貴女に贈る《婚約解消》
「悪いが、貴女との婚約を解消したい」
恒例となっているボルゴニョーネ伯爵家でのお茶の席で、私は婚約者であるハーマイオニーに言い放った。
「何故か、理由をお聞きしても?」
「言わなくても判っていると思うが、最近の貴女と隣国のジブリアン第二王子とのことだ」
「ですが、あれは…」
「言い訳はいい!では、そういう事だ。正式な書類は後日届ける」
立ち上がり、背を向けた途端に涙が溢れそうになった。まだ、だめだ。せめて馬車に乗るまでは、泣いてはいけない。そう強く思うのに、どうしようもなく涙が溢れ、鼻水まで出てきた。(せめて風邪をひいているふりでもしていれば、鼻水をすすっても誤魔化せたかも)などと、どうでもいい事を考えている間も、それらは止まる事無く流れ続ける。
後少しだ。御者が驚いた顔をして寄ってくるが、それを手を上げて制し、なんとか馬車に乗り込んだ。すぐに出すよう手で指示するが、それが限界だった。嗚咽を押さえる事さえできず、私は幼子のように声を上げて泣き出した。
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バルベーリ公爵家の長男に生まれた私・リオンテは、小柄な母の身体的特徴と、厳つい父の風貌を受け継いだため、少し厳つい顔をしたチビだ。身長だけでもなんとかしたかったが、毎朝の牛乳も功を奏せず、17歳の今現在163センチしかない。我が国の成人男性の平均身長は175センチなので、それよりも10センチ以上低い事になる。そのせいか、次期公爵という身分にも関わらず、中々婚約者ができずにいた。
一方、二歳下の弟カミーロは母の風貌と、父の身体的特徴を受け継いだため、背も高く(15歳の今現在、すでに173センチある)、見た目も良い。使える魔法も、私は土魔法で地味だが、弟は火魔法と華やかだ。
『いっそカミーロ様が公爵家をお継ぎになれば良いのに。それならば私、喜んで婚約者になりますわ』と、令嬢達が陰で言っているのを、何度聞いたことか。
「兄上は凄いですね」
幼い頃からそう言って私の後ろをついてまわるカミーロに、兄として少しでも良い所を見せたかった事もあり、色々努力し続けた結果、とりあえず勉強も剣術も人並み以上に出来るようになった。
そのお陰か、カミーロは今も私を兄として立ててくれるし、両親との仲も良好だ。ただ、私の婚約者が中々決まらない事だけが、家族の悩みどころだった。
そんな折、15歳で入学した王立学園で、私は同じクラスになったボルゴニョーネ伯爵家のハーマイオニー嬢に一目惚れをした。
銀色に輝く髪と、少し吊り上がった澄んだ紫の瞳を持つ彼女は、一見冷たい印象だが、微笑むとその表情が一変する。まるで日だまりに咲くスミレの花の様な微笑みとのギャップに、私はあっという間にやられてしまった。
だから少しでも彼女に笑って欲しくて、でも気の効いた話も出来ず、女性の流行りも判らない私が出来るのは、学園での勉強の話や、領地の運営や農地改革の話しかなかった。
しかし、ハーマイオニー嬢はそんな話を楽しげに聞いてくれるだけでなく、彼女自身、独自の考察や意見を持っていて、特に土魔法と水魔法を併用して足場を作った後は、バランスを取りながら橋を築くというアイデアは、大変興味深いものだった。
他にも、土魔法と火魔法附与したローラーによる道路整備や、水魔法を使って 船自体を水面ギリギリまで沈ませ、貨物を積みやすく出来ないか、などというアイデアまで持っていて、実際に可能かどうか、クラスを巻き込んでの討論に発展した事も何度かあった。
そのため、毎朝今日は何について語ろうか、考えるだけでも楽しい日々が続いた。
そんな私の想いはいつしか家族の知る所となり、入学から一年もしないうちに、私と彼女の婚約話が持ち上がった。受けてもらえるかどうか不安で仕方なかったため、伯爵家に打診の手紙を送った父から色好い返事をもらったと聞いた時には、最初は信じられず、何度も自分の頬をつねったほどだ。
