第七幕:夜の舞姫
夜になろうとしている時間に夜姫は袁術の馬に横向きに乗って陣まで進んでいた。
袁術の横には劉備、関羽、張飛、諸葛亮、典医が居る。
反対側に袁術の部下が居り更にその後ろを義勇軍が付いて来ている構図だ。
「夜姫様は天の国では“大学”と呼ばれる所へ行っておられたのですか?」
袁術の質問に夜姫は頷いた。
陣へ向かう間、袁術は夜姫の国---居た世界に興味を前々から抱いていたので質問する事にした。
もっとも無言で陣まで行くには些か辛すぎるというのが理由に含まれているが・・・・
「はい。4年制で単位を取り論文などを書いて卒業に向けて勉強するんです」
「そこは身分などは関係あるのですか?」
諸葛亮が興味津々の様子で訊いてきた。
「いいえ。ただ、学位の差はありましたね」
更に言えば公立か私立か国公立によって金の掛りも違うと夜姫は付け加えた。
「なるほど。夜姫様の場合はどちらで?」
「私の場合は公立です。主に歴史を選考していました」
「歴史ですか。所で、先ほどサークルという物があると言っておられましたが、どんな物なのですか?」
「そうですね・・・具体的に言うならやりたい物を決めて、それに人を勧誘して活動する事ですね」
「夜姫様の場合は何を?」
「演劇です。ですが、部員も少ないですし資金も無いので別なサークルと掛け持ちをしています」
「そうですか。夜姫様の国は私達には無い物が沢山あるのですね」
「そうですね。でも、やはり人が殺されたりする事件はありますし、国によっては長い間戦争を続けている所もあるので・・・・・・・」
天の国ともなれば皆が平和で暮らしていると勝手に思っていたがそうではないようだ。
「所で夜姫様。夜姫様は先ほど演劇をしていると仰いましたが、何が御好きですか?」
袁術が暗い顔をした夜姫を気にして話題を切り替えた。
「そうですね・・・色々あり過ぎて迷ってしまいますが敢えて上げるとすれば・・・・・・」
「夜姫様っ」
夜姫は前方から馬の蹄の音がして一時答えるのを止めた。
「・・・袁紹殿」
劉備が前方から来る見慣れた男---袁紹を見て顔を歪めた。
袁紹はこれまで義勇軍である自分に何かと眼を付けてくれた言わば恩人。
だが、夜姫を袁術の陣に招き入れる事は伝えていない。
何と説明すれば良いやら・・・・・・・・
「劉備。これはどういう事だ?」
袁紹は激怒している顔で劉備に訊ねた。
「袁紹様。どうなされたのですか?お気が些か荒いですが・・・・・・・」
夜姫が袁紹の様子を感じて口を挟んできた。
「あ、いや・・・私は貴方様が袁術の陣へ行くとは聞いておりませんでしたので」
「それは先ほど決まった事なんです」
夜姫は袁紹の声がする方向に眼を向けて自分で説明した。
自分が居た天幕を敵に破られて、そこを袁術が助けてくれた。
そして袁術と劉備が意見を言って袁術の陣へ移動する事になったと・・・・・・・・・
「私が袁術様の陣なら安全と思い劉備様達も一緒に連れて来たんです」
袁紹はそれを聞いて後悔した。
なぜその場に居なかったのだ?
