七十三章 決戦の巨人種2
二体の第一級危険生物の争いは、人の想像を遥かに超えて異常で、異質。
圧倒的なまでの超常現象が如く破壊の規模だった。街を破壊していた巨人種達でさえ子供の戯れにしか見えない程の大破壊劇。
そこにあったのは人では目を背けたくなるほどの次元の違い。
数千度に達する灼熱の弾丸が。
それを受け止める超巨大な大嵐が。
周囲一帯のあらゆる生物、無機物問わずに無残に消滅させながら、互いの攻撃を相殺しあいながら消えて行く。
二人の闘争が、街から離れていた場所で行われたのは街で生き残っていた人間や巨人種のみならず、キョウや巨人王にとっても僥倖であったといえるだろう。
もしも、この生きた天災が暴れ狂えば、西大陸有数の街といえど、もはや跡形残さず消滅していたに違いない。
それほどまでに、二人の争いは天変地異に匹敵するだけの被害を齎していたのだから。
「―――ああ、痛い。痛いですね。本当に痛いですよ? ですが、久しぶりです。私が血を流すなんて」
遥かな蒼天の高みから、下界を見下ろして優しげな笑みを口元に浮かべているアエロは―――しかしながら痛みを訴えている口調とは裏腹に、見かけからは冷静沈着にしか見えなかった。
根元から消しとんでいる己の左腕を、無事な右腕で撫でるアエロを地上で見上げるナインテールは、幼い容貌の中に獰猛で凶暴な光を隠そうともしていない。
その姿は普段キョウと一緒にいる彼女とは似ても似つかなかった。
発せられるのは圧倒的な王たる者の風格。絶望的な獣の殺意。
両者ともが、セルヴァに負けず劣らずの獣の王の重圧で空間さえも歪めてしまっている。
「幻想大陸にて魔の獣の王と呼ばれる存在は僅か五体。その中でも最強と謳われるのはナインテール、貴女ですね。ですが―――」
優しげに見えた笑みは、どこかおかしく。
奇妙なまでの違和感が纏わり付く。
溢れ出ていたアエロの鮮血が、何時の間にか止まっており。
「―――そんな貴女が人間などに媚を売る姿は見たくなかったですよ」
どろりっとした濃厚な死臭を漂わせ、アエロが落胆のため息をつく。
その言い様に、ナインテールは眉尻をかすかにあげる。
空獣王の台詞に腹が立たなかったわけではない。逆だ。これ以上ないほどに腸が煮えくり返っていたが、それでも反論を口に出さなかった。
魔獣王種の中で―――いや、第一級危険生物でもっとも話がわかる王。
冷静で、慈悲深く、時には人に味方することもある空の支配者。
そう知られているアエロの眼光に足を止められていた。まるで根を張ったように、両足が言うことをきかない。
氷点下に達する冷風が緩やかな螺旋を描き、ナインテールを地面に縫いつけ、身体の自由を奪っていた。
「ほざくな、小娘。お前如きが―――」
刹那。
ナインテールの全身の毛穴という毛穴が開き、嫌な汗が滲み出る。
何かがマズイ。このままこの場にいれば、決定的に危険だといった予感が彼女の全身に鳴り響く。
視認できない何か。身体を撫で上げる狂風。質量を持った危険なまでの疾風が戦場を駆け抜けていった。
身体を縛りつけていたアエロの重圧を引き千切り、幼い金色の姿がこの場から弾け跳ぶ。
殺意の気配がもっとも薄い方向に、燃え盛る業炎の塊を放ち退路を確保。全方位から降り注いできた無色無音の突風の刃が、今の今までナインテールがいた場所を蹂躙する。
その数、ナインテールが感じ取れるだけで軽く数百を超える。視認できなかったが、それ一つだけでも一撃必殺の威力が込められていることに疑いようは無いだろう。
間一髪で、殺意の奔流から逃れたナインテールが盛大に地面を抉りながら着地。
キッと天空のアエロを睨みつけ、両手を向ける。
途端、先ほどの空獣王の攻撃に匹敵―――或いは凌駕するほどの圧が、幼い肉体から横溢した。
空の彼方に浮かんでいるアエロを包囲するように、大小様々な炎玉が具現化され、ナインテールが両の掌を握り締めると同時に―――それらは連鎖反応を起こし炸裂を開始する。
