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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
五部 中央大陸編
93/106

八十五章 魔族襲来














 中央大陸の南部の海岸沿いには、幾つもの小さな漁村が点在していた。

 北部、西部、東部は人口も多く、漁村というよりは街や都市と称した方が相応しい町が多いのだが、南部には簡素な造りの村しか存在しない。

 理由は簡単で、南大陸に住む魔族の上陸地点が中央大陸では南部に集中しているためだ。

 そのため基本、南部地方に住む人間は少ない。住んでいたとしても、魔族が攻めて来る時期は他の都市へ移動して生活している。そんな理由で、南部地方の海岸沿いに住んで漁生活をしている人間は壊されたとしてもそれほど痛手を受けない簡素な造りの家にしているのだ。



 そんな数多ある漁村の一つ。特に名前も無い小さな村落が、活気に沸いていた。

 というのも、もう一月もすれば雨季も終わり、魔族の軍勢が南大陸から押し寄せてくることになるため、今のうちに稼げれるだけ稼いでおこうという考えの下、漁生活に励んでいた。


 雨季の間は、空は積乱雲に覆われ、海は大津波で荒れ狂う。そんな天候では如何に魔族といえど、南大陸から中央大陸へ来ることは難しい。いや、難しいというよりは無理と断言したほうがいいだろう。

 如何に魔族といえど、自然の驚異に打ち勝つことはできない。それは幻想大陸の歴史の中で、この時期に魔族が攻め込んできたという記録はないということが証明している。 

 それを知っているからこそ、南大陸に近いこの海岸沿いに住んでいる彼らもこの時期ならば安心して漁生活に励むことが出来るというわけだ。



「さてと。今日も一日頑張りますかね」

「おうよ。大漁なのを祈ろうぜ」

「久々の漁だからな。期待するとしようか」



 時刻は太陽が未だ顔を出していない薄暗い夜明け前。

 そんな会話をしながら、浜辺へと姿を現した数人の男達がいた。



「ふぅ……なんかちょっと寒くないか?」

「確かに、そうだなぁ。幾ら陽が出る前とはいえこの時期にしては冷え込むな」



 ひんやりとした空気に、ぶるりっと身体を震わせて男達があまりの寒さに眉を顰める。

 よく見れば、吐き出した空気も白く色づいていて、気温の低さが窺い知れた。

 彼らが言葉に出したとおり、雨季も明けたこの時期にこれほど気温が寒くなるなどこれまで一度として経験したことはない。ある種の異常気象とも言え、互いに顔を見合わせたが、かといって漁に出ないわけにもいかない。

 折角本来の仕事に戻ることができたのだから、幾ら近年稀に見ない状況であったとしても、このまま指を咥えて砂浜で棒立ちしていたとしても仕方ない。


 寒さにかじかむ指先を両手で擦り合わせながら、男達は砂浜に置かれていた木の船を海へと押し出し始めた。

 それほど大きくないとはいえ、かなりの重量を誇る木の船を少しずつ移動させ、やがてその先が海へと侵入したその時―――。




 パキィリ―――と奇妙な音がした。



 その音は、奇妙なまでに男達の耳を打ち、それを訝しんだ先頭の男が海へと入ったはずの船の先を見て、言葉を失った。何故ならばその音の原因は、船が氷を砕いた音だったからだ。

 慌てて前方の大海を確認する男達。そして、彼らはようやく気づく。水平線の彼方まで続く大海原が、全て凍りついているということに。

 


「―――はっ?」

「ちょ……な、なんだよ、これ」

「こ、凍ってる? んな馬鹿な……!!」


 愕然と声をあげる男達。

 それも当然の話だ。この季節、幾ら太陽が出ていない朝方とはいえ気温十度を下回ることはない。いや、例え真冬であったとしても、如何なる異常気象が起きたとしても見渡すかぎりの海が凍るなどという事は有り得るはずが無い。