そこに居て夜姫を護れば自分の陣へ来てくれたかもしれないのに、と・・・・・・・・・・
しかし、それを声に上げて怒った所で夜姫が考えを変える訳も無いし寧ろ印象を悪くしてしまうと袁紹は短い間に考えた。
それに夜姫の様子からしても劉備同様に何が起こったのか分からない顔をしていた。
劉備と袁術が口裏を合わせたとも一時は考えたがこの2人は水と油みたいな関係で決して交わらない。
となれば何れは陣を追い出される羽目になるだろう。
その時、改めて自分が行けば良いと袁紹は思った。
何より劉備には眼を掛けている。
出来るならば自分の部下にしたいとも考えているのだから、ここは大しく引くべきと判断した。
「劉備。袁術。夜姫様の身はそなた達に預ける。傷一つ負わせるな」
「言われなくても分かっている」
袁術は憎まれ口を叩くように言った。
「なぜ貴様はそのような態度を取る。子供ではあるまい」
「ふんっ。貴様に関しては別だ」
互いに睨み合い一触即発とも言える雰囲気になったが剣を抜こうとはしなかった。
それ以上に発展すれば夜姫が怒ると2人そろって解かっていた。
だから、口喧嘩に留めておく。
「では、袁紹殿。我らはこれにて失礼する」
袁術は馬の腹を蹴り袁紹の横をすり抜けた。
「袁紹殿。申し訳ありません」
劉備は袁術達が言ってから袁紹に謝罪した。
「本来ならば袁紹殿に伝えなくてはと思っておりました。ですが、何時またあのような事態になるとも限りませんし時間もありませんでした。言い訳とは思いますが、どうかご理解下さい」
「分かっておる。そなたと袁術が一時は口裏を合わせた、と思ったが・・・そなたはそのような器用にこなせまい」
袁紹は何処か皮肉気に言ってみせた。
「・・・・・・・・・」
「まぁ、私に何の相談も無く夜姫様の陣を決めたのは些か腹に来たが仕方あるまい。まだ時間はあるのだ・・・それに私の見方ではそなた達は何れ袁術の陣を再び出ると踏んでいる」
それに劉備は何とも言えなかった。
「出た後は我が陣へ来い。丁重に持て成すからな」
「有り難きお言葉を・・・・・」
「では失礼する」
そう言って袁紹は自分の陣へと戻って行った。
「殿。袁紹殿・・・少々怒っておりましたね」
諸葛亮が去って行く袁紹を見ながら劉備に小声で話し掛けてきた。
「あぁ。しかし、何とか解かってもらえたが・・・これからが大変だな」
袁紹は一時だけ自分と袁術が手を組んだと思ったらしい。
実際当たりではあるが、出て行く事は考えていない。
共に夜姫を護る為に手を組んでいる。
もし、これが知られたら・・・・・・・・・
「その辺は私にお任せ下さい。それにしても敵は・・・夜姫様の存在を知っているのかもしれませんね」
「あぁ。二度も我々の陣を襲ったのだからその可能性は極めて高いと見て良いな」
自分達義勇軍は敵から言わせればよく戦う相手と取れるだろう。
だが、自分達を相手にするより総大将達の軍と戦った方が確実に名は上がる。
それなのに二度にも渡り襲ってきた事を考えると夜姫の存在が向こうにも知られている可能性が高いと見て良いだろう。
「殿。この選択は正解ですよ」
諸葛亮は劉備の選択を正解と言い、主人の心を慰めた。
劉備から言わせれば袁紹を騙す形となったから気を病んでいると思っていたのだ。
「あぁ。分かっている・・・さぁ、我々も追うぞ」
劉備の言葉に義勇軍達は頷き、急いで夜姫たちの後を追い掛けた。
袁術の陣に到着した頃には既に夜姫たちは陣内へと入った後だった。
陣の外で劉備は兵に袁術の事を伝えると直ぐに通されたから問題は無かった。
陣内へと入った義勇軍である劉備達は改めて袁術と比べてやはり“格”という違いを感じられた。
木の杭が地面に刺さりそれを幾つも囲み馬が侵入できないようにされている兵たちの装備も整えられている。
おまけに食料---兵站なども整えられており自分達とは違う所が嫌というほど強調された気がした。
その中を劉備達は通るのだが兵たちの視線は何処か痛かった。
袁術が招いたとは言え、それは夜姫と言う天の姫が居るから。
