第17話 Ninja(下)
アイスクライマーたのちい
泳ぐ、泳ぐ。
「べはっ、はぁ、あぁ」
冷たいのと痛いので、もう手足の感覚が無い。
泳ぎ方を知らないので、自然と本能に従った泳ぎ方になる。
しかしこれがすこぶる速かった。
(さっき見えた…オレたち以外の船!
船だよなアレ?よく見えねえけど…!)
クルーザーに、脅威的な速度で接近するアニマ。
対する敵も、異変には気づいていた。
「なあ、ちょっと見てみろ。
何であいつこっち来てんの?」
「む…やっと片付けたか」
待機する2人からは、水上を走る仲間の姿しか見えない。
これが結果的に、水中より近づいて船に上がってくるアニマから注意を逸らした。
(追ってきてる!はやく上がらないと…あれ、誰かいる?)
アニマは敵の人数も知らない。
だから胡坐をかいて座っている2人の背中を見た時、ギョッとした。
(げっ、他にもいるの!?
…ってことは、船を止めたり皆を眠らせたりしたのは、こいつらか!)
アニマは最初、船を奪って逃げようとしていた。
だが他にも仲間がいるとなると、作戦は変更せざるを得まい。
(とりあえず眠らせる方を何とかしないと…)
アニマたちのボートに両手を向けて、何かしている男。
奇妙な杖を持っている僧侶姿の男。
どちらが眠りの術者か…
(…前者かな!)
一目見てそう思うのも無理はない。
(どうやって近づいたら…相手は仮にも忍者だし。
それにモタモタしてたら、水面歩く人に追いつかれちゃう。
…よし、3秒以内に決めるぞ!)
そう考えてから2秒、アニマはボーっとしていた。
残りの1秒で我に返り、しめて3秒経過した。
(あっあっ、あー…突撃ッ!!)
優柔不断な彼女にとって、制限時間を設ける判断法はむしろ悪手であった。
進退窮まったこの状況では、他に道など無かったかもしれないが…。
(やる!絶対にやる!どうにかやっつけて2人を起こす!)
背後から飛びかかる!
「ッ!?こやつ…」
僧侶が即座に反応し、杖を庇うように立ち上がる。
眠りの魔法を解きに来たと思ったのだ。
「死ねッ!」
しかしアニマはその脇をすり抜け、もう1人に襲い掛かった。
完全に無防備、がら空きの背中!
「ん?私の方かね?
困るなぁ、見ての通り船を止めている所なのだが…」
(やばっ、間違えた!でもまあ、このままいっちゃえっ!)
自暴自棄になりつつ、それでも猛然と挑みかかる。
「よろしい、お相手しよう」
しかし男は胡坐からしゃがみ姿勢に移行すると、前を向いたまま後ろに蹴りを放った。
「ぶぐげッ!」
アニマの下顎に命中し、鮮血と歯を飛び散らせた。
「あが、あが…」
脳内麻薬でごまかされていた痛みが、ついに限界を超える。
「うがああああっ!ひいっ、うううううう」
少し丈夫で力の強いだけの一般人に、耐えられる苦痛ではない。
「やはり記憶は戻っていないようだな。
後は適当に始末しておけ」
「ああ。…全く、驚かせてくれる」
僧侶は内心安堵しつつ、アニマを蹴り倒した。
「うぎょへ!?」
「…無様な」
そして安堵は失望に変わる。
(頭領が恐れていたのは、眠らせた2人の方らしい。
以前のこやつはどんな化け物だったか知らんが、今はただの女…。
しかもかなり愚かな部類のな)
徹頭徹尾勘違いと行き当たりばったりで行動していたから、そう思われても仕方があるまい。
「女!哀れな姿よな!
都市伝説にまでなった怪物の最期が、このザマか。そう思わんか?」
チラリと船尾の方を向いて問う。
スーツ姿の男が、水面から船に上がってきていた。
「ごちゃごちゃと何言ってんだ?
油断するな、そいつの膂力は実際相当のモンだぜ。
とっとと始末しな」
「この程度の女1人仕留められずに逃がした男が、よく言うなあ?
