第十二幕:姫君の過去
天の姫こと夜姫が勝利の宴に出るという噂は忽ち各陣内に広まった。
しかし、同時に悪い噂もまた広まってしまった・・・・・
『劉備と袁術は二人揃って天の姫を一人占めしている』
『二人は毎夜の如く宴を開き天の姫の寵愛を受けている』
などと当て付けに等しい誹謗中傷の類いであり二人から言わせれば根も葉もない取るに足らない噂と割り切れる。
ただし配下の者はそうではない。
特に義勇軍から言わせればこれは余りに酷過ぎる噂だ。
自分達は確かに天の姫である織星夜姫と連合軍の中では一番付き合いが長いと言える。
だが寵愛など受けていない。
ただ挨拶をされたり短い会話をするだけだ。
それをこんな風に言われるのだから怒るのも無理は無い。
無論そこには夜姫自身をこのように利用する怒りも含まれている。
寧ろそちらの方が強いだろう。
「義兄者。もう我慢できねぇ!あいつ等を叩き潰そうぜ!!」
義勇軍の長であり王朝の血を引くと言われる劉備玄徳に唾を吐く勢いで怒りを打ち明けているのは彼の義弟である張飛。
字を益徳で酒に強く力もまた強い。
豪傑と言う名が相応しい男だが些か思慮に欠けており怒りに任せて行動する部分がある。
今がそれだ。
日に日に酷くなって行く噂に彼はもう我慢の限界だった。
「益徳。何度も言うが我慢しろ」
劉備は与えられた陣幕の中で筆を走らせながら義弟を戒めた。
「しかし義兄者っ」
「我慢しろ。私たちがここで怒りに任せて行動したら夜姫様はどうなる?」
「そ、それは・・・・・・」
劉備の言葉に張飛は言葉を濁らせた。
「我々が怒りに任せて行動すれば即座に追い出される。そして夜姫様は・・・“一人ぼっち”になる」
劉備は筆を止めて義弟を見た。
「夜姫様は私達に見せていないが本当は心細いのだ。眼も見えない上に誰も知り合いが居ない。挙句の果てに今は乱世だ」
こんな状況と環境なら泣きたくなる。
それなのにああも毅然としているのは迷惑にならない為だ。
「それでもあの方は我々の荷物になっていないかと何時も不安を抱いている。それを我々自身が壊したらどうなる?」
「それは・・・・・・・」
「今は袁術殿が我々を保護しているが、我々が怒りに任せた行動を取ったらもう庇い切れない。そうなれば夜姫様はおろか袁術殿にまで害が及ぶ」
恩を仇で返す気か?と更に問う劉備に張飛は肩を落とした。
「・・・分かったよ。だが、義兄者はこのままで良いのか?」
「むろん良くない。しかし、今の我々には何の力も無い」
今は耐えるのだ。
耐えて耐えて耐え忍び好機を待つのだ。
「益徳よ。竜はなぜ沼の淵に潜んでいるか知っているか?」
「何で沼の淵か?」
行き成りの質問に張飛は困惑し義兄が言いたい事を考えた。
だが・・・彼には答えが見つからなかった。
「こんな言葉がある」
劉備は静かに口ずさんだ。
“竜が沼の淵に潜むのは何のため時期を待ち天に昇らんが為であろう”
「どういう意味なんだ?」
まったく理解できないと訊ねる義弟に劉備は今の状況を言いながら説明した。
「耐え忍べば何れは好機が来るという意味だ」
今の状況では何をしても駄目だ。
だからと言って何もしない訳ではない。
「今は耐え夜姫様を護り切る。それが使命だ。そして時が来れば我々も表に出れる」
それまでは耐え忍ぶのだ。
「まるで儒教の学者みたいだぜ」
「ふっ・・・そうか。しかし、別の職業に就いていれば?と考える時はある」
武将ではなく別の人生を歩んでいたら自分はどうだっただろう・・・・・・・・・
「・・・・義兄者」
「すまん。弱音を吐いてしまったな」
「いや・・・俺の方こそすまねぇ。それはそうと夜姫様の眼はどうなるんだろうな?」
「分からん。見える時もあるが・・・あの時の夜姫様は別人だ」
確かにと張飛は同意した。
陽人の戦いで見たがあの時の夜姫は劉備の言う通り別人だと思う。
誰か・・・別の人物と思ってしまうほど雰囲気から全てが違っていた。
「義兄者。夜姫様は本当に誰なんだろうな?」
「分からん。夜姫様自身もそれが分からないのだ」
他人である自分が分かる訳ないと言い劉備は筆を持ち直して竹の紙---竹紙に文字を書き始める。
張飛はそれを見ながら夜姫が何者なのかその本人も分からないのであれば自分達が分からないと諦めの嘆息をした。
その一方で夜姫は典医、関雲長、袁術の三人に黒い狼を引き連れて散歩をしていた。
狼は夜姫から離れようとせずまるで護るかのように寄り添っている。
「その狼、夜姫様に懐いておりますね」
関羽は狼を見下して夜姫に言う。
「昔から動物には好かれるんです」
犬と猫は当たり前で果ては蛇や蜥蜴までと些か気持ち悪い生き物にまで好かれると言うからどうなのだろうか?