赤々と燃え上がる爆炎と広範囲にわたって巻き起こる煙塵。
地上にいるナインテールの皮膚にもチリチリと熱を伝えてくる衝撃が、巻き起こされた。
その破壊力は、一目で分かる絶対絶殺。
これだけの超範囲に渡る攻撃は、人や亜人では耐え切れない。
もしも、キョウやディーティニアがこれの標的となれば、相当な条件下でなければ生存は不可能。
そこまでの殺すことだけに特化した無謬の特異能力。それがアエロに直撃した瞬間だった。
だがそれでも、必殺とならない領域に住まう怪物が空に漂う。
絶対絶殺を、軽々と防ぎきった麗しき有翼人が、蒼空にたゆたっていた。
彼女の周囲には、透明な―――しかし、僅かに緑の色を帯びた風が幾層にも防壁を築き、ナインテールの爆撃の連鎖から己を守りきったということに気づき、軽く舌打ちをする。
「ああ。素晴らしきかな。流石は、流石は幻獣王の名を戴く頂点。なんて、なんて、なんて―――」
―――美味しそう。
欲望と獣欲に煮えたぎった混沌とした瞳で睥睨するアエロは、どこまでも怖ろしい。
周囲の冷風が、さらに温度を下げていく。氷点下を軽々を超え、吐き出す息は白くなり、指先がかじかんでいく。
マイナス数十度を突破し、さらに下がっていくそれは、ナインテールからしてみればまだ十分に耐え切れる範囲だ。人間ならば、動きが鈍る―――どころか生死に直結するだろうが―――彼女にとってはたいした問題ではない。
それでも、その冷気とともに伝わってくる気配は、ナインテールの第六感を痛いほど刺激してくる。
強張りかすれながらも、どこか歓喜に打ち震えているアエロが、抱きしめるように両腕を広げた。
ようやく。ようやく敵に出会えたのだ。己が全力全盛を出して戦える相手に。
数百年前に戦った巨人王では足りない。女神や悪竜王は、既に存在自体が反則というか、別次元の化け物達だ。
そんな彼らではなく、己と拮抗した相手との命を賭けてのやり取り。
それを心の深奥のどこかでアエロは求めていた。所詮彼女も、獣の王。本能は結局のところ、他の魔獣王種と同じく破壊と殺戮。
女神から枷を外されて僅かな時で、巡り会うことが出来た己が同種。
ナインテールとの闘争は、絶頂にも似た甘い痺れを全身に感じさせ、アエロは眼下に佇む金色の幼女を見つめ続ける。
膨れ上がり続ける得体の知れない気配に、ナインテールはやれやれと言わんばかりの態度で肩をすくめた。
冷たくなってきた身体に熱をもたらすために、軽く四肢を動かしながら、首を捻る。
「……小娘と侮ったのがまずかったかなぁ。これは、さっさと本気でいった方がいいよねぇ、多分」
アエロの力量を見誤っていたことを素直に認め、ナインテールは自分を戒めるためにも呟いた。彼女は己の力を過小評価も過大評価もしていない。故に、現在の拮抗した戦闘状態の原因となっているのは、アエロの力を甘く見ていたことだ。
如何にキョウのことを言われ冷静さを欠いていたとはいえ、これは己の失態。
そして、もう一つナインテールにひしひしと伝えてくるのは、今のうちにアエロをしとめなければならないという強迫観念染みた予感だった。第一級危険生物となれば、奥の手を一つや二つ持つのが当たり前だが、それを出させるのは流石のナインテールでも危険だと、認めざるを得ない。
「剣士殿のことも気になるしさぁ、うん。仕方ないか」
薄ら寒い笑みを口元に浮かべ、空を見上げていたナインテールは、右手の親指で首を掻っ切るしぐさを、アエロへと送る。
「―――死ね。潰れろ。滅せよ、小娘。お前がどんな奥の手を持っていたとしても、関係ない」
それは。その声は。その宣言は。
あまりにも冷たく。あまりにも熱く。あまりに空虚。
絶対零度と灼熱を持ち合わせた、異質なものだった。
妖艶でありながら、童女のようで。だが、色香を漂わせる極上の美女の声色で。
希望を持っているのか?
