第十幕:陽人の戦い
董卓の配下である呂布は大地を埋め尽くす連合軍を愛馬---“赤兎馬”から眺めた。
この男の名は“呂布”で字は奉先と言う。
三国志の中でも最強と名高い武将で通っているが同時に裏切り者としても名が通っているこの男は前の主---丁原を董卓に唆されて斬り殺し首を董卓の下へと持って来た。
幾ら乱世の世とは言えこれはやり過ぎと声が出ている。
「ふんっ・・・数で押して来るしか能が無い者共が」
呂布は赤兎馬から見下しながら鼻で嗤った。
彼は先ほどの言葉でも解かる通り敵を侮る所がある。
それだけの実力を持っているのは事実だが敵を甘く見ると痛い眼に遭う。
ざっと見ても自分達の軽く数十倍は居るのに彼は鼻で嗤っている
それを彼以外の者たちは危惧しているのだが・・・・・・・
「俺が怖いのか?怖いのだろうな。飛将と謳われるこの呂布なのだからな」
赤兎馬に跨る呂布を味方の兵たちは畏怖の眼差しを向けている。
彼の発言に誰も文句は言わない。
言えないのだ・・・・・・・・
彼は董卓の養子。
それだけでも十分に恐れられているのに実力もまた折り紙付きなのだ。
彼が指揮する直属の配下である“五原騎兵団”もまた彼同様に武勇に優れている。
彼の養父に当たる董卓は左右どちらでも弓が引ける。
養子である呂布もまた弓術の腕は素晴らしく馬術に関してもまた文句の付けようがない。
弓と馬が上手いという事もあり恐らく遊牧民の出では?と考えられている。
だが、正式な出自が何処か謎だ。
そんな呂布だがその実力が仇となり些か傲慢である。
現に自分達より数十倍も居る連合軍に対してそのような事を言うなど傲慢と言える。
兵たちの士気を鼓舞するのではなく蔑んでいる口調だから傲慢と取れても可笑しくない。
「ふんっ。たかが遊牧民の出で強がりを言うな」
赤兎馬の隣へ馬に乗った男が現れた。
歳は呂布より上だ。
「何の用だ?胡軫」
呂布は隣に現れた男---胡軫を左眼で睨み据えた。
この男---胡軫は呂布に勝るとも劣らぬ実力を誇っている。
官位も太守から大督護へ更には司隷校尉へと出世する程だ。
ただし、呂布は胡軫を、また胡軫は呂布を互いに毛嫌いしていた。
それは互いに似ているからだ。
呂布も胡軫も武勇の腕は誰もが認める。
しかし、同時に傲慢なのだ。
ただし・・・胡軫に至っては傲慢の上に短気だった事もあり部下達からの信頼は薄かった・・・・・・
このように似ている所があるため一種の同族嫌悪という状況に陥っているのだ。
「何の用?別にただ私も敵軍の様子を見に来ただけの事だ」
胡軫は呂布の言葉を鼻で嗤い前方を見た。
「あそこに天の姫が居るのか・・・どんな人物なのか興味が沸くな」
胡軫自身呂布とこの戦でどちらが強いのか競いたい気持ちもある。
しかし、それ以上に連合軍へと降りた天の姫が一体どんな者なのか知りたいという興味の方が強いようだ。
「我が父・・・董卓は天の姫を欲しがっているようだがそんな者が居なくとも俺一人で連合軍など叩き潰してみせるわ!!」
「愚かな・・・たった一人であの人数を倒せる者など居ない」
胡軫は呂布の言い放った言葉に呆れ果てていた。
「貴様は我が主である董卓さまの養子だが私は貴様を認めん。武勇に優れただけの男だ。それに董卓様は天下を取る為にも天の姫を欲しがっているのだ」
天の姫を手中に入れればこちらは天が味方するという大義名分が出来る。
それを考えれば例え勝てても連合軍は諦めたりしないだろう。
それこそ民達も立ち上がる恐れがある。
そこを考えて董卓は天の姫を欲しているのだが、それを知らないのか?と胡軫は馬鹿にした。
「貴様がほざくな。俺の武勇に嫉妬して在らぬ噂を流している事は知っておるぞ」
「在らぬ噂とな?馬鹿を申すな。私は本当の事を言っているだけだ。貴様は前の主を裏切ったばかりか今もまた殿を裏切ろうと考えているのだろ?」
「貴様ッ・・・・・・」