「そうですか。しかし一体どこから来たのでしょうね?」
この地域に狼は居る筈だが、狼と言う動物は群れを成して行動するのが普通だ。
所がこの狼は一人だ。
見る限りまだ若いから群れから離れ一人で新たな群れを作ろうとしていたのだろうか?
「貴方は何処から来たのかしらね?」
夜姫は狼に訊ねるが答えは返って来ないのが当たり前だ。
しかし、狼は夜姫に視線を向けて顔を左手に擦り寄せるだけだった。
「所で夜姫様。今夜の宴ですが・・・本当に良いのですか?」
袁術はここで今日の夜に開かれる宴を口にした。
彼から言わせればあれは袁紹の策略だった。
夜姫の優しさに付け込んだ性質の悪い策略と些か被害妄想的な捉え方だが強ち間違いではないから誰も口を挟まない。
「大丈夫ですよ。それに・・・私はその程度でしか皆さんの役に立てませんから」
「またそのような事を・・・貴方様は私を変えて下さった。そして劉備の力にもなっている。それをどうやって役立たずと思うのですか」
「でも、私は戦えませんし何も見えないので・・・・・・・」
「それは・・・・・・・・」
袁術は夜姫の言葉に何か言おうとしたが、何と言えば良いか分からずに沈黙する。
『こんな時に何を言えば良いんだ?』
事実を言った所で記憶が無い彼女を混乱させるだけだ。
それを考えると何を言えば良いんだ?と思ってしまう。
「私は、何も出来ない女です。だから私で皆が喜ぶなら構いません」
「・・・夜姫様」
何と言えば良いか分からない袁術は更に困惑してしまった。
「・・・私は何も出来ないです。だからこそ、宴に出て皆が喜ぶならそれで良いんです」
それだけ言うと夜姫は天幕へ狼を連れて典医と共に入って行き、残された袁術達は何と言えば良いか分からないで無言だった。
天幕へと戻った夜姫は典医に促され簡素な寝台に腰を下ろした。
「何か飲物を取って来ます」
典医が去り夜姫と狼が残された。
「私って駄目な女ね・・・・・」
夜姫は一人になった事で独白した。
「昔からそう。何時も誰かに迷惑を掛けている・・・“あの男”も私のこんな所が嫌で去ったのね・・・・・・」
狼は夜姫の独白を訊きながら左手を舐めた。
「貴方は私をどう思う?眼も見えないで豪華な服を着て何もしない女だと蔑む?」
左手を狼の頭に置き撫でながら問い掛ける。
左手首には白い包帯が巻かれている・・・・・・が、それを見た者は居ないし見せない。
「私って何なんだろう・・・本当に私って誰なんだろう・・・・・・?」
何処までも暗い表情の上に暗い口調で独白する夜姫を狼は憐みの眼差しで見つめるしか出来なかった。
“姫君・・・貴方は何も出来ない女ではありません”
誰かの声がしたが、夜姫には聞こえなかった。
“あの小僧は貴方を最初から愛していなかったのです。ただ、利用して価値が無くなったから貴方様を捨て・・・殺そうとしたんです”
ギリッと怒りで歯を食い縛る音がした。
“我が力不足ゆえ貴方様を慰められず歯痒いです。ですが、どうかここは耐えて下さい。必ずや我らが再び貴方様を都へと連れて行き・・・・・・・・”
今度こそ皆で幸せになりましょう。
“貴方様は幸せになる権利があります。そして貴方様は何も出来ない女ではありません”
貴方様は素晴らしい女性だ。
“我のような者にも深い愛情を注いで下さり養って下さった。慈愛に充ち溢れた方です。それを他の者も理解しています”
だから、決して何も出来ない女ではない。
