入隊とクーゲルシュライバー
馬車に揺られる事5分、町の外に出たと思ったら馬車が不意に止まった。何だろう?鹿でも街道を横断しているんだろうか?或いは狼か……。
そんな事を考えていると、エンジン音が近付いてきた。内燃機関の車両のようだ。
「何だ?」
ホンザは席を立って幌を捲り、外を見る。外から帝国の言語で会話している声が聞こえて来た。
「“やっと来たか、待ちくたびれたぜ”」
「“馬が遅いのなんのって”」
御者は帝国兵だったか……当然と言えば当然か……。
「“道も悪い”」
「“そうそう、さっさと舗装してやりたいよ。じゃあ、任せたぜ”」
「“ああ、ご苦労さん”」
ホンザは外の様子に噛り付く。
「おい、見てみろよ。何だあれ?別の馬車に繋いでるのか??」
蹄の音が遠ざかり、エンジン音が高鳴ると幌馬車は再び動き始めた。当然、さっきまで馬に引かれていた時より格段に速い。
「何だ?!この馬車すっごく速いぞ!?」
「座ってなよ」
速いと言っても目測で40~50km/h程度だろう。
──
そんなスピードで2時間程揺られ、昼には王都に着いた。馬なら休憩を挟んで到着は午後、下手したら日暮れになっていただろう……とはいえ、流石に粗雑な木製の椅子に座りっぱなしなのは尻が痛い。
「思ったより早く着いたな。帝国の馬車スゲー速ぇ……」
ホンザが感心したように呟くと、馬車に帝国兵が声をかけて来た。
「“降車!”降りるんだ!」
立ち上がって体を伸ばしていると急かしてくるので、急いで鞄を背負って馬車から降りると、他の馬車から降りて来た連中と一緒に整列させられた。
「“全員気を付け!”その場で立ったまま動くな!そこ、列から逸れてる!」
列を作って直立し、視線だけで周囲を見回すと、敷地にはプレハブ小屋が整然と並び、馬車が止まっている方には、馬車の他に大小トラックやクレーン車、ショベルカー、トラクター等の重機が並んでいる。
「徴兵の呼び掛けに応じてくれた諸君には感謝する。動機はなんであれ、我が軍は歓迎する。だが、健康状態に問題ある者を置いておく程の余裕は無い」
話をしている兵士とは別の兵士が、列に並んでいる俺達に書類を配って来る。そうか、健康診断に落ちれば兵役に就かなくて済むかも……!
「よって、まずは今配っている書類を手に健康診断を受けるのだ。ついて来い」
歩きながら駐屯地内の帝国兵を見ると、駐屯地内という事もあるだろうが武装している兵士は少なく、武装していても昨夜に家に現れた部隊とは異なって明らかに軽装で、安価に造りの短機関銃や手動連発式の小銃や散弾銃を背負っており、そこに光学照準器等は一切装備されていない。
「あの“プレハブ”の列に続け!」
「ぷれは……?」
案内の帝国兵がプレハブを訳さずにそのまま喋ったので、先頭の奴は何を言われているのか解らなかったらしい。帝国兵は先頭の奴の耳元で列に続くように大声で繰り返した。
「すんません……!」
列に並んでいる間に渡された書類を見ると、帝国の言語で身長・体重・体脂肪率・視力・聴覚等の項目が書かれている。健康診断の記録用紙のようだ。
──
しばらく経ってプレハブの中に入り、身長測定器の脇のテーブルには透明なペン軸のボールポイントペンが置かれており、そこで記録用紙にまず自分の名前を書かされた。
他の奴は透明な樹脂製のペン軸が物珍しいようで、それを見て早く身長測定をするように急かされている奴も多い。この国では羽ペンとか付けペンを使ってるからな。
記録用紙にサインを終えると番号の書かれたカードを渡される。
「終わったら隣の小屋だ。そこ出て左のな」
残念ながら健康診断は無事に終わってしまい、隣のプレハブへと移ると何やら騒がしい。
「ちょ、何す……痛い!」
そこはパーテーションで仕切られており、順番が来てパーテーションの向こうを覗くと、3人の兵士が居り、内1人は赤十字の腕章をしていて、注射器を持っている事から軍医か衛生兵であると推察できた。
何の注射だろう?……と、疑問に思っていると、1人が目隠しして俺の視界を塞いだ後に肩を押さえ、もう1人がズボンを下ろし、その間に臀部に注射された。そんなに痛くないし、すぐに済んだ。
「はい、これで病気知らずですよ」
どうやら予防注射だったらしい。
健康診断と予防注射の終わりに軽い面接みたいなのがあった。どうやら、質問内容からして精神的に問題が無いか調べるもののようだ。
面接も終えるとカードと引き換えに、IDタグに迷彩の戦闘服と下着と長靴、ゴーグル付きのヘルメット、耳栓、そしてサスペンダーにベルトが配られた。
服自体は丈夫そうな生地なだけで普通にポケットが目立つだけの上着とズボンという感じ。肩にはストラップが付いていて右胸の上に鷲章と、やっぱり昔のドイツ軍みたいなデザイン……。