「まぁまぁ・・・ここは互いに抑えて」
二人の間に割って入ったのは胡軫より少し年下の男だった。
彼の名は華雄。
呂布、胡軫と並び董卓の配下である将だ。
胡軫の部下である彼は何時も主である胡軫と呂布の諍いに頭を悩ませていた。
彼自身武勇に優れてはいるが、2人のように諍いを起こすほど傲慢になれる程ではない。
否・・・この2人が諍いを起こすのでそれを止めているだけの事だ。
2人とも主である董卓にとって必要な者だ。
何より今は戦時中。
身内で争う場合じゃない。
敵にここを突かれてはお終いだ・・・・・・
『何とかせねば』
華雄は胃が痛み出したがそれを堪え敵を馬上から見つめた。
軽く見ても数十倍。
だが、あの中でも厄介なのは・・・・・・
孫文台。
あの男は厄介だ・・・・・
『孫堅は確実に殺せ』
自分の主である董卓は出陣前にこう言った。
『あの男は厄介だ。袁術の部下だが総大将でもある。孫堅を倒せば連合軍には打撃が与えられる』
天の姫も欲しいが、孫堅を殺すのが先決と考えるように董卓は言った。
つまりそれだけ厄介な相手だと董卓は言っているのだ。
『恐らく2人に話しても無理だろうな・・・・・・』
この2人に言った所で素直にそれを聞き入れるとは思えない。
自分達の好きなように動くのが2人の性格だ。
例え董卓の命令だろうと言い訳なら幾らでも出来るし、それ以上の戦果を2人はやれるのだ。
となれば自分がやるしかない。
『乱戦に持ち込んでやるのが一番か?』
乱戦に持ち込めば指揮系統は滅茶苦茶に出来るし敵を孤立させる事も可能だ。
いかに孫堅と言えど孤立させれば勝ち目は薄い。
そこを突くしかない。
『孫堅軍は・・・あそこか』
華雄は馬上から孫堅軍は何処か?と探していたが見つかった。
孫堅軍は総大将の一人であると同時に袁術の部下でもある。
そのため袁術軍を探せば自ずと孫堅軍も見つかるのだが・・・・・・・・・
『義勇軍も一緒とはどういう事だ?』
孫堅軍と袁術軍の中にみすぼらしい格好をした兵たちが居る。
軍旗もあるが、やはりそれもみすぼらしい。
あれは義勇軍だ。
しかし、義勇軍はどの軍からも荷物扱いをされて価値の無い陣を任されていた筈だが・・・・・・・・?
「まぁ良い」
華雄は考える事を止めた。
自分が仕留めるべき相手は孫堅ただ一人。
後は呂布と胡軫が争いながら倒して行く筈だ。
ならば、自分は董卓から命令された人物を倒す事に全力を注げば良い。
ただし2人が真剣で殺し合わないように・・・孤立し合わないようにしなくてはいけないが。
連合軍の方から開戦の太鼓が鳴らされた。
「先手必勝ッ。行くぞ!!」
呂布は右手に持った方天画戟を振い五原騎兵団を率いて真っ先に敵陣へと突入した。
「我々も遅れを取るな!!」
胡軫は呂布に負けまいと剣を抜き部下を率いて突入する。
「・・・私も行くか」
華雄は勝手に突撃した2人に呆れながらも部下達に自分達の狙いは「孫文台」と言い他は捨てろと命令した。
「董卓さまは孫文台を殺せと言われた。我々はそれに全力を注ぐ。他の将達は捨ておけ。良いな?」
華雄の言葉に部下達は頷いた。
「・・・行くぞッ!!」
華雄もまた剣を抜いて孫文台の旗がはためく陣へと突撃した。
恐らくかなりの血が流れるだろう。
自分も死ぬ可能性だってある。
だが、董卓の命令を遂行できるのなら仕方無いとも思う。
孫堅軍は胡軫軍を相手にしていた。
しかし、そこへ自分達が来ると知るや迎撃態勢を整えた。
これなら挟み打ちに出来る。
何と言う幸運か。
華雄は幸運に感謝しながらも迎撃態勢が取られ始めた事に気づく。
孫堅軍は胡軫軍を相手にしながらもこちらへ弓矢などを構え狙いを定めている。
そして・・・放たれた。
幾本もの矢が雨となり華雄軍に降り注ぐ。
何本か兵達に当たり怯もうとする。
「怯むなッ。何としても孫堅の首を取るのだ!!」
華雄は先陣を切り部下達を奮い立たせる。
