・・・・・・・」
倒れて動かない夜姫を胡軫は馬から降りて優しく抱き上げる。
『・・・この娘が先ほどまで戦っていたのか』
人間ではないと思えるほどの美しい容貌であり、何時までも見ていたい気分になる。
だが、あの様子を見れば・・・・それだけでなく戦にも出ていたのか、と武将として興味が惹かれる。
しかし、先ずはここから離れなくてはならない。
胡軫は馬に跨り急いで、その場を部下達を引き攣れて離れると華雄が開けた道を擦り抜けた。
そして洛陽へ一目散に逃げ帰った。
この時点で連合軍は董卓軍に敗北した、と先ずは言えるだろう。
一方劉備達は呂布本人と戦っていた。
三対一という有利な立場に立ちながら劉備達は苦戦している。
「はぁ!!」
劉備が剣で突きを繰り出すが、呂布はそれを方天画戟の先で受け止めつつ、流れる動作で張飛が繰り出した蛇矛に当て避ける。
そこへ関羽の青龍刀が襲い掛かるが難なく呂布は避けて三人を翻弄した。
『これが天下に名立たる呂布か』
三人相手に・・・しかも内二人は張飛と関羽という豪傑である。
それなのに赤子の手を捻る如く圧倒するのだから、飛将と謳われる実力はあるのだと思い知らされた。
しかも義勇軍もまた数と質で負け始め・・・・全滅してしまう。
最早これまでか・・・・そう思った時に助けは来た。
「劉備っ。無事か!!」
馬に跨り颯爽と現れたのは曹猛徳であった。
左右には忠臣と言える夏候惇と夏候淵が居る。
「ちっ。また小うるさい蠅が来たか・・・しかし、この勝負は預けるぞ!!」
呂布は曹操を見て舌打ちをしながら胡軫が撤退するのを見て、頃合いだと方天画戟で三人を下がらせると部下達に撤退と伝えた。
「天の姫は我等の手に渡った。最早こんな陣に用は無い!!」
高々に笑い声を立てながら呂布たちは去って行く。
それを追う者は居ない・・・追えなかったのだ。
天の姫が敵に捕えられた。
この言葉で皆が動けなかった・・・・・・・・
だからと言って何時までも動かない訳にはいかない。
「直ぐに負傷者などを手当てし戦死者を埋葬しろ」
劉備は堅い声で張飛に命令した。
「あ、義兄者っ」
「聞こえなかったのか?直ぐにやれ。関羽、そなたも手伝ってやれ。私は・・・袁術様の所へ行く」
「・・・承知しました」
関羽は劉備の心境が伝わったのか張飛を連れて負傷者達の方へ向かった。
劉備は夜姫を娘と称した。
本当なら今すぐにでも追いたい気持ちだろう。
それを関羽は知っていたし、自分も夜姫を傷付けた事もあり、直ぐに追い掛けたかった・・・だが、劉備は義勇軍の大将としてこの場はやるようだ。
と言うのも、下手に単独で行動しても・・・・返り討ちに遭うのは眼に見えている。
そんな無謀な真似をして部下達を死なせる訳にはいかない。
これは指揮をする者に与えられた責務である。
劉備はそれを理解しているからこそ・・・・身を斬られる思いで夜姫を追わないのだ。
それを関羽は理解したから大人しく従ったのだが、本心ではやはり夜姫を直ぐにでも助けに行きたいという気持ちだった・・・・・・・・・
何とも言いし難い気持ちだが、仕方のない事だ・・・・・・
「・・・・劉備よ」
曹操は一人で袁術の所へ向かおうとする劉備に声を掛けた。
「・・・何でしょうか?」
劉備は失礼と思いながら顔を見ないで尋ね返す。
「そなたの気持ちは私には解らん程・・・後悔と怒りで埋まっているだろう」
「・・・・・・・」
「しかし、起きた事は起きた事だ。董卓も天の姫に乱暴はせん。それに我らの軍はまだ無傷に近いのだ。直ぐに態勢を立て直して向かえば直ぐに助けられるさ」
「・・・ありがとうございます」
彼は自分と袁術を追い出す者と手を組みながら、自分達を助けようとしている。
それはどちらに転んでも大丈夫なようにする為の策である・・・これもまたその一環であろう。
それでも劉備は礼を述べた。
何だかんだ言っても、彼に助けられた事実は変わらない。
礼を述べるのは人として当たり前の事である・・・それを彼は理解しているから礼を述べたのだ。
「気にするな」
曹操は屈託のない笑みを浮かべたが、劉備は見ないで袁術の下へ向かった。
その後ろ姿を見ながら、曹操は隣に居る夏候惇ヘ話し掛けた。
「・・・・元譲よ。どう思う?」
「貴様の言った通り董卓も天の姫を手籠めにはすまい。我らに対して牽制する為に攫ったと見る」
「であろうな・・・しかし、これはこれである意味では良いな」
