トランプの兵隊
差し込む日差しに、宙を舞う色彩豊かな蝶、鳥たちの鳴き声。
森林から発せられる澄んだ空気が心地よい。散歩には最適な日和だ。
アリスは日傘をさして木漏れ日の中を進む。
時折、アリスの足元の影から無数の目玉が辺りを見渡していた。
カイムの能力で周囲を見てもらったところ、少し離れているが手頃な集落が見つかった。アリスたちはその集落でエネルギーの補給を行おうとしている。
「アリス」
「何かしらカイム?」
アリスの肩に乗るカラスが人語を発する。
悪魔の姿は流石に目立つのでカイムにはカラスに変身してもらったのだ。
「何故、君は目を閉じているのかね?」
アリスは外に出てから目を閉じていた。だからと言って、何も見えないわけでもない。
アリスの闇は怨霊と化した魂を内包する役割のほか、闇自体が触覚のような役割をもっている。展開すれば周囲10メートル程度なら空間の把握は可能。闇は影に潜ませている。
歩行には問題ない。手すりに掴まって歩くようなものだ。
「見るべきものは見るわ。でも、今は価値のないものしかないもの」
「早計ではないかね。我々はこの世界に来たばかりだろう」
「つまらない物を見せられて、あの光景を汚されたくないのよ」
アリスはあの別れの時のように、胸元を撫でる。
目を閉じれば、あの時の情景が鮮明に浮かぶ。心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。
たとえ離れていても、きっと彼を忘れることはない。
「それよりも人の気配がまったくないわね」
「数キロ先に人の集落のようなものがあるが……おや?」
カイムの様子にアリスは「どうしたの?」と言葉に出そうとする。だがアリスの疑問もすぐに氷解した。
闇の中に何かが突っ込んでくる。触った感触からして骨格は四足獣のようだ。だがそれはアリスの知る四足獣最速のチーターよりも俊敏で、それは象より何倍も大きな体をしている。
獣は木々をなぎ倒し、アリスたちの前に姿を現した。
それは巨大な獅子だ。
太陽に照らされ眩く輝いた黄金の体毛。獣の王者のふさわしい凛々しい輪郭。額から伸びる一角獣のごときツノが紫電を纏い、獲物を確実に仕留めるために鋭く発達した犬歯は、獅子の敵意を如実に現している。
何よりアリスたちを驚かせたのが、その獅子が魔力をもっていたことだ。
アリス・ミラーにも魔法や魔力の概念は存在する。ゲーム内では登場することはなかったが、仲間の一人に魔女がいた。彼女とは互いに論議したものだ。
獅子の周囲には聖なる魔力が渦巻いている。かなりの魔力濃度で、獅子の息に呼応して激しさを増しているようだった。
「なるほど、確かにこれは異世界ね」
正直、まだカイムが冗談の可能性を考えていたアリスの中に目の前の事実がすとんと落ちていく。
このような魔法生物を確認してしまうと納得する他ない。
『汚れた者どもよ!この聖なる土地からすぐに出て行け!』
咆哮に似た警告の言葉。その圧に木々が震える。
アリスはその圧の中を悠々と進む。カイムも彼女の肩から離れる様子はない。
二人とも警戒心はないように見えるが、一つ一つの挙動に隙が全く見えない。その不気味さが獅子の警戒心をさらに煽った。
「私ライオンって初めて見ました」
「ふむ、あれをライオンと呼んでいいのだろうか……」
とうとう獅子の目の前までアリスが到達する。
獅子は未だに動かない。アリスの決定的な隙をうかがっていたのだ。
アリスは獅子を興味深かそうに一瞥すると、獅子へ手を伸ばそうと手を出した。その動作には一切の敵意を感じられない。単に子供が好奇心で犬を撫でようとするようなものだった。
その隙を獅子は見逃さない。
強靭な前肢が天高く上げられ、アリスを仕留めるために振り下ろされた。凶爪は紫電の奔流を纏い、鋼鉄すら紙切れ同然に切り裂くだろう。少女が跡形もなく消し飛ばされるさまを幻視させた。
しかし次に見えたものは、相も変わらず佇む少女と、獅子を哀れむ目で見つめるカラスだった。
獅子の爪はアリスの持つ日傘に遮られている。無論、日傘にも傷は一切ない。本来なら大地を穿つほど魔力の衝撃はアリスの足元から伸びた巨大な闇の影に吸収されていた。
「やんちゃな子ですね」
アリスの小さな手が獅子に触れる。その瞬間、獅子の脳内に無数の声が鳴り響いた。
切り裂かれる男の声、犯される女の声、焼かれる赤子の声、嬲られる老人の声、声、こえ、コエ、koe――
それらは総算して呪い。未だ残存する怨嗟の呪いが獅子の体に循環していく。
生物が命を持つ限り、それは命を蝕む猛毒。生命体が意思を持つ限り、それは意思を犯す雑音。
――生き物ですらない、汚れそのものだったか。
