九十一章 アールマティ1
「この、馬鹿者がぁぁぁぁぁああ!!」
誰も彼もが生を諦めた戦場にて、響き渡るのはデッドエンドアイの罵声であった。
大地を全力で蹴りつけると、魔王を分断していた複合結界を駆け上がる。一蹴りごとに加速していき頂上にて最後の跳躍、空へと舞い上がった彼女が身体の周囲に紫炎を顕現させた。
「くそっ、こんな真似をしでかしやがって―――まだキョウが来るのに時間がかかるというのに!! 舞台を整えるなんてレベルの話じゃないぞっ!!」
爆発的に上昇していく戦場の温度。
それの原因となっているデッドエンドアイが、両手を迫り来る彗星へと向けた。
「焦がせ、燃やせ、焼き尽くせ!! 大海すらも燃やし尽くす邪悪の大炎をその身に受けよ!!」
遥か上空より迫り来るヤクシャの暴悪暴水を打ち落とそうと試みるデッドエンドアイであったが、煉獄の炎を練り上げる時間が絶望的に足りていない。空からの破滅の使者達を全て撃墜させようと思えば、彼女もまた最大級の技を放たねばならないというのに、今の状況がそれを許さない。自分の中での最良の選択をした彼女が、紫炎に染まった煉獄の炎を解き放った。
「煉獄回祈……紫炎召喚・煉獄!!」
凝縮された紫の炎閃が、レーザーのように光速にて発射される。
狙いは地上に落ちてくるヤクシャの暴悪暴水であり、デッドエンドアイの狙い通り飛来する悪鬼の鉄槌全てに直撃する。
「くそっ……駄目かっ!!」
火と水という相性が最悪な属性同士でありながら、相殺まで持っていけたのはデッドエンドアイの卓越した技量故にだろう。パズズやザリチュでもここまでの芸当は出来なかった筈だ。人類側の者達総出でもこの流星の前では手も足も出ないのが現実である。
それでも煉獄の魔王の紫炎をすり抜けて、数発の水星が地上へと迫り来る。宙に浮かんでいたデッドエンドアイの横を通り過ぎ、ファティエルの神々の聖域による威力の減衰など無意味なことだと言わんばかりの圧力とともに、絶望が戦場のあちらこちらへと遂に落下する結果となった。
瞬間―――世界が真っ白に染まった。
同時にやってくるのは、世界の破滅を思わせる大爆発と衝撃。地が揺れ、大気が揺れる地殻変動。悲鳴すらもあげられない純粋なまでの破壊。殺意も何もなく、ただ俺の邪魔をするな、というだけの勝手きわまる悪鬼の傍若無人な特異能力の発動によって導き出された終焉。
未だ粉塵おさまらぬその戦場にて、生き残っていたのは極僅か。痛手どころの話ではなく、それは人類は当然として魔族とて例外ではなく、まともに動けられるのは本来いたはずの兵士達の十分の一以下となっていた。生きている者達ですら、五体満足な者も少なく既に戦争を続けられる状況ではなかった。肉体的な意味でも、魔王という名の破滅に晒された精神的な意味でも。人類魔族皆等しく、魔王という名の超越種を恐れていた。人類側の奥の手であった神々の聖域も跡形無く霧散してしまっている。
見渡す限りの荒野、しかもあちらこちらに巨大なクレーターまで出来上がった戦場跡にて、暴悪暴水を放った位置から僅かたりとも移動していないヤクシャは、周囲の光景を見て独り満足そうに頷いていた。そこに青筋をたてたデッドエンドアイが近づいていく。全身の衣装がぼろぼろで、砂埃に塗れた彼女の姿ではあるが、相当不機嫌なのか威圧感が凄まじい。
「このっ……大馬鹿がっ!! お前、なにをしたかわかっているのか!?」
「あん? なにを怒ってやがる、デッドエンドアイよぉ。テメェにまで被害が及んだのは悪かったとおもうがな。そもそもあの程度で、魔王級が死ぬなんてことねぇだろ」
「それは当然だ!! オレが言いたいのは、ここまで被害が大きくなる能力を、暴悪暴水まで使う必要があったのか、ということだ!! オレ達の部下全てを巻き添えにしてまでな!!」
怒りも露にするデッドエンドアイの姿に、ポカンっと口を開いて、間の抜けた表情をする。それはまるで予想外のことで責められているかのようであった。
「いや、テメェ……何言ってやがる? 部下? おいおい……なにを言ってるのかわかんねぇぞ」
「……まぁ、そうじゃな」