“寧ろあの小僧こそ何も出来ない輩です。貴方様の背に隠れ利用した挙句に貴方様を殺そうとした”
憎んでも憎み切れない男こそこの言葉が相応しいのだ。
“しかし、今は今夜の宴ですね。我も行きますが、恐らく『害虫』共は貴方様に近付くでしょう”
貴方様は虫を引き寄せる甘い蜜を持った花だ。
その淡くて甘い蜜の香りは何処までも届き虫たちを引き寄せる・・・・・・・
だが、それは余計な虫---害虫も引き寄せてしまう。
外見は棘のある花だが実は脆いのだ。
だから足の先が僅かに触れただけで貴方様は崩れ落ちてしまう。
そう・・・“あの時”のように・・・・・・・・
“忌々しい餓鬼が・・・我らの姫君の御心を利用したばかりか姫君を傷つけ負って”
今回はその忌々しい餓鬼は居ないが、別の害虫という名の下種がいる。
そいつらが夜姫に近づくのは何としても阻止しなければならない。
“少々・・・手荒いですが今出来るだけの事を致しましょう”
道化には力が無いと言ったが僅かにあるのだ。
ただ、これは万が一と思い取っておいた。
言わば保険であり非常用なのだ。
“この場合は致し方ないな”
そう言ってやろろうとした時だ。
“・・・やっぱりあったんだな”
また誰かの声がした。
この声は・・・・・・・・・・
“来たのか”
“まったく・・・何が俺に任せるだ。非常用とは言え持ってたんじゃねぇか”
片方の声は何処か乾いた声で袁術と劉備に話し掛けた道化の声だった。
道化は片方の声に対して咎める口調だが、もう片方は涼しい声で返した。
“本の僅かだ”
“それでもあるんだろ?たっく・・・で、何をする気だ?”
“姫君を護る為に少々・・・寝てもらおうとした”
“それはやるな。宴があるんだ”
“知っておる。だが、出させん。行けば害虫共が近寄ってくる”
“それを阻止する護衛は2人いる”
“・・・たった2人で何が出来る”
“心配するな。姫さんが見込んだ男だぞ?”
道化は納得いかない声を説得するように言ってみせた。
“・・・信用できるのだな?”
“今まで姫さんが俺らの期待を裏切ったことがあるか?”
質問に質問で返される形となったが、片方の声は長い間をおいてから答えた。
“無い”
“だろ?だったら姫さんを信じろ”
陳腐な台詞だと道化は自嘲しながらこうも言った。
“それに虎も出る。虎ならまだ害虫共には気づかれていないから安心だ”
陽人の戦いにおいて獅子奮迅した虎だ。
害虫共などその爪と牙で引き裂いて紙くずにしてしまうだろうと道化は言いながら締めの言葉にこう言った。
“あいつは獅子奮迅の戦いをした。ご褒美をくれてやろうぜ”
“あれで、たったあれだけで褒美だと?馬鹿を言うな。あれ位の戦いで褒美など勿体ない”
片方の声は道化の声に反発する。
“姫君などあれ以上の戦いを幾度となくしたのに褒美はおろか労いの言葉も無かったではないか”
“仕方ないだろ。“あの野郎ども”が馬鹿で阿呆だったんだから”
“そうは言うが幾ら馬鹿で阿呆だろうとあれだけの手柄を立てたのだ。普通なら与える筈だ”
言葉から察するに相当な手柄などを上げたようだが、その見返りは何も無かったらしい。
もし、それが本当ならばこの声が反発するのも無理はない。
荒げる声に対して道化の声は至って冷静だった。
“それを分からないから姫に滅ぼされたんだよ”
“今にして思えば当然の報いだな”
道化の言葉に片方は怒りを沈めて納得する。
“命がけで最後の戦い抜いた姫さんに対する褒美が騙し討ち&国外追放だ。当然の報い所かもっとしても良い位だろ?”
