第28話 Suicide(5)
自分が死ぬためだけに、世界を滅ぼす兵器を解放しようとするアニマ。
落下しながらもアブドラの手からそれを奪い取り、起動させようとしたその時。
突如戦闘機によるタックルを食らい、そのまま街の外の荒野へと押し出される。
さらにパイロットは、飛行中であるにも関わらず、自らその姿を晒す。
パイロットの正体は、レルム・イーゼルネンその人であった。
「て、テメェ…ッ!何しに来やがった!!?」
「女を口説きにな。
…ちょっと待て、用事を頼まれてしまってな。それを先に済ます」
レルムは躊躇なく機外に飛び出し、アニマの手にある筒へ何かを突き刺した。
すると筒の中で『ブチュン』と潰れるような音がし、液中に赤いものが広がっていく。
「あ?」
「その兵器を無力化できる薬だ。
この街に来た時、それを開発した連中に頼まれてな。
『もう充分混沌を楽しめたから、片付けてくれ』だそうだ」
「…テ、メェ…テメェエエエエッ!!」
「貴様、死にたかったらしいな?
だからといってそういう安易な手段に頼るのは良くないぞ。
まず最初に私に言わぬか水臭い!」
言いながらパラシュートを背負う。
「では私は先に降りる。
エンジンは切ってあるが、滑空でしばらく空中旅行を楽しめるぞ。
じゃあな」
戦闘機の先端に突き刺さったまま取り残され、茫然とするアニマ。
「クソが…これも神の加護かよッ…!」
苛立ち紛れに機体を蹴りつけ、反動で離脱する。
続いて空中で回転して体勢を整え、着地した。
「おい!!余計な事してんじゃねえよクソカスがァ!!」
パラシュートでゆっくりと降りてくるレルムに罵声を浴びせる。
「余計な事とな?」
「テメェのせいで死に損なったんだろうがよ、ああァ!!?」
「ふむ、待て」
着地と同時にパラシュートを捨て、首をグルグルと回す。
「…よし。で、何だったか?
ええと…お前が死ぬのを、私が邪魔した?
それは違うな。お前が本気で死のうとしていなかったからだ」
「あ?」
アニマの目が血走る。
「お前にしちゃ上等の煽り文句だ。
ノってやるよ、来い」
「ハッ、私と戦いたいか?
そうしてやりたいところだが…今のお前はつまらん」
「……あ゛???」
アニマの頭上で、また黒い稲妻が弾けた。
同時に滑空していた戦闘機が墜落し、爆発する。
「もういい。死ね」
その声がレルムの耳に届く時には既に、眼前にアニマの拳が迫っていた。
(燃える拳だと…!)
空気との摩擦で発火するほどの速度を持った拳。
「…ふッ!!」
しかし、レルムの右手が素早く動くと、弾丸めいた拳を軽く逸らす。
「言っただろう。貴様はつまらんとな」
「そうかい?その割には、ずいぶんと痛々しいザマだがァ?」
アニマの拳を払いのけたレルムの右手は、全ての指が逆方向に曲がっていた。
「悪いけどよ、最近妙に体の調子が良いんだわ。
ま、拳から火噴いたのは今日が初めてだけどよ…
ったく、どうなってんだオレの身体。
これじゃますます死ににくくなっちまった」
「確かに…貴様の身体には、貴様自身も理解できない変化が起きているらしい。
完全に受け流したハズがこのザマよ」
「『つまらん』なんて言ってる場合じゃなさそうだなァ?」
レルムの口元に、嘲笑が浮かぶ。
「いいや。やはりつまらんよ、お前は。
そろそろ私もエンジンを掛ける、必死に食らいついてくるといい」
先ほどよりわずかにだが、レルムの筋肉が膨らんでいる。
「私の身体は本気になるまでが遅くてな。いつもその前に勝負が終わる。
さて、私の全身に血と気力が巡るまでまだ掛かりそうだ。
それまで保つといいのだが」
「もう指5本持ってかれてるの、忘れてねえか?
イキんならもうちっとマシなセリフ考えろや」
「指?指がどうかしたか?」
レルムは右手が前に突き出すと、無残に反り返った指が音を立てて元の形に戻る。
「元より骨は折れておらん。
肉が妙な方向に捻じれただけだ」
そしてその右手を返し、クイクイと招いてみせた。
「いいから来い」
「…そうかよ、ああァ!ならぶっ殺してやるよ!!」
ジェット噴射めいた爆発的速度の蹴り、常人ならば反応すら不可能。
だがレルムには見えている。
「当たらんわ愚か者……ッ!?」
かわしたハズが、衝撃を食らって肉が軋む。
「く、蹴りの余波だけでここまで…!」
「オラ、ボサっとしてんなよ!!」
突き出した脚を横に薙ぐ。
レルムは避けきれないと悟り、受け止めながら衝撃方向に飛ぶ。
それでも受け流しきれず、荒野をゴムボールのように跳ねながら転がる。
「フッ…随分と怒っているようだな。
お前はどうやら勘違いして…」
追撃の連続ストンピング、レルムは自ら転がることで回避する。
一瞬前まで頭があった所にクレーターが発生するという事態にも、レルムの表情は変わらない。
回避動作のついでのように立ち上がって、構え直す。
「聞け!私がつまらんと言ったのはお前の心だ。
それだけの力を持っておきながら、惜しい」
「…だったら、お前も勘違いしてるぜ。
オレがキレてんのは『つまらん』と言われた事じゃねえ」
頭上の黒い稲妻が、円を形成する。
それはまるで、アニマの頭を飾る『天使の輪』そのものであった。
「つまらないなら、なんで放っておいてくれなかった…?
