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 モテるということはすごいことであった。むろん、主人公補正という力を手にして以来、そのことは十分に思い知って来たのだが、それにしても俺は改めてここでそのすごさを思い知った。何がそんなにすごかったのかというと、どう見たって事件の責任の一端は俺にもあり、それは迷惑防止条例違反あるいは器物損壊とかの罪として問われる状況であったのに、警察署へ押しかけた無数の女性たちの証言で俺が百パーセント被害者であるということになり、一切の責任を問われなかったことである。男と商品を投げ合った店の店長が全員、主人公補正の力にかかって俺にべた惚れの女性だったことも幸いした。

 本当なら押しかけた女性たちが俺を必死で擁護するのを、擁護されている当の俺が「それは嘘だ!」とか言ってその場の空気をぶち壊すのが、見えない壁と戦う俺の取るべき行動であったのだが、それをやると本当に罪に問われかねないのでそこは擁護の空気に乗っかって無実を主張しておいた。ここで戦いを優先させて捕まった場合、それ以後戦い続けるのが困難になるかもしれないのだ。それだけは避けねばならない。

 こう言うといかにも俺がクズ野郎みたいだが、人間誰だって自分が一番可愛いのである。それにそもそも俺にとっては見えない壁と戦うことが最優先事項であり、そのためならクズと呼ばれようが何と呼ばれようが構わない。いくらクズ呼ばわりされたって、今はこの世の中で俺が一番女にモテるんだしね、ははは。と最後に男を煽ろうと思ったが別の部屋に連れていかれていたのでそれはできなかった。

 数時間の取り調べの後、解放されると、俺の無実を証言した女たちがそれをきっかけに俺との関係を持とうと殺到してきた。さすがに一人一人に「そんなことで俺がお前らに感謝して構うと思うなよ」と説教して回るには人数も多いし、疲れていたので、仕方なしに全員にメールアドレスを教えて、別れた直後にそのアドレスを変更するだけにとどめた。

 こう言うといかにも俺がゴミ野郎みたいだが、今の俺は恋の火遊びで絶命しかねない身の上なので仕方ない。恋愛フラグはこれを全て一片の可能性もなく叩き折らねばならないのだ。むしろモテることを利用して男の欲求を満たそうとしたり悪事を働いたりしていないのだから、本当はこっちに感謝の一つもしてほしいくらいである。まあ、それでもゴミだと言うのなら言えばいい。そんなことは関係ない。何せ俺の最優先事項は以下略。

 ちなみにアドレスを変更したので仕方なしに、変更メールをアドレス帳の今さっき知った女たち以外の全アドレスに送信したら、まともに届いたのは両親と姉と妹だけだった。予想はしていたが、さすがに少し精神的にくるものがあった。だが人間関係を整理する節目と思い直し、エラーの発生したアドレスを全て消去すると、当然ながらアドレス帳には家族のアドレスだけが残った。その寂しいアドレス帳に再び精神をやられそうになったが、それもなんとか持ち直した。

 そんなこんなで騒ぎが一通り治まり、家路につこうとすると、律儀にも取り調べが終わるのを待っていたらしいほのかが警察署を出たところにいた。

「大丈夫なの?」

「お前、待ってたのか?」

「た、たまたまよ。ちょっと、その」ほのかはキョロキョロと辺りを見回して近くにある図書館に目を留め、「図書館に用があっただけなんだから。別に待ってたわけじゃない」

「どんだけ俺のこと好きなんだよ、お前」

「何でそうなるの?意味分かんない」

 意味分かんないのはお前だ、と思ったが、言っても堂々巡りの議論にしかならないことが目に見えていたので指摘するのは止めておいた。

「光輝は?」

「とっくに帰ったわよ。『警察沙汰とか、ぐふふ』って笑いながら」

 どうやら本格的にあいつを懲らしめる必要がありそうだ。

 俺は停めてあった自転車にまたがり、ほのかと走り出した。すでに日も沈んで辺りはすっかり暗くなっている。

「あのさ、今日の正の行動…あれって、あの理不尽なクレーマーを撃退するためにやったんだよね?意外だったなぁ。正がそういうことするの。警察沙汰にはなっちゃったけど、その、私は、ちょっと、かっこよかったと思ったけど…」先へ進むにしたがってほのかの声のボリュームは右肩下がりで下がり続け、最後は囁きと言うにも足りない小声だった。しかし聞こえないように言うのが目的なのか、こっちに聞こえない振りをしてほしいのか知らないが、俺は完璧に聞き取っていた。