“そうかもしれん。しかし、その国外追放によって我は姫と出会えたから何とも言えんな”
“まぁ、他の奴等もそう言うかもな”
“それで何の用だ?まさか我を咎めるだけの為に来た訳ではあるまい?”
“まぁな。お前さんに協力しようと思ってきた”
“ここでは力が無いのではないか?”
“姫さんが居た世界に行って席を下ろしたから大丈夫だ”
ただし、ここには来れないと道化は付け足す。
“そなたはそこが強みだな”
声は羨望の色を混ぜて道化に言った。
“『境界線』が何処にもない。何処にでも行けるし何処へでも住める”
“ここでは出来ないがな”
“それでも強みには変わらない。それで宴には出すとしても・・・何か手は無いのか?”
“納得したんじゃないのか?”
“した。だが、我等にも何か出来る事はある筈だ”
“新入りが姫さんの寵愛を受けるのが気に入らないって顔だな”
どうやら片方の声は気に入らない顔をしているらしいが、見えないから想像するしかない。
“この程度で内部崩壊を起こすような人の集まりに姫君の寵愛を奪われてなるものか”
“男の嫉妬は醜いんだぜ?”
“ほざけ。ならば問うが女の嫉妬は醜くないのか?”
“女の嫉妬は好きな相手に対する愛情の裏返しだからな”
“男とて同じ事。しかし、そなたの「元恋人」は姫君に対して相当な嫉妬を宿しているようだったな”
何かある度に姫君に刃を向けて襲ってくるのだから、と声は言い道化を攻めるように言い続けた。
“あの女か。まぁ・・・向こうは俺があいつを捨てたと見えたんだろうな”
“実際は向こうがそなたを捨てたのだろ?”
“あぁ。俺が戦に出ている間に他の男と出来てた。帰って見たらあいつが他の男と裸で仲良く結婚用に買った寝台で寝てたんだ”
それが原因で別れたと言うらしいが何とも・・・・・・
“酷い結末だな”
言葉とは裏腹に心底面白がっている・・・・・・・
道化もそうだが相当な性格の持ち主である。
“別に良いさ。踏ん切りが着いたからな。それに今は上さんと娘も居る”
“未だに驚いているぞ。貴様がまさか妻子を娶った事にな”
“俺も焼きが回ったかもしれないな。とは言え、何故か姫さんに嫉妬を燃やすんだよな。あの女は”
“それは貴様があの女を捨て敵側だった姫君へ寝返ったからだろ”
“姫さんはとんだ逆恨みを買った訳だ”
“自分で蒔いた種なのに随分と他人事だな”
“俺に直接的な被害は来てないからな”
“まったく・・・所で稚は読み書きを覚えたか?”
“まだヨチヨチ歩きを始めたばかりで覚える訳ないだろ”
“姫君など赤子で読み書きを出来たのだろ?”
“それは親馬鹿全開の爺が言った戯言だ”
“あの老龍か。もし、この状況を見たらどうするかな?”
自分達が傍に居らず周りは血に飢えた獣で一杯という状況に・・・・・・・・・
“何も言わずに周囲を焼き尽くすだろうな。それこそ『ソドムとゴモラ』みたいにな。何せ姫さんの恋人になりそうな輩を全て左遷とかしたんだからな”
それ位はいとも容易く迷わずやる、と道化は言ってみせる。
“我も同じ気持ちだが・・・そこまでなりたくはないな”
“誰だってあそこまでなりたいとは思わないさ”
“そうだな。それで何か我らに出来る事は無いか?”