それに部下達も怯む心を叱咤して追従する。
「はあああああぁぁぁぁ!!」
獣のような雄叫びを上げながら華雄は雑兵の何人かを斬り捨てた。
しかし、雑兵達は怯む様子も見せずに果敢にも自分へ襲い掛かる。
それを華雄は蚊でも叩き落とすように払いのけて行くが同時に雑兵と言えども侮れないと思い知らされた。
やがて部下達も突撃し雑兵同士・・・将達の戦い・・・乱戦へと早くも持ち込めた。
『これなら孫堅を倒せる』
孫堅は直ぐに見つかった。
白銀に光り輝く鎧を身に付け赤頭巾を被り腰には古錠刀をさげていた。
流石は“江東の虎”と謳われる孫文台。
名前倒れではない実力だ。
「皆の者。孫文台を討ち取れ!!」
華雄は雑兵を葬りながら孫堅へ馬を進める。
敵と味方が入り乱れて誰が誰なのか分からない乱戦。
これなら勝てる、と華雄はもう勝利したと思った。
だが、そんな時こそ無残にも砕かれるのが世の常である。
後もう少しで孫堅に届くという所で矢が頬を掠めた。
『流れ矢・・・ではない!!』
最初は流れ矢と華雄は思ったが、またもや矢が飛んで来た事で自分は狙われていると実感する。
何処だ?
何処に居る・・・・・・?
敵を倒しながらも華雄は矢を射た敵を探す。
孫堅を倒すのが第一目的だ。
しかし、このままでは自分が先にやられてしまう。
幸い胡軫軍が良い具合に孫堅軍と戦っているからそうは逃げられない。
ならば今の内に邪魔な者を排除するべきだ。
辺りを探していると・・・居た。
辛うじて見える位の先に居た。
「・・・女、だと」
華雄は自分を狙っているのが女と知り些か驚いた。
歳はまだ20になったばかりだろう。
銀と紫というこの世の者には無い髪の色をしており瞳もまた見る者を捕えて離さない月の瞳。
その娘はまた弓を引き絞り始めた。
傍らには矢が地面に突き刺さっておりまだ余裕がある。
『あれが天の姫、か』
見る限りあれが天の姫と考えるべきと華雄は戦いながら思う。
着ている衣服も豊かな証であるし容姿と気を見る限りそうだとほぼ断言できる。
彼女は見た事も無い長弓に矢を番えて引き絞り始めた。
そして・・・放った。
空を切り真っ直ぐに矢は華雄に向かって飛んでくる。
他の者が射た矢より鋭く空を切る矢。
まるで流星のように速く見える。
「くっ!!」
辛うじて襲い掛かる矢を華雄は避けるが向こうは次々と矢を射てくる。
その速さがまるで数百人の弓兵と同じに・・・いやそれ以上に速いから堪らない。
『このままではやられる・・・・・・・』
短い思考の末決断した。
「このまま押し切って本陣へ切り込むぞ!!」
矢は長距離から攻撃できるのが強み。
ならば接近戦に持ち込んで討ち取るしかない。
これはかなり危険な賭けと言える。
本陣にまで切り込むとなれば嫌でも警護が厳しくなる上に自分達の兵も討ち取られる。
しかし、この状況を打開するにはこれしかない。
華雄はそう思ったのだ。
もちろん孫堅を仕留める事という当初の目的は変わっていないが。
華雄軍は孫堅軍と更に距離を縮め胡軫軍は孫堅軍を押しながら本陣へと進んで行く。
かなり危険な戦いをしている。
そんな中で呂布軍はというと・・・・・・・・・・・
「退け!退け!退けぇぇぇぇ!!」
呂布軍は騎馬隊を駆使し戦場を風の如く疾走している。
騎馬隊の強みは馬の速さを活かした機動力だ。
そのため同じ場所には留まらず戦場を有象無象に駆けて相手を撹乱する。
そして呂布は飛将という名を誇ると同時に愛馬の赤兎馬もまた一日で千里を走ると言われるほど駿馬だ。
その彼等に従う五原騎兵団もまた同じである。
誰も彼等を捕える事が出来ない。
正しく戦場では風なのだ。
「この程度でこの呂布の首を取れると思うか?!」
方天画戟を片手で軽々と振いながら敵を虫を払う如く薙ぎ払いながら嘲笑う。
「ん?」
呂布の右目が一人を捕える。
本陣の方で弓を射る娘だ。