正式な婚約の申し込みの時にカミーロも同行すると聞き、少し心配になったものの、ハーマイオニー嬢は礼儀正しい挨拶の後は、特にカミーロに興味を示す事無く、普段通り私と話していたため、恥ずかしながら、ほっとした。カミーロからも、彼女なら、喜んで姉上と呼べますと言われ、家族全員に祝福される中、私達の婚約が整った。
しかし、くちさが無い連中はどこにでもいるもので、私と彼女の背丈が三センチしか変わらないとか、身分を笠に着て婚約を結んだとか、陰口を叩く者は後を絶たなかった。
「どう見ても、不釣り合いだろ」
「あれのどこが良いんだか」
「やっぱり身分だろ?」
「あれでも、次期公爵だからな」
舞踏会に出席する度に聞こえてくる声を、必死で無視する。隣にいる婚約者はにこやかに自分だけを見てくれているのだから。なのにあと少し、そう、せめて3センチで良いから背が高ければと思ってしまう己が情けなかった。
「リオンテ様、あのような雑音など気にせず、もっと堂々として下さい」
そう言って微笑む婚約者は、おそらく今日も私と二曲踊った後は、せいぜい彼女の兄上か、父君であるボルゴニョーネ伯爵と踊るだけで、他の誰とも踊らないだろう。彼女はそういう人だ。優しく、正しい。
ただ、最近留学してきた隣国のジブリアン第二王子(身長180センチ程度)が、彼女に興味を示しているのが気になっていた。
最初は、数ヶ月前に彼女が近隣の国をまたいで構成される学術団体≪アカデミー≫に提出した、新しい橋の工法について質問してきたのだが、そこで彼女自身に興味を抱いたようだ。
私と彼女が二人でカフェに居ると、頻繁にやって来ては同席を求めて来るし、すぐに彼女の手に口づけをしようとする。ハーマイオニーは上手くかわしているが、その度に何故か私が睨まれていた。
今日の舞踏会は隣国と親しい関係にあるボーソレイ侯爵家で開かれているため、当然ながらジブリアン王子もこの場にいる。もしかして、何かしてくるかもと心配していたが、案の定だった。
私と彼女が一曲踊った直後、続けて踊ろうとしていた私達の所に第二王子がやって来たのだ。
「レディ、一曲お相手を」
「でも、私は…」
他国とはいえ、王族の誘いを断る訳にはいかない。辞退しようとする彼女を止め、私は王子と交代するが、
「なんてお似合いなんでしょう」
「やはり、ダンスはあれくらい身長差がないと、様になりませんわね」
優雅に踊る二人を視界にいれないようにし、聞こえよがしな言葉に耳をふさぎながら、曲の終わるのを待つ。それでも気になるため、ちらりと目をやると、にこやかに踊る婚約者の顔が見えた。やはり、彼女も私よりもジブリアン王子の方が?そんな事を考える自分が嫌になった。
その後、ハーマイオニーは戻って来て、私と一曲踊った後は誰とも踊らず、ずっと側に居てくれたというのに、うつうつとした気分は晴れないままだった。
放課後、ハーマイオニーはバラ園そばのベンチで読書をするのを習慣としている。その日、私は剣術の授業で軽い怪我をしたので、医務室に寄ってから彼女に会いに行くことにした。そのため、近道のためにとバラ園の中を突っ切っる事にしたのだが、そこでハーマイオニーとジブリアン王子の話し声に気がついた。
盗み聞きなどするべきではないと判ってはいたものの、思わず隠れて聞き耳を立てる。
「何度も申し上げますが、私にはリオンテ様と言う、立派な婚約者がおりますの」
「でも、結婚した訳でもないし、婚約なんて物、なんとでもなるさ。そこまで頑なに私を拒絶する理由にはならないよ。何より貴女の才能は、一公爵夫人としてより、王子妃として発揮されるべきだと思う。もし、伯爵令嬢という身分を気にしているのなら、問題無いよ。私は第二王子だし、なんなら我が国の公爵家辺りの養女になれば良い」
「ですが、私は…」
「だから私との事を、もう少し真剣に考えて欲しい」
そう言ってジブリアン王子はその場を後にし、残った彼女のため息だけが、その場を支配していた。
結局、私は彼女の気持ちを知るのが怖くて、その日はそのまま家路についた。しかし、頭の中では二人の会話が何度も繰り返される。
