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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
四部 西大陸編
79/106

幕間3  とある人形遣いの話

















 アナザーと呼ばれる広大な世界。

 百数十の大小様々な国家が乱立しながらも、一定の平和を保っていた。

 幾つかの国々が、色々な利権を争い小競り合いが続いてはいるものの、それでも幻想大陸に比べると魔族や危険生物といった明確な敵対者がいる訳でもなく、人々は平穏を謳歌できていたといえよう。


 そう―――あくまでも表面上、ではあるが。


 アナザー五大国と言われる巨大な国家。


 東国の大皇国。和陽。

 北国の大帝国。シルヴァリア帝国。

 西国の大連合。セブンスター連合国。

 中央の大国。バストゥーユ王国。


 そして、南の宗教国家―――エレクシル教国。


 五大国に数えられるだけあって、この国々には数え切れないほどの()があった。

 それこそ表には決して出すことはできないような陰惨極まる行為をしてきていたが、それでも上記の四国はまだマシともいえる。


 もっとも、エレクシル教国に比べれば、という言葉を頭につけなければならないのだが。


 この国は異常だった。

 あまりにも異様で異質で、アナザーという世界において、同世界に存在しながらも一種の異界と言っても過言ではなかった。


 女神エレクシルを信棒する狂信者達が創りあげた宗教国家。

 その裏を支える最高最大の暗殺部隊―――数字持ち。ナンバーズとも呼ばれる遺伝子レベルで選別された、産まれたときからのエリート達。七つの人災である影使いの出生地。数多の人外の域に達した魑魅魍魎が蠢く殺戮集団。

 彼らの手によってエレクシル教国は世界各国に怖れられている―――少なくとも表向きは。


 エレクシル教国の、()

 通称、女神へのヘヴンズゲート


 その存在は、小国の王でさえも名前程度しか聞いたことはなく、五大国の頂点でさえも把握しきれないほどの秘密機関。女神エレクシルへの到達を最終目標に、研究を続けている深淵の闇。

 そのために、彼らはアナザーに存在するあらゆる魔法、特異能力、呪いを再現するために暗躍を続けている。

 数字持ちと呼ばれる強大な力を持つ彼らも、研究の一つの成果であることは、エレクシル教国でさえも上層部の極一部の者しか知らない事実だった。


 女神への扉(ヘヴンズゲート)は多岐に渡って研究を行っていたが、その中でも最も力を入れていたのが特異能力に関してだ。

 魔法は威力の強弱、効果範囲の広狭は使い手によって差はあれどあくまでも一定の範囲内に収まる。しかし、特異能力は違う。世界が人間に与えた一種の奇跡。人の想像を、理解を超えた出来事を再現させることが可能な異質の能力。

 故に、女神への扉(ヘヴンズゲート)は考えた、特異能力ならば、現世には存在しない―――俗に言う天界に住まうという女神エレクシルへとたどり着ける方法があるのではないか、と。


 そのため希少な特異能力を持つ人間を発見したならば、その対象となる人物を捕獲するために数字持ちと呼ばれる集団が動く。暗殺とはまた別の任務だが、彼らの本来の任務はそちらであるともいえた。

 そして、捕らえられた対象者は、女神への扉(ヘヴンズゲート)の研究所で、文字通り死ぬまで研究に利用される。そこに連れてこられる人間達が持つ特異能力は確かに希少だ。だが、女神への扉(ヘヴンズゲート)に在籍する研究者は皆が狂っていた。神への道を自らの手で創り出そうとする夢想染みた考えを持つ狂信者達なのだから、逆に言えば狂っていないはずがない。そんな狂人が、幾ら希少な特異能力持ちだからといって遠慮をするはずもなく―――その研究所では命は何の価値もなかった。


 長い年月をかけた研究の過程で創り出された特異能力者。

 世界からではなく、人工的に生み出された特異能力の究極―――それが、影使い。

 他にも名だたる数字持ちとして、道化師(ジョーカー)紫電雷光(ライトニング)。不可視の追跡者インビジブル爆殺姫デトネイター。天を駆けるスカイハイ星穿つ射手(シューティングスター)

 影使いには劣るものの、その名はアナザー中に轟いている女神への扉(ヘヴンズゲート)の最高傑作たち。


 そういった例外は除いて、研究所から生きて出られた者はおらず。

 連れてこられた人間達は狂人達の研究の礎となって消えていく。


 だが、影使い達を除いて例外中の例外が存在した。

 長くても一年持つかどうか。そんな地獄で十年以上も研究に耐え切った一人の少女がいたのだ。

 


 彼女の特異能力はやはりかなりの希少さであり、そのために長い間研究所で生かされてきたともいえる。

 その能力は、周囲一帯の生物の心の声を拾うことが出来るという異質なものだった。

 己の意志で多少の制限をかけることができるが、それも完璧ではない。常に人の、生物の心の声を拾ってしまうのだ。そんな状態で普通に生活できるわけもなく、そのためこの能力を所有した者は、幼いうちに自分の能力によって廃人となってしまう。それ故に、希少であったのだ。