「誰かは知らんが・・・あんな所で矢を射るとは愚かな・・・・・・・・・・」
彼にとって戦は男の場。
女が入り込む余地など無いというのが考えだった。
そんな所に女が居る。
しかも裕福そうな衣服に身を包んだ上に矢を射ている。
彼の眼から見れば戦を冒涜しているに等しかった。
女なら女らしく陣幕の中で震えていろ。
『誰だか知らんが自分は場違いだと教えてやろう』
残忍な笑みを浮かべて彼は愛馬の腹を蹴りその娘の方角へと走らせた。
方角は本陣で護りは強固だが彼一人の視点で見れば強固には見えない。
あっという間に護る兵たちを血祭りに上げて行き・・・・・・・・本陣へと突入した。
『姫様を護れ!!』
誰かが悲鳴に近い声を上げる。
しかし、既に遅く呂布の方天画戟の刃は娘の首筋を刎ねようとしていた・・・・・・
所が・・・・・
「な、何っ?!」
呂布は信じられなかった。
自分の方天画戟を素手で止めているのだから。
しかも、自分より遥かに弱い印象を受ける娘に・・・・・・・
「誰だか知らないけど・・・我に刃を向けるとは愚かな事を」
娘は月色の瞳を細めた瞬間・・・消えた。
そして呂布は赤兎馬から落馬した。
皆は驚愕した。
あの呂布が愛馬から落馬したのだから!!
「ぐっ・・・・・・」
呂布は直ぐに立ち上がった。
そして視線を娘に向ける。
娘は弓と矢を持ちこちらを見ている。
「たかが落馬した位で動揺するなんて情けない。男として恥なさい」
「貴様・・・何者だ?」
「女に名を訊ねる時は男の方から名乗りなさい。無礼者が」
娘は何処までも冷めた眼つきで呂布を見ている。
「こっの・・・小娘が!!」
呂布は立ち上がるや否や走り出し娘との距離を縮めると方天画戟を横に薙ぎ払った。
しかし、それを軽やかな・・・そうまるで舞うように娘は避けると空中から矢を射た。
「こんな矢で俺を仕留められると思うか!!」
矢を払う呂布だが第二、第三と次々に矢を射られてからは余裕を早くも無くし始めた。
しかも、その矢が“鋭い”のだ。
今まで受けて来た矢などとは比べようが無いほど鋭く確実に死に至らしめる事が出来る場所を的確に射てくるから性質が悪い。
『この娘・・・何者だ?』
矢を薙ぎ払いながら呂布は娘を見る。
銀と紫の髪を足元まで伸ばし月色の瞳は何処まで冷たい印象を相手に見せつけるが、瞳から逸らす事を許さない強い力を感じさせる。
皆は戦う事を止めて呂布と娘---織星夜姫の攻防を見ている。
彼女の弓は見た事も無い。
何よりあの飛将と謳われた呂布を愛馬から落馬させ、あまつさえ一方的に攻撃をしているのだから戦いを止めて見入るのも無理はない。
しかし、夜姫の弓が矢を射るのを止めた。
矢が無くなったのだ。
「矢さえなければ弓など恐れずに足りず!!」
呂布はまた走り出し夜姫へと突進する。
戟は戈や矛の機能を備えた武器で、両手で持つ物と片手で持つ物の二通りがある。
呂布が持っているのは両手で扱う長戟に分類される。
しかし、彼の長戟は方天戟の一つに分類される方天画戟だ。
本来なら両方に付いている三日月状の刃---月牙が片方にしか無い。
これは両手で握り扱う物だが、それを彼は片手で易々と扱える。
もう片方の手で馬の手綱を握り戦場を駆け巡るのだ。
所が現在は両手で方天画戟を扱っている。
つまり彼は本気で戦っているのだ。
しかし、それを嘲笑うかのように夜姫は攻撃を避ける。
それ所か逆に距離を縮めて呂布に平手打ちを喰らわせた。
軽い力だが呂布に対して平手打ちをする女などこの世に居ない。
誰もが唖然とした。
打たれた呂布自身もだ。
「この程度の攻撃も躱す事も出来ないで・・・“飛将”と言われるとは情けないわね」
言う方も言う方だが、それを自ら誇りとしている己もまた情けない。
「貴方みたいな男は飛将なんかじゃない。ただの猪よ。戦場を騎馬で走り回るしか能が無い男ね」
「こっの!!」
何処までも馬鹿にして蔑む夜姫に呂布は理性を無くし始めた。