 異常気象というレベルの話ではなく、もはや天変地異にも匹敵する大事変。

 目の前の夢か幻かと勘違いしそうな光景に言葉もなく、唖然と目を見開く男達。

 数分も経過し、ようやく海が凍りつくという光景が、自分たちの見間違いではないということを認識した彼らだが、どうしたものかと互いに顔を見合わせる。

 

 はっきり言って、自分たちの手に負える枠組みを遥かに超えているというのが彼らの偽ざる本音であった。

 このような現象が起きた原因を推測しようにも、ただの人間である彼らには到底思いつかない。かと言って、このまま顔を見合わせていたとしても何も始まらない。

 

「と、とりあえず。騎士団の方に報告してくるよ、俺」

「お、おう……頼んだ」


 男達のうちの一人がそう言って、氷海とは正反対の方角へと駆け出していった。その一方、他の男達は何をするでもなく呆然と凍った海を眺め佇んでいる。

 さて、彼らが口に出した騎士団、とは何なのか。それは、この周辺の砦に詰めている神聖エレクシル帝国の騎士達のことだ。

 如何に雨季に入っており、南大陸から魔族の侵攻が止まっているとはいえ、魔獣による被害まで無くなる訳ではない。それに、南大陸へと帰還しなかった魔族や置き去りにされた魔族なども残されている場合もあるため、そのような人類の敵を駆除するべく神聖エレクシル帝国の騎士団が大陸を巡回している。

 運がいいことに、先日から暫くこの地域を警備する為に騎士団が駐留しているところだったのだ。

 

 しばらくの間無言が続くものの、やがて異常な光景にも慣れた男達は、恐る恐るといった様子で凍った海に手を伸ばす。

 手が氷海に触れた瞬間、ゾクリっとただ冷たいといった表現を超えた悪寒が、彼らの背中を駆け抜けた。

 

 男達は十数年、或いは数十年の間この大海で漁師として働いてきた自負がある。

 戦いには無関係であったが、それでも命の危険がある生活を続けてきた経験上、不思議な勘が働いたことも一度や二度ではない。

 自分たちの命に関わるような、このままここにいては何かが危ないといった直感が、彼らを襲った。


 

「おい……」

「あ、ああ。なんか、やべぇな」



 男達はごくりっと唾を飲み込むのと、遠方から馬蹄が鳴り響いたのはほぼ同時のことであった。

 大地を踏みつける荒々しい蹄の音が、徐々に近づいてくることに、ほっと胸を撫で下ろす。彼らの予想を肯定するかのように、彼方から十数人の騎士達が馬を走らせて男達へと駆け寄ってくると、その騎士団の先頭にいた二人がひらりっと華麗に馬上から砂浜へと着地する。



 そのうちの一人はこの幻想大陸では東大陸にしか見かけない、珍しい衣装。

 巫女などが着る千早に、真っ赤に燃えそうな彩りの緋袴。足袋に草履という珍しいどころか珍品の域に達した服装の女性。キョウが見れば懐かしんだであろう装飾。その上から軽く羽織った赤いロングコートとともに、長い黒髪を同じく長い帯で髪を纏めあげポニーテールにしている髪も風に揺れていた。

 眦がキッと微かに吊りあがっているのは気のせいではなく、事の重大さを理解しているためだろうか。足早に近づいてくる彼女の歩みに合わせて、カシャンっと彼女が背中に背負っている真紅の鞘に納まった剣が音を立てた。


 もう一人は、白いローブで全身を隠した小柄な少女だった。黒髪の女性が百七十を若干超える背丈のため女性にしては長身ということもあり、その小柄さをより一層際立たせている。さすがに幻獣王や獄炎の魔女ほどではないが、アトリやリフィアよりは多少マシといったところだろうか。随分と大きめのローブを羽織っているせいか、丈に合っていないぶかぶかの服が彼女の華奢さの印象を加速させていく。その時、顔を隠しているフードが、吹き付ける風によって、ばさりっと揺れ少女の素顔を露にした。