「お前ね、あれがかっこいいとか、どうかしてるぞ。いくら俺のこと好きだからってそれはない。あばたもえくぼにだって限度ってもんがあるだろ。あんなもん完全に気違いの行動じゃねーか。そもそもクレーマーを撃退するとか、あの受付嬢を助けるとか、俺にはそんな考え微塵も無かったからね。ただクレーマーが作り出す決まり切った空気を壊したかっただけ。何ならいきなり受付嬢に殴りかかって良かったんだ。あの行動がかっこいいとか、そんなんこっちが引くレベルだぞ」

「それでも、私は正が良かれと思って取った行動だと信じてる」

「いや、信じてるって、お前、本人が違うって言ってるんだけど」

「でも、信じてる」

「いやだから」

「信じてるから!」ほのかは声を大きくして俺の言葉を遮った。ほのかの顔を見ると、目が潤ませてこっちを見ている。「だから、その、警察沙汰になったからって、あの、この先自暴自棄になったりとかしないで…」

 こいつ、俺のことを心配して…

「って、多分思ってるよ、か、家族は。わ、私は別に思ってないけど」

 ツンを思い出したか。

「きっぱり無実を証明して来たんだから、自暴自棄になるはずないだろ」まあ、ホントは全然無実じゃないけどね。

 そもそも罪の自覚を持ちながら起こした行動が警察沙汰になったからといって、誰が自暴自棄になるだろうか。なるようになったとしか思えないはずだ。むしろ、ほのかみたいな女どもが俺への好意から現実をネジ曲げてしまったことの方が、俺にとっては自暴自棄の引き金になりそうである。

 しかし目を潤ませた女に本気で心配されるというのは、少々胸に迫るものがあった。ウンコを漏らして以来、表層的な連帯感およびそこに発生する見えない壁を憎み、孤独を貫いてきた身ではあるが、今のほのかには見えない壁を感じさせない迫真さを感じた。

 だが、これも主人公補正の力。騙されてはいけない、ということを思い出すのに普段よりも時間がかかったくらいである。

「映画、行けなくて残念だったな」

「レイトショーもあるけど」

「まあ、行かないけどな」

「あ、そう言えば無料鑑賞券が二枚あるんだった。し、仕方ないわね、もし見たいって言うなら、一枚正にあげるわよ」

「まあ、行かないけどな」

「あ、ドリンクとポップコーンの割引券もあるんだっけ」

「まあ、行かないけどな」

 ほのかは俺の方をキッと睨んだ。

「いいわよ。別に正なんて誘ってないし。一緒に行きたいなんて一度だって思ったことないんだから」

「悪いな。たとえお前が泣きついても一緒に行けない訳があるんだ」

「一緒に行きたいなんて思ってないって言ってるでしょーが」

 ふん、と鼻を鳴らし、ほのかは猛然と自転車をこいで俺を追い抜いていった。

 ここまで話の噛み合わない奴は初めてかもしれない。俺は今更ながらにそのことに思い至った。


 家に帰って、電話で連絡してあった両親に色々と問い質されながら夕食を食べ、部屋に行くと、どっと疲れが出て俺はベッドに倒れ込んだ。

 今度ばかりは無茶をし過ぎたかも知れない。本来なら逃げ切れる状況でこそ見えない壁に攻勢をかけるのがセオリーなのだ。だが、案外今なら無茶をしても女どもが必ず味方につくのだから大丈夫かもしれない…って、おいおい、いつの間にか光輝のせいで考え方が少しクズになってきたのか、俺は。いや、見えない壁との戦いのためには利用できるもの全てを利用するべきか。これは戦争なんだ。あんな陰険怪人の考えとは違う…