私が出た方がよかったのではないか?」
スーツの男が床を蹴る。
「るっせんだよボケ!いつまで船止めてんだ!
解除しろ、残りの連中もまとめて殺すぞ」
「分かっておるとも、そういきり立つなよ!」
手をかざすのをやめると魔法の効果が消え、アクセルが入りっぱなしだったボートが近づいてくる。
そして自分たちの船にぶつかる直前で、再び魔法で動きを止めた。
「見たまえ、眠らせてもアクセルが入っているのでおかしいと思ったら…。
自動操縦だったようだ!生意気にも最新型を使っているぞ!」
「どうでもいいんだよ!
そのボートのエンジン切りに行くから、魔法で止めたままにしとけよ」
スーツの男が船尾に回ろうとした時、それは起きた。
「…う、ああ」
倒れていたアニマが、僧侶の杖を握ったのだ。
「ん?この手はなんだ、見苦しいぞ」
それは半死人の最期の足掻きに見えたし、実際そうだった。
故に僧侶は、振りほどこうと軽く杖を引っ張った。そしてその抵抗の意外な強さに驚いた。
「…なるほど、腕力は侮れんということか。
もういい、こやつの腕ごと切り離してくれ」
「チッ、しぶといアマだぜ、全くよ」
スーツの男が背中から刀を取り出し、抜いて振りかざす。
その時、僧侶は奇妙な音を聞き取った。
何かが潰れる音。ミシミシと、メキメキと、硬いものが握りつぶされていく音を。
「…ッ!こいつ、杖を握り折るつもりか!?どういう握力だ、魔神の鍛えた金属だぞ!!
はやくこやつの腕を斬れ!はやく…」
「クソ!分かってんだよ!かってぇなコイツ…!」
アニマの手首が斬り落とされるのと、杖が折れるのは同時だった。
「あがああああっ!」
手首から血を噴出させ、絶叫するアニマ。だが生きている。
「まずい、眠りが覚めるぞ!そいつを殺せ!
起きる前に全員始末するぞ…」
僧侶がそう言い切るか言い切らぬうちに、ズンという衝撃がクルーザーを襲った。
「クソ、ボートが船尾にぶつかってきたのか!
何をしている、魔法で止めておけと言ったはず…」
「うむ、だが今はボートなど止めている場合ではないと思ってな」
「!!」
宙を舞うのは、アニマによく似た小柄な少女。
「お早いお目覚めだな!まずは目覚めの1杯はいかがかな!?」
推進力を奪う波動、投射!アニムスの動きを止める!
「…なるほど、まだあくびが出るけど…ふぁ…だいたい分かったかな」
「喰らいたまえッ!」
動けぬ相手に、手裏剣を投げつける。
「進めないだけなら、退がればいいのね」
後退しつつ躱す。
「そして、その波動の出方から察するに、正面にしか放てないもの…違う?」
「もう読み切るか、見事!だがね、奪うだけではないのだよ」
自らの身体に、波動を流し込む。
「奪った推進力を、別のものに与えることができる…私自身にも!
そして既に!我が魔法は君たちのボートから30分以上推進力を奪っている!」
疾風と共に男の姿が消える。
「行くぞォォォッ…何ッ!?」
高速で近づいてきた男を、アニムスの膝蹴りが迎え撃つ。
咄嗟にガードするも、受けた腕にヒビが入った。
「ぐ…!?」
「そんな速度でぶつかったら危ないわよ」
「な、なぜ私だけがダメージを…」
「適切な力と角度で入れれば、衝撃を流しつつダメージを与えられる…ただそれだけの技術よ」
アニムスは、既に刀を右手に持っている。
男は後ずさり、懐の手裏剣に触れた。
「ええと…奪った推進力を与えられるのよね、色々なものに?
それで、その懐の手裏剣を加速させるわけね」
「!!」
ゆっくりと懐から手を出し、降参のポーズをとる。
「あら?使わないの?色々見てみたいのに…」
目線を、目の前の男・スーツの男・僧侶姿の男の順で送り、最後に片手を斬られ下顎を砕かれたまま倒れ伏すアニマの姿を捉えた。
(今かッ!)
