第16話 Amnesia(4)
サラミストリート
「無事だったようで何より!
ね、迎えに行った方がいいって言ったでしょ?」
「ええ、そのようね」
アニムスの迎えにより、天眼通の潜む住居に避難した2人は、事情の説明を求めた。
「天眼通。襲撃者の調べはついた?」
「ん、大体ね」
ノートPCの画面を示す。
「こいつら、アマツガルドの『封魔忍軍』って言って、ちょっと有名な傭兵組織ね。
ほら、アマツガルドといえば、よく言うでしょ、『ニンジャ』って」
「ああ、あと…『サムライ』ね。
ってか、なんでそんな組織がこの子を?」
肩を竦める。
「向こうも諜報のプロだからね。
本気で調べ始めたらこっちの身が危ないし!」
「じゃあしばらくは慎重に行動した方がいいわね、でしょ?」
戒麗がアニムスに問いかける。
「ええ、そうみたい。あなたたち2人には、妹がお世話になったわね」
「…お世話に?」
不穏な空気を感じ取り、思わず復唱する。
「それじゃあ、私たちはこれで」
「…帰るつもり?」
首を傾げる。
「ええ、そんなにおかしいかしら?
記憶を失った家族を引き取って、自宅で休ませることが」
「あー、いや、でも戒ちゃ…戒麗刑事は、慎重に行動すべきと言ったばかりで…」
「そ、そうよ、警察が守りますから、勝手な行動は慎んでもらわないと…」
アニムスの眼が、見透かすような鋭さで2人を貫く。
「…なら、警察の上司さんにお願いしてもらえる?
この子に警護をつけてくれるように」
「!」
上司にお願いなど、できるわけがない事に気づいている。
そういう口調であった。
「…検討しておくわ」
そう答えざるを得なかった。
(厄介な…それも仕方なし、か。
そもそも、弱みがあるのはこちら。
せいぜい恩を売って繋ぎ止めるしかないと思っていたけど…)
戒麗にとって、今回の件に関わるのは天眼通から金が貰えるからだ。
(これじゃ、割に合わない。手を引こうか…)
そのように、目線を送る。
(うわ~、戒ちゃん1人で逃げようとしてる!
ま、そりゃそうか…でもなぁ、何としても魔王についての情報が欲しい…!)
それは利益どうこうを離れた、単純で激烈な欲求であった。
真の欲求の前には、いかなる理由を並べ立ててもそよ風の如し。
(知りたいッ…!知ってどうなるわけでもないが、知りたいなァ~ッ!)
そんな天眼通の目つきを見た戒麗は、
(こりゃマジの眼だわ。止められないなら、共倒れはしたくない!)
手を引く決断をした。
「あの…私の仕事は終わったので、署に戻るわ。
じゃあねアニマちゃん…」
そう口にして、気付く。
(そういえば、さっきからずっと黙ってる…なんで?
普通こんな状況になったら、会話に割り込んででも事情を聞こうとするはず…)
だが当の本人は、虚空を見つめつつ行儀よく座っている。
そんな様子で、何を考えているかと言えば…
(ああ…肩痛いな…まだ血が出てるよ。
はぁ…何でこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。
ホントにイライラする…)
そんな無為な思考を巡らせている。
「あ、あの、アニマちゃん?私帰るから。
短い付き合いだったけども、一応、あいさつを…」
「え?あ、ああ!もう行っちゃうんですね?
