第30話 Dark(7)
アルスティアの某所、その山中。
そこにはかつてスカアハ教団の施設があり、多くの人間が住み、修行していた。
かつてといっても数時間前だが。
今や団員は壮絶な戦いに恐れをなして逃げ出し、残された施設は瓦礫と化していた。
だがまだ、たった1人だけ団員がそこにいた。
「うああああっ…ありえない、ありえない!!
こんな事、アッサル様が、負けるなんてっ…」
少年、レオナルドは、受け入れがたい現実と直面して錯乱していた。
彼は今まで迷う事はあれど、常に結論が決まった生き方をしてきた。
その精神的支柱が教団長のアッサルだった。
彼にとっては壁にすら見えないほど巨大で、超える事など想像だに出来なかった。
それほど偉大な戦士であるハズのアッサルが。
今は上半身だけになり、地面に横たわっていた。
「起きてくださいよ…負けるはずないでしょう、あなたが!」
答えはない。あるハズがない。
「いや、負けたよ」
…ないのに。
「へ?」
「いやぁ、あんな生き物がこの世にいたとはな!
付け入る隙はあったが、届かなかった!」
身体を半分失っている人間が、それを意に介さずベラベラと喋っている。
「あ…え?ア、アッサル様?」
「おお、お前も生きていたか。
見ての通り、負けてしまった!やはり分身では限界があるな!」
影を操り本人そっくりの姿に変える、極めて古典的な闇魔法である。
「ぶ、分身!?
…そ、そうか!そうですよね!!」
「うむ、そうだ。そもそも普段は分身だけで仕事をしているからな。
それにしても実力の7割は出せるような精密な分身だったのだが」
7割。本気であるとは言えるだろうが、全力には程遠い数値である。
「そう、そうですよ!全力だったらアッサル様が負けるハズないんだ!」
「うむうむ。…しかし、ま。アレだな。
こうなってしまっては、教団はおしまいだな」
「そ、そうですね。
でも、それならそれで…修行したくない奴らを無理に鍛えさせる事もないですし。
あっいえ!今までの教団が良くない、という訳ではなくてですね…」
レオナルドは精神の均衡を取り戻した反動か、多弁になっていた。
「はは、許す。貴様の言う事だからな」
「えっ…あ、ありがとうございます。恐縮です。
……あの」
「どうした?」
「やはり納得いかないのです。
将来性と言われても…俺には幹部の皆さんのように強くなれる自身が無い。
どうして目を掛けてくださるのか、分かりません…」
「ほう?私の判断に間違いがあると?」
団長の声が、穏やかだが威圧的なものに変わる。
レオナルドは思わず俯くが、言葉は止めない。
「う…後ろめたいのです。
弱いくせに、こんなに特別扱いしていただいて…その恩義に報いる事もできず!
他の団員にも、あなたにも顔向けできません…」
「ふ、律儀な奴よ。
確かに、貴様を特別扱いするのには理由がある…が、今はまだ言えぬ。
どうか許せよ」
「い、いえ!許すとかそんな…!」
「代わりと言ってはなんだが、お前にはとっておきの秘密を明かそう。
私の秘密…『真の姿』をな」
「はいっ?」
団長のその言葉に虚を突かれ、思わず素で反応してしまう。
「言っただろう。この姿は分身だと」
「え…でも、分身というからには、自分の姿を増やすのでは…?
他人の姿を、違和感無いレベルで精密に再現するのは難しいと習いました」
「貴様の言う通り、他人の姿を分身として形作るのは容易ではない。
だが私は天才だし、この姿なら見飽きている。
真似るのは簡単だったよ」
そう口にする団長の姿はどう見ても生身にしか見えず、そのあまりに緻密な再現力をどう実現しているのか、想像しただけで気が遠くなった。
「ふ、ふふふ…驚いているな、無理もない。
では今から、本物の私がここに来る。待っていろ」
「はへ…は、はい!」
すると団長の身体はドロドロに溶け、影となって薄れていった。
「し、真の姿って…!」
そわそわしながら待つレオナルドの耳に、瓦礫を掻き分ける音が届いた。
「そ、そちらにおられるのですか!?
今お迎えいたします!」
かつて宿舎があった場所は、屋根すら形を残さず崩れ去っている。
その中で、ゴンゴンとくぐもった金属音が響いていた。
「これは…地下室の扉!?」
木製の床板に、四角い金属の扉がはめ込まれている。
「床下にこんなものが…うわっ!?」
その分厚い扉を蹴り上げて、その者は現れた。
「ふー、上に瓦礫が乗ってたのか。無駄に重かったわ。
…しっかし、団員どもめ!マジで全員逃げてんじゃん!」
「へ?……いや、え?」
寝間着姿の少女が、ブツブツと文句を垂れながら埃を払っている。
黒い短髪の、どちらかと言えばアスリート然とした活発な少女。
「なんだよ~待ってろって言ったじゃん、せっかちさんだなぁ!
