第16話 Amnesia(5)
おけつ
とある山奥のトンネルの先には、地図には『何もない』とされている。
本当か確かめた者はいない。
それも無理はない話で、確かに夜などは、肝試しに行こうとさえ思えぬほど、無言の恐怖を感じる風情があった。
しかし、実際のところ幽霊が出る訳ではなかった。
ここは、忍者の隠れ里なのだ。
人々の恐怖心を煽り、近づけぬようにする。これもまた1つの忍術、『恐車の術』であった。
「お館様。WiFiスポットを探していた部下が、偶然このメッセージを受信したと報告してきました」
お館様と呼ばれた男が、訝しげな表情をした。
「どこからだ?今時、電子矢文など珍しい」
「それが、国外から…」
「!!」
眼を見開き、顎を撫でた。
「…お前たち、少しあっちに行ってなさい」
「えー、ずっりー!俺たち抜きかよー!」
「こら、捨丸!お館様のいう事聞きなさい!」
「しょれでは、しゃらば」
歳の頃7~10といった子供たちが、膝から下りて部屋から出た。
1人は煙玉を使おうとして、報告の忍びに取り上げられた。
「こんなもんいちいち使うな!
いいから早く出ろ!大事な話があんだよ!」
「あ~い」
報告の忍びはため息をついて、
「やっぱりあの歳頃のガキンチョに、忍道具与えるのはマズいですって」
とお館様に言った。
「まあ、使い方は実践して覚えるのが一番だからね。
…で、メッセージはどこから?」
「ああはい。
紅蛇帝国の、針殿という街から」
「そこまで詳細に分かるのか?」
「ええ、向こうから開示してきたんです」
思わず、ううんと唸る。
「…内容の方は?」
「その…『手を貸してほしい』と」
「だ、誰が?」
「さぁ、これがどうも…我々の知る人物からではないようで」
頭の上に、疑問符が浮かぶ。
「じゃあ、知らない人か?
なんでわざわざここに?」
「さぁ、何でも封魔の忍びに狙われておるとか…」
お館様は、封魔と聞いた瞬間、合点がいったとばかりに膝を打った。
「ああー!なるほどね!
奴らの商売のせいで、迷惑を被った人が、助けを求めているわけだ!」
封魔が、海外に向けて何やら不穏な商売を始めたというのは、この男の耳にも入っていた。
「ですがお館様。今封魔を相手取るのは…」
「うん、どっかの知らない人のためにってのは、ちょっとね…」
「せめてはっきり『無理です』と、伝えてあげましょうか」
「その方がいいね…申し訳ないけど」
皆さんはお分かりのことと思うが、このメッセージ、送り主は天眼通だ。
既に不死林・喪望には断られ、斬隠に至っては位置の特定すら出来ず、この法度理が最後の頼みの綱だったのだ。
しかしこの通り、か細い希望の糸は、今無情にも切られようとしていた。
「わあああ!」
その時、室内に、去ったはずの子供たちがなだれ込んできた。
「うわっ…コラァ!出てろってお館様に言われたろうがァ!」
「おーせんきたー!」
「おーせん、おーせんがきたよー!」
お館様と呼ばれた男が、ハッとして、次にニヤッとする。
「王殲が!?…よし通せ」
そうして入ってきたのは、痩身長躯の男。
背には竿の如く長大な刀を負い、針のように逆立つ黒髪が、腰まで流れている。
目つきはまるで獣のような獰猛さ、不敵な笑みが鋭い犬歯を強調している。
「法度理のおやっさんよぅ、来たぜぇ」
この男こそ、斬隠王殲。性凶悪にして、操る剣は雷の如し。
忍びでありながら剣客でもあり、諸国を漫遊して凶剣を振るう、無類の危険人物であった。
「まあまあ座って!さ、こちらへ…」
「こちらって、そりゃあんたの座布団だろ…」
「私の事はいいから、さ、さ!」
「???」
困惑しつつも、腰を落ち着ける。
「たまたま近くを通ったんで、寄ってみたんだが…何かあったのか?」
「ううん?いいや?」
「…あ、そう。
で、村の方じゃ、何か面白い事でも起きなかったか?」
「おお、世間話だな、いいとも!」
やけにハキハキと喋る。
「あ~…そうだ!悟蔵の奴に、子供が生まれてな!」
「ほ~!いよいよ菊ちゃんの天下が始まったか!