 長身の女性がロングヘアーなのとは対照的に、多少短めにセットされた桃色の髪。ツンっと耳が長く尖っているのはエルフの証明であることに他ならない。エルフという種族に相応しく、見惚れるほどの可愛らしい顔立ちをしていたが、冷たささえ感じさせる蒼の瞳が、凍ってしまった海の光景を捉え動揺に揺れていた。



「こ、このような所までご足労をおかけして申し訳ありません」


 近づいてくる二人に、漁師達は慣れない言葉遣いで礼を述べながら慌てて頭を下げる。 

 声が上擦っており、彼らが極度の緊張をしているのは一目瞭然であった。


 ただの騎士相手ならば、彼らもここまでは硬くはならない。

 ならば、何故これほどまでに男達は緊張を隠せないのだろうか。

 その理由は単純で、目の前に現れた女性と少女が、中央大陸の辺境で生きる男達でさえも顔を知っているほどの有名人であったからだ。


 神聖エレクシル帝国が誇る最強戦力の一角。

 生きた天災に足を踏み入れた将軍級魔族さえも打倒することが可能な領域に住む超人。

 即ち―――七剣と呼ばれる称号を戴く者。


 天下五剣に数えられる炎を司る魔剣オーガイーターの所有者。

 数百年も昔から神聖エレクシル帝国を守護する一族の当主の証明である鳳凰丸の名を受け継ぎ、一族歴代最強とも噂される炎の魔剣士。

 七剣第二席―――鳳凰丸=ヨモツヒラサカ。


 東大陸の最大勢力を誇るエルフの一族の次期後継者。

 五大属性全てを使いこなす魔法使い。単純な魔法の力量で言えば、宮廷魔術師筆頭たるリフィアをも凌駕すると言われるエルフ。

 七剣第三席―――ティターニア=フェアリーズ。



 数多の猛者や強者が集う神聖エレクシル帝国において五指に数えられ、誰もが認める英雄二人が現れるなど夢にも思っていなかったことだろう。

 


「いえ。お気になさらずに。このような事態に備えて我らがいるのですから」



 鳳凰丸が男達の礼を受け入れながらも、歩みを止めることはしなかった。

 彼らの横を通り過ぎると、見渡すかぎりが凍った海を一瞥。眉を顰める彼女は、すぐ後ろに控えていたティターニアを振り返る。


「……まずいわね(・・・・・)

「そうか」



 全幅の信頼を寄せる相棒の一言に、状況は最悪を遥かに通り越している事態なのだという直感が痛いほどに鳳凰丸を襲ってくる。

 ため息の一つでも吐きたいものだが、自分たちを不安そうに見つめている漁師の姿を思い出し、辛うじてその行為を押し留めることに成功した。

 もはや一刻の猶予もないと感じた鳳凰丸は毅然とした態度を崩さずに、漁師達へと振り返る。


 

「残念ながら、この事態の原因はすぐにはわかりません。万が一に備えて、避難をしていてもらえないでしょうか?」



 七剣の第二席の言葉に、漁師達は一も丹もなく頷いた。

 幾らもう少しで魔族襲来の次期になるため出来るだけ稼がなければならないとはいえ、彼らも命あっての物種。

 こんな状況で漁に出ようなどと言う愚かしい真似をする者はいなかった。

 

