第16話 Amnesia(2)
全身かゆい
酷く荒れた室内。人が住んでいるとは到底思えない。
(直接だったら絶対行く気しなかったね…。
こうして、カメラ越しでなければ…)
モニターには、女の顔が正面から映っている。
妖精なので全身映ってはいるが。
その肌は荒れ果て、目元は黒く染まり、瞳は濁って焦点も定かではない。
PCのカメラをハッキングしているのだ。
(日課のブログを更新中みたいね…うわぁ)
女の狂気染みた様子に、唾を呑む。
(しっかし、どんなものを見たっていうの…?)
別モニターには、女の検索履歴が表示されている。ハッキングで覗き見たのだ。
『魔王 伝説 本当』
『魔王 封印 なぜ』
『魔王 プロレス 起源』
など、明らかに魔王に執着した項目の数々。
(確かこの人、映像のカメラマンだったよね。
なんで魔王との戦いに、カメラマンがいるの?
その辺に秘密がありそうだけど…)
とは言え、狂気に憑かれたこの女には、何を聞いてもあまり意味がなさそうだ。
(何か隠された事実がまだあるんじゃないか…?)
女のPCに更に深く潜り込むには、脊髄アンテナによるダイブが必要だ。
(…やるか!)
うなじに装着された極めて小さいアンテナが、隙間から青い光を放つ。
視界が明滅、幾何学模様を表示した後、青く広い空間が現れる。
電脳界である。
(今回は直接潜る!)
指を宙に走らせると、魔法陣を描く。
陣の中央が穴に変化する。穴の先は直接相手のPC内に繋がっている。
飛び込み姿勢を取り、穴の中を覗き込んだ。
ジッと。
ジッと。
ジッと。
ジッと。
誰かが見ていた。
穴の奥から。
(…!!?)
異様な寒気を覚え、瞬時に穴を閉じる。
空間が歪み、ひび割れて、ノイズになって散った。
「…があッ!」
現実世界の天眼通が激しくのけぞり、鼻血が垂れる。
無理やり接続を切ったので、脳に負荷が掛かったのだ。
そうしてでも、逃げねばならぬと感じた。
(『見てた』ッ…誰ッ!?)
あの穴の中は、妖精女のPCに繋がっていた。ならば女の視線と考えるのが妥当か。
(違う違う違うッ!…あれは断じてただの狂人の視線じゃなかったッ!!
そもそも、私ほどの魔導ハッカーの侵入に、素人が気付けるハズない)
という事は、魔王。
死したる魔王の遺した『何か』が、その現場に居合わせた妖精を狂わせ、そして今となって天眼通を深淵から見つめ返してきたのだ。
(ていうか、魔王が死んだのはマジなの?
まずそれを確かめないことには…って、それを調べるのが一番難しいでしょッ!!)
机に額を打ち付ける。
(この妖精に直接聞くのは…無理そうね)
モニターを消す。
(と、なると…確実にその場に居た人間は…)
実際に討伐した連中は、どれも危険すぎて関わりたくない。
(他に関係者は…)
魔王。
魔王と言えば勇者。
(つっても、勇者の末裔に直接会えるわけないし…。
会ったとしても、魔王の事を全く知らない可能性も普通にあるし…)
魔法の勇者の末裔は、世界最大の学園にいるので到底会えない。
剣士の勇者の末裔は、弟子と相討ちになったのでそもそもこの世にいない。
暗殺の勇者の末裔は、電気のない所に住んでいるらしく、足取りさえ掴めない。
(どおしよっかな…やっぱりあの娘の記憶が戻るのを待つしかないか。
そもそも、記憶が戻ったら凶悪な性格に戻ってるから、聞き出せないか?
まあどちらにせよ、戻ってから考えるべきことね)
そうなると、今彼女が行うべき最善の行動は…
(記憶が取り戻せるよう、陰からアシストすること。
まずは関係者である、あの娘の家族を見つけなければ)
あの、同じ見た目で小柄な方の少女だ。
(名前は知ってる。アニムスとか言ったっけ。
彼女を見つけるのは、これまでと比べればどうという事もない、はず…。
まあ、やってみるしかないよ!)