僕に勝てるという可能性があるとでも思っていたのか?
ああ。楽しいな。嬉しいな。お前如きが、僕に勝利できるなんて、夢想をするのだから。
くだらない。でも、羨ましい。しかし、愚かだ。
だが、それが愛おしい。力の差を理解できずに。理解しようともせずに。
僕の前で笑うか、小娘。ならば、死ね。塵芥も残さずに、喰らい尽くしてやるとしよう。
「超獣変化」
そして、世界は塗り潰される。
灼熱色に。業火の如く。紅蓮の炎に包まれて。
地獄の底の、更なる地獄。
煉獄の炎を引き連れて、這い上がってくる悪夢そのものが、ここに姿を現した。
幼い金色の肉体が、ミチミチと変貌する音を告げる。
ナインテールが、まるで異質な何かに変身していく。
幻獣王の真なる奥の手。
それを解放させる言霊は、本当に小さな呟きだった。
だが、それはアエロの耳元で囁かれたかのように、はっきりと伝わってくる。
膨大な憎悪と殺意と憤激と。
人間では到達し得ない超越領域に住まう獣の王の収束された負の感情に塗れた視線に射抜かれながらも、アエロは恍惚とした表情で翼をはためかせ続けていた。
「ああ、ああ、ああ。なんて、なんて、なんて―――化け物」
蒼空を背景に、地上を見下ろすアエロの眼下には、もはや言葉にするのも難しい、何か。
あまりにも巨大すぎる、獣。金色の毛並みが太陽の光を反射させ、九本の尾を蠢かせる、何か。
ここに顕現したのは―――。
第一級危険生物である陸獣王や海獣王。
そして、空獣王を圧倒する獣の王。
幻獣王ナインテール。
ここに、在り。
▼
郊外で行われている二体の獣の王の争いは、街中にまで衝撃と重圧を届けてきていた。
相対する三体の巨人王とキョウは、無言無音の世界を形成している。
まるで、二体の生きた天災の争いなど知ったことかと言わんばかりの様子に、完全に観客となったアトリとシルフィーナは半ば呆れ、もう半分は尊敬を抱く。
ここで行われる闘争は、ナインテールとアエロの攻防とは正反対。
獣の王たる化け物たちの争いは、言うまでも無く派手で過激極まりない。
大地をも融解させる数千度の大灼熱地獄と、その爆熱さえも防ぎきりあらゆるモノを薙ぎ倒す大嵐のぶつかり合い。
まさしく天蓋の獣達の大戦争。神話の世界の鬩ぎ合いだと表現しても誰もが納得のいく類のものだ。
繰り返して言うが、キョウと巨人王の戦いはそれの対極。
誰もが身動き一つ取らずに、己の敵を凝視し続けている。
氷の彫像のように指先さえも動かさずに、聞こえるのは己の心臓の鼓動と、獣の如き荒々しい呼吸音。誰かと思えば、三体の巨人王が何をするでもないというのにそこまで呼吸を乱していた。対するキョウは小狐丸の柄に手を当てて、外見は特に変わった様子は見られない。
両者の放つ目に見えない重圧がこの空間でぶつかりあい、弾けあう。
それだけで、見る見るうちに体力を削っていく。巨人王だからこそ、まだ呼吸を乱す程度で済んでいる。もしも高位巨人種だったならばとっくの昔にこの拮抗状態は終わりを告げていただろう。
気配だけで他者を―――生きた天災を圧する化け物は、一体何だと言うのか。
やがて、この無音の世界は突如として終焉を迎える。
郊外で膨れ上がった人も危険生物も、ありとあらゆる生物の理を外れた超大な気配の発露。
互いの意識が相手に集中していながらも、それでも彼らの意識を無理やりに引き寄せる。
まるで引力をもっているかのような重圧に、刹那の隙が其処には生まれた。