 少女は年齢が二桁になった程度の頃に捕獲され研究所に連れてこられた。

 それからは非合法な実験実験実験の毎日。

 彼女よりも先にいた研究対象は皆が死に絶え。後から連れてこられた者達も一年も持たずに命を散らしていく。

 心の声が聞こえる少女にとっては、まさしく生き地獄。正気を保てることができるほうがおかしい本当の意味での地獄だった。


 しかし、何故ここまで少女が生かされ続かれたか。

 それは単純な話で、研究者達の研究に研究を重ねた結論の一つ。 


 女神エレクシルへ謁見するためには、圧倒的な武力が必要なのか。

 それは恐らく違うだろう、と。必要なのは女神へ到達することができる可能性。

 つまり、万が一でもいい。億に一でもいい。それこそ兆に一でもいいのだ。

 天界に住まうといわれる女神の声を拾うことができればいい。そのあまりにもあやふやで、根拠も何もない可能性を信じて、研究者達は少女の特異能力を強化し続けた。


 少女の能力は数十どころか数百、千を超える特異能力者の犠牲もあって歴史上類を見ないほどの効果範囲を擁する特異能力者となってしまった。

 その特異能力の有効範囲は数十キロにも渡る異常極まりない能力。当然、人間がそこまでの範囲の能力を所有すればどうなるかは明白だ。

 十年以上も生き長らえていた少女―――既に女性と言い換えたほうがいい年齢になった彼女は、遂に限界を迎える。


 死、というモノを己の傍に感じたその時。

 奇跡は。あまりにも歪にゆがみきったどす黒い呪われた奇跡が起こる。


 世界が純白に染まっていく中。

 彼女は確かに聞いた。


 数多の人間。数多の動物。数多の植物。

 それらとは明確に異なる、超越者の声を。絶対者の気配を。

 

 何を考えているのかわからない。理解できない。

 人の。世界の運命を捻じ曲げて、面白おかしく鑑賞する悪魔の如き嘲笑を聞く。


 楽しくて仕方がない。そんな調子で、鈴が鳴る女性の声が、脳髄を犯しながら響きわたる。


 ―――くすくす。やはりヒトは同じ運命をしか歩めないのですね?


 十年以上もの間感じてきたどの声よりも深く、重い。

 狂いに狂った一人の怪物の声が、少女に届けられた。

 駄目だ(・・・)、と少女は瞬時に悟る。この得体の知れない女と関わってはならない。関われば全てが破滅する。人も、動物も、植物も―――世界(アナザー)さえも。塵芥程度の価値感しか持っていない最悪を通り越した最悪。少女がこれまで抱いてきた憎悪でさえも霞んでしまう、絶対悪。これ(・・)に関わるくらいならば死んだほうがマシだと思えてしまう世界の理から外れた存在(モノ)

 これ以上これと関わりあう前に己の命を絶とう―――そう決断した少女の心中を見透かしたように、絶望は嗤う。


 ―――力。欲しくないですか?


 嗤う。嗤う。

 絶対悪は嗤い続ける。

 憎悪に身を焦がす少女のもっとも欲するものを餌にして。

 このアナザー(舞台)で演じられる劇をより楽しむために。

 復讐に囚われた少女の心を弄ぶ。


 ―――貴女は丁度良い依り代になりますね。


 子供が玩具を見つけたかのように喜んで。

 絶対悪は世界(アナザー)を滅ぼし得る悪意の塊を何の躊躇いもなく少女に差し出した。

 

 狂う。狂う。少女は狂う。

 悪意と。絶望と。憎悪と。呪詛と。嫉妬と―――ありとあらゆる負の感情に全身を犯されながら悶え苦しむ少女に、絶対悪はこう名乗る。自分の名を、自分の正体を。











 我が名は女神エレクシル―――。












 ではなく(・・・・)


 異界の神(・・・・)。世界を。未来を知り尽くす―――這いよる混沌(・・・・・・)、と。


 


 


  


 