ばさりっと翼をはためかせ、強烈な風を巻き起こしながら空から着陸したのは悪霊の王。どのようにして防御したのかそれとも回避したのか不明だが、彼もまたデッドエンドアイと同じくたいした被害も見られない。周囲を見渡しながら、現在の魔族達の状態を見ながら、やれやれと嘆息する。
「はた迷惑な小僧じゃな、相変わらず。部下たちが殆ど使い物にならなくなりおったしな。これではわしが動かねばならなくなったではないか。面倒このうえない」
ヤクシャを非難するものの、それは部下の命が失われたからではない。単純に自分の労働が増えたことに対しての苦情に過ぎなかった。
「まさか仮にも同盟相手に殺されかけるとは思わなかった」
三人の近くの土が盛り上がり、そこから出てきたのはザリチュであった。
罅割れた身体はそのままだが、特に彼にも致命となるような傷は見当たらないものの、非常に迷惑そうに表情をゆがめている。
「おう、わりぃな。俺の相手があまりにもつまらなさすぎてよ。ついかっとなってやっちまったわ。反省はしてるぜ」
「くかかかかっ。うそ臭いやつじゃな」
「どの口でそれをほざく」
悪びれないヤクシャに対して、パズズもザリチュも容赦なく突っ込みはするがデッドエンドアイのような怒りは見せていない。そんな三体を見ながらデッドエンドアイは、くそっと内心で吐き捨てる。
確かに、魔王としては彼女の発言も怒りも見当違いに思えるだろう。そもそも魔王が部下のことを思いやるなど笑い話もいいところだ。そんな真似をしていたのは、南大陸の中央を支配していたマリーナくらいだろう。
いや、正確に言ってしまえばデッドエンドアイにとって本当のところは部下達の命などどうでも良かった。ならば何故、こうまで怒りを感じていたのか。それは彼女の予定が大幅に狂わされたからだ。人類と魔族との最終決戦―――折角段取りを整えたというのに、それを僅か一撃でご破算にされたのだから、デッドエンドアイの怒りももっともだろう。
勿論、そのことを口に出すことは出来ず、結局は笑っているヤクシャの丸太のような太い足を力一杯蹴りつけることによって多少の鬱憤を晴らすことに成功した。見かけは可愛らしい背丈の少女が大男にじゃれ付いてるようにも見えるが、その実体は足の骨が折れそうなほどに凶悪な蹴撃なのだから堪らない。
憂さ晴らしを終えたデッドエンドアイは、目を細めて周囲を見渡す。
原型を留めていない死体が戦場のあちらこちらに見られ、もはやその亡骸が人間なのか魔族なのかすらも判別できないものも多くあった。死体も残らず消滅した者も多かったのだろう。デッドエンドアイが考えていたよりも散逸する数が少なかった。予想よりも命を拾えた者達もいるのか、と周辺に向けていた彼女の視線が止まる。随分と離れた東方にて彼女の目的の人物達を見つけて、傍にいる他の魔王に気取られぬように、ほっと胸を撫で下ろした。
後はどうやって時間を稼ぐかだが―――覚える違和感。
背筋を駆け上ってくる気持ち悪さに、デッドエンドアイは両腕を組みながら北西に慌てて視線を向けた。
「……近いな。違う、近すぎる。速すぎる。何だこの速度は……誰かが手を貸している? この気配は……まさか、テンペストか? 馬鹿な、今頃は、女神を倒した時期のはず。お前が合流しているはずが……。まだ他にもいる? お前か悪竜王、お前もか。なんだ、これは。なんなんだ、この流れは……」
自分が突き進んでいた目標が、見えていた筈の到達点がぐらりと目の前で揺れた気がした。
この百年、そこに向かって邁進していたデッドエンドアイの心が迷いを覚える。このまま自分の考えていた通りに動くのか、それとも新しい流れに乗るのか。ここが、運命の分岐点。全てを別つ分水嶺。
「んじゃ、俺は主菜を食いに行ってくらぁ。別にかまわねぇよな?」
「ふむ。よかろう。わしは面倒がなければ何でも良いぞ」
「……あいつは俺が倒したい、とは思うが……貸し一だ」
「おう。有り難く貸してもらっておくぜ」
黙りこくるデッドエンドアイを置き去りに、魔王三体の他愛もない会話が終わりを告げた。それに魔眼の王がはっと気づくと同時に、前傾姿勢となったヤクシャの両脚の筋肉がミチリミチリと音を立てて―――その姿が爆音とともに掻き消えた。
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「……あれが、魔王かっ。はっ、くそったれめ。ありえんだろうが、何なんだあの化け物どもはっ!!」