初手を取ったのは、巨人王ブリアレオス。
伸縮自在の狂える魔手が、鋼鉄さえも容易く引き千切る腐臭漂う亡者のそれらが、宿敵に向かって降り注ぐ。
それにつられて、残りの二体。
アルゴスとアグリアスもまた、キョウの放つ重圧を打ち破り大地を駆け抜ける。
そこにあったのは、まさしく王の行進。
彼らの前に存在するものは、塵も残さぬ。苛烈にして残酷な、超越領域の化け物たちの突撃だった。
我らこそが巨人王。
戦を愛し、愛された闘争の申し子達だ。
その我らを前にして。そこまで己を通すか、人の子よ。
見事だ。見事だ。見事だ。見事だ。
さぁ、始めよう。我らが闘争を。聖戦を。
血で血を洗う。殺戮の舞台を。
かつてない興奮と期待に、全身で嬉々と笑いながら己が相手を称賛し、三体の巨人王は他の全てに目もくれず、ただ疾走する。
そんな化け物同士の争いは、人の理解を超えた戦いになると予想された。
少なくとも、観客となっていたアトリにとってはそうだった。
如何にキョウ=スメラギといえど、巨人王を―――しかも三体を相手取れば勝敗がどうなるかは想像もつかない。
キョウが負けるとは思えないが、それでも一抹の不安があったのも事実。
されどアトリの不安を、心配をよそに―――。
決着は一瞬。
いや、一瞬というには些か長い時の流れ。
だが、十を数えるその時間において、戦いの勝敗はつくことになった。
秒の狭間にて、キョウを徹底的に破壊し肉塊にするために怖ろしい圧迫感を引き連れて、大きく広げられたブリアレオスの巨大な掌が幾重にも舞う。
逃げることなど不可能な、まるで張り巡らされた蜘蛛の巣に捕らえられた哀れな生物を引き千切るために、凶手が襲い掛かってきた。
その腕一本一本が、どうしようもないほどの最悪だ。その腕一つで第三級危険生物に属する化け物たちも容易く屠ることが可能な純粋な破壊を秘めている。
その必殺の雨霰の降り注ぐ中、キョウは短く呼気を吐き出す。
ヒュッと絶望が漂うこの空間で、僅かに眼を細め、そして鯉口をパチンと鳴らした。
捕らえた。
そう判断したブリアオレスの魔手の一本がキョウの頭を貫く。
しかし、その手には全く何かを引き千切ったという感触は齎されない。
本当に極僅か。それこそミリの単位で魔手を見切ったキョウが、頭を下げてその一撃をやり過ごしていたのだ。
風圧で後頭部の髪の毛が逆立ち、ぶわっと死風が撫で上げる。それでも、彼の顔色を変えるには至らない。
弾丸乱雨となったその場所で、遂に剣魔の刀が抜かれる。
その動作はあまりにも自然でありながら流麗。そして、背筋が凍るほどに危険で、怖ろしくて、おぞましい。
彼の―――キョウ=スメラギの佇まいは、言葉では表現しにくい。
まるで、風雨に打たれ幾星霜。樹齢数千年の霊木にも似た、不可侵にして幽玄さを併せ持つ。
人がどうしてここまでの領域に到達できたのか全くの不明ではあるが、目の前にいるのだから否定できるはずもなし。
完成されていて、完全である。
決して壊れも、砕けもしない。
鍛え抜かれた、存在だ。
だが、それに違和感がある。
そう、巨人王達は瞬時に悟った。確かにキョウの力量は想像の遥か先。
郊外で争っている二体の獣の王達に匹敵する天蓋の化け物だ。
それを考えて、怖ろしいと思った。凄まじいと思った。
何故ならば、巨人王達が受けたイメージ。印象。
それはつまり、極限にまで鍛え抜かれた剣士の姿だ。
―――未だ鍛え終わってはいない。
笑うしかない。
