【続編】婚約解消なんて彼にとっては昔の出来事
こんばんは。この作品は拙作「婚約解消なんて彼女にとっては些細な出来事」の続編となっております。前作もご一読いただければ幸いです。
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「ナーデレイ・ジルバ嬢」と声をかけられて振り向くと、そこには知らない男性。でもなんとなく見覚えがあるような……。誰だっけ。
「すみません、どちら様ですか?」
しまった!言ってから気付いた。この方は。
「あっ、失礼しました。ハリージャ様」
私の大親友のミンミの、双子の兄のミールことミルザール・ハリージャ様だ。
しかし見違えた。以前一度だけハリージャ邸でお会いした時は、伸びっぱなしの髪が脂ぎっていて、思わず本人に向かって「なんだか酸っぱいニオイがする」などと言い放ってしまったが、今日のミール様は、髪は短くなってるし、研究員の制服もきちんと着こなしている。もちろん、酸っぱいニオイもしない。ただし、相変わらずガリガリで、ミンミと同じように全体的に色素が薄いので、原色派手好き筋肉好きの、この国の「イイ男」の基準には当てはまらない。
こうしてみると、さすが双子の兄妹。ミンミと似ているなあ。
課題に四苦八苦していた私は、他の多くの学生と共に王立研究所の付属図書館にいた。蔵書が充実している図書館といえばここだし、閲覧用の部屋も広くて静かで学習するにはぴったりだ。
親友のミンミは下級生だった頃からコツコツと論文を書き進め、その論文が王立研究所の門外不出の禁書にまでなった希代の天才少女だが、そんな大物とは違い、私は学業はそこそこ。卒業後は「家事手伝い」をしつつ、婚活することになっている。この国の貴族の女性は、だいたいは皆、そのように過ごす。
ミール様はこの図書館の本体である王立研究所の研究員の制服を着ている。ミール様は学園などとっくに飛び級し卒業して、何年も前から研究所に勤めているのだ。さすが、天才双子兄妹。
「ここでは周りの邪魔になりそうなので、外へ出ないか?」
ミール様が低い声で言った。私が不審に思ったのが顔に出たのか、ミール様は眉を上げると付け足した。
「ミンミのことで、少し」
私の大親友、ミンミは最近学園に来ていない。卒業資格なんてとうの昔に得ていた彼女が学園に通うのは、私をはじめ学友のみんなと交流をしたいからだという。最近は研究の方が少し忙しくなったからしばらく休むと聞いているのだけど。
彼女になにか、あったのだろうか?
私は慌ててミール様の後を追った。
廊下に出ると、ミール様は私と向き合った。この方はヒョロ高い方なので、私は見上げることになる。
「妹が先日、うなだれて帰ってきたんだ。半泣きだった」
「えっ!」
廊下であっても、図書館内で大声は出すべきでない。思わず叫んでしまった私は、慌てて自らの口を手で覆った。遠くの受付嬢がチラリとこちらを見たのがわかった。
「ミンミが俺の同僚のゼラメート・デグゼムと付き合っていることは知っていると思うが」
「はい」
「もう奴とは別れると言っている」
私は眉を吊り上げた。
「あのオジさんが彼女に何かしたのですか!?」
「オジさん……」
「だって十以上年上でしょ!?十分オジサンです」
「九年だ。どうも誤解があるようだな」
ミール様は一人で何度か頷いている。
「あの、どういうことでしょうか。お一人で納得されないでください、気になって勉学どころではなくなります」
天才ゆえだろうか、ミンミもよく周囲の理解を置いてきぼりにしがちだ。ミール様もそうなのだろう。だから、不躾なようでもこうやって、説明を要求しないといけない。逆のパターンもあるけど。
ミール様は驚いたように私を見た。そしてサッと目を逸らす。この人はなかなか目を合わせてはくれない。
「つまりだな、ミンミは君の想い人をとってしまったと考えているんだ」
え?
想い人、つまり好きな人?私が誰を?
好きな人を「とった」ということは、デグゼム様!?
つまり、ミンミは、私がデグゼム様を好きだと思っているということ!??
「えっ、えええええぇぇーっ!!!」
今度こそ、私は大声で叫んだ。受付嬢が振り向いて咳払いをすると外を指差す。出ていけということだ。私は受付嬢に向かってぺこぺこと頭を下げた。
「ど、どうしてそんな誤解を!」
私は小声でミール様にささやく。
「……やはり、誤解なのだな。よくわからんが、ミンミは君という友人を失うくらいならデグゼムの野郎とは別れると言っている」
えええっ!ミンミったら。その言葉は嬉しいけど、そうじゃなくて!!