 ―――海が凍っていて漁に出ることさえ出来ないというのが一番の理由だったが。


 鳳凰丸達が連れてきていた騎士達のうち、幾人かが避難誘導を指揮するために漁師とともに村落の方角へと消えていく。

 後に残されたのは、七剣の二人とその部下である十人ばかりの騎士。

 沈黙が支配するのは僅かな時であり、そんな中で鳳凰丸が口火を切るように口を開いた。


「私としても今更ながらな質問となるが本当に間違いないか、ティータ?」

「ええ。この凍った海から感じられるのは―――魔力」


 先程までは我慢していたため息を今度は隠しきれずに吐くと、己の愛剣であるオーガイーターの柄を一つ撫でる。


「できれば自然現象だと願いたかったが、そうはいかないか」

「……そうね。私としても何の冗談、と声を大きくして叫びたい光景だけどこれは人為的に生み出されたものね」


 人為的―――その言葉に、後ろに控える騎士達が息を呑む。


「一つ確認しておきたいが……お前なら出来るか?」

「無理。絶対に無理。海を凍らせるなんてふざけた真似できるわけないわよ」

「まぁ……出来ると言われたほうが逆に驚いたが。やはり不可能か」

「勿論。アルス様なら―――或いは一瞬くらいなら出来るかも。あの方の全力は見たこと無いから何とも言えないけど」


 確認する意味での質問だったのだろう。

 鳳凰丸だけは特に驚きもせずに、何度か頷きつつ氷海に視線を巡らせる。

 

 右手をオーガイーターの柄から離し口元に持っていくと、口を隠すように掌で覆いながら、思考の海に埋没していく。 

 現在考えることは大きく分けて二つ。


 海を凍らせた存在は誰なのか。

 何の目的でこんな真似をしでかしたのか。


 他にも考えることは数あれど、優先すべきはその二点だ。


 

 海を凍らせた存在―――正直な話、それの心当たりは無いわけでもない。

 先程ティターニアはこう言った。自分にはこんな芸当は不可能だと。七剣の第一席であるアルストロメリアでもこんな長時間凍りつかせることは恐らくは無理だろう、と。ならば、他の可能性として五大魔女の可能性もあげられるが、その可能性は捨ててしまっても構わない筈だ。そもそも五大魔女はそれぞれの属性に特化した魔法使い。即ち、水属性を得意とする流水の魔女ティアレフィナができなければ、他の四人も出来るはずがない。そして、ティアレフィナの魔法使いの技量は、ティターニアより幾分か上と言う程度。ならば候補から外すべきだ。それに彼女がこのような真似をする理由が何一つとしてない。つまりは人類ではここまでの現象を起こすことができる者は存在しない―――もっとも隠れた実力者がいたという可能性がないわけでもないが、それは限りなく低いだろう。


 それならば、もう一つの可能性。

 それは人類にとっての最悪。即ち、これが魔族の手によって引き起こされたということだ。

 しかも、こんな超常現象を起こすことができる存在となれば、自ずと絞ることが可能。

 将軍級魔族や魔人級の化け物では恐らく不可能。つまり、それより上位の存在―――即ち、魔王。

 

 そんな化け物が海を凍らせるともなれば、何かしらのアクションがあって然るべきもの。

 つまりは、最悪の相手による中央大陸侵攻か、とも考えられるが、実はそれも些か腑に落ちないところがある。


 何故ならば、確かに魔王が中央大陸に攻め入ってきたことはあるが長い歴史においても煉獄の魔王による僅か一度だけ。

 それぞれが敵対しているが故に、己の領地から迂闊に動くことはできない。それを考慮すれば、魔王による侵攻は首を捻ざるを得ないのだが―――。



 そして、この時鳳凰丸の思考を遮るように、小さな地震が大地を揺らす。


 最初は本当に小さな地揺れであった。揺れたかどうかも判別が難しい程度。

 しかし、五秒十秒と時間が経つにつれ、その揺れは徐々に大きくなっていった。

 

 地震程度ならば珍しくも無いが、ここまで連続して続く大震は滅多にない。

 一体何事か。やはり海が凍るという非常事態とこの大地震を合わせて天変地異の前触れだというのか。

 騎士達はそんなとりとめもない思考をしながら、指示を仰ぐべく自分たちの上司でもある二人の七剣に視線を送った。肝心の二人はこんな状況でも慌てることも無くじっと凍った水平線の彼方を見据えている。いや、睨みつけているといった方が正確かもしれない。


「―――な、なんだ、あれ?」


 騎士の一人が擦れた声をあげる。

 水平線の彼方に浮かび上がった黒い点。

 僅かだったそれが、時間が経過するごとに増加の一途を辿る。

 まるで雲霞の如く。水平線を黒い点はやがて全てを覆い尽くす暗幕とさえなっていく。

 

