第一話 "死"と"運命"のモノローグ
この世に生を受けてから20年と少し。20万時間にも満たないわずかな時間の中で気づけたことはどうやら自分には何の才能もないということだった。
何かたった一つでもできることがあれば違っただろう。
たとえば、指先から一滴の水でも生み出すことが出来ればよかったのだ。それくらいであれば、俺は無能の一言で片づけられていたことだろう。
しかし、そうはならなかった。無能と呼ばれる人々でさえ使い物にならないとはいえ、何かしらの"力"を有しているというのに、俺には何の"力"も目覚めなかった。
普通なら誰しも20歳までの間に何かしらの"力"に目覚めるものだ。
それがどんなクズみたいな"力"に過ぎずとも、それさえあれば少なくとも冷たい目で見られようとも生きていくことはできる。
そんな無能にすら生まれることが出来なかった"凡人"の運命は残酷だ。
22歳を超えてなんの"力"にも目覚めることが出来なかった人は"凡人"と呼ばれている。
"凡人"は1つの例外もなく、"凡人"と認定された時点で収容所へと送られる。
そして23歳を超えた時点で廃棄処分、つまりは処刑されてしまう。
たとえ逃れようとしても必ず捉えられて殺される。それが社会の常識だった。
"凡人"はあくまでも"凡人"であって、人ではないのだ。
20歳を超えて"力"に目覚める人間は稀だ。ゆえに、20歳を超えて"力"を持たなかった人間は殆どが廃棄される運命にある。
また、廃棄ギリギリで"力"に目覚めたとしても、それまでに受けた苦痛が理由で大抵の人がテロリストになる。
最悪なことに、20歳を超えて"力"に目覚めた人間の持つ"力"は強力なものになる場合が多いため、テロリストたちは社会でも無視することが出来ない存在となってしまう。
そうした背景があるため、20歳を超えて"力"に目覚めることが出来なかった人はもはや人という扱いを受けることが出来ない。それはたとえ能力が目覚めたとしても変わらない。彼らはいつ爆発するのかも分からない危険物として扱われてしまうからだ。
俺もそうした人間以下の"凡人"の一人だった。
"力"を得るためにあらゆることを試してきたが、結局すべて無駄な努力に過ぎなかった。
いっそその運命を受け入れることができれば楽だったかもしれない。
しかし、"凡人"に生まれてきた自分が悪いのだと納得することが出来ただろうか。
"凡人"に生まれてしまったからと、たったそれだけのことで、それによって起こる理不尽な死を享受しなければならないことを仕方のないこととして受け止めることができるだろうか。
考えずともわかる話だ。そんなことは絶対にありえない。
だからこそ、"凡人"にならなかった元"凡人"はこの世界に復讐を望むし、俺はただ生きていたいという当たり前の欲求を捨てることはないのである。
どこまでも心は自由だった。しかし、世界はそれを認めない。
俺は社会に定められたルールに基づいて、明日には凡人収容所送りにされる。
"凡人"如きがそこから逃れることはできない。
"力"持つ者は何の"力"も持たない凡人の抵抗など意にも介さずに収容所に送り、閉じ込めることなど容易であるからだ。
"力"に目覚めない限り、それは天地がひっくり返ろうが覆らない決定事項であると言えた。
しかし不思議と俺は冷静だった。ずっと昔から今日という最悪の日が訪れるということを知っていたかのように、この状況に動じていなかった。
泣こうが喚こうが仕方がないという抵抗だろうかと、胸の内に問いかけてみるが、どうやらそうではないような気がした。
言い換えればそれは安心感だった。俺は心の内ではっきりと自分は必ず助かると確信していた。
どこにもそのような根拠はないというのに。
ああしかし、1日とは短いものだな。
己の運命に想い馳せるうちに日は暮れ、夜は更けり、朝日はあっという間に昇ってしまうのだから。
気が付けば待ってくれという暇もなく、俺は収容所へとたどり着いてしまっていた。