まぁいいか!よろしく、ジェシカだよ!」
「ジェシカ、さん?えっと、誰…」
「誰って!いや、教団長ですけど!?」
「おんな、のこ…」
「あ、そっから?
あははっ!そっかそっか、そうだよね!」
少女は屈託なく、快活に笑う。
「私はジェシカ・アーネット!年齢は17歳!
仕事はスカアハ教団を統べる長…をやってたんだけど潰れちゃった!」
「じゅうなな、って…いや、それじゃ計算が合わない。
だって、俺が生まれる前からアッサル様は…」
「アッサル団長は私のお父さんだよ。
こっそり殺して、分身と入れ替わったの!」
「……」
言葉が出てこない。
「レオが物心ついてからの団長は、ほとんど私だよ。
レオは15?くらいだよね?
私がお父さん殺したのが5歳だし…」
「5歳、で…教団長を、お父上を殺した、んですか…!?」
「まぁうん。いやほら、弱かったし。
ホントの事を言うとね?あの分身も、お父さんの影を取り込む事で再現したの」
他者の姿をコピーする手段の中でも、最も手っ取り早いのは、相手の影を奪う事である。
究極にして至難のその技こそ、影の五大奥義の一つ『喰映』。
存在の全てを剥奪する外道の術。
「…っていうかレオ、敬語やめてよ!せっかく気さくな感じで話し掛けてるんだからさ!」
ジェシカは馴れ馴れしくレオナルドの肩を抱き寄せた。
「これから私の団員はキミ1人なんだよ?
もっと心の距離感近づけていこうよ!
あっ、ていうか私の部屋見る?ゲームとかあるよ!」
「ゲームって…ここに電気は通ってないはず…」
「そりゃ私の部屋以外は通してないよ。
どうでもいいし、他の連中とか」
ここでレオナルドは確信した。
(この身勝手さは、間違いなく本物の団長だ!)
そして跪く。
「たった1人になろうとも、俺はあなたの部下です。
まだ言葉使いは変えられません。
…あなたと対等の実力を得るまでは」
「えっ?ちょ、ちょっとぉ!
それじゃ永遠に距離縮まらないじゃん!」
「…いいえ、いいえ!
必ず貴方に追いついてみせます!」
何の根拠もない、ただ覚悟だけを秘めた宣言だ。
普段の団長としては、『くだらない』と切り捨てる所だが―
「よしよし、認めてあげよう」
やはり特別扱いだ。
「…では、こちらも喋り方は戻すべきか。
素の私を見せてやるのは、貴様が私に並んだその時としておこう」
ジェシカはこれを許した。レオナルドは特別扱いだからだ。
「では、行くか」
影を変形させて寝間着の上からローブを羽織る。
「は、はい。どちらに…?」
「まぁ教団の再建は不可能そうだし、しばらくはブラブラするが…
とりあえずは、あの女を殺すとしよう。
奴の影の匂いは覚えた、もうしばらくしたら後を追うぞ」
「え…しかし、それならなぜ分身に戦いを任せたのですか?
あなたならば、自ら出撃なされれば普通に倒せたはずです。
ええと…ジェシカ、様?」
「それはさすがに『さん』でいい。私の名前には大仰すぎる。
そして、忘れておらぬか?スカアハ教団は暗殺者の教団ぞ?」
「あ…」
ジェシカは大きく伸びをして、目を閉じた。
「本来私にとっては、戦いなど標的の情報を得るための一手段にすぎない。
小手調べの戦いであっさり殺せてしまう標的が多い中、あの女は実に良い。
久々に私自ら暗殺したい標的だよ!」
フォーマルな服装の女性が、頭に生えている角を弄りながら話している。
「どうなの、最近は。仕事で困ってることとか無い?」
問われた方は、半開きの口から牙を覗かせつつ答えた。
「や~ないですねぇ。最近は周りも見られるようになりましたしぃ」
魔族と獣人の女が、己の仕事について話し合っているようだ。
「あ、でもぉ、一つあったかも~」
「何かしら?生徒のこと?」
女たちは、教師だった。
「私のクラスに転校生が来たんですけどぉ、どうすればいいですかぁ?」
「ああ、あの子たちね。転校生なんて珍しくもないでしょ、この学校じゃ。
貴女もコレを期に慣れなさい。特別難しい事をする訳じゃないんだから」
「そうなんですかぁ、じゃあいっか~」
「ええ、他の生徒たちと変わらず接すればいいの。
後はクラスに馴染めるように…あっ!アニマ先生」
魔族の方の女教師が、通りかかった同僚を呼び止めた。
これもまた女教師。
「あ?…なに?」
教育者らしからぬ粗暴な口調だが、姿は2人の教師と比べれば特徴がない部類だ。
ただ髪が白く目が赤い、険がある顔立ちの美女。
「もう、まだそんな口の利き方を…まぁいいです。
リル先生、こちらはカウンセラーのアニマ先生です」
「あ~、たまに見かける方ですよねぇ。
カウンセラーの人だったんですかぁ」
「そ、そうだよ。何?何の用?」
カウンセラーだというその女は、そわそわと落ち着かない様子。
「いえ、教師にもアドバイスはしていただけるの?
