第八幕:姫との約束
宴は夜遅くまで続いたが、夜姫が眠くなったのを機にお開きとなった。
夜姫は典医に連れられて先に天幕へと行きそれから皆がそれぞれの天幕へと引き上げた。
最後に劉備が出ようとした時、袁術が呼び止めた。
「少し話がある」
袁術の言葉を断る理由も無い劉備は一回だけ頷くと関羽達を先に行かせ袁術と二人だけになった。
「そなた・・・明日から我が軍と共に董卓軍と戦えるか?」
「はい。ですが私共は貴方様や孫堅殿に比べれば格段と兵力などに関しては劣ります」
寧ろ義勇軍は義勇軍だけで行動を取った方が良いと劉備は言ったが袁術は首を横に振った。
「それでは色々と面倒だ。そなたらは私がここへ招いた・・・言わば客将だ」
「・・・・・・・」
「だが、部下達から見れば夜姫様に付いて来た従者のような存在だ。もし、そなたらが勝手な行動を取れば部下達の反感を買う」
確かにその通りだ、と劉備は改めて思い直す。
自分達は夜姫の為とは言え袁術に招かれた存在---言わば客将。
招いてくれたのだからそれに担う働きをするのが客将の恩返しとも言える。
だが、袁術の言う通り傍から見れば自分達は夜姫に従う“おまけ”のような存在で決して両手を広げ歓迎する程の者達ではない。
そんな自分達が勝手な行動を取りあまつさえ戦果を上げてしまえば袁術の言う通り反感を買うのは必定だ。
だからと言って袁術の指揮する軍団に従っている訳にもいかない。
もし、そうなれば召使いと思われてあれこれ命令されてしまう。
勇軍達もそう簡単に従うかどうかさえ怪しい・・・・・・・・
特に義弟である関羽は些か自分に対して自信を持ち過ぎている節がある。
その自信は・・・傲慢不遜と人には取れる程。
確かに関羽の実力は誰もが一目置き、その容貌に皆は圧倒されてしまう。
関羽自身もその実力を知っており誰もが一目置いている事も知っている。
性質が悪いのだ。
恐らく義勇軍が一人で行動すれば恐らく関羽や張飛などは単独そうでなくとも何人かを引き攣れ董卓軍を蹴散らしてしまうだろう。
そうなれば必然と怨みを買うのは義勇軍の長である劉備だ。
「ここは大人しく私に従ってくれまいか?」
そなた達を追い出せば夜姫様が哀しむし一人になってしまう。
「前にも言ったが夜姫様を安心させられるのはそなただ。もし、そなた達が居なくなれば誰が夜姫様を安心させられる?」
劉備は今までの袁術とは違うと思っていたが改めて感じた。
以前の彼なら自分を蔑み、こんな言葉を言ったりしない。
だが、今は違う。
そしてここは袁術に従うのが一番と思った。
「分かりました」
「すまない。だが、恐らく二度もそなた達に撃退された董卓軍だ・・・明日は本腰を入れて来るかもしれんな」
董卓自身は袁術よりも部下である孫堅を忌避している。
義勇軍である劉備は夜姫が居るから襲っているような物だろう。
だが、ここに移ったと何れは・・・もう知られているかもしれない。
それを考えると明日は真っ直ぐにここへ攻め込む可能性が高い。
そうなれば乱戦となり指揮系統も滅茶苦茶にされてしまう恐れがある。
それだけは避けたい所だ。
「本腰を入れて来ると言うと・・・呂布が来ると?」
劉備は袁術の言葉を聞いて誰が来るかと考えた結果・・・呂布が来ると推測した。
「呂布だけが何も奴の手下だけではないぞ」
確かにその通りだと劉備は呂布だけに捉われた自分を恥ずかしく思った。
「“華雄”かもしれん。“胡軫”かもしれん。そなたの言う通り呂布かもしれん。最悪の場合・・・奴等が全員打って出るかもしれん」
董卓の配下には袁術がいった3人の人物が脅威と見て良いだろう。
華雄は董卓の軍では都督と呼ばれる軍政を指揮する立場に居る。
胡軫に至っては最初は陳郡太守だったが、後に大督護となり司隷校尉になった。
呂布は董卓の養子にして中郎将に累進し更には都亭候に封じられ“飛将”名まで呼ばれている。
3人ともそれぞれの分野においては実力があるが、武勇に関してもいう事が無い。
「しかし、胡軫は呂布と仲が悪いですよね?」
「そうだ。もし、3人が一緒に来れば呂布と胡軫の仲を突くのが良い」
もし、来るならそこを突けば勝ち目があると袁術は言ったが出来るならば3人一緒には来て欲しくないというのが本心だった。