 騎士達が呆然と、そして愕然とそれに視線と意識を縫い付けられてしまったのは決して責められることではない。

 遥か遠方に広がる黒いカーテンとしか表現できないそれらは、視認するでもなく化け物達の大行進ということは幻想大陸に住まう者ならば否が応でも理解することができたからだ。

 百や千ではすまない。五千や一万どころの話でもない。

 夢か幻か。果ての無い絶望の到来。人類のあらゆる希望を圧し折り、砕けて散り行く悪魔の軍勢。



 かつてないほどの百鬼夜行の行進に、この場にいる者達の心が磨耗していく。

  

 

 それに加えて、さらなる絶望が飛来する。

 全身が総毛立ち、弾かれたように目を細め、生物としての生存本能が水平線を埋め尽くす軍勢よりも警戒すべき存在がいることを嫌と言うほどに喚きたてた。


 万象全てをひれ伏せさせる圧倒的という言葉すら生ぬるい、まさしく人類とは桁が違う絶対者の気配。

 


「―――最悪、だ。いや、最悪を通り越した最悪じゃないか!!」



 悪魔の軍勢を前にしても毅然としていた鳳凰丸が、絶叫にも似た声をあげる。

 予想していた最悪。それは即ち、魔王の参戦。海を凍らせるというからには、恐らくは北の魔王ヤクシャ。暴虐の悪鬼とも恐れられる戦狂いの鬼の王。

 されど事態は鳳凰丸の想像を容易く超える。現実は非常であり、状況は軽々と最悪を超えていく。


 鳳凰丸の予想、考えの甘さを責めることは出来ない。

 この幻想大陸に住まう誰であろうとも、こんな事態を考え付く筈がない。

 絶対に、決して、万が一にもありえない―――四体の魔王による連合など、一体誰が考え付いただろうか。


 死が押し寄せる。

 台風や地震といった自然現象のほうがまだましだ。

 男も女も子供も老人も赤ん坊も、人類ならば躊躇いなく潰していく死という概念そのものが、超常の世界に生きる正真正銘の化け物達が。一体でさえも辛うじて押し返すことが可能な人外の到達者達が―――悪魔の軍勢を引き連れてやってくる。



 遠く離れていても肌を焼く、絶望的な圧力が四つ。

 抵抗する意思をも押しつぶす、そんな気配が天を突く勢いで立ち昇り、彼方よりゆっくりと歩み寄ってきた。



 一体どうするべきか。

 戦うか? 無理だ。絶対に無理だ。魔王一体でさえも勝利など皆無に等しいというのに、相手は魔王が四体。

 しかも、魔人や将軍級魔族。騎士級魔族や兵士級魔族は数え切れないほど。

 それに対してこちらは、鳳凰丸とティターニア。その配下の騎士が十名。どうあがいても奇跡が起きても勝ち目は皆無。

 

 ならば逃げるか? それも無理だ。

 この現状で逃げ出したとしても恐らくは追いつかれるだろう。

 しかも、この周辺の村や町に住む人間達を避難させなければならない。そうなれば間違いなく時間が足りない。彼らを見捨てて逃げるという案もあるが、七剣として、騎士としてその選択は受け入れがたい。


 逃げるも地獄。戦うも地獄。

 それなら、まだマシと思える選択を掴み取るべきだ。

  


 金属音を高鳴らし、鳳凰丸は深呼吸とともにオーガイーターを背の鞘から引き抜いた。 

 揺らいでいた自分自身を内心で鼓舞し、普段の己を取り戻す。

 そんな彼女の姿に、絶望に打ちひしがれていた騎士達は無言のままにそれぞれの武器を手に取った。ティターニアもまた、青白い顔をしながらも杖を握り締める。

 

 無言のままに、絶対に死ぬと分かっている戦いに追従しようとしてくれる部下と同僚に深い感謝を送りながら、鳳凰丸は神経を研ぎ澄ましていく。

 一体でも多くの敵を屠るために、やがて辿り着くであろう化け物達を睨みつけ―――。






「……それは犬死。悪手だよ、鳳凰」



 