目の前にいるのはたかが人間。たかが一太刀を操る男。たかが魔法も使えぬ剣士でしかない。
それでも、ここまで到達できたキョウ=スメラギには、尊敬と崇拝の感情以外を抱くのは不可能だ。
「ハーーハッハッハッハッハ!! すげぇ、すげぇぞ、人の子よ!! ああ、お前こそが―――俺の死神となってくれるかっ!!」
ブリアレオスが、狂笑をあげながら一秒の時も置かずして、必殺となる魔手を操り放ち続ける。
覚悟を決めた彼の攻勢は津波のように怒涛。濁流の如き大瀑布。千年を超える年月の果てに手に入れた、最大最速の破壊の豪雨。
その豪雨のさなか、キョウの両手が視認を許さぬほどの速度で霞む。
一撃目を切り払い、二撃目を切り捨て、三撃目をかわし、四撃目を受け流し、五撃目を薙ぎ払い、六撃目を―――。
数百メートル先で落ちた針の音さえ聞き取れそうなほどに集中したキョウは思考よりも肉体が速く行動を開始する。頭で考える事なく身体そのものが反射的に視界に映る全てを捉え、己の脅威となる全てを打ち払う。
無限に続くと思われた滅びの魔手を潜り抜けたキョウが、高らかに笑っているブリアレオスへと突撃する。
その距離僅か数メートル。一足飛びで最高速度に達したキョウが、両手で握っている柄をさらに強く握り締めた。
踏み込む音はまるで竜種が歩いたかのような激烈な轟音。
揺り起こされるのは巨人種が踏み抜いたと思わせる大地震。
それらは人が発生させたとは思えぬ暴的であった。
その剣戟はあまりにも速すぎて、防御や回避を試みようなどとは考えも付かないほどに美しかった。
はっきりとは視認できない。巨人王の眼をもってしても、視界が白銀に染まった程度だ。その剣の軌跡に魅了された。残像でしかない、それらに身体中の数十対となる瞳を見開き、凍えるため息を漏らした。
「―――楽しかったぜぇ?」
キヒっと笑ったブリアレオスの瞳は、視界全てに広がる異常事態をあますことなく捉えていた。
捉えていながら、なお―――己の死を受け入れた。
全方位から迫りくる白刃の雨。十や二十ではきかない、斬閃乱舞。一瞬前まで何も存在していなかったはずなのに、瞬きする間も与えない刹那の時に、具現した数十を超える無敵無数の剣閃は、決して幻ではない。それの一つ一つが、お前を殺すという明確な殺意と意思を携えて、巨人王を鏖殺せんと狂い咲く。
反撃も回避も許さない。
キョウ=スメラギの全盛の剣戟は、第二級危険生物を瞬く間に細切れにしていった。
最初は下半身―――やがて揺れて落ちる上半身。
数十分割にされた、ブリアレオスの肉片が、ばらりっと揺れて地に沈む。そこで思い出したかのように、大量の青黒い鮮血がパシャリっと巨大な血の池を、否、血の海を作り上げる。
目の前で行われた瞬殺劇に、驚愕も躊躇も抱かずに、アグリアスが巨剣を両手に振り下ろしてきた。
一直線に。僅かな淀みも、揺らぎもなく。如何なるものも両断せんという覚悟と力を込めた一撃は、到底人では対応出来得ぬ速度であった。
小柄でありながら、彼女の力は巨人種で随一だ。
ペルセフォネでさえも赤子に見える超速度。雪の妖精を思わせる美貌を、戦いへ対する高揚に赤く染め上げ、雪崩の如く押し寄せる。
幼い筈の肉体は、しかしながら彼女が纏う烈気と相俟って、ブリアレオスやアトラスにも負けない巨体をイメージさせてきた。
さぁ、どう出る? キョウよ。キョウ=スメラギよ。
ブレアレオスを一瞬で屠ったその手腕。実に見事。もはや神技。いや、それとも魔技か?