…どうして死なせてくれなかった…!?
……なぜ余計な事をした!!?答えろッ!!!」
怒号と同時に、右の眼球が黒く染まる。
「…ほう。少し、面白くなってきたな」
「答えろってんだよ!!」
アニマの姿が消え、熱風が吹く。空気が燃えているのだ。
同時にレルムは、背後に凄まじい圧力を感じた。
「答えらんねぇなら死ね」
放たれる拳。ガードの構えのまま飛び退いてかわす。
「ぐッ…!!」
構えていた左腕が、鈍い音とともに折れる。
(直接触れず、衝撃波のみでこの威力か…ッ!)
続く二撃目を放とうとして、アニマが己の拳を見る。
ズタズタに裂け、砕けていた。
「チッ…」
それ自体は不思議ではない。
むしろこれほどの威力のパンチを繰り出して、拳が消し飛んでいないだけでも異常なのだ。
だがおかしいのは…
(あやつの手、妙に回復が遅いな。
あの形態の副作用なのか…?)
レルムは1人納得し、すぐさま挑発する。
「フッ、手足合わせてあと3発といったところか?」
「間抜けが。あと3発の間生き延びられると思ってんのか?」
「どうかな…力が制御できないせいで、狙いがズレてるように見えるが。
それに、そのパワーの源には見当が付いている」
アニマの頭上に目線を送る。
「…その円環だろうッ!?」
レルムが一気に距離を詰める。
「あ?えんかん?…うおっ、なんだこの輪っか」
自分の頭の上で浮いている黒い輪を見て驚くも、薄く笑うのみだった。
「ま、いいや。わざわざ近づいてくれるんなら楽だわ」
そして砕けた方の腕をもう一度全力で振る。
まるで弾丸のような衝撃が生まれ、レルムを襲う。
「ぬくッ…」
衝撃波はレルムの右腕を軋ませたが、折るには至らない。
「チッ、やっぱ壊れた腕じゃこんなもんか。
じゃ次はこっちだ」
無傷の方の拳を構える。レルムは避ける気配すらない。
「ギリギリで避ければいいとか思ってないか?
お前、その腕が折られた理由もう忘れたのかよ…ま、いいけどなァ!」
パンチが放たれ、余波で地面が裂ける。
レルムは回避に成功するが、衝撃をまともに食らう。
「そよ風だな」
「…あ?」
しかし、今度は軋みすらせず平然と立っている。
「少しヒヤッとしたおかげで、エンジンがいつもより早く掛かってくれたらしい」
レルムの強靭極まる心臓は、そのあまりの爆発的な拍動により、凄まじい速度と量で血と気を循環させる事ができる。
平常時は丈夫な熊程度の強度しかないが、完全な状態となったレルムの肉体は銃弾どころかバズーカ砲すら弾く。
何のタネも仕掛けもない、生まれながらにしてそういう体質なのである。
「大丈夫か?両腕潰れたぞ。さぁ、ここからが私の…」
「舐めてんじゃねェぞ……お前知ってっかァ?
腕より足の方が力が入りやすいんだとよォ!!」
瞬間、噴き出す凄まじい殺気。
刹那の後に死が待ち受けていると確信できる。
だが確信してなお、レルムの表情は動かない。
「知っておるわ馬鹿者。そのために先んじて手を打ったのだからな」
「ッ!!?」
アニマの両足から鮮血が飛び散り、力が抜ける。
「さて、この輪だ」
レルムは黒い光輪を掴むと、容赦なく引きちぎった。
「う…ッ」
黒く染まった眼球が元に戻り、目が虚ろになる。
全身が脱力し、その体躯が地面に沈み…
「…ックソがァアアア!」
アニマはこれを耐える!
輪が砕けた事で再生力が復活し、治癒した足でとっさに踏ん張る。
「悦い。それでこそ貴様だ」
レルムの手刀がその胸を突き破り、心臓を握る。
「ごぼッ…」
「それでこそ、この私が愛するに値する女だ!」
アニマの唇に、己の唇を重ねた。
「……ほぇ?」
〈つづく〉
どうしようもない名鑑No.144【英雄体質】
まだ今よりエーテルの濃い時代、魔界・人間界に住まう人間たちの
中において『英雄』と呼ばれる者たちが持っていた、人間離れした
身体的特徴。
『腕力が強い』『足が速い』などに留まらず、生まれながらに鎧を
纏っていたり、怒りで怪物じみた姿に変わる事もある。
レルムの肉体は珍しく、この古き時代の肉体を持っている。
彼の体質は『神人細胞』と呼ばれる、異常な耐久力と
身体能力・時に神すら脅かす膂力である。