“今の『段階』では無理だ。まぁ姫さん覚醒したら・・・お前も力が一時程度は戻るだろうぜ”
“今の状況は姫君にとっては苦痛であろうな・・・・・・・”
“仕方無いさ。これも全ては姫さんの為だ”
“とは言え、姫君の事を見る度に悲しくなる”
“感傷的な男だな。しかし、姫さんなら大丈夫さ”
何せ姫なのだから、と根拠がまるで無いのだが納得してしまう力がある発言を道化はした。
“そうだな。”
“あぁ。それじゃ姫さん・・・少々寝てくれ”
「あ、あれ・・・・?」
夜姫は何だか身体が嫌に重いと感じた。
しかも何だか身体が熱くなり出して来た・・・・・・・
そして・・・・・・・・
寝台に倒れた。
“暫くは寝かせる、か”
“あぁ。何か出来ないかと?とお前は言っただろ。だから、寝かせた”
“我を止めたくせに・・・・・・・・・”
“そう言うな。これには理由があるんだよ”
“理由だと?”
“直ぐに分かるさ”
“・・・まぁ、良い”
声は少し間をおいてから言うと夜姫に語り掛けた。
“申し訳ない。姫君。しかし、これも全ては姫君の為なのです”
“まぁ、半分は俺らの為でもあるがな”
道化の言葉に片方は何も言わなかった。
言えなかったのかもしれない。
“さて、俺は帰って上さんと娘に家族サービスをしてくるぜ”
そう言い残して道化は消え去った。
残されたのは寝台に倒れ眠る夜姫とそれを見守る狼だけだった・・・・・・
「夜姫様。お水を・・・・夜姫様っ」
典医は水が注がれた杯を持って天幕の中へ入ったが、寝台に倒れる夜姫を見て杯を捨て駆け寄った。
息はしているが、身体が熱い・・・・・・・・
「誰か。誰か来て下さい!!」
典医の叫びに急いで傍に居た兵が入って来る。
「直ぐに水と薬を持って来て下さい。それから劉備様と袁術様にも連絡を」
兵たちは直ぐに天幕を出て水と薬、劉備と袁術を呼ぶ方に別れて動いた。
『夜姫様!!』
劉備と袁術が真っ先に天幕の中へ駆け込んだ。
それを見た狼は閉じていた眼を開けたが直ぐに閉じる。
二人が冷静ならこの狼の様子を見て何かあると思うだろうが、生憎と冷静ではないから分からない。
「典医。夜姫様はどうなさったんだ?!」
袁術が典医に掴み掛る勢いで詰問した。
それに対して典医は冷静に状況を説明する。
誰もが取り乱しているのだから典医である自分は冷静でなくては、と思っているのだ。
「私が来た時には寝台に倒れていたんです。息はしておりますが身体が熱いのです。原因は判りませんが身体を冷やします」
「分かった。何か我々に出来る事はあるか?」
「宴がもう直ぐ始まるのでしたらこの事を伝えて下さい」
典医は夜姫が倒れたので宴は中止と暗に言っていたが、それは恐らく無理だろうと何処かで思っていた。
今回の宴は夜姫が出るからこそ意味のある宴なのだ。
その夜姫が出れないと知れば激怒するのは明白であるが、典医の立場から言わせれば熱を出した娘を強引に出させるのか?と問いたくなる。
「分かった。納得させる」
袁術は典医の言いたい事が解かりながら何かを決意した顔で頷き勇んで天幕を後にした。
「私も・・・・・・・・」
劉備が天幕を出て袁術に付いて行こうとしたが、袁術はそれを止めた。
「そなたは夜姫様の傍に居てくれ・・・私では無理だからな」
自分自身を納得させるように言う袁術に劉備は無言で頷き天幕へ引き返した。
それを見てから袁術は宴が開かれる腹違いの兄弟---袁紹の天幕へと足を進める。
袁紹の天幕へ行くと既に宴の準備は出来あがっていた。