あのバカも、少しはマトモになったんじゃねえか?」
そうして村にあった事を話す2人だが、王殲の方はずっと違和感を感じていた。
「で、お前の方は?旅で面白いものを見たか?」
「俺か。ま~あ大した事もなかったかな、今時、帯刀してたって抜いた事のねえ侍ばっかさ。
斬るのもバカらしくなってくらァ」
「さむらいなのに~?」
子供たちが話に割り込んでくる。
「おう、そうさ。侍なんてのはな、今じゃ偉そうにのこのこ歩くしか能のねえ、下らねえ生き物になっちまったのよ」
「でも、ボクたちも侍でしょ~?」
「法律的にはな!でも俺たちにはあいつらと同じ権力はねえだろ?」
「うん。ボクも、きりすてごめ~ん!ってやってみたいなぁ」
お館様が、苦笑する。
「あれは、そんなにいいものでもないらしいよ。
しくじったら切腹しないといけないしね」
「ふ~ん」
「…ところで、王殲や」
「あァ?」
じっとりとした眼で、見つめてくる。
「どうやら退屈しているようじゃないか…」
「あー、まあ、そうだが…やっぱりなんか変だぞ、おやっさ…」
「面白い事と言えばァ!」
「!!?」
勢いで押し切るように、一気に言う。
「ついさっき外国から電子矢文を受け取ってな!
紅蛇の針殿という街に、封魔の連中のせいで困っている人がいるという!
そんなに退屈なら行ってみたらどうかなァ!?」
「…それが目的か」
やれやれ、と頭を掻く。
「あのね、俺、人斬りぞ?人助けと間違えてない?」
「ではやらないと?」
「…いや、やるとかやらないとか、それ以前の」
「やらずに、背を向けて逃げると。退屈が聞いて呆れるな?
そうして、手に負えないものからは目を背けておいて、俺には敵がいない、と?」
「おやっさん、言い方が悪い…」
「やるのか、やらんのか!」
少し、黙る。
「…やってやろうじゃねえか!
テメェの策略に乗ってやるよコラァ!」
戸を開けて飛び出していった。
「…おーせん、いっちゃった」
「これぞ、五車の内、『怒車の術』。みんなも覚えておきなさい」
「は~い」
「それから、メッセージに返信しておきなさい」
「承知」
「あ、メール!来た!」
姉妹が眠った夜、天眼通はPCに向かい合っていた。
「頼む…どうか…!」
今まで送ったメールは、返信すらなかった。
空間の歪みに巻き込まれたか、届いても無視されたのだろう。
だから、否が応にも期待してしまう。
『お送りいただいた矢文は、厳正なる審査の結果、当家には適さない案件と判断され、残念ながら採用は見送りとさせていただくことになりました。』
「うげっ!マジか~…」
机に突っ伏し、呻いた。
そして納得したくない、というふうに画面に向き合う。
『しかしながら』
「おっ!?」
スクロールしていく。
『本件の取り扱いに適した人物に心当たりがあり、誠に勝手ながらこちらで打診した所、了承を得ることができました。そちらの人物を伺わせることで、採用の代わりとさせていただきます。』
「…代わりに誰か送ってくれるって事?
随分親切なニンジャね…」
ともあれ、これで封魔に対抗する道が見えてきたわけだ。
「さて、これでようやく眠れそう…ん?」
眼の端に、チラリと映った速報。
彼女独自の技術によって、どこよりも素早く集められたニュースである。
「街中で発砲事件?物騒だなぁ…って、発砲したのは襲われた方?