「……」
アニマは今日も、戒麗の部屋にいた。
右手にカッターを持ち、左手を見つめている。
「…っ」
刃の先端を、左手の親指に、ほんの少しだけ突き刺した。
赤いものがぷっくりと出て、たらりと流れた。
血をゴシゴシと拭う。
「…やっぱり」
傷は跡形も無く消えていた。
(傷が治ってる…?
消えたように見えるだけかな…でも痛みも無いし…)
それに気づいたのは、戒麗から貰った本を読んでいた時。
ページで指を切ってしまったアニマは、噴き出た血を舐め取ってから、その力に気づいた。
そしてアニマは実験の為、今こうして指を切った。
(本当に、人間なの、オレ…?)
「今帰りましたよっと~」
扉を開け、部屋の主が帰ってくる。
「…え?」
部屋の中でカッターを持った女が、左手を差し出している。
何をしようとしているか、一目瞭然であった。
「早まらないでッ!」
超速のタックル!
「ぐえっ」
カッターを取り落とし、吹っ飛ぶ。
「ま…待ってください、違うんです…。
これを見てください」
「ええ?」
落としたカッターを拾い、もう1度実演する。
「あ、ちょ、そんな事したら危ない…んん!?
え?あ?ど、どういう事?」
「そうなんです。これ…どう思います?」
戒麗は、アニマの正体を知った上でかくまっている。
だが、この脅威的な能力については知らなかった。
(なるほど、あの霊拳会を潰しただけはあるという事か…。
…あれ?ちょっと待って、おかしくない?)
この時、戒麗の胸中に1つの疑問が湧き出した。
(再生能力があるのに、記憶喪失になるのか?
…まさかッ!)
顔を覗き込む。
「ど、どうしました?」
「いや…」
黙考する。
(演技のようには見えないが、まあぶっちゃけ本気で騙そうとしてる相手だったら、見抜くのは不可能だしなぁ…)
読者の皆さんにだけ教えておくが、記憶喪失は事実だ。
エネルギーある限り無限に再生し続けるアニマにとって、脳は唯一と言っていい弱点である事は、再三申し上げてきた。
そのため、彼女の肉体はまず、脳を保護する事に特化している。
頭蓋骨は極めて丈夫で、場合によっては拳銃の弾丸をも弾く。
そして、傷ついた時はゆっくりと時間をかけて、十全の状態に再生する。
更にその間、判断能力に異常をきたさないように、ダメージ部を休眠させ、他の部位で機能を肩代わりするようになっている。
ただ、今回の場合、ダメージ部位が大きすぎたようで、記憶を封印せざるを得なかった形だ。
そんな事など露知らぬ戒麗は、天眼通から『恐ろしい人物』と聞いていたので、疑心暗鬼になった。
(い…いやいや、そもそも再生については向こうから言ってきたんだから、記憶喪失は事実…。
でも!あえて自ら触れることで、疑いを逸らす狙いが…!
し、しかしッ!)
「あの~?どうしたんですか?まさか心当たりが…」
戒麗は、その迷いを振り払うように首を振る。
「いや、なんでもないよ。その力、あまり人には見せないようにね」
そして足元の本を見て、
「…あ、本読んでた?
こんなものしか買ってあげられなくて、ごめんね」
「い、いえいえ!わざわざオレなんかのために、お金を使わせてしまって…。
それに、本好きなので、ありがたいです」
ふむ、と首を捻る。
「本が好き…ってのは手掛かりにはならないか…」
「ええっと…多分、前から好きだったと思うんですけど…」
照れくさそうに頭を掻く。
(まあ身寄りの方は天眼通が調べてくれるでしょ。
…それより)
戒麗は、先ほどからアニマに対し違和感を抱いていた。
(いくら記憶を失ったとはいえ、本質的な人間性は変わらないはず。
これほど平凡な性格になるのか…?)
以前のアニマについては知らぬが、かなり凶悪な女であると聞いた。
(いや、でもこんなもんか。性格は経験が作るものだからな…。
私は彼女の機嫌を取りつつ、適当に養っていればいい)
言いつつ懐を探る。
「何かお探しですか?」
「ああ、ライターを…」
そして、内ポケットの中のものに気づく。
(やっべ、警察手帳持ってきちゃった!