確かに、ジブリアン王子と結婚した方が、優秀な彼女のためなのかもしれない。奇抜だが柔軟な発想力を持ち、外国語にも堪能なハーマイオニーが王子妃になれば、きっと多くの事を成し遂げるだろう。それにジブリアン王子となら、私と一緒にいるときの様な陰口を言われることも無い。
ならば彼女のために、この身を引くか?そんな事が私に出来るのか?彼女が私以外の男の横に立つと考えただけで、身を捩るほど苦しいのに…
しかし、このまま婚約を続けて、彼女の可能性を潰してしまうのは、許されない気がした。ならば、やはり…
ぐるぐると周る思考の中、何日もかけて出した結論は、≪正しい≫事をするべきだという物だった。なので、その通りに行動したのだが…
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自分で決めた事なんだからと何度も自分自身に言い聞かせたものの、涙も鼻水もとどまることなく流れ続けたせいで、翌朝、瞼がパンパンに張れ、鼻は真っ赤になっていた。到底人前に出れない顔になった私は、仕方なく学園を休むことにした。
「兄上、大丈夫ですか?」
学園から帰宅したカミーロが、心配して様子を見に来てくれた。
「らいじょうふだ。明日ひはがく園ひもいけるとほもう」
(大丈夫だ。明日には学園にも行けると思う)
鼻がつまって、まともに喋れないが、なんとか通じているようだ。
「こんなに成るほど辛いのなら、どうして…兄上、正式には、まだ解消していないのですから、今なら取り消せますよ」
「わたひは、かのしょのしあわせがひちはんなんら」
(私は、彼女の幸せが一番なんだ)
「ハーマイオニー嬢の気持ちは、確認したのですか?」
「かのしょはやさしい人らから、ほんほうのひもちはいはないよ。だから、これれいいんら」
(彼女は優しい人だから、本当の気持ちは言わないよ。だから、これで良いんだ)
「しかし…」
「悪いが、おうふこしよこひなっへいるよ」
(悪いが、もう少し横になっているよ)
それからどれ位うとうとしていたのか。聞こえてくる声に、思わず飛び起きた。カミーロと彼女の声だ!見回すと、テーブルの上に録音用の魔法陣があり、声はそこから聞こえていた。
『確かにあの方は、私にとって「恋に落ちる」ような相手ではありませんわ』
ハーマイオニーのその言葉に、心が捩れる。しかし…
『共に歩み、愛を育んでいく相手だと、そう思ってました。残念ながら、貴方のお兄様は、そうは思われなかったようですが…』
思わず動きが止まる。愛を育む?私と?彼女が、友人として私を好いてくれているのは判っていたが、異性としてどう思っているのかは、怖くて一度も聞くことが出来ずにいた。もしかして、私は少しばかり早まったのだろうか?今聞こえてくる言葉が、全て彼女の本音だという保証は無いが、私達の未来には、私が思っていた以上に希望があったのかも?
『では、兄のことは?』
『好きになりかけていた、辺りが正確でしょうか。リオンテ様の第一印象は、丁寧な人でした。どのような方にも、傲る事無く対応されてましたので。次に思ったのは、賢い方だと。お話していて、その思慮の深さや博識ぶりはうかがえましたし、次期公爵としての責任感もすでにお持ちでしたから』
思わず魔法陣を掴み、寝巻きのまま走り出していた。驚く執事に、急いで馬車の用意をさせる。彼女の屋敷まで半時あまり。魔法陣からはカミーロとの会話が聞こえ続ける。
『なにより、私の能力を認めてくれる事が嬉しかったのです。私に言い寄って来る人の中には、≪あなたは何もしなくて良い≫とか、≪自分の隣で笑ってるだけで良い≫とか言って、私の能力を見ようともしない方が多かったので。ですが、リオンテ様は私のアイデアを面白いと言ってくれたばかりか、アカデミーに発表する為の実験や準備なども手伝ってくれました。それに、会うたびにあれほど嬉しげにされたら、女性として悪い気はいたしませんもの』
彼女の柔らかな笑い声がする。実験の手伝いをしたのは、少しでも一緒に居たいという不純な動機故の行動だったので、少し恥ずかしくなった。
『身長は、気になりませんか?おそらく、それが兄の一番の悩みなんですが』