 こんな絶望的な状況だというのに、焦燥を微塵も滲ませていない声が鳳凰丸の耳をくすぐる。

 集中していた鳳凰丸とティターニアが、全く感じ取れなかった気配に慌てて振り向くと、騎士達のさらに後ろに、一人の女性がいた。

 彼女こそが七剣第五席―――アールマティ=デゲーデンハイド。風になびく蒼い髪を片手で抑え、感情を見せない表情で近寄っていくと、同僚とともに彼方の黒い軍勢を見据える。


「アルマ……お前、何故ここに?」


 相変わらず神出鬼没な元暗殺者に向かって鳳凰丸が言葉を投げかける。

 それに一瞥もくれずに、アールマティは軽く肩をすくめた。



「キョ―――英雄殿達の道案内が終わった後、あんた達に合流するようにアルスから言われてたからさ。まさかこんな事態に直面するとは思ってもいなかったけど」


 彼女の言うとおり、呪い谷の大渓谷でキョウ達と別れてからブラブラと南下してきたアールマティだったが、丁度辿り着いた矢先にまさかの魔族の大行進である。

 己のタイミングの悪さを呪いたくなるものの、それで事態が好転するわけでもない。


「とりあえず、とっとと逃げようか。勝率皆無の戦いになんかでる意味ないよ」

「……だが、私達が退けば多くの民が犠牲になる。それがわかっているのに、退けるものか」

「―――なにそれ? 笑えない冗談だね」


 鳳凰丸の台詞にアールマティが冷たい視線を向ける。

 決死の覚悟を冗談だと一笑に付され、自然と眼差しがきつくなるのも仕方の無いことだろう。


「あんた達がアレに立ち向かってどうにかできると思ってる? 悪いけどどんな奇跡が起きても無理だよ。それは犬死ってやつ。今回は退いて、アルス達と合流するのが正しいとあたしは思うけどね」

「それは……わかっている。しかし―――」

「本当にわかってる? 確かにこのまま退けば多くの犠牲がでるかもしれない。でもね、あたしたちが負ければその比じゃないくらいの人間が死ぬよ? 中央大陸だけじゃない。やがては他の大陸もね」


 そのためにもこの大陸で魔王の侵攻をとめるしかない。

 アールマティは鳳凰丸の胸元に人差し指をピタリっとあててそう締めくくる。

 ギリっと歯をかみ締める彼女だったが―――不承不承という様子で頷いた。


 本当はアールマティに言われずともわかっていた。

 しかし、鳳凰丸は戦人。戦わずに逃げ帰るなど彼女の誇りが許さない。それでも、今はもはや大陸の命運を左右するほどの非常事態。今はそのような瑣末なことに拘っている余裕はありはしない。


 方針が決定したならば、もはや迷うことはない。

 鳳凰丸もティターニアも、氷海から踵を返すとそれぞれの愛馬へと向かっていく。騎士達もまた同様だ。


 そんな中、一向にその場から離れようとしない者が一名。

 アールマティは地上に発生した黒い雲海の群れを遠めに見ながら、ぶつぶつと小さく呟いていた。

 何事かと訝しんだ鳳凰丸達の視線を背中に受けながら、彼女は腰元から右手で逆手に短剣を引き抜く。


「……でもまぁ、ただ逃げるだけってのも調子づかせそうだし。少しはここで削っておくかな」


 あたしだって折角の就職先をなくしたら困るしね、と短く心の中で付け加え―――。






「―――なっ」

「……え?」




 七剣二人の呆けたような声が漏れた。

 

 そこに突如として理解の範疇をこえた力場の発生。

 彼方から近寄ってくる四つの魔王級の圧にも比肩する、圧倒的な強者の気配。

 それが、すぐ目の前の―――同僚の身体から溢れ出して来ていた。


 未だ続く地震の原因は、言うまでも無く魔族の軍勢による進行。

 しかし、こんな状況になってさらに変化が生じた。更なる大震が世界の終焉を告げるかのように響き渡る。

 魔王という名の不条理を覆す。人ではどうしようもないほどの化け物の領域に容易く踏み入った怪物が一切の緊張もなくその場に佇む。








「―――食い尽くせ。影狼の輪舞(シャドウ)