「どういう事だ?」
「分からんか?」
聡明な従兄弟である夏候惇にしては珍しく分からないのが曹操には面白いのか笑みを浮かべた。
「董卓は所詮辺境の出だ。幾ら学者などを呼び集めて政を任せているとしても、馬鹿にされているのは当然だし反感を覚える者も居る」
「・・・なるほど。そういう事か」
夏候惇は曹操の言いたい事が解ったのか頷いた。
「どういう事だ?惇兄」
曹操、夏候惇とは従兄弟関係である夏候淵は解らないのか、兄として慕う夏候惇に訊ねる。
「董卓を嫌う者は我ら以外にも居る・・・宮廷にも、な」
「宮廷?だけど、あいつ等は董卓に仕えているじゃねぇか」
「それは董卓と呂布が怖いからだ。しかし、中には真正面から毛嫌いしている強者も居る」
「・・・“王允”かっ」
夏候淵は一人の人物を言った。
王允---字を子師と言い董卓に仕える“司徒”であり田土、財貨、教育などを司る役職である。
この王允は董卓に仕えてはいるが、内心では董卓の野蛮な性格に怒りを覚えており、隙さえあれば彼を謀殺する考えを持っている事を曹操は知っていたのだ。
「あ奴なら天の姫を利用し、董卓を破滅させるだろう」
「でも、どうやってですか?天の姫を利用すると言っても具体的な事は・・・・・・・・・・」
「それはわしも予想しか出来ん。だが、あの男の考える策だ・・・必ずや董卓を破滅へ追い込むであろう。そうなればこちらの儲け物だ」
「確かに・・・しかし、急がなくてはならんだろう」
曹操の言葉に夏候惇は頷きながらも急かした。
天の姫は正しく天から来た姫である。
そんな娘ならば権力を持つ者・・・ひいては野心を抱く者たちから言わせれば、何としても手に入れたい女性だ。
これから国は乱れるだろう。
そうなれば何があろうと天の姫は必要になる。
恐らく連合軍内でもその考えはあり・・・・これを利用し自分が、と思う者は続出する筈だ。
だが、単独で挑む勇気も無ければ実力も無い・・・だから取り敢えず足並みは乱れないだろうが、それは途中まの話で後は単独で動く。
それならば一刻も早く行くべきだが、先ずは事態の収拾とこれからの事を皆で話し合う。
とは言え、誰もが言うだろう・・・・・・・・
『何故、夜姫様から離れた!!』
「いやはや、劉備も袁術も敵ながら憐れだな。夜姫を懐へ入れたばかりに・・・・身を破滅するのだから」
「その言い分だと、天の姫は“毒婦”と言っているようだな」
曹操の言葉に夏候惇は眉を顰めて戒めるように言った。
「毒婦?笑止・・・夜姫は毒婦などではない。“傾国の美女”だ」
「余計に酷い言い方だな」
「何を言う。わしは褒めているのだ。誰もが欲しがる女・・・それこそ国一つを傾ける位の魅力を持っている女。それが夜姫だ」
どうだ?と曹操は尋ねた。
「・・・下らん。傾国の美女など酷評以外の何でも無い。それに国一つを傾けるとなれば、貴様の治める国も傾く事を意味している。俺はそんな事を許さん」
「俺も惇兄の意見に賛成です。どうして殿はそこまで天の姫に拘るんですか?」
曹操の周りには美しい女性が大勢いるのにどうしてだ?
そう考えたが・・・・・・・・・・
「美しい女は自分の隣に置きたい、か」
夏候惇は呆れた眼差しを送る。
この男に仕えてから既に十年以上は経過しているし、幼少の頃も合わせればそれ以上だ。
だから、この男の性格は熟知している。
考えそうな事を言ってみると曹操は鷹揚に頷いた。
「その通りだ。あれだけ美人だ。是非とも寵姫として傍に置きたいのは男の願望であろう?」
それで国が傾くなら良いだろう。
そう曹操は言うが、眼は本気であった。
この男はそうなのだと夏候惇は呆れながら頭を抱える。
一度決めたら何があろうと実行するし、欲しい物は必ず手に入れる性格だ。
それに何度も付き合わされて苦労しているが、最終的にはそれに従うのも・・・・また自分である。
「・・・・言っておくが、もし、天の姫が泣くような事をすれば許さんぞ」
「褥の中でも泣かしてはいかんのか?」
夏候惇の態度を面白いとばかりに曹操は言うが、彼の方は逆で険しい顔を更に険しくさせた。
「・・・・・・・」
無言で馬を進め一人で行く夏候惇に曹操は笑みを深くさせた。
「相変わらず面白いな。元譲は」
「・・・・・・・」
夏候淵は苦労人である夏候惇の苦労が更に多くなるな、と憐れみながら曹操の命令には従おうと改めて思った。