その隙に、男は再び懐に手を突っ込んで手裏剣を取り出す。
「色々見るのは中止」
手裏剣が、腕ごと地面に落ちた。
「がああっ!?」
「何してるのあなた達。その子に何をしたの?」
床を蹴るように歩み寄っていく。
その時突然、床の手裏剣が飛び上がってアニムスを狙った。
「邪魔」
刀で弾く。が、手裏剣は異常な鋭角で軌道を曲げると、再びアニムスに向かって飛んでいく。
「ふ、ふふふ…計算済みだとも、その行動はね…」
斬られた右腕を抑えながら倒れている男が、呻くように言った。
「複数方向に時間差をつけて推進力を与えておけば、宙を踊るように手裏剣を飛ばすことも出来る…そしてッ!」
横になったまま、大量の手裏剣をばらまく。
その全てが、アニムスを狙って襲い来る!
「だから邪魔よ」
刀を振り回して全て弾くが、弾かれた手裏剣はまた角度を変え、時には手裏剣同士がぶつかることで、何度でも標的に向かっていく。
まるで手裏剣自体が兵隊のように、連携して逃げ場を奪い仕留めるのだ!
「これぞ忍法、『徒党手裏剣』なりッ!」
アニムスが、僅かに首や腰を曲げて躱す。
「躱したか、まず見事!だがそれだけでは解決にはならんぞ!
…お前ら、手を出すなよ!」
「下手に手ぇだしたら死ぬっての、ここで大人しく見物しとくよ」
一度完成したこの技から抜け出すのは至難の業である。
「…分かったわ、付き合ってあげる。
ええと、なんだっけ?計算済みって言ったかしら?
私もそうよ。どの手裏剣を弾いたら止められるのか…」
無数の手裏剣をひらひらと躱しつつ、1枚だけ弾き飛ばした。
弾かれた手裏剣は別の手裏剣とぶつかり、それぞれ別の方向へ飛んでいく。
その飛んだ手裏剣が別の手裏剣の進路を塞ぎ…
「この通り、計算済みなの」
無力化された手裏剣たちが雨のように降り注ぐ。
「な、に…?」
「で、あなたはいつまで寝ているつもり?
それとも、溜め込んだ推進力も使い切っちゃった?」
ハッとし、立ち上がろうとするも、立てない。
「これはッ…!」
「実はこの刀、毒が塗ってあったりして…」
いたずらっぽく笑うと、刀身を眼窩に突き込んだ。
「がっ」
まず1人死亡。
「さて、と…」
残る2名を見る。処刑者の品定めである。
杖を失って魔法が使えぬ僧侶を庇うように、スーツの男が立ちはだかる。
「お前、強いんだな?」
「どうしたのかしら、少年漫画の主人公みたいなこと言って」
「いや…お前に勝つにはこうするしかないと思ってな」
「あら」
スーツの男は、倒れているアニマに刀を突き付けた。
「家族だな、情の薄そうなお前でも、こいつの事は気になるらしい」
「ええ。それが分かっているなら、自分のやっている事が自殺行為だというのも、分かっているのではなくて?」
「……」
「……」
アニムスの構えには、明らかに躊躇いがなかった。
俺が人質が殺すより早く動くつもりか、とスーツの男は受け取った。
「…いいぜ、来いよ。そんな事ができるのならな」
「そう、いいの?ならお言葉に甘えて…きゃッ!?」
突然アニムスは刀を振る。
金属音が響いて、手裏剣が落下した。
「せいッ!」
そこに隙を見出し、スーツの男がいつ納刀したものか神速の居合を繰り出してきた。
防御も回避も間に合わず、脇腹を少し斬られる。
「ッ…置き土産ってわけ…意外と律儀ね」
手裏剣の1つに、推進力が時間差で発生するように仕掛けられていたのだ。
「ああ。奴の足掻き、無駄にはせん。
こんな死に損ないなどいつでも殺せる。やはり危険なのはお前らしい」
スーツの男が掌をかざす。
アニムスは身を逸らすが、不可視の力に吹き飛ばされ、もんどりうった。
「あららっ!…衝撃波?」
「ちと違う、反発力だ。俺の掌とお前の間に発生させた。
この反発は、2つの物体の間に発生させられる。
靴の裏と水面、指と手裏剣、鞘と鍔…」
「さっきの素早い居合はそういうことね。
それで今度は、私を海に落とそうとしてるの?