「どうなさるんですか?」
「何とも言えん。ただ、孫堅も居るからそれ程ではないと思うのだが・・・・・・・」
孫堅は袁術の部下だが実力から見れば彼の方が上だ。
だから、董卓は先ず孫堅を先に撃破すると考えている。
どちらにせよ難しい所だと袁術は言いながらもう帰って良いと言い劉備を下がらせた。
一人天幕へと残された袁術の所へ閻象が劉備と入れ変わるように入って来た。
「何か用か?」
「宴の後始末を。それから夜姫様の事についてです」
「何か遭ったのか?」
夜姫の事だと言われると眼の色を変える自身の主に閻象は眼を細めながら口を開いた。
「今はお休みになられております」
「では何だ」
「そう急かさないで下さい。急かす男は嫌われますよ?」
「煩い。それで何なのだ?」
「はい。先ほど間者から連絡が入りました」
「・・・報告は?」
袁術は間者と聞いて眼を細め誰も居ない事を確認した。
間者を送り込んだのは袁術ではない。
目の前の閻象が独断で行った事だ。
最初こそ怒ったが今はその行いに感謝する。
「間者の報告によりますと敵は夜姫様の存在に気付いております」
「それで?」
何処かで気付いていたと思っていたので然して驚かず続きを促す袁術に閻象は続けた。
「董卓は是非とも夜姫様を手に入れたいと思っているようです」
天の姫を自らの懐に入れれば恐れる物は何も無いからだ。
「ふんっ。私利私欲に塗れた男の考えそうな事だ」
「ご自分も前までそうでしたでしょうに・・・・・・・」
他人事のように罵倒する主に閻象は嘆息しながらも続きを話した。
「それで明日・・・呂布、華雄、胡軫を出すそうです」
「先ほど劉備とも話したが・・・来て欲しくない人物が一気に来るとは・・・・・・・・・」
嫌な予感---希望ほど無残にも打ち砕かれる物は無いと袁術は改めて痛感させられた気がした。
呂布一人でさえ手間取るというのに3人纏めて来られては耐えられるか自信が無い。
「まったくです。ですが、ここであの3人を一気に・・・そうでなくとも誰かしら1人を打ち倒せば確実に揺さ振りを掛けられます」
閻象の言葉は確かに一理ある。
3人とも董卓の配下では猛者だ。
その者達を一気にそうでなくとも一人でも倒せば確実に向こうが怯むのは見えている。
「確かにそうだが・・・そなたとしては誰が妥当だと思う?」
「胡軫と呂布は仲が悪いです。貴方様もお考えでしょうが、その2人を先ずは引き裂き個々に撃破するべしと思います」
胡軫は呂布に比べれば武勇においては明らかに劣る。
しかし、それでも個人武勇は眼に止まる位の実力はあるのだが性格が傲慢で短気おまけに嫉妬深い。
これらが混ざり合い部下達の人気は極めて低い。
恐らく胡軫はなぜ呂布と共に参加しなければ?と憤りを覚えている事だろう。
華雄に関しては胡軫の配下だから、呂布との仲介に心を砕く筈だがそこをバラバラにすれば・・・・・・
「確かにその通りだな。そなたが言うとなれば・・・・もう出来ているのだろ?」
閻象の性格からしてこれを自分に話すという事は・・・・・・・・・・・
「はい。既に手は打っております」
何でも無いように閻象は言ってみせた。
「抜かりは?」
「ありません」
「大した男だ。それから夜姫様の事だがくれぐれも粗相が無いようにな」
「その言葉貴方様にそっくりお返しします」
相変わらず一言多いし容赦ないと袁術は思いながらも怒りは不思議と起こらなかった。
「何をニヤケているのですか?」
閻象に指摘されて自分の顔に手をやれば・・・微かに顔がニヤケていた。
「いや何でも無い」
直ぐに顔を元に戻して閻象に命令した。
「明日は奴等が来るならこちらも準備をしておけ。孫堅にも伝えておけ」
「御意に。では、片付けをするので天幕から出て下さい」
袁術は頷いて天幕を出た。
夜は星空で広がっており明日は晴れと予感する。
夜姫の天幕を見れば屈強な兵士二人が槍を片手に立ち劉備の陣幕もまた兵たちが立っており夜姫の天幕を黙って見ていた。
「・・・・・・」
何故か無性に夜姫の所へ行きたいと思った袁術は静かに天幕へと足を向けた。
「これは殿」
