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第16話 Amnesia(1)

つづきです。

アニマは、ツォンとの戦いの中で、脳神経に多大なダメージを負った。


アニムスから教わった対処法によって、死こそ避けたものの、戦いの中で気を失って倒れてしまう。


そして次に目が覚めた時、彼女は記憶を失っていた。


「…本当に、何も思い出せないの?」


「や、すいません。


マジで何にも分からないです…私…私?」


不意に、落ち着き無くあちこちを見回し始めた。


「ど、どうしたの?」


「いや…この『私』ってのがどうにもしっくりこなくて…。


私、女ですよね?女って基本、『私』ですよね?」


「まあ、相場は『私』だけど…色々試してみたら?」


「アタシ…いや、あちき…わっち…ボク、オイラ、拙者…?」


どれも違和感があるようだ。


「う~ん、何か違うんだよなぁ」


「そうなの?


…あっ、ほら、アレがあるじゃない!」


「アレ?何です?」


「『オレ』とか!」


眼を見開いた。


「オレ…オレ!ああ、これだ!」


「あ、ホントにそうなの?」


「ええ、どういうわけか、以前は自分のことをオレと呼んでいたみたいです」


「そう!ちょっとは思い出してきたみたいね!」


女は嬉しそうに言った。


「それより…ここは?ていうかあなたは?」


「あ、そっちの説明がまだだったわね。


私は、この辺で屋台を出してる、戒麗ってもんよ。


ここは私の家。ちょっと狭いけれど、我慢してくれる?」


「あ、いやそんな。


でも、オレのこと、どこで見つけたんですか?」


すると女は、それが本題とばかりに、


「それよ!あなたの事、警察の知り合いに任されたの。


酷い大量殺人事件が起きた現場で発見されたって」


「さ、さつじんじけん…?何でオレが!?」


「いや、それはわかんない…。


ただ『身元を証明できる人間が現れるまで預かってくれ』って言われただけだし。


なんか、お寺で気絶してたらしいわよ、あなた」


首を傾げる。


「お、お寺ですか?そんな所で人殺しなんて、随分罰当たりですね」


「なぁんか、質の悪い連中が住み着いてたらしいよ?


みんな惨い殺され方だったって。ひょっとしてあなた、そいつらに誘拐とかされてたんじゃないの?」


身震いして首を振る。


「ま、まさかそんなぁ!怖いこと言わないでくださいよ!」


「いや、記憶を取り戻してくれないと、私もずっとあなたを住まわせてはおけないからさ…」


戒麗の言葉に、アニマの表情が曇る。


「あ、いや、あなたが悪いんじゃなくてさ。私が悪いのよ。


この部屋、狭くて暗いでしょ?地下にあるの。


ここと、この扉の向こうにもう一部屋。それが私の家。


水道と、飲み水の入ったポリタンクと、寝るための毛布。それが私の全て。


私みたいな学の無い平民は、こうして日銭を稼ぐので精一杯」


そこまで言って、いたたまれない表情のアニマに気づく。


そこで戒麗は、床に転がる緑色の容器を拾い上げて、


「…いや、洗剤!洗剤もあった!」


アニマに向かって笑いかけた。


「…ふ、ふふふ」


アニマも、つられて遠慮がちに笑う。


ボサボサの前髪で隠れた、赤い眼がチラリと覗く。


「……」


「…ど、どうかしましたか?私の顔になにか…」


「あなた、綺麗な眼してるのね!」


「へ?」


キスでもするのかという距離まで近づいてくる。


「わ、わ?」


「でも瞳は淀んでるわよ、体調は大丈夫?」


「ううん…それも、どうなんでしょうか、分かりません」


「まあ、今は自分の事だけ考えてくれればいいから!


私、ちょっと屋台を出してくるから…あなたはここで寝てて。


お腹が減っちゃうかもだけど、食べられるものはないの、ごめんね。


あっ、でも、仕事が終わったら、屋台で出してるもの持ってきてあげるから、我慢しててね。


水は…あんまり無いから、どうしてもって時だけ飲んで。隣の部屋にあるから」


アニマは健気に頷き、煎餅布団に尻を置いた。


部屋を出る背中を見送り、ため息をついた。


(今は優しくしてくれてるけど、日を追うごとに生活は苦しくなるはず。


警察からお金を貰ってても、人間1人養うのは、かなり大変だろうし…。


ずっと居座ったら、嫌われるだろうなあ…)


善良そうな人であるだけに、そうなれば忍びない。


(でも、知り合いなんていつ現れるか分からないし…。


ひょっとして、オレの事知ってる人なんて、どこにもいないのかな…)


やることもなく手癖で弄っていた洗剤容器を、ふと見る。


(こういうのってついつい成分表示見ちゃうんだよな…)