それがいけなかったと彼は知る由も無い。
力任せに夜姫を絞め殺そうと方天画戟を捨て両手を背中に回した。
だが、それを舞でもするように巧みに避ける夜姫。
「汚い手で触らないで。汚れるし臭いが付くわ」
「おのれぇぇぇぇぇえええええ!!」
呂布は再び方天画戟を持ち突進した。
・・・・・・急所など関係無しに方天画戟振り回して来る呂布に対して夜姫は何処まで冷たい視線を送っている。
だが、ふいに跳躍するとまたもや距離を縮め膝を彼の顔面に打ち込み顔を抑え前屈みになった背中へ蹴りを喰らわせた。
前のめりになって倒れる呂布。
既にその姿には戦場を駆け巡る飛将の面影は微塵も見られなかった・・・・・
「傲岸不遜な愚か者には相応しい格好ね」
扇を取り出して顔を扇ぐ夜姫。
まるで傷ついた獲物を痛ぶる狩人のようだ。
「きさまっ・・・・・・」
呂布は泥だらけになった顔で夜姫を睨み据えた。
「しつこい男は女に嫌われるのよ。それに私を何度も襲っているけど私は・・・たった一人の殿方にしかこの身は許していないの」
だから、もういい加減にして欲しいと彼女は言った。
「もう貴方と戦うのは嫌。顔も見たくないわ」
そう言って夜姫はパチンッと指を鳴らした。
何処からともなく大きな太刀---大太刀が現れ代わりに弓は消えた。
弓の代わりに夜姫は大太刀を掴んだ。
柄と鍔の色は濃紺で鞘も同じ色だった。
鞘から無造作に抜いた夜姫は片手で軽々と操り刃を呂布に向けた。
「これは貴方みたいな男を斬るには勿体ない代物よ。でも、この子が血を吸いたいと言ってさっきから聞かないの」
こんな不味そうな男の血でも良いから腹を満たしたいと大太刀は言ったらしい。
「まったく。前から食い意地が張っているとは思っていたけど、こんな男の血を吸わせるなんて主として悲しいわ」
それでも吸わせる、と彼女は言った。
「これで最後よ。死ぬのが嫌なら二度と私の前に現れないで」
貴方みたいな男は嫌いなの。
何処までも冷たい。
そして容赦ない。
こんな言葉を戦場ではない場所で言われたらもう二度と会わないだろう。
それだけ夜姫の放った言葉は冷たく切れ味が鋭かったのだ。
「うぉぉぉぉぉ!!」
呂布は方天画戟を頭上に上げ両手で振り回しながら夜姫に突進した。
これで終わらせてやるとばかりに彼は雄叫びを上げ最後の一撃とばかりに大きく方天画戟を振い下ろす。
「・・・・・・・・」
後もう少しで当たる・・・そんな所で夜姫は一瞬で姿を消した。
そして呂布と入れ変わるように居た場所に立つ。
誰もが固唾を飲んで勝敗を見守る中で・・・・倒れたのは呂布だった。
いや、倒れそうになったが方天画戟の石突きを杖代わりに何とか立っている。
何度も地面に膝を着いた彼だが、ここだけは譲れないと言う意地もあるのだろう。
震える足で必死に立ち方天画戟を杖にしているのだから。
「ぐっ・・・くっ・・・・・・」
彼は血を流す腹を見ながら赤兎馬を呼んだ。
赤兎馬は直ぐに駆け付け、主の傷口に自らの口を当てた。
「必ず貴様を殺してやる・・・・・・」
「・・・私がそれまで生きていたら、ね」
捨て台詞を残し呂布に対して夜姫の返答は何処か投げ槍とも諦めとも取れる口調だった。
それを彼は疑問に思う事も無く五原騎兵団を率いて戦場から去った。
呂布が去った事もあり他の者たちもまた逃げ始めた。
特に胡軫と華雄は乱戦に持ち込んだ上に敵陣へと向かう途中だったのでかなり苦労しながら戦場を抜けた。
連合軍の将達は何とか呂布たちを撃退できたと喜び合い夜姫へと近づいた。
皆が近づく中で夜姫は一人ポツリと言葉を吐いた。
「私はもう・・・一度は死んだ身なの。殺すなんて出来ないわ」
夜姫は独り言を漏らすと大太刀に付着した血をビュンと空を切り払い落してから鞘に収めた。
そして・・・・倒れた。
かくして陽人の戦い“第一戦”は連合軍側の勝利で終わりを告げた。