天幕を護っていた兵たちは直立不動で袁術を見た。
「夜姫様は?」
「寝ております。歌声のように安らかな寝息です」
耳を澄ませれば確かに・・・歌声とも取れる安らかな寝息が聞こえてくる。
「入っても良いか?」
「はい、構いませんが・・・・・・・」
兵たち2人から見れば袁術はここの主だ。
その主が何でこんな許可を求めるような言い方をするのか理解できなかった。
「ここは夜姫様の天幕だ。如何に私の陣とは言え、ここ“だけ”は夜姫様の領土。そなた達は差し詰めその領土を護る衛兵と言った所だ」
なら、その衛兵の許可を得なくては中に入れないと袁術は説明した。
2人は眼を合わせてから頷き合った。
『どうぞ、お入り下さい』
「すまんな。それから・・・もし、私が何か夜姫様に対して“変な事”をしようと勘付いたら迷わず取り押さえろ」
寝ている女性の天幕へ入るのだ・・・何をするか自分でも分からない。
それでも入りたいと言う願望は我慢できない。
袁術は自分で解かっていたから敢えて部下に命じたのだ。
部下達は曖昧ながらも頷いたのを確認してから袁術は天幕の中へと入った。
蝋燭は消されているため真っ暗で何も見えない。
『・・・眼が見えない夜姫様にとってはこんな状況なのだろうな』
眼が見えないとなれば辺りは暗闇同然。
しかも以前は見えていたと言うから性質が悪い。
最初から見えない方がある意味では助かるのだが、とつぜん見えなくなったというと今まで見えていた物が全て見えない。
これには言い知れぬ恐怖が宿されている。
常人ならば泣いて喚き散らすだろう。
それが当り前なのだが・・・夜姫はそれを微塵も表さない。
寧ろ眼が見えないのにひた向きに前を歩き続けている。
強い娘だと袁術は思いながら暗闇に慣れた眼で寝台を探した。
寝台が見え誰かが寝ている事を確認する。
僅かに肩を動かしているから寝ている証拠だ。
足音を立てないように近付いて見下すと・・・・・・・・・・・
『まるで赤子だな』
赤子のように無邪気な寝息を立てる夜姫が居た。
銀色と紫色の髪を惜し気も無く曝しており、暗闇でもよく見える。
スー・・・スー・・・スー・・・
寝ている夜姫は袁術が近付いたのにまるで起きない。
袁術は黙って夜姫を見続けた。
明日は呂布達が来る。
そして自分達はそれを迎え討つ。
大勢の血が流れ命を落とす者が続出する事だろう・・・・・・・・・
自分もまた死ぬかもしれない。
これが見納めかもしれないと思ったが、直ぐに否定した。
自分は死なない。
一度は死に掛けた身だが、夜姫に救われた。
血を流す自分に対して夜姫はこう語り掛けた。
『私を護って死ねるなら本望?・・・死んだら終わりでしょ?生きて私を護り抜いてこそ本望と言いなさいよ・・・・・馬鹿』
「夜姫様。お約束します」
袁術は眠る夜姫に語る。
「私は生きて・・・例え泥水を啜ろうとも生き続け貴方様をお護りします」
貴方は生きて護り抜いてこそ本望と言え・・・そうおっしゃった。
ならば、そのように生きて貴方を護り続けましょう・・・・・・・・
「この身は・・・貴方様だけの為に・・・・・・・」
そう言い残し立ち去ろうとした時だ。
「・・・やく、そく・・・・・・だからね・・・・」
眠っていた夜姫だが声を発して来た。
起きたのか?と思い振り返ったが起きていない。
・・・夢を見ているのだろう。
まさか自分の言葉に反応したのかとも思ったが。
「やく・・・そくは・・・守って、ね・・・・・」
「・・・はい。お約束します・・・夜姫様」
眠る夜姫に袁術は笑顔で頷いた。
「良い夢を・・・・・・」
袁術は僅かに顔を緩めて静かにまた天幕を後にした。
「二人とも・・・何があろうと夜姫様を護れ」
『・・・御意に』
兵は袁術の言葉に直立不動のまま頷いた。
そして天幕から離れた袁術は自分の天幕へと戻りながら夜空を見上げた。
とても澄んだ夜空は幾多の星々が輝きを放ち続ける。
「夜姫様は天ではなく・・・月から来たのかもしれんな」
この星空が輝きを放つ中でも一際輝くのは月だ。
あの月から夜姫は来たのかもしれない。
もし、そうなら・・・・・・・・・・
「いや、止めておこう」
袁術は自分の考えを否定し今度こそ自分の天幕へと足を傾けた。