ああ、身を守るために銃を撃ったと。
で、襲った方は…奇妙な投擲武器を使った?」
詳細を表示する。
そこには『奇妙な投擲武器』の写真が載っていた。
「これって、どう見ても手裏剣…よね。
襲われたのは、公安警察の女性刑事…」
絶句した。
「ダメだ、このニュースじゃ生死までは分からない。
…戒ちゃん、手を引くのがちょっと遅かったみたいね」
そうなると、ここもいつ発見されるか分からない。
「今すぐにも、拠点を変えないと…!」
天眼通がそのことを姉妹に伝えようと立ち上がったのと、寝室で悲鳴が起こったのはほぼ同時だった。
「…あの、お姉ちゃん?」
「どうしたのかしら?」
「いえ、眠れなくて…」
「記憶が無い上、危険な連中に襲われているのだから、不安は当然のことよ」
会話が止まる。
「や、あの…それもそうなんですけど」
「ふうん?」
思わず口に出した後で、これも言った所でどうしようもない事だった、とアニマは口ごもる。
もっとも、ここまで言ったら最後まで言わねばなるまい。
「ああ、えっと…記憶が戻ったところで、何の意味もないな…と」
「意味がない…とは?」
「あ、いや、何て言うか…記憶が戻っても、襲われてる事実は変わりませんし。
それにどうやらオレ、ろくでもない人間みたいなので…」
「…そう」
それは、アニムスにとって意外な言葉だった。
1つは、
(自覚はあるのね)
もう1つは、
(そんなこと今考えてどうするの?)
であった。
(自分という人間に失望してしまったのね。
記憶を失ってもすぐその結論に至るというのは、よほど自己肯定感の低い証ね。
それで、今思い悩んでも仕方がないのに、ウジウジ考えてる訳だ。
…何て愚かな子なのかしら)
胸の奥が、締め付けられるように痛む。
(可愛いわ…!)
その卑屈な人間性も、言い訳と分かっていて口に出してしまう浅はかさも、実にアニムス好みであった。
「…大丈夫よ。何があっても、お姉ちゃんが守ってあげますからね」
その言葉を、ありきたりの励ましと受け取ったアニマは、
「ありがとうございます」
とありきたりな感謝の言葉で返した。
(『守ってあげる』ね…これまたベタな答えだなぁ。
ま、何を言われた所で、他人に感謝できるような殊勝な人間でもないみたいだな、オレは)
実のところ、彼女に感謝という感情はない。
何かしてもらったら感謝すべき、という常識があるだけだった。
「じゃ、おやすみなさい…お?」
「どうしたの?」
「い、いや、窓…」
「…!」
鈍い音がして、窓が開いた。
「きゃっ…」
「あらあら、もう来たの?」
アニマは短く悲鳴を上げ、アニムスは立ち上がる。
「何事!?」
そして天眼通が駆けつけた。
「……」
窓に立つのは、黒い装束の男。
同じく黒の能面を着用している。
通常、幽玄なる美を感じさせる『小面』の能面も、黒い塗りが凄艶の妙味を加えている。
「げえっ!こ、こいつ…」
「知ってる人かしら?」
天眼通が、震えた声で言う。
「封魔忍軍の親玉、封魔怨勒…つまり、敵のボスだよ!」
「へえ、そうなの?」
アニムスの眼が、暗がりでぼんやりと光る。
「…さっきぶり、と言うべきかしらね」
「……」
怨勒が刀を抜く、アニムスが銃を取り出す、天眼通がアニマを抱えて避難する。
わずか1秒の間に、戦の支度は整った。
「…斬る」
「好きになさい」
〈つづく〉
どうしようもない名鑑No.69【15代目法度理汎臓】
法度理一族の初代当主『ハットリハンゾウ』から数えて
15代目の当主。
戸籍上の身分は『士族』であり、アマツガルドにおいて
士族は自動的に国家公務員となるが、忍者は例外とされる。
御年52歳の初老紳士だが、秘伝の『錬血装術』の扱いでは
未だ頂点を譲らない。