りんごのほっぺ
夏の終わりが近づいて、ほんの少し冷たく感じられるようになった風が吹き抜ける秋の空を、俺は校庭の傍らに寝そべって眺めていた。
今日の部活動は、部内試合の補欠メンバー。
補欠とは言っても、部員は大いに余っており、自分よりも優秀な人間は何十人といて、その中から試合に必要な人物を選び出した後は、一応の替えとして乱雑に、誰でもいいからと予備を入れておくためだけに選ばれたような、期待など全くされていない補欠だった。
つまり、ざっくりと現状だけを示すならば、やることがなかった。
「ちくしょー……」
高校に上がれば、試合に勝てもしないのに、毎日ずっと基礎練習ばかりで、うんざりしていた生活から抜け出せると思っていた。大規模なチームで強いメンバーに囲まれて、大会ではエースとして勝利を重ねていけると、本気で信じていた。
それがどうだ。
中学時代のエースは、今や部内の取るに足らない端役。俺より上手い人間は部活内ですら沢山いるわけで、最近はあまり見向きもされなくなった。
今頃、基礎練習をせっせと重ねている試合外の集団に比べれば少しはマシだと思われているのかもしれないが、試合に出られる可能性がほとんどないのなら、そんな立場はむしろ時間の無駄ですらある。
考えていると気分が落ち込んできたので、深く溜息をついて目を塞ぐ。憂鬱なことを考え始めた時は、何も考えないまま、感じるものをそのまま受け取って落ち着くのが一番いい。
風は時折、穏やかに吹き抜けて木々を揺らしていた。
そして、遠くで聞こえる試合の掛け声と、金属バットがボールを強く打ち上げる音が、校庭の端までよく響いて聞こえてくる。
そんな遠くの音に混じって、雑草交じりの校庭の土を、さくりさくりと踏みしめる音が近づいてきた。
「ここにいたんだ、翔ちゃん」
聞き覚えのある声をかけられて目を開いてみると、佳奈芽がこちらを軽く覗き込むように立っていた。
「今日はみんなと走らないの?」
小首をかしげて、佳奈芽は俺の顔をまじまじと眺めてくる。おおかた、顔色でも悪くないかと伺われているんだろうとは思いながら、日差しの眩しさに再び目を塞いだ。
「……補欠だからな。呼ばれたら準備出来るようにしておけとさ」
「そっか……そう言う割には、なんか暇そうだね?」
「なんかどころかずっと暇だよ。試合終わったら片付けして、参加もしてないのに注意事項だけ聞かされて、掃除だけさせられて解散だ」
改めて言葉にしてみれば、なんて無駄な一日だろう。自分がここにいる意味が何一つ感じられない。
すぐに返事が帰ってこないので、ちらりと目を開けてみれば、佳奈芽はさっき俺を眺めていた時と同じように、何か疑問を感じた顔であさっての方向を見ていたかと思うと、ああ、と納得した様子で口を開く。
「……それって、翔ちゃんが部活してる意味ないよね?」
「お前がそれを言うか!?」
つい声を荒げてしまった。自分でも思っていた事とは言え、佳奈芽に言われると、何故かいつも気に障ってしまう。
当の佳奈芽はキョトンとした様子で、またこっちをまじまじと見てきた。この、相手の顔を眺めるように見る癖にもいい加減慣れてはきたが、未だに時々、何を考えているのかさっぱりわからない事がある。
「……なんだよ」
「んーん。別に」
こういう時に限って、聞いてみたところで話してもらえない事にも、そろそろ慣れてきた。
佳奈芽とは幼稚園からずっと同じ学校であり、親同士の仲も良かったので、所謂、幼馴染みという関係ではある。とは言え、よく話すのは高校に入ってから、同じ中学の知り合いが他にいない事もあって、よく一緒に帰るようになってからだ。
昔から知ってはいたし、時々も遊んではいたが、佳奈芽の性格は、未だにわからない部分がある。
「じゃあ、一緒に帰ろっか」
そう。いつも、こうだ。佳奈芽はいつも唐突に、俺の理解を超えた話を始める。
「……どうしてそうなる」
「え? 暇ならうちのりんごの収穫、手伝ってよ。いいでしょ?」
そういえば、佳奈芽の親父さんからは「今年もよければ、今度の休みにでも手伝ってくれ」と言われていた。
今日は土曜日だが、朝から部活があるので明日にでも行って、いつものように収穫したりんごを分けてもらおうかと思っていたところではあった。
嫌ではない。むしろ、佳奈芽の家のりんごは、俺の好物だ。親父さんは愉快な人で、話していてとても楽しい。断りたい理由は、特にない。
「そう言われても……今は部活中だ」
少し思い悩んで、渋った返事をする。
やることがないとはいえ、今は部活中で、一度は呼び出しがかかった事もある。その後、うんざりするような強い雨が降り出したので、ろくに試合も続かなかったが。
「一応でも補欠だし、仕方ないからこのまま――」
「――翔ちゃんは無意味に部活してる方が楽しいの?」
遮るように口を割って出た佳奈芽の言葉に、押し黙ってしまう。
「うちの手伝いするの、楽しくない?」
じり、と。覗き込んだ顔を近づけて、靴底が土をこする。
そのまま、特に表情を作るでもなく、佳奈芽は真っ直ぐに顔を向けて、じっと目の奥を眺めるように見つめてくる。
「……お前の家の手伝いは、楽しいよ」
「じゃあ決定。帰ろっ?」
それだけ言うと、話はついたと言わんばかりに手を差し伸べて、佳奈芽はにっこりと微笑んだ。
「まだ返事してねえだろ……ったく」
ぼやきながらも、俺は佳奈芽の手を取って、少し引っ張られながら、すっかり休みきっていた体を起こす。
背中についた雑草をばさばさと振り払っていると、佳奈芽が突然くすくすと笑い出した。
「ふふっ……」
「……何かおかしいか?」
「だって……翔ちゃんのほっぺた、赤いよ? りんごみたい」
そう言ってまた、ふふっと吹き出して、佳奈芽は校舎の方へ振り返ってしまった。
お腹を抱えて笑う佳奈芽を横目に、何も言えないままに自分の頬を触ってみると、今までに感じたことがないくらい、熱くなっている。
そのまま、とぼとぼ歩き出した佳奈芽の背中を眺めていたが、着いてこない事に気がついたのか、ふと立ち止まって振り返った――
「早く帰ろっ、翔ちゃん」
――笑顔の頬に、紅い色を少し浮かべながら。