否。否。否。否―――それこそが、お前が産み出せし人の業。
ならば。それならば、この絶対不可避の我が閃武。超えてみせよ、お前の業で。
苛烈で豪烈で。
だが、恋する乙女のように頬を染めあげ、巨剣は数十分の一秒の時間を持って振り下ろされた。
剣の切っ先がキョウの頭を穿ち、そのままの勢いで肉体を真っ二つに両断する。
それのみならず、大地に到達した剣は、あっさりと地盤を切り裂き砕く。地割れを引き起こしながら、街全体に地震を呼び起こした。
たったの一撃で、深さが見えない地割れの原因をなったアグリアスは、己の手に伝わってきた感覚に、口元を歪める。
「―――これが、人の業か」
ぬらりっと陽光を反射させる何かが、アグリアスの薄い胸元で照り輝いていた。
よく見れば、それは白刃。巨人王の血で不気味に青く染まっている小狐丸の刀身だ。
背後からアグリアスを貫いた刀が、胸を突き破り切っ先を覗かせていたことに、果たして誰が気づけただろうか。
この場にいる全ての者の理解を超えた超常現象と錯覚させるに至る絶技の歩法。影使いから時には伝授され、時には見て奪い取った体捌き。
キョウの動きは容赦が無い。相手に全く容赦も、立て直させる時間も与えずに、小狐丸をくるりと回転。それと同時に己が肉体も円を描く。胸を貫いた刀身は、そのまま心臓を断ち切り、内臓を切り裂き、脇腹へと抜けていく。
ごぽりっとアグリアスの喉からせりあがってきた血塊がびちゃりっと荒れ果てた通路を彩っていった。
口元を青く濡らす彼女は、それでも美しい。重傷を負っているとは思えない。凄惨なまでの笑顔を浮かべて、巨剣を握り締める手は若干の弱まりさえ見せない。
そんな彼女に止めをさそうとキョウはしなかった。
地面を蹴りつけ、軽やかに跳躍。アグリアスから間合いを取った。そして、小狐丸を鞘におさめる。
一体何を、とアトリやシルフィーナが眉を顰めた途端、血のように赤い閃光が迸った。
アグリアスとキョウを遮るが如く、その閃光の直線状にあったものを消滅させながら通過していく。
今のを避けるかよ。
絶好のタイミングだったというのに。
アグリアスという瀕死の獲物を前にして、それでも周囲の様子を怠ってはいない。
どこまでも冷静な奴だ。信じられないくらいに、闘争というものになれていやがる。
人間という種でありながら、一体全体、どんな人生を送ってきやがった。
心の中で罵声を浴びせながら、アルゴスは―――笑っていた。
強者へ対する尊敬。僅か三十年程度でここまで到達したキョウへ対する崇拝にも似た感情を持て余し、口を裂けんばかりに開き笑いながら閃光を放ち続ける。
己の限界を超えて、己の容量を超えて。
まだだ。まだいける。俺は、俺はまだ、高みに上れる。
闘争の狂気にあてられて、アルゴスの赤光は途切れることなく連続して網膜を焼いていく。
その砲撃は、キョウの逃げ場をなくしていき、遂には彼の足を止めることに成功した。
それに僅かな違和感を覚えたのは、アルゴス本人だ。
何故、ここで。この段階でキョウは足を止めたのか。まだ逃げ道は幾らでもあるというのに。
しかし、その答えを導き出す前には、アルゴスの闘争本能が更なる閃光を放たせた。
ここで決めなければ勝利など夢のまた夢。今このときこそが、勝敗を別つ境界線なのだ。
そして、その攻撃を放とうとした瞬間、アルゴスは悟った。
彼の数十にも及ぶ瞳が、キョウにしか集中していなかったための痛恨の失敗。
キョウの背後には、アトリとシルフィーナの二人の姿を見つけたのだ。
もしも、キョウが避ければあの二人は間違いなく巻き込まれる。防ぐことも避けることも不可能。