 ドサッ。

 ベッドの上で今後の方針について考え込んでいると、何か重い物が床に落ちる音がした。続いて、ぐぐぅーっという重低音が響く。

「お、おなか減ったぁ…」

 羽月がいつの間にか俺の部屋で行き倒れていた。

「お前なぁ、来るなら来るって言ってからこいよ」

「おなか減ったぁ…」

「俺にもプライバシーというものがあるだろうが」

「おなか減ったぁ…」

「おい、聞いてんのか?」

「おなか減ったぁ…」

 再度返事を促そうとしたら、ぐごごごごぐぎゅるるるるる、と羽月の腹が俺の発言にかぶさるように鳴り出したので諦めた。

「分かった、分かった」

 仕方なしに下の階から夕食の残りを適当に持ってくると、羽月は凄まじい勢いでがっつきだした。正に恥も外聞もない。女子高生という見た目など歯牙にもかけぬその食いっぷりは、もはや神の遣いというよりただの飢えた乞食である。

「おいひぃ、おいひぃ…んぐっ」

 そして相変わらず滂沱の涙を流している。

 神の遣いと言えば、我々人間を導くのが役目ではないのだろうか。それを養っているとは一体、この状況は何なのか…

 ベッドの上に寝転がってぼんやり考えていると、ようやく羽月は完食した。

「ごちそうさまでした」けふっ、と小さくゲップをする。「ああ、美味しかったぁ。八代くんのお母さんは料理の天才だね。こんな美味しいご飯食べたことないよ」

「どんだけひでぇんだよ、神の世界は」

「ひどいよぉ、こっちの世界はひどいよぉ。もう何度雑草食べてお腹壊したか分かんないもん」

「うわ」どうやら筋金入りの食糧難らしい。

「ちょっと、引かないでよ。しょうがないじゃん」

「で、乞食が何の用だ?」

「乞食って言うな!」

「バカ、大声出すな。聞こえるだろうが」

「へへん。大丈夫だよ。私の姿が見えたり声が聞こえたりするのは八代くんだけにしてあるから」

「そうなのか…」それじゃあ、結局傍から見たら独り言を言っているのと変わらないということか。しかし、それなら…「俺はお前に触れることができるのか?」

「当たり前じゃん。こうしてお茶碗持てるんだし」羽月は茶碗を持ち上げる。「ちなみに、これが八代くん以外の人のヴィジョン」

 そう言うと、羽月はフッと姿を消した。茶碗だけが宙にふわふわと浮いている。

「どう?怖い?」

「いや、お前がいるってことが分かってりゃ、怖くねぇよ」

「そんなこと言って、本当は怖いんでしょ?ほーら、ほーら」

 手に持った茶碗と皿をゆらゆらと揺らしながら羽月がこちらへ近づいてくる。何がしたいのだろうか、こいつは。久しぶりに食い物にありつけてテンションがおかしくなったのかもしれない。とにかくまるで怖くないし、むしろウザい。食器の動きから羽月の態勢もほとんど丸分かりで、両手に一つずつ食器を持って、その手を出来る限り広げながら近づいてくる姿が透けて見えるような気がするくらいだ。