 

 そして、人災は引き抜いた短剣を流れるような動作で砂浜へと突き刺した。
























 ▼










 

 南大陸より侵攻する魔族の大軍勢。

 その先頭に立つのは、四体の魔王である。

 

 パズズは魔族一の巨躯らしく、歩くたびに地響きをたてている。両足が氷海に着くたびに氷が砕ける音がして、僅かに足をめり込ませていた。

 それとは対照的にザリチュは、足音も無く影のようにゆらゆらと揺れながら歩を進める。

 

 そんな二体と並列して進撃するのは、ヤクシャとデッドエンドアイ。


 その他の魔族は、彼ら四体の魔王を決して追い抜こうともせず、付き従っている。彼らの眼にあるのは恐怖のみ。魔王が魔族を従えているのは圧倒的な力によるもの。魔王とは恐怖の象徴。魔族最強の代名詞。逆らえば齎されるのは絶対の死だということを認識している故に、彼らは魔王に対して従順である。それは例え将軍級魔族や魔人であったとしても例外ではない。


 万を超える軍勢を従えているものの、魔王達の足取りは到底急いでいるとは言いがたい。

 まるでどこかへ散歩へ行っているかのような気軽さで、これから人間達と戦争をしでかそうなどと言う気負いは全く感じ取れなかった。

 

「クカカカカカ。しかし、これは便利じゃなぁ。海を丸ごと凍らせるなど、見事なものよ」

「細かい調整はワリィが無理だがな。この程度なら容易いもんだぜ」

「ワシの魔力で天候を操り、貴様の能力で海を渡る。案外と相性が良いのかもしれんな、小僧よ」

「ハッ。お前みたいなジジイと相性が良いなんてぞっとしない話だね」


 パズズの嘘偽り無き称賛に、ヤクシャが面倒臭そうに返答する。

 そんな二体の会話に気が気でないのは彼らの配下の魔族たちだ。何故ならば、配下の魔族にとっては、自分達の主以外の魔王は人類と同じく敵対勢力でしかない。即ち、明確な敵であるといっても過言ではないのだ。

 何時殺し合いが始まるのか内心で焦ってはいたものの、肝心の魔王達は特に気にするでもなく会話を続けている。

 それに違和感を隠し切れない魔族達だったが、その考えを途切れさせるように、四体の魔王の歩みが止まった。

 そして、何事かと伺いを立てるよりも早く、その理由が判明する。

 

  

 ゾワリっと、冷たい颶風が真正面から痛いほど強く打ち付けてきた。

 魔族達の大軍勢の足を止めるほどの暴風。気を抜けばそのまま後方へと押し流されそうなほどの大圧力。

 パズズが支配する烈風とは似て異なる―――浴びるだけで死にたいと思ってしまう透明な殺意。

 全てが揺れ、崩れ落ちる。この世の森羅万象を刈り取る死神が、奈落の底から手招く幻想さえ魔族達に感じさせた。

 自分達が処刑台に乗せられた罪人で、後はその刃を振り下ろすだけ。絶対回避不可能で、確実な死を確信させる。

 そこまでの気配。圧力。殺意。それが、それを放つ存在が、遥か遠方の砂浜からこちらを睥睨してきているという確信を彼らは持った。


 


「―――お前か、不滅の到達者(アムシャ・スプンタ)




 ぽつりっと小さい呟きが漏れた。

 それは、未だ強く吹き付ける無謬の突風にのまれ誰の耳に届くことなく消えていく。

 その言葉を発したのは煉獄の魔王。呪詛帯で顔を覆ったデッドエンドアイだったが、その視線はある遠方の一箇所を真っ直ぐに見つめていた。

 誰もが聞き取れなかったその呟きに、ピクリっと耳を微かに動かした存在が一体だけいたが、その者がそれを追求するよりも早く―――。





「―――跳べ、貴様ら!!」



 