砂埃でその類稀な容姿を汚しながらも、それでも外見だけは可愛らしいファティエルが怒りに震えながら吼えるようにして吐き捨てた。彼女の瞳に映るのは完膚なきまでに崩壊している戦場と、騎士団。自分の特異能力で僅かとはいえ防いだ為に伝わってきた超絶的な格の違い。言い伝えにあった魔王という名の大災害の次元の違いに心を砕かれそうになった。
「動ける者は、怪我人を連れて撤退せよ!! 近衛騎士は、オレ様に続け!!」
いや、実際に彼女の心はとっくに砕かれていた。
バラバラになったそれを必死に足掻いて拾いなおし、組み立てなおす。例え粉々になろうとも、何度でも如何にしてもファティエルはその強き心を蘇らせる。
彼女は生まれたときから神聖エレクシル帝国を背負っているのだ。もしも彼女が女皇でなかったらとっくに絶望している。現状の遥か手前、人類と魔族の最終決戦にさえも到達できなかった筈だ。ここまで勝算のない戦などには加わらず、逃げの一手を打っていた。
だが、彼女は女皇―――帝国の民のため、国のため、責任を背負う義務がある。理由がある。そんな彼女がここで無様に泣き喚き、散るわけにはいかない。錫杖を地面から引き抜き、用意させた馬に飛び乗ろうとした瞬間、目の前の大地に丸い黒い影が浮かび上がる。
反射的に近衛騎士がファティエルを守ろうと前にでようとしたところで、それを片手で制した。
その判断が正しかったことを証明するように、影が盛り上がり弾ける。影の跡に残されたのは、魔王を抑えていたはずの七剣達であった。
ライゴウ、カルラ、アルフレッドは何が起きたのか未だ理解できていないのか、呆然としている。流星が降り注いできたと思ったら、視界が暗転し気づけばここにいたのだからそれも当然であろう。
鳳凰丸とティターニアは自分達が助かったことすらどうでもいいのか、自分自身を守るように地面にへたり込んだ状態で身体を丸めている。
「……有難うございます、アルマ。おかげで助かりました」
「助かったで、アルマ。あやうくミンチになるところやったわ」
こんな戦場において数少ない冷静な二人―――リフィアとアルストロメリアがアールマティへと頭を下げる。
よく思い出せば、先程の黒い影はアールマティの特異能力によるものであり、如何なる手段を使ったのか、隕石が降ってくる前に彼女が七剣を回収して助けたということをファティエルは悟った。
「間一髪だったけどね。空からの攻撃にあたしの相手の魔王も注意を持ってかれてたから出来たこと。もう一度はちょっと無理」
ヤクシャの暴挙ともいえる行動に、ザリチュもそちらに気を取られていたからこそアールマティも本当にギリギリのところで他のメンバーを助けることが出来た。
実際は隙だらけのザリチュを攻撃するか、他の七剣を救いにいくかどちらか一瞬は迷ったのだが、あの馬鹿げた再生力を誇る魔王を完全に殺すことは不可能だと判断し、後者を選択した。
一体どんな条件であそこまでの再生力があるのか、その謎を解明せねば勝利することは不可能である。例えばどこかに弱点があるのか。それは頭か心臓か。それとも身体のどこかにコアとなるモノがあるのか。細胞の一欠けらも残さずに消滅させねばならないのか。そういった再生力とは異なり、単純に命のストックがあるのかもしれない。アールマティではあの短い時間ではその謎を暴くことができなかった。それ故に、魔王の打倒は早々に諦めて、一応は同僚であった七剣の回収を選んだというわけだ。
「とにかく、お前たちだけでも無事だったのは幸いだ。まだ可能性は―――」
「いや、もう無理。女皇様……勝負はついたよ」
ファティエルの台詞を遮って、アールマティは首を横に振った。
不敬だ、と騒ぎ立てる余裕のあるものはここにはいない。ここは戦場……現実における阿鼻叫喚の地獄絵図が見られる正真正銘の奈落の奥底だ。
「はっきり言って、ここからの逆転は絶対に無理。例え奇跡が起きてもね」
アールマティの敗北宣言に異議を唱えるものはいなかった。
心を折られた七剣はともかくとして、未だ戦意を失っていないアルストロメリアとリフィアですらも口を挟めない。彼女達も内心では悟っていたのだ。こころからの逆転など不可能だ、と。