自分の有利なフィールドに誘い込むために…」
「いや、今のはそうじゃない。単に距離を取りたかっただけだ。
俺とお前の間に、な」
アニムスは納得の表情を見せる。
「なるほどね!私とあなたの間に反発力を発生させるために!
そんな事をされたら、私はあなたに近づけなくなる…大ピンチね」
アニムスは懐に手を入れる。
それを見抜いたスーツの男が、背後の僧侶に向けて呟いた。
「お前は逃げろ。結果を持ち帰れ」
「分かった」
次の瞬間―
アニムスが拳銃を取り出して撃ち込む。
スーツの男が反発力を『自分・アニムス間』から『自分・弾丸間』に切り替える。
僧侶が海に飛び込んで逃げる。
全て1秒間の出来事である!
そして弾丸は反発力によって弾き飛ばされた。
「やっぱり、反発力を発生させられるのは一度に1つなのね」
アニムスは銃を放り捨てて突っ込んだ。
「しまッ…」
男はとっさに、反発力の対象を弾丸からアニムスに変える。
「く…!」
刃が男の首に触れる寸前、魔法は効力を発揮した。
反発によってアニムスは後方に吹っ飛び、転がる。銃を捨てた地点から、更に後方。
「これでもう近づけんぞ!俺にも、銃にも!
その手に残った刀で、俺をどう殺す!?」
仲間を逃がしたのは杞憂であったか、と内心で先ほどの自分を笑う男であったが…
それはまだ早かった。
「さて!後はこちらが一方的に…うおおおッ!?」
男はふと振り向いて大声を上げた。
アニマが起き上がっていたのだ。
「う、ううう…」
本人は混乱している。
赤く染まった視界でかろうじて捉えられたのは、アニムスの笑みのみ。
(笑ってる。今、なんか、ピンチっぽいのに。すごいなあ。
あれ、何か言ってる?オレに言ってるのか?)
『た・お・し・て』
(倒すって…誰を?そもそも倒すって…どういう意味だ?)
言葉の意味を忘れたという訳ではない。
(倒す…つまりは殺すってこと?オレが、人を?)
ここに来て、今やっと、自分がやろうとしていることを自覚したアニマである。
(や、やばい。どうすればいいんだ?
あれっ、誰だこの人?さっき襲ってきた人か?
この人を倒すの?え、え、でも…)
その躊躇い、逡巡に隙があった。
見出した活路に、男は叫ぶ。
「まず貴様からッ…!」
しかし男は気づいていなかった。
躊躇っていたのはアニマの心だけで、肉体は一秒も迷っていなかった事を。
「あっ」
「ぐおおぶげッ!!」
アニマが瞬間的に絞り出した怪力が、男の首を折った。
拳を伝って、死の感触がアニマの脳を反響する。
初めて人の命を奪った時の、忘れ去られていたトラウマが目覚める。
「う…ぉ゛えっ…ああっ…」
うずくまり、血の混じった吐瀉物をぶちまけた。
アニムスが、その背中をさする。
「ごめんなさいね。
私が気を付けていれば、あなたにこんな事をさせずに済んだのに…」
首を振り、かろうじて否定するアニマを見つめながら、アニムスの頬は悦楽に歪んでいた。
〈おわり〉
どうしようもない名鑑No.72【封魔忍軍3幹部】
ケリュケイオンを使う僧侶の明興、反発力を操る理学魔法師の
山岡、同じく理学魔法師で推進力を操る浅野。
元々破戒僧だった明興はケリュケイオンを手土産に幹部入り、
山岡と浅野は権威ある理学研究院から忍者に転職して成り上が
った経緯がある。
幹部と呼ばれてはいるが、出した結果に応じて地位が与えられ
ているだけで、特別信用されていたり圧倒的な戦闘力を持って
いる訳ではない。