 デッドエンドアイが鋭く一喝。

 それに反応できたのは魔族の中でも極一部。

 何故、と問おうとした者。反応が遅れた者。無色の殺意に身体を縛られた者。

 それら全てが、氷海に映っていた己の影に喰われた(・・・・)


 太陽光に黒く映し出されたそれぞれの影が、突如としてその形を餓狼へと変化させ、己の本体を呑み込んだ。

 性質の悪い冗談としか思えない光景に、デッドエンドアイの一喝で命を拾ったものは眼下を顔を引き攣らせながら見下ろす。

 僅か一瞬。それこそ一秒にしか過ぎない時間で、血も骨も身体の一部も残さずに―――多くの魔族が自分の影に喰われて消えた。

 

 この事態に魔族達の心に恐怖、という感情が呼び起こされる。

 しかし、それでも残された彼らが逃げ出すことは無い。

 何故ならば、こんな異常事態でさえも、泰然と佇む主達がいるのだから―――。




「クカカカカ、なんじゃ、これは。驚かせてくれる」


 パズズは、笑いながら自分を喰らおうと襲い掛かってきた影狼を、暴風の力で押さえつけた。  

    



「……初めて見るな。このタイプの特異能力(アビリティ)は」


 ザリチュは、己の周囲に罅割れた土壁を出現させて影狼の攻撃を軽々と防ぎきった。




「―――おいおい。すげぇな、おもしれぇな、おい。とんでもねぇな、おい!!」


 ヤクシャは笑いながら背後からの強襲を、振り下ろした右拳一撃で粉砕した。





「……」


 デッドエンドアイは、影を一瞥。それだけで煉獄の炎が燃え上がり影を焼き尽くした。






 そんな四体の魔王を見た配下の魔族達は確信を得た。

 確かに、この影を操った存在は超越領域に住んでいる存在だろう。しかし、我らの主もまたその世界に住んでいる。

 即ち、戦えば勝つのは自分たちだと。


 圧倒的な殺戮が齎した被害は甚大。

 一瞬で実に軍勢の二割近くを失った魔族達だが、それでも彼らの足取りに変化を齎すことはなかった。



















 ▼




















「……じゃ、さっさと退散しよう」



 砂浜から短剣を引き抜いたアールマティが鞘に納めて、鳳凰丸達へと振り返る。

 七剣二人の想像を遥かに超える気配を噴出させた同僚に、呆然としていたの鳳凰丸達だが、我を取り戻した彼女達が一体これはどういうことか問いかけようとするものの―――冷然としたアールマティの雰囲気に口を閉ざすこととなる。


 それにこの場で彼女を問い詰める時間もない。

 非常に気にはなるが、これは後回しにするべきだと判断した鳳凰丸とティターニアだったが、やはり若干難しそうに眉を顰めるアールマティの姿に嫌な予感とでもいうべき感覚がざわめいた。



「―――どうかした、アルマ?」



 鳳凰丸と同じ感想を持ったティターニアが、アールマティへと問い掛ける。

 しかし、それには答えようとせず―――やがて、小さく首を横に振った。



「ん。なんでもない―――急ごう」

「……ああ」

「うん。早くアルス様と合流しようよ」



 アールマティの態度にやはり引っかかるものを感じた二人だったが、これ以上時間を無駄にするわけにも行かずに踵を返す。

 今は時間が一分でも一秒でも惜しいのだから、確証もない予感程度のことに関わっている暇はない。

 急いで首都の方角へと馬を走らせる鳳凰丸とティターニアの後姿を追いながら、アールマティはもう一度足を止め―――振り返る。


 そして、何時もより鋭くなった眼光を魔族の軍勢がいるであろう彼方へと送りながら―――。
















「これは少しまずい、ね。あの二体(・・・・)……あたしよりちょっと強いかも」









 僅かに焦燥を滲ませて小さく呟いた人災の言葉は、風に乗って消えていった。

 












お、おまたせしました。

ちなみにストックはありませんのでボチボチ頑張ります。

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