そうでなければこんな陣へ来れないと眼で言われた気がした・・・・・
一番奥---袁術の天幕には槍を持った兵が2人左右に別れて立っていたが、劉備達を見ると直ぐに奥へと消えて行き袁術を連れてきた。
「夜姫様が寝泊まりする天幕はあそこだ」
袁術は夜姫の天幕を指差し今度は劉備達の陣は直ぐ近くと教えた。
「それから宴の事だが・・・夜姫様は良いと仰った」
これからここで暮らすのであれば皆に自己紹介をしなければならない、と言ったようだ。
「そうですか・・・・・」
「うむ。宴にはそなたらも出てくれ。そうでないと夜姫様も不安だろうからな」
間も無く始まると袁術は言い劉備は兵達に陣へ迎えと命令すると関羽達と共に袁術の天幕へと入った。
既に夜姫はそこに一人で座っていたが、劉備の気配を感じると可憐な笑顔を見せた。
「夜姫様。遅れて申し訳ありません」
劉備は夜姫に遅れた事を詫びた。
「いえ。大丈夫です」
ただ、一人では不安だったと夜姫は語り傍に居てくれと頼んだ。
「畏まりました」
劉備は頷いた。
袁術が右を劉備が左に座り夜姫を挟んだ。
そして諸葛亮と典医がその左右を挟み、関羽と張飛が続く形となった。
それから直ぐに袁術に従う群雄達が天幕の中へと入ってきた。
群雄達は劉備達には見向きもせず夜姫にだけ挨拶をしていく。
夜姫としては我慢ならない物だが取り敢えず何も言わないでおいた。
「遅れて申し訳ない」
最後と思われる男の声がした。
「孫堅様ですか?」
夜姫が入ってきた男に声を掛けた。
「はい。孫文台です。遅れて申し訳ありません」
「いえ。気にしておりません」
謝罪する孫堅に夜姫は首を僅かに動かして問題ないと言った。
そして孫堅は群雄達の中で唯一初めて劉備達にも挨拶をした。
「劉備殿。またもや敵を追い払ったらしいですね?」
「えぇ・・・まぁ」
劉備は曖昧に頷いたが、孫堅には謙遜しているように見えた。
「そのように謙遜めされるな。貴方の行動は我が軍内でも称賛されているのですよ?」
義勇軍を引き連れて董卓の軍を2度に渡り撃退した。
これは称賛されて然るべきと孫堅は断言した。
「ありがとうございます」
「いえいえ。袁術様。御身体の方は大丈夫ですか?」
劉備から袁術に視線を向けた孫堅は傷の具合を訊ねた。
「問題ない。それより速く席に座れ。そろそろ始めるとしよう」
「はっ」
孫堅は直ぐに自分の席に腰を降ろした。
場所は夜姫から斜め右だった。
「では、これより宴を始めるとしよう」
袁術が手を叩くと部下達が酒の入った壺---“瓶子”を持ち天幕へと入ってきた。
群雄達は杯を持ち瓶子から注がれる酒を受け止める。
袁術の杯にも部下が注ごうとしたが、袁術はそれを止め自ら瓶子を持った。
「夜姫様は酒を飲めますか?」
注ぐ前に袁術は確認するように訊ねた。
「はい。飲めます」
「では・・・・・」
夜姫の答えを聞いてから袁術は酒を注いだ。
そして今度は劉備達に自ら注いでみせた。
それに群雄達は驚いたが「流石は総大将」と褒め称えた。
全員に酒が注がれた。
「あの、袁術様。私がやりましょうか?」
袁術は自分で注ごうとしたが、夜姫の言葉に手を止めた。
「夜姫様が?」
「はい。貴方様には護ってもらった恩がありますから」
これ位で恩を返せるとは思っていないと夜姫は言ったが袁術は子供のように笑い頼んだ。
「では、お願いします」
袁術は夜姫の右手に瓶子を持たせた。
少しばかり重いと夜姫は感じながらもたどたどしい手つきで持つと袁術が差し出した杯に注いだ。
群雄達は羨ましいとばかりに袁術を見てから夜姫を見た。
瓶子を持ちたどたどしい手付きながらも袁術の杯に酒を注ぐ夜姫の横顔は見ているだけで美しかった。
それを肴に酒を飲める事だろうと群雄達の一人は思ったほどだ。
「もう結構ですよ」
袁術が声を掛けて夜姫は瓶子を上に傾ける。
そして夜姫から瓶子を部下が受け取り下がった。
「では、諸君。改めて乾杯だ」
夜姫様が陣へ来た事に。
これからの戦いに。
『乾杯』
袁術が杯を掲げ飲んでから群雄達も杯を掲げて一気に飲み干した。
