第八話 兄弟
そんな微妙な空気を切り裂き、右海先生が現れた。
「おっ、いたいた! 屋盛、頭の怪我は大丈夫か!?」
オジャマムシはコイツだったのか……と苛立つ玉吉であったが、失礼な態度は紳士にあるまじき行為だと思い、素直な生徒を演じることにした。
「あ、はい。もう大丈夫です。
……ところで誰が僕を運んでくれたんですか?」
……その後、真実を知った玉吉の髪はまた少し空洞が増えたのだった。
耐えがたい事実に身を悶えさせながらも、玉吉はなんとかF組の教室に辿り着いた。
さすが目立ちたがり屋、当然前方の扉から教室に入ったが、その時最前列の魔珠が残念そうな表情をしていたのは言わずもがな、である。
授業は6時間目のライティングが始まって10分程たっていた。
貼天先生に保健室でもらった用紙を渡して、フェロモン(本人曰く)を巻き散らしつつ席に着く。
玉吉の耳は、皆のクスクス笑いを自身を哀れむすすり泣きに変換して脳に送っているらしい。これも才能の一種なのだろうか。
授業が再開したが、玉吉の脳内はさっきの出来事でいっぱいだった。
『……鏡……絵本……なんか聞いたことあるんだよなぁ。なんだっけ?』
思い出せない自分に苛立ち、思わず髪を掻き乱してしまった。また空洞が広がる。
『おっと…いけないいけない』
乱れた髪を直そうと玉吉は鏡を取り出して覗いたのだが……
「ッだぁあーーッ!!」
普段のバスからは想像も出来ない様なかん高い叫び声を発した玉吉に教室中の注目が集まる。
それでも玉吉は鏡を見たまま他のことには意識が向かない様だった。
それもそのはず……玉吉の手鏡に映っていたのは紛れもなくオリエプだったからだ。
しかもニッコリ微笑んで手までふっている。
「どうした?」
貼天先生が、不思議そうに尋ねる。
だが、勢い良く鏡を閉じた玉吉は、精一杯の平静を装い、
「なんでもありません」
とだけ答えた。額には嫌な汗が。
『何故だ……何故俺のミラーにあの人が!?』
混乱するばかりだが、それを誰かに話すことはしなかった。よくわからないがアレは人に見せてはいけない気がしたのだ。
授業中何度かちらちらと鏡の中を覗いてみる。
兄と名乗った男は何やら考え込んでいたかと思えば急に激しく踊りだしたり、次の瞬間には衣裳替えしていたり好き勝手やっていた。
よく見たら何か歌っている。玉吉は貼天先生の目を気にしつつそっと耳を近付けた──
「……そして俺は〜いま! 枯れた世界に舞い降りた天使のごとく〜♪ あぁ! 我が愛しの〜(いとしの〜)弟よ〜ぉ♪」
一人でコーラスまでこなし、いい声で愛の歌を熱唱していた……。
「聞いているかたっちゃん! 俺の純粋な愛を! 作詞作曲はお兄ちゃんだぞ!! ちなみに29番まであるから聞き逃すなよ!!」
「……」
さすがの最強ナルシーも、兄には勝てなかった。結局全て聞かされるハメに。
最後のサビを聞き終えたとき、やっとチャイムが鳴った。
今日は月曜日だから掃除はない。玉吉は光速で帰る準備を始めた。
『今日は早く家に帰らねば! そしてあの人と俺の真相を確かめなきゃな……』
ふと、突然現れた双子の兄に思いを馳せる。
あの天使のような優しい微笑み……甘くてセクシーな美声……そして自分を抱き締めた、暖かく逞しい腕……思い出すと、顔が熱くなる。
一人頬を染めた玉吉は、周囲の人々が不審な視線を送っているのに脇目も振らず、いつもの高速歩行の3倍速で家路についた。
「ただいまー」
ハイスピードで下校した結果、20分で家に到着した玉吉。
キーホルダー(ロケットの中にはもちろんママンと二人で撮った写真)をつけた鍵で玄関をあけると、どうやらママンは外出中らしく、家の中に人気はなかった。
「誰もいないのか……」
普段ならば、ママンにその日の学校での自分の活躍を話して聞かせ、二人で朝撮った写真を眺めるのを楽しみにしているのだが、今日はママンがいなくて好都合だ。
「兄さん……」
浮ついた足取りで2階の自分の部屋に入り、期待に胸踊らせて鏡の前に立つ。
鏡の中には――
「おかえりたっちゃ〜ん!!」
[続く]