ええと、警察の人って聞いた時は驚いたけど、あの、お世話になりました!」
戸惑いつつも、割とあっさり受け入れるアニマ。
(適応力高いなこの子…)
だがつい先ほどアニマの心を覗いた皆さんは、彼女の苛立ちを知っているはず。
適応したのではなく、表に出さないのだ。
他者に自分の意志を伝えても無駄だ、という諦念…あるいは無関心。
そういった人格を形成する本質は、記憶を失っても変わりはしない。
(この人警察なんだよな…じゃあ『迷惑かかる』とか考えてたの無駄だったんだ。
なんかそれも腹立つな…まあいいか。もう二度と会わないだろうし)
そんな感情で、恩人の背中を見送った。
「で、あなたはどうしたいの、あー…アニマ?」
「ええと、はい?オレですか」
アニマは、アニムスが自分の名前の呼び方に戸惑いがあるのを見て、不思議に感じた。
(まさか、この人も嘘ついてんの…?姉妹なら普段から名前呼んでるはずなのに。
…でも顔めっちゃ似てるしなぁ、血繋がってるよなぁどう見ても)
不信感を募らせる。
これは不穏な兆候などではなく、いつも通りの彼女だ。
(だいたい、アンタらが何やろうと勝手だけど、巻き込まないでほしいよ。
何がニンジャだよ、クソが…)
外面をなんとか整えても、内面では他人を軽蔑している…そんな自分の醜さに、気付かぬアニマではない。
(まあ、1人じゃ何もできない奴が言ってもな。
あー下らねぇ下らねぇ)
醜い感情が湧き出しても、その醜さに気づき自制できるくらいの常識は持ちあわせていたのが、彼女の悲劇だろう。
(そーだよな、言ったってしょうがないんだよ…。
言った所でどうなるわけでもないし…ん?
そういえば、こんな事を、前にも…)
その失望が断片的に蘇らせた記憶は、前世のものだった。
(これは…学生の頃?親の顔は…ダメだ、まだ思い出せない!)
まだ、というか、二度とだ。その記憶は、とっくの昔に摩耗して消えた。
(う~ん…不思議と姉の記憶は無いな…うっ!
やっべ、思い出したくないこと滲み出てきた~…)
彼女が、この世の全てのものに価値を見出せない人間であるという事は、再三お伝えしてきた。
だが前世において無能かつ無力であった彼女は、その苦痛を紛らわす方法を持たず、事故で死ぬまで苦しみ続けた。
(親に聞いたことがあったっけ、『何もしたくないんだけど、どうしよう』って。
まあ、聞かれても困る質問だろうし、実際『下らない事言ってないで勉強しなさい』と返された訳だけど…)
結果として、二度と親に物事を相談する事はなかった。
無意味で下らない質問ではあったが、人生のかかった質問だったからだ。
(親を責めるつもりは毛頭無いし、そういう性質を持って生まれたのは自分の罪だと理解してる。
だからこれは、仕方のないことなんだろうな…きっと)
誰に頼るのも無意味だと、人生のだいぶ早い段階で知った事で、心の虚無はより広がっていった。
(オレ、親のこと好きでも嫌いでもなかったけど、親はオレのこと嫌いだったろうな…)
『親』という不自然な呼び方も、具体的な記憶がないので仕方がない。
もう父親と母親の区別もつかない、『親』という記号でしか認識できないレベルまで壊れてしまっているのだ。
「…キミの妹黙っちゃったね。前からこういう子だった?」
「ええ、たぶんね。で?帰っていいの?」
アレコレ考えて沈黙するアニマをよそに、交渉が始まる。
「帰るのはもちろん勝手だけれど、それなら聞いてほしい」
「なあに?」
「…アマツガルドは鎖国状態だから、相手の親玉には手が出しにくいの。
だから、もし、身の危険を感じたら…」
「いつでも助けを呼んで、って言いたいの?
それは当然、そうさせてもらうわ。あなたたち、『警察』ですものね?」
皮肉るように、『警察』だけ強く発音する。
「そ、そうだよ。私は警察だよ…うん」
そう口ごもる天眼通に、背を向けていたアニムスが、笑みを浮かべて振り向いた。
「じゃあ早速、頼っていいかしら」
「…そ、そう言ってもらえて、安心したよ!