「ミンミに会えますか」
ミール様は私をじっと見ると、またふと目を逸らした。
「……早退を届けてくる。荷物を持って、正面玄関で待っていてくれ。個用車を回してくる」
……なにを回すって?
わけがわからないまま、私はミール様の背中を見送った。
個用車とは、最新式の動力付の移動機関のことらしい。図書館の正面玄関前に停められたモノに、私は逃げ腰になった。こんなの、見るのも聞くのも、はじめてだ。
「試作品だけど安全は保証するよ。俺は毎日、これで通っている」
私は疑いの目をミール様に向けたが、彼は涼しい顔で扉を開けて待っている。
これは、引く。さすがに。でも、面白そうだと思ってしまっている自分もいた。
ええーい、一か八か!度胸だ!
私は、狭い車内に乗り込んだ。
おっそ。
走り出した個用車は、大層遅かった。
「……君、なにも言わないんだな」
走り出してしばらくすると、ミール様が言い出した。
「えっと、なにをです?」
「俺の髪が短くなったのを見ると皆、大抵、どうしたとかなにがあったとか聞きたがるんだ」
「……ああ、なるほど。ちなみに、なんと返答されるんです?」
「公衆衛生に鑑みてと答えている」
公衆衛生。私は思わず笑った。以前私が、清潔と健康がどうとか言ったからだろうか。
「誰もが納得する回答ですね。さすがです」
私が言うと、ミール様はまた目を逸らした。
「この個用車は、これまでにない原動料を使っているんだ」
運転をしながら、またミール様は話し出した。意外だ。雑談するんだ、この人。
「原動料?源力石ではないのですか?」
源力石は、様々な機械を動かす原料だ。仕組みは私にはよくわからないけれど。
「源力石は、我が国ではあまりとれない。それに変わる物を、研究所では探しているんだ」
「へぇ……。この、個用車、ですか?は、なにで動いているのですか?」
「極秘だ」
「それは、そうでしょうね……。まあ、なににせよ、この速度では……。」
ミール様は困った顔をした。
「これは、一人用にできているんで、その、」
ミール様は口ごもった。
「……いくら俺でも、女性に聞くべきじゃないのはわかっているが、あくまで研究目的なのであえて聞かせてもらいたい。君、体重はどのくらいある?」
私はあんぐりと口を開けた後、みるみる赤くなった。ドン引きどころの騒ぎじゃない。
「なぜ、知る必要があるんです?」
「その、以前、ミンミを乗せたことがあるんだが、その時はその……」
「もっと速く走った、と。こんなに遅いのには、私の体重が関係しているに違いない、と」
「……そうだ」
全く、失礼極まりない。だが、純粋に研究のために知る必要があり、私を侮辱するとかいう意図はないことだけは、わかる。わかるけど。
「車を停めてください」
私の言葉に、ミール様は動揺した。私が怒って帰ろうとしている、と、そう思ったのだろう。怒っている部分は間違っちゃいない。大抵の淑女なら引っ叩くか泣き出すところだ。
「すまない、失礼なことを聞いた。もう聞かないから……」
「いいから、停めてください」
私の圧に、ミール様は黙って車を道の端に寄せて停めた。
「申し訳ない、いくら俺が常識ハズレといっても、聞いていいことと悪いことがあった」
「ハリージャ様」
私は、向き直ったミール様のほおを、ピシャリと張ってやった。そして、唖然とするミール様に、自分の体重を正直に教えた。もちろん、控えめではない正確な値だ。
「叩いたのは不躾な質問と、それに答えなければならない苦痛に対してです。もし誰かに私の体重を漏らしたら、ほおを引っ叩くくらいじゃ済みません。たとえ、研究所の方々にでもです。よろしいですか」
そう言って、そっぽを向いてやった。
ミール様は、しばらく私を眺めていたが、私が降りようとはしないことを悟ると、黙って車を出した。
「……ありがとう。貴重なデータだ。早速計算してみるが、意外と……、いや」
「なんですか」
「いやその、君は細身に見えるが、ミンミよりもずいぶんと、一体どこにそんな、いやその」
ミール様は完全にあたふたしているが、私の豊満な胸にチラリと目をやるのにも気付いてしまった。「いやあれでも足りないし」などと呟いている。まったく、この方のかつての婚約が長続きしなかったのも頷けるってものだ。それすら、ミンミと同じようにこの人にとっては、ほんの些細でとうの昔の出来事なんだろう。
「私は体を鍛えておりますから。筋肉は脂肪よりも重いのですよ」