それが事切れた獅子が最後に思ったことだった。
獅子の巨体が力なく倒れる。
「あら、死んでしまいました?」
獅子が死んだことを、アリスは心底疑問に思っていた。
その理由を知るカイムは心の中で呟く。
――ホラゲーでボスとの接触即死は定番だろう。まあ、さすがに今回は哀れに思うが。
わりとメタいことを考えていた。
「アリス、君の瘴気に大抵の生物が耐えられる筈もないだろう」
「ああ、そういえばそうでしたね。久しく生き物に触れていなかったので忘れていました」
アリスは少し気恥ずかしそうにして自身の瘴気を自制する。瘴気もアリスの一部。レディーがみだりに肌を晒している感覚なのかもしれない。
何せゲームの中ではアリス自身が戦うようなイベントがなかった為、繰り返した年月も加算すれば何万年も生き物に触れたことがないことになる。忘れていても仕方のないことだ。
「では、頂きますね」
アリスが告げると、アリスの影と獅子の影が交わり大きく円形に膨れ上がる。
円の端から更に三角の影が伸び、ひまわりのような愛らしい影の形になるが、それが端から立体的に膨れ上がると全く別のものへと変化した。
三角の影は鋭い牙へ、円形の影は奈落の口になって獅子を覆う。大きく膨れ上がった影は骨を砕く生々しい咀嚼音を立てていたが、しばらくすると元の平坦な影になってアリスの足元へと戻った。
「なかなか上質な魂でした。これなら千人分くらいにはなりますかね」
「ほう、それはすごいな」
魂の質は強さに比例する。単に強さといってもそれは様々だ。
それは肉体としての強度、生物としての戦闘能力、内的な面でも精神力などが関係している。
設定ではかつてアリスたちが戦った英雄と呼ばれる存在は十万人分に相当する。アリスには当時の記憶があり、なかなか苦戦したのを覚えている。
中でも鏡也の精神力はとても強く、英雄たちよりも上質な魂だった。
「なら人間はどうでしょう」
事態を察知して近づく数人にアリスは影を伸ばす。獅子を吸収したことで射程距離は何倍にも伸びていた。
数キロ先で影が三人捕まえると、三人を闇の中へと引きずり込み、目の前まで引きずり出す。
三人の身なりは貧相で薄汚く、反して彼らが持つ剣や弓は華美な装飾のあるものだ。真っ当な手段で手に入れたものではないのは確かだろう。
魚のように地面にあげられた三人は、理解が追いつかないのか唖然としていた。
「盗賊といったところですか」
「て、てめえ何をしやがった!?」
盗賊は瞬時に戦闘態勢に切り替える。切り替えの早さにアリスは感心したが、すぐに彼らに失望した。
盗賊の内のふたりはアリスを見た途端に警戒心を解いたのだ。そのうちの一人にいたっては下卑た表情を浮かべいる。
アリスを見てただの子供だと判断しているようだ。瘴気を抑えた状態とはいえ相手との実力差も測れないようでは話にならない。これでは獣以下だ。
残る一人は警戒を解いてはいないが、その表情には絶望の色が濃い。すでに戦意を失っているようだった。
「触れる価値もない」
アリスは闇の中から白紙のカードを一枚取り出す。アリスの動きに盗賊は警戒するが、出てきたのが唯のカードだと分かると品のない笑い声をあげた。
「おいおい!カード遊びでもするのかいお嬢ちゃん?」
「遊び……そう、なら『この子』と遊んでちょうだい」
カードが紅く発光し、深紅の鎧をまとった騎士へと変化する。
無論、それはただの騎士ではない。唯一鎧で覆われていない骸骨の首がそれを証明している。
アリスの持つゲームマスター権限の一つである【怨念に囚われた兵隊】は保有する魂に強化を施し、アリスの私兵へと変える力だ。今回は強化に階位のない白紙のカードを使ったので、雑兵程度の力しかない。だが彼らの相手には十分だろう。
突如として現れた骸骨の騎士に盗賊はひどく狼狽した。
「ア、アンデッドだと!?」
「このガキ!死霊術士か!」
騎士は盗賊の喧騒にも耳を傾けず、恭しく平伏した姿勢で固まっていた。
主人の命令を待っているのだ。
主人は平坦な口調で命令を下す。
「片付けなさい」
『――イエス・マイロード』
アリス
能力・魂魄吸収
死者の魂を吸収し、自身の力とする能力。吸収された魂はアリスの『闇』と呼ばれる器官に保管され、城へエネルギー供給に回される。
悪感情が強い魂ほど美味らしい。
ゲームマスター権限・怨念に囚われた兵隊
保有する魂に特殊なトランプカードで強化を施し、アリスの私兵へと変える能力。私兵へと変えられた魂はアリスに絶対の服従を誓約されている。
『雑兵』『従者』『女王』『王』『精鋭』『道化師』の六つの種類がある。
雑兵
無印のカード。枚数制限なく無限に強化を施せるが、雑兵程度の力しかない……あくまでアリスの基準であるが。