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収容所につれてこられて一ヶ月は過ぎただろうか。
まだ殺されていないのは22歳の途中であっても能力に目覚めるケースがあるからである。
凡人が殺処分されるのは収容所に連行される22歳の誕生日から1年を迎えた23歳の当日になる。
23歳になる前に処刑を実行した場合、死の直前で強力な能力に覚醒し、テロリストとなってしまうという事例は意外なほどに多いからだ。
そうした事故を未然に防ぐために、収容所に連れてきてきっかり1年で凡人を処分するようにしているのだという。
収容所には時計もカレンダーもなく、外にも出ることができない。だから、一体自分があとどれだけ生きることができるのかということは分からない。
普通だったらそんな生活を送っていれば気が滅入ってしまうところだろう。
しかしながら、やはりというべきなのか、ここに送られる前に感じていたのと同様に俺は自分がここで死ぬなどとは欠片も思えなかったため、それほどストレスを感じたりしなかった。
収容所の環境は収容所に連れてこられる前に想像していたようなものとは違って、それなりに快適なものだった。
凡人たちが束になっても天恵を持った人間の前では何もできないと思われているのか、囚人同士の交流は自由だった。日に3時間程度設けられた自由時間を使って集まってボードゲームをする囚人たちも少なくない。
食事も個別の居室で食べるのではなく、大広間の決められた席で行うことになっていて、そこでは会話するのも自由だ。
凡人がいざ天恵に目覚めたときに暴走しないように適度にガス抜きをしているのではないかと俺は考えているのだが、意気投合した囚人が次の日にはいなくなっていたということもそれなりの頻度で起こっているため、あまり意味はないのではないようにも思えた。
まぁ、意図のわからないことなど考えても仕方がない。
問題はどうやってこの収容所から抜け出すのか。たったそれだけだ。
その計画を考えるために、俺は収容所に来てからの一ヶ月程度の時間をこの場所の人間関係の把握に費やした。
どんな囚人がいるのか、収容所へ送られてきた順番、表情や顔色、声音などから推測したこの状況に対する適応度、あるいは反骨心の程度。それから、看守たちの上下関係を探ることで、注意しなければならない天恵持ちと思われる看守のリストアップ。
まだ気になることはあるが、最低限必要だと考える情報は既に揃った。
当初考えていた通り、やはり一人でここから抜け出すのは困難だ。
信用できるかは未知数だが、計画を次の段階へ進めるためには何人かの協力者、あるいは同志を集めなければならない。
声を掛ける人材を選別するのに時間をかけたが、収容所に囚われているのが凡人だけとは限らないだろう。
脱走者を釣るために天恵を持つ者、才者が凡人の中に紛れ込んでいる可能性もない話ではない。
俺が求める人材は、いつ殺されるかわからない環境の中でも自分というものが折れていない人間だ。
そうした人間に声をかけるのであれば、必然的に凡人のフリをしたスパイが紛れ込むのも道理である。(そのスパイが存在しない可能性もなきにしもあらずだが)
全ての可能性を考慮すれば逆に身動きが取れなくなるのは計画を進めるうえでの大きな問題の一つだが、どんなに優れた計画も失敗するときは失敗するし、そもそも待つだけなら死は避けようのない運命だ。
賭けるならなるべく成功率の高いものに賭けるべきだが、どうにもならないことがあるなら時には博打も必要だろう。
未だ考えが纏まったとは言い難いが、残された時間もまた限られている。
それにどのみちやることは決まっているのだと、迷いながらも俺は脱走計画を次の段階へと進めること決断した。