「そうなのか!?」
「具体的にどのくらい違うのかは知りませんが、一般的にはそういわれています」
「そうなのか、知らなかったな」
そう言ってミール様は朗らかに笑った。おっどろいた。この人、笑うんだ。
「ありがとう、ナーデレイ・ジルバ嬢。失礼ついでにもうひとつ、気になっていたことを聞かせてもらいたい。
ミンミは君と親しくなってからとても楽しそうだ。交友関係が広がるのはいいことなんだろうが、君とミンミは容姿も性格も正反対に見える。君のような人がミンミと親しくなるとは意外なんだが」
私は諦めのため息をついた。小柄で賢いミンミの正反対とは、大柄の馬鹿女ってことかい。失礼も突き抜けると怒る気も起きないらしい。
「確かに、私とミンミは共通点はあまりないかもしれませんが、私たちなぜか、不思議と気が合うのです。私は、小さくて可愛くて賢い、まるでポロックみたいなミンミが大好きですよ」
「ポロック?」
「ご存知ありません?おとぎ話や絵本によく出てくる、小人の賢者のことです」
「知らんな」
「……左様ですか」
ハリージャ家の教育方針は、間違っちゃいないんだろうが、色々足りない気がするぞ。
「最後に、ハリージャ様、」
ようやく着いたハリージャ邸で、個用車から降りて歩きながら、私はミール様に話しかけた。
「先ほど、「君のような人」とおっしゃいましたが、どのような人のことです?もう叩きませんから、正直におっしゃってください」
ミンミと同じで、この人も口先だけのお世辞は言わないだろう。率直な意見が聞きたくなったが、さて、派手な馬鹿女とでも言われるだろうか。仕方ない、ミンミやミール様のレベルからみれば、ほとんどの人類は馬鹿だ。その中でも、私は特別賢いわけでもない。馬鹿女と思われても仕方ない。だがミール様はキョトンとして私を見た。
「君のように美しく明るく、人の輪の中心にいるような人物のことだよ」
さも当然のようにいうと、さっさと歩き出したのだ。
取り残された私は、なにを言われたのか飲み込むまで一呼吸。その後、全身真っ赤になったのだった。
合わせる顔がどうとかいう押し問答の末、入れてもらったミンミの私室で、ミンミは半泣きだった。まったく、賢い人って時々、常人には思いもよらないことを思いつくっていうか、突拍子もないっていうか。
「ゼラメート様との交際を報告した時、ナーダは「よかったね」と言ってくださいましたけど、それまでにずいぶん間がありましたので、それにそれからも、なんだかぎこちなかったですから、ゼラメート様は素敵な方ですし、ああこれは、きっとナーダもゼラメート様がお好きなのに違いないと思って……」
「なんでそうなるの!ゼラメート・デグゼム様とは、一度立ち話をしただけだし、それも話したのはミンミやミール様のことだし、もう顔もよく覚えてないくらいよ!確かに交際を報告してもらった時は、すっごく驚いちゃったけど、それはね……」
私はミンミの手を取った。
「そんな出会いがあったことも全然知らなかったし、お付き合いすることになるまでの、あれやこれやとか、ときめきキュンキュンとか、そんな話を進行形でミンミとしたかったのに、なにも知らなかったのがショックだったの、それにね、」
私はミンミを抱きしめた。
「ミンミならもっとステキな人だってたくさんいるでしょうに、なんであのオジさん!?って思ったのよ!おのれ、あのオジさんめ、純粋なミンミをたぶらかして!とか、ミンミに彼氏ができたら今までみたいに遊べなくなっちゃうな、それじゃなくても忙しいのに寂しいな、とか、あのオジさん年上だからって、簡単にミンミに手を出すんじゃないぞ、とか、そんなことをグルグル考えてたの!不安にさせたのならごめんなさいね、でもね、」
私はミンミを私の豊満な胸から解放して、見つめた。
「ミンミに好きな人ができたのは、本当にいいことだと思ってるわ。しかもその人と気持ちが通じ合えたなんて、よかったね、ミンミ」
「ナーダーー!」
ミンミは私に抱きついて泣き出した。私は彼女の髪を撫でながら見上げると、それまで部屋の隅で腕を組んで壁に背を預けていたミール様が、そっと出ていくのが見えた。
それにしても、「ナーダ「も」、ゼラメート様がお好きかと思った」って、ミンミあなた、たった今、特大ノロケを吐いたこと、気付いてるかしら。うふふ。
ありがとうございました!
源力石とか個用車とかは作者の造語です。この世界特有のものとしてお楽しみいただければ幸いです。