だがフィールドグリーン基調の迷彩模様は昔の親衛隊のものより遥かにパターンが細かく、離れて見ても近くで見ても形がよく解らないグラデーションのようで実像がぼやけるので、迷彩が施されていないポケットやストラップのボタンや襟章、鷲章が浮いているように見える。
「何だこれは?!これが制服だと!?」
何やら後ろでデカい声が聞こえる。
「こんなみすぼらしい制服の軍隊に我が王国は負けたというのか!?」
「“五月蠅い、さっさと向こうで――”……早く着替えろ!」
セコ王国の軍服は礼服兼用であり、金色や銀色の刺繍が施された肩章や飾緒で飾られ、生地自体も所属に依るが赤や青緑等で染められていて派手だ。ボタンも目立つ。
「ブラベツ卿、その辺で……」
声を上げた若い男を知り合いがなだめている様子。卿……って呼ばれてるんだから貴族様ですか。目の前で同じ制服を着ている事務官に失礼だろう。
宿舎のプレハブはまだ用意出来ていないのか、体育館のような大型テントの中に鉄パイプの簡素なベッドが50台程並んでいる。
各自、与えられたベッドに荷物を広げて戦闘服に着替える。服はリップストップ生地で薄く軽いが、かなり頑丈そうだ。下着とシャツも今まで着てきた奴よりずっと着心地が良い。多分化学繊維のストレッチ素材か何かだろう。
「シャツの方は中々の着心地ではないか。俺のシルクには劣るが……」
金髪で釣り目の若者が着ているシャツの袖を引っ張りながら感心したように言っている。あの声はさっきのブラベツとか言う奴だな。シルク着てたんだぜっていう自慢かよ!等と思っていると兵士がやって来て、着て来た服も含めてほとんどの所持品が回収されてしまった。荷造りした意味無ぇ……。ブラベツって奴も文句を言っているが、当然取り付く島もない。
「次は体力テスト……の前に昼飯だな!13:30までに昼食を済ませて、2階建ての本部の裏手に集合しろ!トイレは……」
13:30って、時間が細か過ぎる……こっちの人間は大抵が3時間単位で聞こえてくる教会の鐘を元に動いてるんだぞ?まぁ、俺は時計の読み方解るから困らないけど。
「13:30ってのは、時計の短い針が1と2の間、長い針が真下を向いた時だぞ!」
一応ちゃんと説明してくれた。
食堂も大きなテントになっており、良い香りが漂ってきて、スピーカーからジャズもかかっている。
「何だこの音楽?聴いた事が無いな……」
「??……楽隊の姿は見えんが……まさかこの箱から??」
「“触るな”」
スピーカーに注目して注意されている連中を尻目に列に並ぶと、厨房の脇では猪がまるごとロティサリーにされていた。
プラスチックのプレートを手に厨房の前に行くと、ビュッフェスタイルでスープ、フレンチフライとオムレツ、ソーセージ、猪肉のステーキ、パン、グラノーラ、水、珈琲、牛乳等が並んでいた。
「“こら!肉ばかり持っていくんじゃない!”1つだけだ!これは皆で分ける!」
厨房の奴に怒られているのはホンザだ。小作人とはいえ農家だろ、野菜もきちんと食えよ……等と思いながら、俺もスープの根菜を退かして皿によそっているのだが。
食事は……普通だった。薄味で物足りず、腹八分で終わらせた。
「ハッ、所詮食事もこんなものか……」
「ブラベツ卿!」
また彼奴か、っていうか隣の黒髪のイケメン面倒見いいな。俺が知り合いだったら他人のふりしてるぞ。
「“軍曹、臣民の血税で猪狩りか?”」
別のテーブルでは、下士官が自動小銃を背負った兵士に話し掛けていた。
「“大尉もどうぞ、喰わないとそれこそ勿体無いですよ”」
「“勿論頂こう。だが、基地内では安全装置を掛けておけ軍曹。貴様、特殊部隊入りして弛んどるぞ”」
「“こいつは撃鉄が起きてないと安全装置が掛けられません。いくら大尉がデスクワークばかりでも、それ位は知ってて下さいよ”」
13:30──集合場所に集まると体力テストの開始だ。20mシャトルランをしつこい程やらされたと思ったら、続けて駐屯地内を回る障害物付きの持久走。走り続けていると内臓が踊り、昼食時に食い意地張ってた奴から吐きまくっている。
障害物は3m程のネットによじ登って反対側へと降りたり、整列している馬車の下を匍匐前進させられたり、工兵の建材運びを手伝わされたりといった具合。
テスト結果を一応言うと、ブラベツとか言う奴の友人(?)が1番で涼しい顔してやり遂げたらしい。ホンザは2番手で結構食ってたはずなのに吐かずに終えたそうだ。3番手はあのブラベツとか言う貴族だったらしいが、大分無理をしていたみたいで、俺がその他大勢と共にゴールした時には青い顔して倒れており、衛生兵が傍に付いていた。
体力テストを終えると日は傾いていてシャワーを浴び、夕食を摂ってその日は終わった。ちなみに夕食にはデザートにチョコレートケーキが出て、これが凄く旨かった。