故に、足を止めたのだと気づいたときには―――あまりにも遅すぎた。
このような手段を取ってしまったことに愕然とし、呆然とするアルゴス。
こんなくだらない結果が、自分達の決着となるのか。
「―――お前を斬るぞ」
お前の心配など不要だ、と言わんばかりの静かな一声。
迫りくる赤い閃光を睨みつけ、翻る黒装束。ばさりっとはためく、黒一陣。
チキッと鯉口を切る音が、何故か響き渡る。
気合一閃。大地を踏みしめる両脚から一切の無駄が無く、電流の如く、静から動へと。
抜刀と同時に顕現した剣の軌跡が、アルゴスの放った赤光など紙くずのように切り裂いていき―――。
「―――ギャッギャッギャ!! 感謝するぞ、人の子よ!!」
我が誉れある闘争を汚さずにすんだ。
それを口に出すことなく、アルゴスの肉体はキョウの必滅呪詛によって斬り別たれた。頭から股下まで線が奔ったと思えば、ぐらりと揺れて左右対称にごろりっと転がっていく巨人王の肉体。それは高位巨人種のアトラスの再現を見ているかのようだったが、巨人王三体の体から流れ出した血が大地を染め上げていく。
この戦いの結果を唖然としか眺めることができないのはアトリ達だ。
まさか。まさか。まさか、三体の生きた天災を相手にしながら、ここまで容易く圧倒するとは。在り得ない、としか言い様が無い。それでもこの戦いは現実で。実際に己の目で見て起こった出来事なのだ。
残されているのは、傷ついているアグリアスのみ。
如何に凶暴な意思は残されているとはいえ、到底全力を出せるとは思えない怪我を負っている。
もはや勝敗は明らか。残された彼女など容易く屠れるはずだ。
それなのに。
何故、こうまで嫌な悪寒が止まらないのか。
観客であるアトリは脇腹の怪我とはまた別種の寒々しい予感に襲われていた。
キョウの勝利は揺るがないはずなのに、それでも長年培ってきた第六感が延々と注意喚起を行っている。
「キョウちゃん、はやくそいつに―――」
とどめをさせ―――そう叫ぼうとした瞬間、信じがたいことが目の前で起きた。
死んだと思われていたブリアレオスが、幾十にも分割された身でありながら、一本の腕と頭で構成されたもはや肉片としか言えない状態でずるりっと動き出したのだ。
あまりの生命力にアトリ達は息を呑む。人間とは違いすぎる存在に、二人の魔女は一瞬とはいえ一歩後退してしまった。
ずるりずるりと這いずっていくブリアレオスが、気丈に巨剣を構えているアグリアスのもとまで辿り着くのにさして時間はかからなかった。
もはや九割九分死んだ状態と言っても過言ではない巨人王は、だが―――どこから声を出しているのかわからないしゃがれた声で、同胞へと声をかける。
「……わかって……いるな、アグリアス? 俺たちは、負けた」
「―――ああ。単純な話。我が伴侶は、強かった。我ら三体ですら、相手にならないほどにな」
完璧な敗北を喫したというのにどこか嬉しそうに笑うアグリアスと、自分達の負けを認めるブリアレオス。
だが、彼らは対話を途切れ途切れにさせながらも続け始める。
「……強い。ああ……やつとの闘争は……本懐だ。最高だった……だがな……」
「我らが、負けを認めたとしても、巨人種としては認められない」
「……ギャッハ……わかっているなら、それで……いい。ならば、喰え」
「―――応。お前達の全てを、私が貰い受ける」
そして、アグリアスは地面を這いずっているブリアレオスを両手で持ち上げると、躊躇い無く齧り付いた。
ぐちゃり。にちゃり。みちゃり。