『何度も、気にしてませんとお伝えしてるのですが…実際気にしてませんし、何より、本人の努力の範疇外の事ですから、それをどうこう言う方が、どうかしていると思ってますわ』
いや、努力はしたんだ、一応色々と。でも、ダメだっただけで…でも、本当に気にしてなかったのなら…私はもっと彼女を信じるべきだったんだと、そこでようやく気がついた。
『では、第二王子のことは?』
『あの方も確かに私の能力を認めてくれていますが、とにかく人の話を聞いてくれない方なので、困っているのです。なんだか、勝手にご自分に都合の良い物語を作り上げ、それを私に当てはめておられるような気がして・・・いくらリオンテ様の優秀さや、私自身納得して婚約したことを説明しても、『気を使う必要はない』とか、『大丈夫、私が何とかするから』とおっしゃって、一向に通じませんの。何より、私はこの国の貴族として生まれたのですから、この国に貢献してこそ、意義が有ると考えてますのに』
気が急いて仕方なく、言うべき言葉を考えようとするが、想いばかりがグルグル回り、上手くまとまりそうにない。とりあえず、話し合う事から逃げていた臆病さと、彼女を信じる事が出来ずにいた事を謝って、なんとしても、もう一度チャンスを貰わなくては…
『では、今回のことは、完全に兄の勇み足ですね。屋敷に戻ったら、さっさと取り消すように言いますよ』
馬車から降りた時、慌てていたのと室内履きだったせいで転んでしまうが、急いで起き上がる。膝が痛むが、気になどしていられない。そのまま転げるように走り、扉をノックした。顔みしりの侍従が驚いた顔をしているのも無視して、彼女の居場所を聞く。
「お嬢様とカミーロ様は、庭園のガゼボに居られます」
「わはった!」
(判った!)
ご案内をと言う言葉が後ろから聞こえるが、何度も来ているから、場所は判っている。バラ園の近くを通った時、何かが破れる音がしたが、止まらなかった。
二人の姿が見える。驚いたのか、胸を押さえた彼女が立ち上がり、こちらに向かって歩いて来た。その姿を見ただけで胸がいっぱいになるが、まだ立ち止まるわけにはいかない。きちんと謝って、それから、もう一度……
「はーまいおいー…わらしは…」
(ハーマイオニー…私は…)
「リオンテ様…」
「ご、ごえんね、ひん、ひんじられなふて、ごえん、わらしは…」
(ご、ごめんね、しん、信じられなくて、ごめん、私は…)
「そんなに泣かないで下さい」
「わ、わらしは、はなたのほとが好きて、らいすきて、ても、じひんがなふて、らから…」
(わ、私は、あなたの事が好きで、大好きで、でも、自信が無くて、だから…)
彼女が微笑みながら、ハンカチを差し出す。それを受け取りながら、必死で言葉を探すが、涙以外に出てくるものが無く…それでも側にいてくれる彼女が嬉しくて、愛しくて、仕方なかった…
兄のあまりの憔悴ぶりに、ハーマイオニー嬢の真意を知るべく彼女を訪ねる事にしたのだが、兄にも、どういう形にしろ真実を知って欲しくて、一計を案じてみた。その結果が、涙と鼻水にまみれた、ぼろぼろの寝巻き姿の兄だとは、さすがに予想外ではあったが。ひたすらみっともなくて、一生懸命。でも、
「あら私、今、凄くときめいていますわ。もしかして、これが≪恋に落ちる≫ということかしら?では、私もまた、間違えていたということですね。でも、これほどまでに想われて、ときめか無いのは無理ですわ」
そう言って胸を押さえながら、兄の婚約者は微笑んだ。
「令嬢、もしかして犬、飼ってません?それも拾った野良」
「・・・なんだかすごく失礼な質問の気がしますけど、飼ってますわ。領地で三匹」
そう言いながら、刺繍のされているハンカチを手に立ち上がる未来の義姉に、この後の展開を考えて、大判の木綿のハンカチを手渡す。
「弟としては、この状況を嬉しく思いますが、せめて鼻水位は拭いてから来てほしかった、かな?」
その直後、盛大に鼻をかむ音が庭園に響き渡った。
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