アルストロメリアとリフィアの二人がかりでもデッドエンドアイにすら勝利することは難しかった。それと同格の相手がまだ三体もいる。どれか一体はアールマティが抑えることを可能としても残りの二体を好きにさせてしまう。そんな状況でどうすればいいのか。もはや作戦の一つも浮かんでこない。
「……逃げて、どうする。逃げて何かが変わるのかっ!? ここから撤退して、何がある!! もはや魔族と戦う戦力も残されていない!! なら、助かる命のためにも、オレ様がここで諦めるわけにはいかないんだよ!!」
ファティエルが魂まで擦り切れるような雄叫びをあげた。
その咆哮を聞いて、この場にいる者は皆悟る。彼女は死ぬ気だ、と。神聖エレクシル帝国の長として、頂点に立つ者としての矜持。それを振り絞り、兵達を逃すための時間を作る気だ。
「……諦めろ、って言ってるわけじゃない。さっさと撤退しろって言ってるだけ」
「だから、逃げて何が変わるって―――」
「変わるよ。あいつがくる。あいつが来てくれる。どんな絶望的な状況でさえもひっくり返す、あたしが知る限り最強の男がね」
吼えるファティエルとは対照的に淡々と語るアールマティだったが、そこに僅かな熱を宿していることに気づいたものはいなかった。
キョウへ対して絶大な信頼を寄せる彼女だったが、それに注目を集めたことに気づいたのだろうか、若干頬を赤くして誤魔化すための咳払いを一つ。
「ま、まぁ……いつくるかはわかんないけど。兎に角生きてさえいれば反撃の機会はくるよ。そこからどうするかは女皇様次第」
シンっと静まり返る空気。
アールマティが言ったことは、本音を言えば信じられない。これだけの破滅を齎した魔王が四体。もはや幻想大陸の人類は駆逐されるしかないとさえ思わされた化け物達の大行進。それを押しとどめることができる者がいるというのだ。
有り得ない。信じることなど出来る筈がない。だが―――希望を見てしまった。絶望に塗りつぶされた今の状況で、未来へと繋がる淡い光を示されてしまった。人は弱い生き物であり、可能性があればそれを掴み取りたくなる。それに縋りたくなる。
「そういうわけで、撤退しようか。反対はしないよね?」
「……ええ。遺憾ながら今の状況で打てる手はありません。貴女の言うとおり、キョウ殿とディーティニア殿の援軍を期待するしかないようです」
アールマティの発言をしっかりと読み取ったアルストロメリアが、深い溜息とともに賛同する。
「悔しいけどここで意固地になっても終わりやしなぁ。ディーテとあの兄ちゃんが来てくれるのを祈るしかあらへん」
冷静に語る二人ではあるが、その心中はいかばかりや。
彼女たちの気持ちは、血が出るほどにきつく強く握り締められている両の拳が示していた。
悔しくない筈がない。憎くない筈がない。魔王と同じくらい自分達の弱さが許せない。もしも自分たちがもっと強ければここまで壊滅的な事態に陥らなかったかもしれない。例え相手が魔王だったとはいえ、自分の弱さがこれほどまでに口惜しいと思えたのは長い彼女たちの人生の中で初めてであった。
「魔王も魔族も動きはないようです。今のうちに兵を再編して撤退を開始しましょう」
アルストロメリアがパンっと強く手を叩くとそれを合図としてそれぞれが動き出す。その中でも実力者であった筈のライゴウやカルラ、アルフレッドはまだましである。もっとも酷いのが鳳凰丸とティターニアだ。
彼女たちはアルストロメリアの声が届いていないのか、立ち上がろうとすらしていない。再三の声掛けによって、ようやくノロノロと行動を開始する。最悪の状況のなか、それでも心を折る訳にはいかないアルストロメリアが、両頬を自分の手でパンっと強く叩いて気を引き締めなおす。
「リフィア殿、兵の纏め役をお願いします。殿は私が引き受けま―――」
アルストロメリアが振り返り、背後にいたリフィアとアールマティに声をかけようとした瞬間―――その視界に映ったのは、砂塵とともに現れたヤクシャが大きく右腕を振り上げている姿であった。
「はっははははははははっ!! これで死んでくれるなよっ!! 影使いさんよぉぉ!!」
楽しそうに吼えながら、ヤクシャは何の躊躇いもなくその右拳をアールマティの頭目掛けて振り下ろした。