咀嚼する音が聞こえる。己が同胞を、噛み千切り、咀嚼し、飲み込む。
それは狂気の沙汰だった。正気を保っているとは言い難い、悪夢の光景そのものだった。
さらには、傍に転がっていたアルゴスの半身に噛み付いた。
獣のように、地面に四肢をついて不快な咀嚼音だけを周囲に響かせる。
あまりにもおぞましすぎる光景に、アトリもシルフィーナも身体の震えを隠しきれない。
なんだ、あいつは。なんなんだ、あの少女の姿をしただけの怪物は。
可憐で、美しすぎるアグリアスだからこそ、異常なまでの違和感を抱かせる。
もしも、同胞喰いを行っているのがアルゴスやブリアレオスならばまだ納得がいく。それに相応しい異形の姿なのだから。
人間の姿かたちをしているアグリアスということが、目の前の異様な行動にさらなる拍車をかけたともいえた。
ぶちぶち。ぐちゃっ。
もぐもぐ。ごくりっ。
ごくりっ。ごくりっ。ごくりっ。ごくりっ。ごくりっ。
これは、これは一体何なのか。一体何だというのか。
アトリは戦慄した。かつて見て、そして今の今まで見ていた巨人王という存在と同一とは思えなかった。
化け物だ。ありえないくらいの化け物だ。
同族を喰う。それはまだ理解の及ぶ範囲である。
ならば何故、アトリはここまで脅えているのか。
それは簡単な話。いっそ清々しいまでの狂える笑みを浮かべて仲間を喰い続けている少女の気配が、これまでとは一線を画する領域に突入してしまったからだ。
眼に見えるほどに濃厚で、濃縮された邪気。
咽かえるほどの血臭。吐き気をもよおすほどに邪悪。
ゆらり、と佇むその姿は、もはや巨人王アグリアスとは言えなかった。
外見こそ変わらぬ雪の妖精染みた姿なれど、ルビーのように赤く輝く瞳で睥睨してくる様子は、明らかに異質へと変貌している。
巨人王二体の血と肉を喰らい、取り入れたアグリアス。
遥かな高みに昇ったのだと、見るだけで理解できる。
そんな彼女は夢遊病者の如く、ゆらゆらと天を見上げ立ち尽くす。
瞳は虚ろ。視線は蒼空。横一文字に結ばれた唇がやけに艶かしい。
蒼い血に染まった唇がわずかに動く。ぶつぶつと、何事かを呟いていた。
何かと耳に神経を集中させたキョウに届けられたそれは―――。
「キョウ。キョウ。キョウ。はははっ―――キョウキョウキョウキョウキョウキョウキョウキョウキョウキョウキョウキョウキョウ!!」
腐臭漂う妄執の咆哮。
巨人王二体の血肉を取り入れたアグリアスは、まともな思考回路を既に失っていた。
己と同格である化け物二体を取りれて無事ですまないのはアグリアスとて予想はしていたし、理解していた。
それでも、彼女はあのまま敗北を喫するよりも、この道を選択したのだ。
獣のようだったとしても。もはや己の意思が残らなかったとしても。
それでも、巨人種として最後まで闘争することを、その手で選び取った。
蓋が開く。
それは地獄の釜の蓋。
三体の巨人王の力を一つに纏め上げた究極の巨人種。
その存在は、既に巨人王という枠組みを遥かに飛び越え―――。
例えるならば、この場に現れたコレは。
第一級危険生物。生きた天災。滅びを齎す大災害。戦神。
巨神種―――アグリアス。
ついに本気をだしたナインテール!!
しかし、彼女は知らない。料理対決では先手をとったらかなりの確率で負けることを!!
次回で決戦の巨人種は終わる予定です。
しかし、最近何か、文章をかいてて自分でもよくわからなくなりますぜぇ……とくに今回。うーん。うーむ。うーん。がくりっ。
とりあえず、感想をお待ちしております!! お、おねがいします……お願いしますーーーー!!




