巳の刻 教会裏
クリスの務める教会の裏手。人狼改めてジャックは、渋々ながらも「仕事」に励む。穏やかな日の下で、彼が思うのは…。
「ふああ。」
日も登った巳の刻。ローブを纏い、竹箒を持った青年改めジャックは、教会の裏、山との境に立ち、渋々と言った体で枯葉を掃いていた。
何故なら先程、クリスの言葉に逆らい教会の敷地から出ようとした所、それはそれは強く首が絞められ(これまた禊らしく)、不覚にも気絶してしまい、想定していたのであろうクリスによって助けられ、微笑みと共に箒とローブを、改めて渡されたからである。後ろで事の次第を見守っていたシルクは腹を抱えて笑っていた。あの手品師後で絞める。
がさ、がさ、と雑に枯葉が払われる音だけが響く。
と、
「すみませーん!」
突如として明るい声が響いた。それと共にころころとボールが青年の足元に転がって来る。
ジャックがボールを拾い上げ顔を上げると、十になるかならないかくらいの少年が手を振っている。恐らく礼拝に来たのだろうが、今はまだ少し早い、ボール遊びでもして礼拝の時間を待とう、という魂胆だろう。
少年は笑顔で駆け寄ってくる。その笑顔は邪気がなく純真だ。その笑顔が、無防備さが眩しかった。
この少年は、自分が魔族だということを知らないのだろう。だから、ただこの手の中にあるボ ールを彼に渡してしまえばそれで終わりのはずだ。それでも。
彼は人間が嫌いだった。彼の父や同胞が人によって倒された、ということももちろんだが、それ以上に。
無意識に手に力が龍り、ボールが軋む。
(あいつらは裏切った。)
神官らには魔族の長としてああ答えたが、何も全く関わったことが無い者を、初めから嫌って いたのではない。
あれは幼い頃、記憶に残るか残らないか危うい程の年齢の頃、未だ人と魔族に交流ありし平和の時。
幼い彼は、父に連れられて知人の家を訪れていた。
父と家主が話している間、彼は興味津々で部屋を歩き回っていた。人の作る、精巧で煌びやかなインテリアの数々、足音一つ立たぬワインレッドの絨毯、星を拾ってきた様なシャンデリア。彼の住む屋敷もこの豪邸とはまた違う美しさがあったが、好奇心溢れる盛りの幼子にとって、見知らぬ物への興味は尽きる所か次から次へと湧き出て、彼の足を動かし続けていた。
「よっぽどお気に召したようだね、坊。」
見兼ねた家主が微笑みとともに、優しく彼に問い掛けた。
「あまり歩き回るなよ。」
少し前から自分を見ていたらしい父も、少し呆れて、しかし穏やかに彼を諌めた。
ここの家主・ミト子爵は、魔族の森にほど近いミト領地を収める領主だ。父とも親しく、魔族らに対する理解があり、彼の妻・リディアも死神である。彼女も、夫の隣で柔らかく微笑み、時折会話に参加している。魔族と人が共存しているとはいえ、まだまだ魔族に対する目は冷たい中、ミト子爵は魔族側につく数少ない人物だった。
その時大人達が何を話しているかまでは幼心には分からなかったが、彼等が友好的であるのは間違いなかった。
それが魔女狩り三日前のことである。この三日後、築かれてきた人間と魔族の協調関係は容易に崩れた。
今から二十五年前のことである。
「ボールありがとうお兄さん!」
少年の発刺な声でジャックは我に帰った。いつの間にやら少年が目の前まで来ている。手を差し出してくるのでボールを渡してやると、満面の笑みを浮かべて礼を言い、踵を返して去っていった。
あれ位の子供ならば、実際に魔女狩りを見てはいないだろう。彼に自分が魔族であると知れたら、どうなるだろう。
人は魔族を恐れ、嫌い、それを後世にも伝えている。あの少年とて例外ではない。きっと怯えられ、逃げられるのがおちだ。今は禊により人を食らうことはおろか襲う事も傷付けることも出来ないが、確かに自分は人狼であり、人を(もちろんそれだけではないにせよ)食糧とする生物だ。自分を害するものを恐れる、当然の本能だろう。…そして、その害するものを排除しようとするのも、当然の。それは理解するところだ。
然しながら、少なくとも二十五年前、確かに人間と魔族は共存していた。多少の偏見はあれど、確かに共に暮らしていたのだ。
何が変わってしまったのだろう。
ひとえに人の愚かさ故と考えてしまうのは簡単だが、それだけではない気がする。もっと他に要因が_大衆の考えを大きく変えてしまうような多大なる要因が_あるはずだ。それが分かれば、あの手品師達が言うような、この対立の解消、解決が見込めるだろう。さてそれは何だ。
(だが。)
魔族の自分が考えても、およそ預かり知らぬことだろう。人の思考回路というのは複雑怪奇で、時に人を殺し、人を救い、また自身さえ滅ぼす。何と愚かで…そして浅ましい。
人ほど愚かな生き物はいない、とは自分の妻・ガランの言葉だ。彼女も兄を魔女狩りで失っている。両親を知らない彼女は、兄が唯一の肉親であった。その喪失感と悲嘆は計り知れない。その分人への恨みは深い。人に限らず、生き、思考する生物全ては_魔族も含め_愚かしいのだろうが、それは恨みひとつで容易に覆る。魔族は人を、人は魔族を、互いに恨み、愚かだと指を指す。本当はどちらも愚かなのだ。だからこそ、聖職者の言にも一理ある。そうでなければ (禊にかかっているとはいえ)こんな風に従ってなどいない。
こんなことを話せばガランや仲間たちは憤るだろうが、上手く行けば、幼き日のような、否、それ以上に、平和な世界となるだろう。それは、聖職者たち、魔族側と人間側、どちらにもつかぬ中立の立場の者たちにしか実現し得ない。何故なら、どちらかに傾くようなことがあればそれは、完全なる平和協調ではなく、仮初の休戦なのだから。
(仕方が無い。)
自分は魔族の長として…この世界に住む者として、彼らに協力せねばならないようだ。
それが、長自ら仲間に楯突く事であろうと。
恐らく続きます。