第四話 独走
一時間目の授業はリーディングだった。今日当たるのは、玉吉の後ろの席の中山さんだ。
リーディングの授業では、その日最初にあたった人のまわりの席の人がジャンケンして、順番に当たる方向を決める。
つまり、玉吉は今日、ジャンケンをしなくてはならない。
常人ならば嫌がるところだったが、玉吉の思考回路はまったく逆方向に働いていた。
『これは、俺の自慢のセクシーバスを披露するまたとない機会じゃないか! よし、遅出ししてわざと勝とう!』
玉吉の声は低い。オペラなんか練習したら、向いてそうな声だ。それが、玉吉の自慢でもあった。
周りの席の人たちのことなど考えもしない。これがナルシーと言うもの。玉吉は、自分の番が回ってくるのを待った。
もちろん、待っている間も自分を魅せることに余念がない。
頬杖をついて、顎を左斜め45度に傾け、視線は少し伏し目気味に固定。しばらく考える素振りをしたあと、残り少ない髪をかきあげて、組んだ両手のうえに顎を乗せる。これが彼の一番かっこいいと思っている仕草だ。
中山さんの番が終わると、玉吉はわざとジャンケンに勝った。
『よし!』
顔だけは困ったような(自分的にはイケてると思っている)表情を浮かべ、心の中では歓喜のおたけびをあげ、玉吉は張り切って自慢のバスで英文を読み上げようとした。しかし――
「お、じゃあ授業はここで終わりなー。」
無情にも授業終了のチャイムが鳴り響いた。
『くそっ! せっかくのチャンスが!』
玉吉は地団駄を踏みたい衝動を押さえ、次の時間に望みを託すことにした。
次は隣のG組の教室で、古典講読の授業だった。
移動教室は他クラスの女子に自らを見せ付ける貴重な機会であるらしい。
いつもチャイムが鳴ったと同時に混んだ教室に入り、わざわざ一段高い教壇に登る。
もしかしたら背があまり高くないと言う唯一の弱点(勿論本人が気付いている範囲での"唯一"だが)を誤魔化す為かもしれない。
まぁ確かに彼の最大の弱点──頭頂部の空洞──が好奇の目に晒されやすいのは、身長の所為もあるのだろうが。
ところで、授業が始まってからの玉吉のテンションは急落する。
理由はもちろん隣に座っている奴の所為。
『はぁ……どうして俺がベトナムと古典読み合わなきゃならないんだっ!』
玉吉と古典を読まされる不幸な男―─尾江十波――通称ベトナムは、どうやら玉吉の美意識に反する様だ。
もちろん、十波は日本人だし顔つきや服装がどこかベトナムを彷彿とさせるだけであって、ナル的思考回路しか持たない男に美的センスをけなされるいわれはないのだが。
「じゃあココ隣同士で読めー」
古典教師・釜純先生の言葉(別名:真珠湾攻撃)を合図に戦争が始まる。
玉吉と十波は互いをチラ見する。
じゃあ、と十波が和やかに切り出す。しかし玉吉は、
「あはれなることは、おりおはしましける夜は」
さっさと無視して、『大鏡』を読み始めた。お前なんぞとちんたらつきあってられるか、とでもいうように。
十波は特に何もつっこまなかったが、内心では深いため息をついていた。淡々と、高速で読み上げるバスを聞き流す。ここでキレない所が、十波のいい所である。
『またかよ……何か知らないけど嫌われてんだよな、俺。特に喧嘩した覚えもないんだけど。やりにくいなぁ、それに屋盛、髪直しすぎ。』
そうしていると、玉吉が舌をかんだ。早すぎて舌が追い付かなかったのだろうか。
かなりがっつり噛んだようで、痛そうである。
十波は悩んだ。笑うべきか、気付かなかったふりをすべきか……
玉吉も悩んだ。早く読みすぎたなんて格好悪すぎである。
しかし先程シカトした手前今更
「いやー、まいったね」と笑って誤魔化すわけにもいかず。
苦笑を浮かべる二人。
その時、不意に後ろのほうで、《ダンディ》という単語がきこえた。
『俺のことっ?』
ゆるむ口元を押し隠し、ちらりと振り向く。そしてすぐさまに前に向き直る。
『いかんいかん、あんまりあからさまに振り向いたらいけないよな。そこは陰で噂されてるからいいのであって……』
ダンディは違う人間にむけられた言葉であるのにもかかわらず、一人で勘違いをして、一人で喜ぶ玉吉。
その後。
十波は気付いた。玉吉の髪をいじる頻度がいつもより高いことに。
『いや、お前じゃないから!』
誰もが皆、心の中で激しいツッコミを入れた。
玉吉の独走は、おわらない……。
[続く]