『ジークフリート・ゼロ』

品名:洗濯用合成洗剤 用途:綿・麻・合成繊維用

液性:弱神聖属性 正味量:910g

成分:界面活性剤(妖精の鱗粉)、純せっけん分(深淵の泥濘)、水軟化剤、分散剤、蛍光増白剤


(洗剤に妖精って…さすがファンタジーな世界だな…)


内心で苦笑してから、気づく。


(『ファンタジーな世界』って…我ながら変な言い方だな。


まるで別の世界から来たみたいじゃないか…)



その頃戒麗は階段を上がって、地上に出ていた。


「…ふぅ。さ・て・と」


スマホを取り出し、連絡する。


「…私よ。ええ、目を覚ましたわ。


あなたに、人を預かれなんて言われた時には驚いたけど。


え?私の事?」


フッ、と鼻で笑う。


「一応、警察の知り合いから預かったって事にしたわ。


嘘じゃないわよ、警察に知り合いはいるし…。


まぁ、私が警察なんだけど」


戒麗は、紅蛇公安警察の諜報部員である。


「身分は屋台の店主よ。結構リアリティあったと思うわ、実際の知り合いのエピソードを使ったもの。


…ん?いやいや、同級生で、後にそういう暮らしになった人がいるのよ。


それを知ったのは、諜報活動中の偶然だけどね。


諸行無常よねえ、その人、学校じゃ結構モテてたのよ?」


話が逸れた、と話題を戻す。


「それで、眠ってる間に診てもらった通り、記憶喪失になってたわ。


しばらく様子を見てみるけど、ヤバくなったらすぐアンタに返すから。


ただでさえ、職場には内緒の遊びなんだから!じゃ、切るわね」




「……」


通話が切れた。


「記憶喪失かぁ…」


重いため息をつく。


「何か情報を持ってるかと思ったのに、ツイてないなぁ」


そして大きく伸びをすると、PCに向かい合った。


その顔は、『大兄看你』と書かれた札に隠されていた。


「せっかく寺から運んできたのに…何か思い出すまで地道に待つかぁ…」


彼女、魔導ハッカー『天眼通』は、現場から逃げ去った後、コネを使って現場に警察を呼び、知り合いの捜査官にアニマを回収させた。


更に念のため、医者に診断させ、そこで記憶喪失が判明した。


それもこれも、全ては好奇心がゆえ。


もっとも、アニマの恐ろしさを知る彼女は、捜査官に直接の対話を一任し、自分は安心して情報を得られるように工作した。


(かつての雇い主に調べさせられた、『神の遣い』というワード…。


一見普遍的なワードに見えるけど、私の絞り込み能力をもってすれば、その本質を捉えることは簡単だった。


それは、世界各地で起きた『アルビノの女』の目撃情報にあった)


アルビノの女、つまりアニマたちは、自身を『神の遣い』と称していたらしい。


ある事件で襲われたチンピラからの又聞きだから、信憑性は定かではなかったが、彼女にとっては調べるだけの根拠があった。


(私の報告ムービー内でも、2人はその事を口にしていた…)


恐らくツォンも、それを見て『調べろ』と言ったに違いない。


(全く…報告も聞かずに逃げちゃうんだから!


それでも結局殺されちゃったんだから、逃げた意味ないよね!)


ツォンを殺した犯人も、一応調べて分かってはいるが、どうでも良かった。


(それより重要な情報が分かっちゃったもんね~!)


その、神の遣いというワードが確認できた事件の中で、最も大きなもの。


(魔王討伐戦…あの悪名高き伝説に、まさかあの娘が絡んでくるなんて…)


魔王との戦いは、今なお形を変えつつ、裏社会を漂う伝説となっていた。


(参加していた人間も含めて、かなりの曰く付きだったって噂だし…)


魔導の名門チェザレ大学が輩出した最優にして最悪の術師、死霊使いキャスパー・レヴェナント。


紅蛇のマフィア『屠城流氓』との抗争では3秒間に50人殺したという、銀の腕を持つヤクザ、吾虎武蔵。


魔王との戦いの後領民を虐殺し、それによって師と決闘、相討ちになった外道騎士、ツームストン卿。


20の国で25の国宝を強奪し、ある国では正規軍を壊滅させ、ある国では救国の英雄を殺した盗賊王、黒刃のケサル。


この並み居るクソ野郎の中に、アニマもいたのだ。


もっとも、皆さんは誰よりもその件に詳しいはずだ。何しろ、その眼で見ているのだから。


(記憶さえ取り戻してくれれば、情報中毒者にとって何よりのごちそうである、あの戦いについて知ることができる!


そうすればアイツにデカいツラさせないで済むし…)


アイツとは、世界最強の情報屋などと呼ばれている人物。その姿を見た者はいないとされている。


情報収集においては無敵に見える天眼通さえ、その能力には及ばず、度々お世話になっている。


(まあ、そんな事より、久しぶりにフリーになったことだし…。


今日は思いっきり、『ネットサーフィン』しちゃうぞぉ~っ!)