何なりと頼って!」
アニムスが、呆けている妹の肩に手を置く。
「あっえ、はい?ど、どうしました?」
「…この子に下着と服を買ってきてあげてもいいかしら?」
「あ、ああ、着替えね!キミはいいの?」
首を振る。
「いや、私はいいの。帰るにせよ、ここに泊まるにせよ、このままの服で。
でもほら、この子下着付けてないから」
「…あらま。こりゃ、ホントだ」
「え?…え?」
指摘を受け、自らの身体をまさぐるアニマ。
「…~ッ!」
耳の辺りから、じわじわと赤色が広がってくる。
顔全体を覆うまで、3秒かからなかった。
「あ!ああっ、あはは!な、なんででしょうね!
やけにスースーするな、と…」
この世界に来てから今まで、アニマは下着を着ようとはしなかった。
まあ男の人格を持つ者が、女物の下着を着けるのは恥ずかしいと考えるのは無理もないことだ。
しかし、元々女に変わりつつあった魂が、記憶喪失によってまっさらになったことで、今はほとんど女性の精神になっていた。
(ウッソ、信じられない!こんな、こっ恥ずかしい恰好で今まで…!?
今までのオレってどんな人間だったんだ…!?)
身をよじって悶絶する。
「って事で買いに行ってあげたいんだけど…。
外出するのも楽じゃなさそうね」
「ん~、何せ相手が相手だからね…。
思い切って、他のニンジャに泣きついてみる?」
「アマツガルドの事はアマツガルドの人間に…というわけね。
協力してもらえそうな候補はいるの?」
天眼通が、う~んと唸る。
「封魔はその筋じゃ大物の派閥らしいし…。
対抗できそうなのは…」
キーボードを叩き、モニターに映す。
「名門の法度理、不死林、喪望…。
あとはイレギュラーな斬隠とか」
「あなた、彼らに連絡することはできる?」
「リスク高いよ?通信届きづらいし…」
アマツガルドは、島国である。
四方を『空間の歪み』に囲まれ、通信環境や出入国に悪影響が出ている。
そのせいで、『鎖国』せざるを得なかったのだ。
「あ、あの!下着はもういいので、しばらく隠れる事にしませんか?」
「いつまでも隠れている訳にはいかないのよ?
ちゃんと向こうの狙いを把握して、然るべき対処をしないと」
「お姉さんの言う通りだよ、相手は違法組織なんだから。
まあ私も、やるだけやってみるよ」
2人にそう返され、しおしおと引き下がるアニマ。
「あ、はい…。その、警察の方にも、お姉さんにも、ご迷惑ばかりおかけして…。
特にその、お姉さんは家族なのに、名前も思い出せなくて、何とお呼びすればいいかも分からないまま…」
「私はアニムス。呼び方は…好きにしたらいいわ」
「分かりました、『お姉ちゃん』!」
「!!」
そう呼ばれたアニムスが、雷に打たれたが如き、衝撃的な表情になる。
「…なるほど、普通に考えれば、そうなるわね。
お姉ちゃん、お姉ちゃんね…!」
「えっと…こういう呼び方じゃなかったんですか、以前は…?」
強く首を横に振る。
「いいえ。ずっとそう呼ばれていたわ、ずっとね」
その呼称を拒む訳がなかった。
(不思議なものね。元々の家族なんて、心からどうでもいい存在だったのに…。
この、つい最近会ったばかりの同業者に、これほど家族として、親愛の情が湧くなんて…)
およそ自分から湧き出たものとは思えぬ健全な感情に、むしろ違和感を覚えた。
(ムキになるような事でもないけれど…何か変ね。
自分のものとは思えない、妙な気持ちだわ)
その違和感は、少しだけ、当たっていた。だが今は些末な事であった。
〈つづく〉
どうしようもない名鑑No.68【アマツガルド帝国】
正式には『天津軽戸』『天津仮宿』と表記される、小さな島国。
かつて神話級の戦争があり、その影響で周囲の空間が歪んでいる。
まるで100年も昔のような街並みや風習を今も受け継いでいるが、
技術大国でもあるのでインフラは近代的。
地方と首都周辺で大きな文化の違いがあるのも特徴。