序
3年以上前から放置してた分を投下しただけです。
続きの予定は今のところありません。
「……クソっ」
今日悪態をついたのはこれで5度目だろうか。
明日までに仕上げなければならない仕事なのだが一向に筆が乗らない。
一旦机から離れ、ベランダへ移動する。
ベランダは2畳ほどの大きさで、簡素な椅子が置いてあるばかりだ。
椅子に腰をかけタバコを取り出し、火をつける。
…この動作も多分5度目位だろう。
俺が今取り掛かっているのはある料理店のレビューだ。
その料理店は中国人がオーナーなのだが、いかんせんインパクトがない。
例えば、強面ならば[頑固親父が作る]なんて文句をつけることも出来るのだがむしろ優男と言った方がしっくりくる。
50mも歩けば店があるようなこの街では、中華料理屋も珍しくなくアピールポイントが少ないのだ。
口腔内に溜まった煙を吐き出し、
「少しは書くこっちの気分になってくれよ…」
なんてぼやいて見せても勝手に文が書かれることは無い。
しばらく考え込んでから、
「仕方ねぇ、あの手使うか……」
決心がついた。
あの手、というのは所謂テンプレという奴で言葉を当てはめるだけで文が出来上がるとても便利なシロモノだ。
幸い、今回依頼を引き受けた企業は初めてだし万に一つでもバレることは無いだろう。
俺は灰が零れそうになっている灰皿を見つめ、暫くしてから椅子から立ち上がった。
吸殻からはもう、煙は出ていなかった。
pipipipi……
「あー、ハイハイ起きますよ……」
pipipipipipipipi…
「起きるから……」
ムクリ。寝ぼけ眼で麗しの時計を探す。
多分寝てる間にどこかへ落ちているはずだ。
俺は寝相が悪いから。
「無いな……」
ベッドの上から見える範囲には時計は見つからない。
もう目は冴えてしまっている。
だというのに時計は職務を全うすべく律儀に音を発し続けている。
pipipipipipipipipipipipipipipipi…
「まさか目の前にあるとは」
今日は何故か運が良かったのか目覚まし時計はベッドから落ちていなかった。
こういう日は決まって何かいいことが起こるのだ。
歯を磨き、風呂へ入り、服を着替える。
鼻歌交じりで。
今日は人気アーティスト[gold]の“Start”だ。
最初の頃にダサい名前だと思っていたが曲を聴いてみるとなかなかどうしてクセになる曲だと感じた。
人気、という言葉の重みを実感する。
「フフンフーン」
そのままのテンションでリビングへ行き、テレビをつける。
朝はどの局もニュースをやっている。
恒例行事みたいなものだ。
果たしてこの二、三時間の中に俺に必要な情報があるのか。考えるだけ野暮だろう。
その中の一時間程度は流行りのアクセサリーや有名人へのインタビューが殆どだ。
このご時世、ただの報道だけじゃ生き残れないんだろう。
多様化は大事だ、さもなければ生存競争には勝てない。
『どうも初めまして、作家の三ッ山豪司です。』
当番組独占取材、声だけの出演快諾!と銘打たれ始まったのは時を駆ける男の話だった。
作家、三ッ山豪司。
突如現れた鬼才。
日本のミステリを変えた男。現代のシャーロック・ホームズ。
インターネットで調べるとこの単語がよく出現する。
いや、前者二つはまだ理解出来るんだが三つ目は色々とおかしいと思うのだが。
四月に出版された“殺戮の桜”でデビューし、時の人にまで駆け上がった人間。25という若さでこの功績を打ち立てたのには目を見張るものがある。
「頑張りゃあ、俺もああなれたんだろうか」
答えは何処にも無い。
俺は作家だ。但し、前に“売れない“が付く。
2年前に出した本は5000冊程しか売れず、世間には見向きもされなかった。
今も偶に本を出してはいるが、売上は芳しくない。
売れないことが分かっている以上、なかなか筆も進まず話をまとめられない。
最近は趣味程度にインターネット上で活動している。
出雲 航、それが俺のペンネームだ。
まぁ、知ってる奴がどれくらいいるかはお察しの通りだが。良い言い方をするなら“知る人ぞ知る”ってところか。
prrrrr……。
携帯が鳴った。発信元を確認してから通話を開始する。
「もしもし、出雲です。」
『おはようございます、鷹木ですが先日依頼したレビューの方の確認をさせて頂きたく……』
「ああ、出来てますよ。データの受け渡しは……」
問題なくデータの受け渡しも終了し、一息つく。
点けっぱなしになっていたテレビに目を向けると既に次のコーナーへと移っているようだった。
部屋の隅にあるパソコンへと向かう。
朝のニュースというものは断片的な情報ばかりなのでこういう時にはネットで調べた方が早い。
無論、真偽の程は要確認と言ったところだが。
俺の生活は殆ど貯金で出来ている。
一流とはいかないがそこそこの大学に入学し、そこそこの会社に入社した。
3年間必死に働き、以前からの夢だった文門の戸を叩いた。
あれから2年経つが、今のところは生きていける。
簡単な物書きや軽い肉体労働をすれば収入を得ることが出来る。
どうしても浮かばない場合は体を動かした方が良い時もあるので、稼ぎが出るのは非常に丁度いい。
今日は特に何も無い、1日中文のことを考えていられる。
────
気付けば昼になっていた。
昔から一つの事に夢中になるせいでこういう事に気付くのが遅くなる。
昼だと知覚した瞬間に空腹を訴えかけられる。
「何か食えるもの……」
しまった、何も無い。
少し面倒だが、買いに行くしかないだろう。
黒のジャケットに白のトップ、灰のデニム。
かなり簡素だが少なくとも誰かに引かれるような組み合わせではないだろう。
財布を持って家を出る。
外は猛暑……とまではいかないが、インドア派の人間には陽射しそのものが厳しく感じる。
こんなことなら何かストックしておくべきだったと後悔するのも何回か繰り返している。
学習能力が低すぎるのではないか。
少なくとも次からは気をつけよう。
こう思うのは何度目だろう。
目的のものを買い、家路につく。
「今何時だっけ」
確認するためにポケットからスマホを取り出す。
電源ボタンを一度押し、ディスプレイに表示された数字を読み取る。
13:49。昼にしては遅いが男の一人暮らし、問題は無いだろう。
スマホをしまい、視線を前に向けると目の前には黒い物体が。
気付いたときには遅かった。
ごっ。頭がぶつかり、鈍い音が響く。
「すいません、大丈夫ですか」
頭に走った痛みを耐え、相手を見る。
17くらいだろうか、端正な顔立ちの女性だった。
黒のロングヘアーに黒のワンピース。
夜道であったら間違いなく叫んでいただろう。
「はい、大丈夫です。私もよそ見をしてましたから……」
その女性が落としたであろう本を拾い上げる。
ふと表紙に目を向けると“出雲 航”。俺のPNだ。
平静を装い、本を手渡す。
「この人、好きなの?」
存外他人からの評価は気になるものでつい聞いてしまった。