 ▼


















「―――がはっ」


 竜種によって蹂躙された北大陸の北方に港町コール。

 碌に原型も保っていない家屋が多いなかで、比較的まともな家の客間にて、一人の男の断末魔が響いた。

 決死の覚悟を持って愛する女性が作った料理を食べ続けていた雷竜帝ヴァジュラ=アプサエルは、今まさにこの時遂に限界を迎える。

 ぐらりっと彼の身体は揺らぐと、そのまま床へと倒れこむ。華奢に見える彼の肉体がが床に倒れた瞬間―――眩い光を放った。

 何故か自信満々に両腕を組んで、己の自信作を食べるヴァジュラを窺っていたテンペストの瞳を焼く稲光にも似た白色の閃光。


 美しい眉を軽く顰め、眼を細めた彼女の眼前でヴァジュラの肉体が異様な変化を開始した。

 ビキビキと骨が軋みをあげる音がテンペストの耳に届く。おぞましい邪悪な空気。竜女王をしてひやりとさせる冷たい気配。

 己と同格たる竜王種の圧迫感を発する巨竜が、顕現する。


 一瞬で雷竜帝と謳われるヴァジュラの真の姿を取り戻したあまりにも巨大すぎる竜が、今の今まで二人が居た家屋の天井を突き破り、壁を破壊して姿を現していた。


 テンペストとほぼ同等の体躯。

 頭から尾の長さを見れば軽く数十メートルを超える巨躯。金色の巨大な鱗に覆われた、それこそ雷を連想させる威容。

 彼一体で幻想大陸の人間全てを滅ぼすことが可能な圧倒的な力を持つ竜の中の竜。


 そんなヴァジュラが―――腹を天空へと向けて寝そべるように倒れこんでいた。

 ピクピクと痙攣する様はどこか愛嬌があるようにも見えるのだが、その痙攣で彼の近くにあった家屋がさらに崩壊する原因となっているのだから、それはある意味迷惑といえるかもしれない。


 意識がないのか白目を剥いてしまっているヴァジュラを一瞥。

 その原因を作ったテンペストは流石にこの事態は些か想像していなかったのか、難しい表情で唇に右手の人差し指をあてながら、考え込むようにして沈黙を保つ。

 テンペストとヴァジュラの二人しか生物が存在しないこの場所を、まるで風が小馬鹿にするかの如く一陣強く吹き付けていく。


「……さて、どうしたものか。困ったものだ」 


 口には出したが実際には困った様子など微塵も見せていないテンペストは、再度痙攣しているヴァジュラに視線を送る。

 どうやら演技などではなく、本当に気を失っているようで、意識が戻る様子は以前として見せない。

 試食係がいなくなったことに対して、どうすればいいのか。テンペストそんな考えしかしていなかった。

 これっぽっちもヴァジュラの心配をしていないのが、テンペストらしいといえばテンペストらしい。

「まさか、美味すぎて倒れてしまうとは。我の才能にも困ったものだ」


 目の前の光景を見ながら平然とそう言い放った。

 己の考えを微塵も疑っていないのは一目見て明らか。

 自信満々に胸を張る彼女は、ヴァジュラから彼が倒れた影響で崩れ落ちた埃をかぶってしまった自分の作品(料理)に視線を送る。


 皿の上に乗っているのは得体の知れない、何か(・・)

 そう表現するしかない代物だった。誰が見ても、料理―――否、食べ物とさえ認識できないモノを作り上げておきながら。


「これならば、キョウ=スメラギも喜んでくれるだろうか」


 本人は自覚していないだろうが、あまりにも美しすぎる顔を赤く染め、遠い眼で彼方を見つめる。

 視界に入っていながらもはやヴァジュラなど気にも留めずに、様々な妄想をし始めるテンペスト。哀れ、雷竜帝。


「……ないわー。それは、幾らなんでもないわー」


 あまりといえばあまりなテンペストの姿に、それは深いため息を吐きながら呆れしかこもっていないどこか疲れた台詞が空から降ってきた。

 妄想から帰ってきた竜女王が若干慌てて頭上を見上げれば、今の発言の主であるイグニードが呆れと憐れみが入り混じった生暖かい視線で見下ろしてきているところであった。

 

「……む。帰ってきたのか、イグニード」

「ああ。今さっきな。つーか、何だよこの有様は」


 眼下を見下ろしていたイグニードが、白目を剥いて倒れているヴァジュラを見て顔を顰める。

 

「ふ。お前が留守にしている間に随分と我の腕前もあがったのだぞ? ヴァジュラは泣いて喜んで我の料理を食しておった」

「……別の意味で泣いてたと思うんだがな」


 イグニードの突っ込みは聞こえていないのか、テンペストは相変わらず胸を張って、これまでの料理の苦労を語り始めた。

 ここまでの腕前になるのにどれだけ大変だったか。数千年の生涯で、これほど苦労したことはない。

 そんなことを言う彼女を尻目に、イグニードは出来上がっているテンペストの料理を一目見て頬を強張らせた。


 離れているのに立ち昇っている異臭。

 口に入れずとも予想できる―――アレは、食べ物ではない。

 絶対に口に入れてはならない。食べたら死ぬぞ。そんな危険信号を嫌というほどに本能が知らせてくる。


 あんなものをキョウに食べさせたら一体どうなるか。

 下手をしたら毒殺をしようとしていると勘違いされるかもしれない。

 折角良好の関係―――か、どうかは不明だが―――を築けたというのに、それが台無しになる可能性が出てくる。

 

