1-1 魔獣の出現
ラグナロク――またの名を『終末の日』。
それは、ここジャンケルニア王国で100年に一度発生すると言われている、大規模な魔獣災害である。
王国全土で巨大な『魔獣』が発生する。人々に逃げ場所はない。
魔獣は大きな口で人を食い、全身からあふれ出す毒で川と森を汚染し、破壊衝動に身を任せて街を破壊する。
魔獣に対抗する方法はただ一つ。
100人の清らかな乙女の命を捧げることで発動する『神聖魔法』のみ。
しかし大きな犠牲を伴うこの神聖魔法を用いても、倒すことができるのは神聖魔法の効果範囲内に誘い込んだ魔獣のみ。発動の際には危険を伴う囮役が必要なのはもちろん、場合によっては村や街を放棄することも必要だった。
魔獣に食われた人々、魔獣を引き付ける囮役の兵士、そして神聖魔法の生贄になる乙女。
100年前のラグナロクの際には、合計で70万人もの人々が犠牲になった。
残された人々は嘆き、悲しんだ。
生活にも大きな打撃を与えた。
魔獣の破壊行動で家や畑を失った平民、領地を汚染され土地を失った貴族。
魔獣を倒すためにいくつもの村や街が地図から消えた。
大きな絶望の中で、復興までには20年もの歳月を要した。
そんな魔獣災害から100年。
悲劇は繰り返されようとしていた。
ジャンケルニア王国の西方、国境沿いにあるヤトーマ伯爵領。
そこのとある森の中に、付近のクオン砦の兵士たちが集まっていた。
「ここらへんか、魔獣らしきものの目撃情報があったのは?」
「はい。近隣の農民が、ここで巨大なクモを目撃したと」
「話だけ聞くと完全にクモの魔獣だな……」
「しかし隊長、魔獣は100年前に絶滅したはずでは……?」
「いや、ラグナロクは100年周期だ。そして今年はそのラグナロクの年だ。ここが今回の始まりだとしても不思議ではない」
「そんな……!」
「警戒を強めろ。不審な物影を見つけたらむやみに近付かず、すぐに報告するんだ」
クオン砦の第3警備隊長であるジェフは部下に指示を出した。
15歳の時に軍に入っておよそ20年、これまで大きな戦もなく、比較的平和な情勢の中で出世を重ねたジェフは30台で第3警備隊の隊長を任された。平民出身の彼にとっては早い出世だった。
これは冷静沈着な彼の性格によるものだ。
ジェフは基本的に何があっても動じたりしない。
まずは現場を見に行き、そしてみんなの意見を集約して、対応策を考え、実行する。これがジェフの基本的な行動パターンだった。
そんな常に落ち着いているジェフにとっても、今回の魔獣の出現情報は驚くべきものだった。まさか自分の故郷であり、任地でもあるこの地に伝説の存在である魔獣が出現するとは夢にも思っていなかった。
「隊長……なんだか、気分が……」
「どうした?」
「隊長……自分も……」
ジェフが森の中を探索していると、突然部下が苦しみだした。
一人二人じゃない。
――まさか!
「全員、口と鼻を手で押さえて森から撤退しろ! 魔獣の毒だ!」
ジェフは魔獣の特性を思い出した。
魔獣は全身から毒を出して川や森を汚染する。
これは、魔獣の毒だ。そう判断したジェフは、部隊全体に聞こえるような大きな声で指示を出した。
「大丈夫か?」
「はい……すみません……」
片手で口を押さえつつ、もう片方の腕で毒の影響で動けなくなった部下の体を支えながら、ジェフは第3警備隊を毒が充満する森から避難させようとする。
と、その時、ジェフは不審な気配を感じた。
「総員ふせろ!」
いくつもの巨大な影が、とっさに草むらに隠れた第3警備隊の兵士たちの前を横切る。
その影は、巨大なクモだった。
人間の何倍もの大きさの巨大なクモが何十匹も、ものすごい速さで森の中を横切っていった。
ジェフと彼の部下たちは、その光景を目にして言葉を失った。
恐怖でしばらく体を動かすこともできなかった。
見ただけでわかる。
魔獣だ。
伝説の存在でしかなかった、魔獣だ。
これは人間が戦いを挑んで勝てる相手じゃない。
剣も弓も大砲も魔法も、新開発された銃も、いくらそろえても絶対に勝てない。
「……隊長」
「……総員、クオン砦に帰投。直ちに司令官に報告する」
震える部下の問いかけに対し、しばらくたってから、ジェフは冷静に指示を出した。
魔獣の出現は、もはや明確であった。
伝説のラグナロクは、ここから始まってしまったのだ。