張飛などはあっという間に飲み干してしまい劉備に軽く叱られてしまったが。
夜姫の方は僅かに口を付けて一息入れた。
「少し強い酒、ですね」
「夜姫様には些か強すぎましたか?」
「多少は。でも、飲めない訳ではありません」
自分のペースで飲めば酔わない、と夜姫は答えまた口に運んだ。
その様子を群雄達は酒を口に運びながら盗見しているのが袁術には手に取るように分かった。
皆、夜姫の姿に見惚れている。
だが、それは単なる見た目だけの話。
自分も前まではそうだった。
『私も、あのような感じだったのだろうな・・・・・・・・』
群雄達を見て前の自分に自嘲する袁術は杯を煽り酒を飲んだ。
直ぐに空になる杯に袁術は瓶子を取り注ごうとする。
「袁術様。お酒が無くなったのなら、また注ぎましょうか?」
夜姫が典医に導かれて杯を置くと袁術に問い掛けた。
「え?あ・・・では」
袁術は少しぼうっとしていたが、直ぐに頷きまた杯を傾けた。
典医に補助されながら瓶子を持った夜姫は袁術の杯に酒を注いだ。
「ありがとうございます。それにしても中々注ぎ方が上手いですね」
これは世辞ではなく何となく見ていて判った。
「あちらでは、学費を稼ぐ為に色々と働いていたので」
「そうですか。学費を稼ぐのは並大抵ではありますまい?」
「えぇ。ですが、経験になりますから」
前向きな答えに袁術は感心しながら注がれた酒を味わいながら飲み始めた。
そして夜姫は劉備達に訊ねた。
劉備達もまたお願いすると夜姫は注いだ。
それからまた自分の杯に残っていた酒を飲んだが、張飛がお返しとばかりに酒を注いで来たので飲む事になったが自分のペースは守り続ける。
少しずつ時間を掛けて夜姫は酒を喉へ流し込んだ。
酒を飲むのは久し振りだった。
大学に入学した時の歓迎会と劇団の公演が終わってからの打ち上げの時だ。
最近は酒を飲む機会など全くなく不安だったがペースを守れば問題ないと改めて思った。
酒を飲みながら耳に群雄達の笑い声と共に楽器の音色が入って来た。
その時、頭の中に景色が浮かんだ。
何処かの宮廷だろうか?
そこでは宴が開かれており楽器の演奏を肴に大勢の者たちが酒を飲んでいる。
自分もまたそこに居たが、一番下座で誰にも話し掛けられず黙々と酒を飲んでいた。
ただし、自分よりペースは速いし量も多かったのが違う所だ。
それに何処か寂しそうな雰囲気もまた違う。
しかし、酔った者達が舞を披露しろと言ってきて仕方なく舞い始めた。
両刃で細身の剣を抜き扇を開き音楽に合わせて舞い始める。
何でそんな光景が浮かんだのか・・・・・・
考えていると音色が耳に入って来る。
懐かしい音色に思えて夜姫は無意識に杯を置き扇を取り出した。
「夜姫様?」
袁術が何かを感じ取り声を掛けた。
「剣を貸して」
夜姫の眼が・・・月の色へと変化している。
しかし、まるで魔術に掛ったかのように袁術は言われるままに剣を鞘から抜いて夜姫に渡した。
剣を右手で受け取った夜姫は扇を左手に持ち音楽に合わせて軽やかな動きで舞を始めた。
袁術達は突然舞を始めた夜姫に驚いたが直ぐに魅了された。
剣で空を切り扇で風を寄せて舞う。
時には苛烈・・・時には繊細・・・時には慈悲・・・
まるで感情を出しているかのように夜姫は舞を続ける。
演奏する者もまた夜姫の舞に合わせるが如く演奏を続けた。
やがて音楽が終わると夜姫もまた舞を止め一礼した。
暫く誰もが言葉も何も出来ずにいたが、一人が拍手すると皆が拍手をした。
「お見事です!」
「素晴らしい舞でした!!」
群雄たちは拍手しながら称賛の言葉を投げた。
夜姫は茫然としていたが、孫堅が近づいて元の場所へと戻した。
「夜姫様。実に見事な舞でした」
袁術が夜姫の舞を心から称賛した。
「いえ・・・ただ、音楽が流れたら身体が勝手に・・・・・・」
「それでも見事でしたよ。皆の者。夜姫様の舞は見事であっただろう?」
袁術が訊ねると群雄達は頷いた。
それからは飲めや歌えの文字通り宴と化した。
それに最後まで付き合う事になった夜姫だが、久し振りに楽しい思いが出来たと心の中で喜んだ。