脊髄の超小型アンテナを起動、無線ポートと接続する。


その瞬間、視界に極彩色の幾何学模様が渦巻き、立体的に周囲の空間を形成すると、色彩が統一された。


どこまでも青い空間が広がっている様は海のようでもあり、光の粒が満遍なく散らばっている所などは宇宙そっくりだ。


これが、電脳界。


あるいは電脳空間とも呼ばれているこの空間は、脳内に再現されたバーチャル世界ではなく、どこかに実在する異次元であると言われている。


ここに入り込める者は、優れた魔導ハッカーの中でも、特別な処置をした者に限られる。


(でもたまに『念力でタイピングして入ってきた』とか言う奴いるんだよな…。


魔法で手を触れずにキーボード押すとか、脳手術で非実在キーボードとリンクするとか、そういうのはあるけど…。


念力って、ぷっ!精神力でどうやってPC動かすのよ!)


そういう魔導ハッカーがいる事はまことしやかに囁かれているが、質の悪い都市伝説として扱われている。


(ローカル空間設定、重力定義…っと)


どこまでも広がって見えた空間が、突然平面的になり、壁や天井となって部屋になる。


足がストンと床に付き、重さが生まれる。


(テクスチャ設定、普通の部屋でいいか)


壁や天井が白く染まる。部屋の真ん中に、せり上がるようにして机や椅子が出現する。


まるでちょっとした生活空間である。


(で、検索エンジンに接続…)


壁の1つに扉が出来る。


扉を開けると、まるで無人島の砂浜のような場所に出た。


足元では、2進数で構成された波が寄せては返す。


少し掬い取って覗く。


(…へえ、ふむふむ、なるほど。


こりゃ今日は、大波は来ないかもな…)


大波、すなわち情報量の多いデータの事である。


この空間は、検索エンジンを視覚化したものなのだ。


特殊なアルゴリズムによって適切な情報を取捨選択し、海として溜めこみ、波の形で持ってくる。


情報収集のために天眼通が作った、独自のシステムである。


(魔王の情報は最優先って設定しておいたのに…


全然集まってない所を見ると、やはり厳重に秘匿されているみたいね…)


チャパチャパと手で水を弄ぶと、電子ノイズめいた水滴が散る。


この水の一滴一滴が情報であり、全世界から集められたビッグデータなのだ。


(…ん?)


突然、水面に顔を突っ込む。


(…んん!?)


札に隠れた眼が血走る。


(こんな、波も起きないような小さな情報…。


いや、でも…!?)


水を掬い取り、扉の向こうに戻る。


机の上のコップに、掬った水を注いで飲む。


脳裏をデータが走り抜ける。


(この情報、まさか…)


それは、ある妖精族のブログであった。


妖精というのはかなり身体が小さく、特殊な仕事に需要がある。


『今日は某番組の仕事。人の通れない洞窟の奥を撮影してきます!


国外に行くので、更新は少しだけお休みになります』


そのブログの主も、身体の小ささを生かしてフリーの映像カメラマンをしていたらしいのだが…。


ある日の書き込みから、その内容がガラリと変わった。


『恐ろしいものを見てしまいました。


仕事を辞めることになるかもしれません。


このブログも、しばらく更新できなくなりそうです』


その次の日、前日の内容に反して、ブログは更新された。


『偉大なるお方が復活なされた。


あのお方こそ光ですので、人は死にます。お仕事です』


『忌まわしい人間、魔王様の電波で頭が狂ってほろびます』


『みにくいにんげんこわれてsみんなしにむhんじゅ』


支離滅裂な文章の羅列が続く。


(いつの書き込み…?ああ、まだ更新は続いてる。


ひょっとして、この人は本物の魔王を見たんじゃないの?


ええと、『恐ろしいもの』を見たって書き込みの1つ前は…?)


『ちょっと危険な仕事をします。


世界遺産の魔王城で有名な、カラン島での撮影。


まあ危険といっても大したことは無いと思いますから、ご安心を!』


(魔王城…!やっぱりそうか!


そうと決まれば!)


その瞬間、部屋の壁が崩壊し、最初の青い空間に戻ってきた。


更に空間がモノクロになり、グルグルと回る。景色が遠ざかってゆく…


「ぶはっ!」


机から顔を上げ、アンテナの接続を切る。


「…ちょっと調べてみる必要がありそうね」


〈つづく〉

どうしようもない名鑑No.65【戒麗】

紅蛇公安警察に勤める諜報員。業務にはあまり熱心ではなく、

もっぱら小遣い稼ぎに腐心する悪徳警官。

捜査中に魔導ハッカーの天眼通と繋がりを得て、結構あぶく銭

を稼いでいたようだ。

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