彼女は新人で、初めて転校生を受け持つらしいのだけど」
「そうなんですぅ、グラディウスくんとスクートゥムさんという兄妹なんです~。
ちょうどアニマ先生にも似た感じの子ですしぃ、なんかアドバイスとかぁ」
「…オレその子たちと会った事ねぇし。無理かな。
あと、オレよりもっといいカウンセラーがいっぱいいるんで、そっちに聞いてもらっていい?」
「そんな事は無いでしょう、学園長直々に採用されたらしいじゃないですか」
「いやいや、オレが有能ならあんな遠い校舎の、誰も来ないような部屋与えられてないでしょ。
オレなんてその程度なんだから、アテにしないでもらっていいすか。
じゃ、この辺で」
アニマはそそくさとその場を去った。
「ホーラス先生~?ご本人ああ言ってましたけどぉ」
「謙虚…と言うべきなのかしら。
実際には生徒にも好かれてるみたいだし、あんな誰も来なさそうな相談室なのに結構人の出入りが激しいと聞くわよ」
「へぇ~、生徒と仲良くなる方法、知りたかったなぁ」
話題の当人はと言えば、自他共に認めるところの『誰も来なさそうな相談室』へと戻っていた。
彼女は、つまるところ我らが主人公アニマである。
生徒会による総意として、『一応教師扱いなのだから仕事をしろ』と言われたアニマは、学園に帰ってきて早々にカウンセラーの身分と部屋を与えられた。
住む家もない彼女にはちょうど良かったが、厄介事も多い。
「クソ…人の多い校舎に行くとこれだから…」
辟易した嘆声を漏らしながら扉を開ける。
「お待ちしていましたよ、先生」
「どうも」
彼女とよく似た白髪赤目の兄妹が座っていた。
アニマは白々しいほど余所行きの声で窘める。
「君たち、先生の部屋は溜まり場じゃありませんよ。
中等部の教室に戻りなさい?」
「何や、つれへんのう。会ったばかりの仲間やないか」
少年の口調と表情がガラッと変わる。
「仕事でこの学園に来たんだろ、さっさと殺れよ。
あの暗殺カルトの教祖野郎、マジでここにいんのか?」
「神さんはそう言うとるで。神さんが嘘ついとらん限りは…」
「だったら早く片付けろ。
こんな所で暇潰してねーでな」
アニマは、居住スペースとして使っている隣の準備室に引っ込んでいった。
「偉そうなやっちゃのー。
ま、それもしゃあないか。取り逃がしたんはワシらの落ち度や」
「しかし、いかつい目つきしとりますね。あのアマ。
俺らの前にコロシの仕事やっとっただけはありますなぁ」
「呑気に言うとる場合か。
こんな広い島で、あんな男1人見つけんのは骨が折れんで」
「しかも影に隠れられる訳っすからね。
神様も不親切っすよ、この島んどこにおるかまでハッキリ言うてくれればええのに」
「神さんかて全能やないっちゅう事や。
しゃあけど、何も手掛かりないんはさすがにキツイわな~。
何ぞ変わった事でもないんか?」
「さぁ…隣のクラスにも転校生が来た、ってのは兄さんも知ってはるでしょ?」
「おう、ジェシカちゃんとか言うたかな。
気立ての良さそうな子やけど、さすがに関係はないわな」
彼らはまだ知らない。
既に死闘の舞台が、この島に移っている事を。
〈おわり〉
どうしようもない名鑑No.157【ジェシカ・アーネット】
スカアハ教団の長アッサルの娘。
本物のアッサルが教団と関わりのない一般人と秘密裡に結婚して
作った子供。
普通の生活を送ってほしいという願いから『ジェシカ』という
ありふれた名前を付けられた。
アッサルは教団を解散するつもりだったが、ジェシカ本人に
よって殺され、成り代わられた。
ジェシカの精神は生まれた時から常軌を逸している。
他人は全て弱者であり、弱者の気持ちに全く共感できない。
彼女にとって殺人とは趣味であり、父が受けなかったような
非道な依頼も積極的に受けるようになった。
こうして、歴代でもっとも悪質な教団は完成した。