念のため置いてくるか…)
アニマが、その表情を読み取る。
「あの、どうされました?」
「んん?いや…ライターあったよ。ちょっとタバコ吸ってくる。
ついでに買い物いくから」
そう言い残して部屋を出た。
地上に上がり、一服しつつ署に戻る。
彼女は公安警察の一員であり、汚職警官であった。
「あの、すいません」
「!」
突然、話しかけられる。
相手は若い男。服装はラフで、大学生然とした見た目だ。
「ああ…何か?」
「少しお聞きしたいことがあるんですが」
「こっちにはねーな」
「話して頂かねば、困ります」
戒麗は、懐に手を突っ込んだ。
(持っててよかったかもな…今日に限っては)
公安警察の手帳。安易に振りかざすべきではないが、今はこんな些事に手間取っている場合ではない。
「テメェ相手見てモノ言えよ?
しょっ引かれるだけじゃ済まねえぞコラ」
「わざわざ自己紹介痛み入る。
ですが、必ず話を聞かせてもらう」
右ポケットに手を入れて、何か重い金属音を鳴らした。警告である。
(重心の偏りから察するに、拳銃か、それより少し軽いもの。
こいつ、街中でやり合うつもり…!?)
「ここで暴れる私を、あなたが取り押さたとしても、です。
あなたは上層部から眼を付けられることになり、今後動きづらくなるだけ。
どうするのが賢明か、あなたならお分かりのことと存じますが」
間違いない。この男、戒麗がアニマを養っているのを、知っている人間だ。
「…いいわ、そこの喫茶にでも入りましょう」
喫茶に入った後、男は早速本題を切り出した。
「率直に伺います…あなたが確保している人物を、引き渡していただきたい」
「ホントに率直ね!もう少し駆け引きを大事にしてほしいもんだわ」
さて、ここで二者の戦力を比較分析してみよう。
戒麗は、警察だけあってよく鍛えられており、修羅場にも慣れている。
対する男は、武器を使うそぶりを見せるなど、まるっきり素人ではなかろうが、未だ謎が多い。
(まあ問題は戦闘力じゃなくて、こんな街中で平然と仕掛けてくる可能性があるって事だけど)
「それで、どちらに隠しておられる」
男は構わず話を進めようとする。
「ちょ、ちょっとぉ!ホントに、少し待って!
交渉とかさぁ…」
「必要ありません。私が求め、あなたが差し出す。
これは取引ですらないのですから」
圧倒的に強引な姿勢。
それもそうだ。今実力行使になったら困るのは戒麗の方なのだ。
(自分が捕まる事はどうでもいいって辺り、組織の一員って感じね。
それも、結構デカい組織…その上、ウチの上司より諜報能力に長けてる組織となると…さて…?)
公安警察の上層部さえ知らない戒麗の秘密を探り当てたというのは、かなりの調査力であるという他ない。
「ま、いいわよ。でも、お願いがあるの」
「取引ではないと申し上げたはずですが」
「そうじゃなくて!トイレに行ってもいい?」
「…構いませんが、余計な事は考えないでください」
この場から逃げれば、即座に喫茶の客に危害を加えるという事だ。
「分かってるわよ。これでも警察官だからね」
そう言い残してトイレに行った。
洗面台で自分の顔に向き合って、ため息をつく。
(逃げよ)
窓を開け、こっそりと脱け出した。
市民の命より、自分の利益である。
(あいつが、わずかでも私の警官としての良識を信じてくれてよかった…。
おかげで、それを裏切ることができた)
とにかく今は逃げて、隠れ家を変えるべきであろう。
その頃、男は。
「…戒麗刑事が逃げた。追跡に入れ」
既に潜伏している仲間に、連絡を送っていた。
その中で店の裏手で待機していた者が、
「…トイレの窓から逃げるのを確認した」
と伝えて戒麗の後を追った。
更に他の仲間が、
「武器は?用意しておくか?」
と聞く。
「…不測の事態には備えておけ。
私も用意しておく」
「了解」
男は通話を切り、懐を探って、手裏剣を取り出し、再び懐に収めた。
〈つづく〉
どうしようもない名鑑No.66【妖精の女】
魔王討伐戦において、カメラマンとして雇われた妖精の1人。
普段はごく小規模のネット番組などに雇われて金を稼いでいた
が、実は映像作家を目指しており、各所のコンクールに応募し
ていた。
金になるからと魔王城に行ったのが運の尽きで、『何か』に
あてられて発狂した。