中央の席が恐らく夜姫でその隣に袁紹が座るという形をしている事に些か不快感を抱きながら袁術は中に居る袁紹に声を掛けた。
「夜姫様はどうした?」
袁紹は夜姫が居ない事に首を傾げてみせる。
やけにご機嫌だなと思うが夜姫が自分の陣へ来るからだろうとその時は思い答えた。
「夜姫様は倒れた。だから、今夜の宴は中止だ」
「何?倒れた?どういう事だ?」
「言った通りだ。夜姫様は倒れた。理由は分からんが熱を出している。だから、今夜の宴は中止だ」
「貴様・・・嘘ではないだろうな?」
袁紹は腰を上げて袁術に近付きながら言葉を放った。
「我らに夜姫様を近付けまいと嘘を言っているのではないか?」
「馬鹿を申すな。そこまで落ちぶれていない」
「ふん。果たしてそうかな?私が貴様を差し置いて袁家の当主となった事を未だ根に持っているくせに」
「昔の話だ。それより夜姫様は本当に倒れたのだ。だから宴は中止しろ」
「ここまで用意して中止しろと言われて出来ると思うのか?」
「では、夜姫様に無理を通して来いと言う気か」
怒を孕み袁術が言えば袁紹は涼しい顔で告げた。
「そこまで言っておらん。ただ、今さら中止は出来んと言っただけだ」
そういうのを無理に通して来させると言うのだ、と袁術は言いたかった。
しかし見れば僅かだが酒臭いし顔も赤い・・・・・
「宴も始まっていないのに飲んだのか」
だから、ここまで強引とも言える態度を取っているのかと今更になって袁術は納得した。
それ以外にもここまで用意したのに中止と言われても困ると言う理由もあるだろう、とは思うが。
「貴様には関係ない。それから宴は予定通り開くぞ」
この状態では無理、と判断した袁術は引き下がる事に決めた。
今この男に何を言おうと無理だと思うし他の者に理由を話せば納得してもらえると袁術は確信していたのも引き下がる理由であった。
袁紹の天幕を出た袁術はそのまま夜姫の天幕へと戻った。
ここに居る理由は無いし何より夜姫がどうなったのか気になる。
「失礼する」
断ってから中に入ると寝台から上半身を起こした夜姫の姿が眼に入った。
「夜姫様。身体は大丈夫ですか?」
直ぐに駆け寄って訊ねると夜姫は「少し重いです」と控え目に答えた。
「袁術様。袁紹様は何と?」
劉備が袁術に訊ねるも彼は無言で肩を竦める。
これを見て劉備達は「無理」と判断できた。
「あの、もう宴はやるんですか?」
「もう準備は出来ておりました。ただ、貴方様の身体を考えると・・・・・・・」
「私なら大丈夫ですよ」
「しかし・・・・・・」
「せっかく宴の準備をしてくれたんです。行かなくては相手に失礼ですし袁術様達が怒られてしまいます」
「私たちの事はどうでも良いんです」
「いいえ。どうでも良くないです。行きましょう」
些か強い口調で言う夜姫に袁術は困惑し劉備達を見るが彼等もまた夜姫の頑固な態度に困惑している。
「行きましょう。袁術様。私なら大丈夫ですから」
もう一度だけ夜姫は言った。
折れる事は無いという気持ちが前面に押し出されており説得は無理と判断した袁術は仕方無いと思う。
「分かりました。ただし、典医がこれ以上は無理と判断したら直ぐに帰る。それで良いですね?」
「はい。分かりました」
「では馬の用意をして参ります」
袁術は重い腰を上げて天幕を出て馬の準備を命じた。
『・・・頑固な性格なのだな』
自分より他人を優先し一度決めたら断固としてやり遂げようとする態度に袁術は些か苦笑を禁じ得なかった。
ただし、嫌という訳ではなくその自分より他人優先という所に惹かれた。
だが、同時に悲しくも思った・・・・・・・