「どうよ、この心霊現象」

「いいから、早く用事を言え」

「またまた、怖いなら素直にそう言いなよ」

 宙に浮いてる皿と茶碗の位置からして、今は目の前で両手を広げて立っているらしい。つか、声でほとんど分かる。あまりに鬱陶しいので手荒な手段で止めさせることにした。

「う、うるせぇな。ちょ、や、やめろよ」わざと慄いているような声を出す。

「ほらほら」

 いとも容易く引っかかり、羽月は盛んに持ってる食器を動かす。そのおかげで羽月の態勢はほとんど分かった。バカかこいつ。

「や、やや止めろって」胸はこの辺か…

 怖がりながら羽月を止める振りをして、思い切り空中の一部を両手で鷲掴みにする。

 グニュ。

 クリーンヒットだった。

「いや!ちょっと!」羽月は身を捩る。

 手に持った食器でそのまま殴りかかって来ないところを見ると、一応飯の恩義は忘れていないらしい。それにしても結構でかいな…

「あれ?なんだ、これ?」

「やめろぉ!」

 すっとぼけながら揉み続けていると、羽月は腕で俺の手を払いのけ、後退しなら姿を現した。涙目になりながら顔を赤らめている。

「何しんての!最悪」

「こっちが訊きたい。一体、俺は何をしていたんだ?」

「そ、それは…」言いかけた羽月はさらに顔が赤くなり、口ごもる。「何でもないわよ、この変態」

 こんなことを恥ずかしがるとは、神の遣いといいながら、なんとも人間臭い奴だ。

「で、結局お前は何しに来たんだよ」

「あ、そうそう、神様からの伝言があって来たんだった」皿と茶碗を丁寧に机へ戻した羽月は、恥ずかしさを隠すためか進んで話題の転換にのってきた。「『ここ一週間何も起こさないから全然原稿が進まなかったけど、今日駅ビルで暴れたのはいい感じだったから、これからもあんな風によろしく』だってさ」

 なんと勝手な奴だろうか。そんなんだから、ノット、エデュケーション、エンプロイメント、オア、トレーニングなんだよ。どあほ。

「はっきり言って、あまり人を舐めるなと言いたい」

「そんなこと言うとどうなるか分からないよ」

「ぐ…」確かに神の世界においては相対的に無力でも、こっちにとっては神である。

「それに私も見てたけど、どう考えても八代くん、あれ好きでやってるでしょ?」

「何を言うか。俺は見えない壁と戦うために仕方なくだな」

「それが建前にしか聞こえないんだよねぇ。何か他の目的があるように感じる」

「あんなことで、見えない壁と戦う以外の何ができるって言うんだよ」

「さあ?でもそんな気がするの」そう言うと、羽月はふわっと浮き上がった。「ま、そんじゃ、そういうことだから。また、何かあったら来るので、食べるもの用意しておいてください。じゃね」

「おい」

 レストランじゃねぇんだぞ、と突っ込みを入れる前に羽月は消えていた。神もそうだが神の遣いの方も大概な勝手さである。恐らくその姿を目撃できた数少ない人間の一人になれたというのにまったく有難味がない。それもそのはずで、その邂逅は貴重な宗教体験などでは決してなく、むしろ飢えた者に無償で食料を恵んでやるボランティア活動と紙一重、というかはっきり言えばそれと変わる所がない。こんな無意味なことが一体、いつまで続くのだろうか…

 いや、待てよ。積極的に騒ぎを起こしていけば、神の原稿も進み、それだけ早くこの訳の分からない状況から解放されるわけか。そうか、それならもっと見えない壁との戦いを激化させればいいのか…いやいや、よく考えてみれば今でさえ持てる物のほぼ全てを犠牲にして見えない壁に戦いを挑んでいるのだから、これ以上激化させたらもう何か色々失いそうだ。あかぬ。すでに何も持っていないとは思ったが、まだそんな気分になるというからには、僅かばかりでも残された何かがあるのだろう。それまでも差し出せと言うのか。何の罰だ。俺が何をしたというんだ。ただ、一人慎ましく見えない壁と戦っていただけじゃないか。ちょっとくらいは周りに迷惑をかけたかもしれないけど。

 見えかけた光明が消え、俺の気分は急速に萎んでいった。しかし、同時にこういう考えも心の奥底に芽生えてきていた。

 そこまで言うなら仕方ない。見えない壁にさらなる攻撃を仕掛けようじゃないか。

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