「まぁ……その、なんだ。俺の予想としては妙に凝ったやつよりも、もっと素朴なものの方がいいと思うぞ?」

「むぅ。だが、折角ここまで腕を磨いたのだからそれなりの料理を振舞いたいのだが……」

「あー、そういえばあいつと雑談していた時に、食べたい料理があるとか言ってたなー」

「―――なっ!? それは本当かイグニード!?」


 咄嗟に吐いたイグニードの嘘に、テンペストが興味津々といった様子を隠そうともせずに、翼をはためかせて上空へ浮かんでいる彼ににじり寄る。

 勿論、キョウとイグニードの会話にそのような話題は全く出ていないのだが、今はどんな手段を使ってでも最悪の事態を回避せねばならない。


「さぁ!! はやく教えろ、イグニード!! 一体どのような料理を食べたいと言っていたのだ!?」


 白魚のような細くて白い美しい両手で、悪竜王の襟を掴むと前後に強く振る。

 ガクガクと頭が激しく動かされたイグニードは、咄嗟に吐いた嘘で出来るだけ丸く治まるような答えを必死になって導き出そうとして―――天啓がひらめく。


「に、握り飯、だ!! そう、あいつは確かにそう言っていたぜ」

「―――な、なんだ。その……に、握り飯というものは!?」


 ガガーンと背後に雷鳴を響かせて、驚愕の面持ちでテンペストが聞き返す。

 あまりの驚きように、イグニードの頭を振り回していた手も止まっており、少し気持ち悪くなっていたイグニードは内心でほっとしながらテンペストの魔の手から逃れるように地面へと降り立った。

 僅かにふらふらとする頭を軽く振って正常な状態を取り戻すと、ゴホンと咳払いを一つ。


「とりあえず、落ち着け。今から詳しく話を―――」


 その瞬間。

 ピタリっとあまりにも突然。いっそ不自然なほどにイグニードの言葉が途中で止まった。

 今までのどこか気が抜けた雰囲気が一変し、鋭い眼光で遥か西方を睨みつける。

 彼の睨みつける先は、蒼い空しか存在せず。テンペストの感知できる範囲には自分達竜王種しかいないことは確実だ。

 ()となる存在はおろか、他の生物すら逃げ出してしまっているこの領域。

 それなのに、イグニードはまるで目の前に()がいるかのように油断一つ見られない。


「……西の彼方に、何か居るのか?」


 気になったテンペストがイグニードに問いかけるも、答えるそぶりさえ見せない彼に、業を煮やしたのか―――竜女王は己の支配下に置いている風を意識して操作する。

 その範囲を、最初はこの周囲一帯。そこから徐々に広げていく。 

 やがて北大陸全てを覆い尽くすまでに至ったが、それでも気にかかる気配は微塵も感じられない。

 ましてやイグニードにこのような難しい顔をさせる相手など、テンペストが知る限り、気狂い女神だけといっても過言ではない。


 このまま気配の探索を打ち切っても良かったのだが、何かが気になったテンペストはさらに範囲を広げていく。

 彼女が操る風は北大陸を超え、遂には西大陸にまでその手を伸ばす。

 巨大な気配が幾つか感じられるが、それは一般に巨人王種と呼ばれる類のものだ。

 巨人の島(ジャイアントランド)から外に出ているようだが、それは竜王種(自分達)と同様に、女神によって枷を外されたためだろう。戦馬鹿である彼らがそのような行動を取るのはある意味当然。それに幾ら巨人王種といえど、イグニードからしてみれば赤子同然。気に留める必要などありはしない。


 ならば、もう一つの巨大な気配か、とも考えるがそれもテンペストは腑に落ちない。

 その気配の持ち主は、空獣王アエロ。テンペストと同様に風の支配者たる獣の王だ。確かに彼女も第一級危険生物に相応しい人外の中の人外。

 まともにやりあえばテンペストも負けることは無いにせよ、かなりの苦戦を強いられるのは確定事項である。

 しかし、やはりアエロであってもイグニードにこのような態度を取らせるには、足りない(・・・・)


 他に一体どのような可能性があるのか。どんな化け物がイグニードに対してここまで注意を払わせるのか。


 ふむ、と考え込もうとしたその時。


「―――な、に?」


 吐き気がした。

 第一級危険生物。竜女王。風の支配者。生きた天災。

 数多の仇名で呼ばれし、テンペスト=テンペシアともあろう怪物が。

 竜女王とも謳われる伝説の竜の背筋を冷たい怖気が駆け抜ける。


 彼女が知る限り、最強を誇る人間。

 キョウ=スメラギよりもなお暗い気配。


 彼女が知る限り、最強を誇るエルフ。

 獄炎の魔女ディーティニアよりもなお深い気配。


 テンペストをして、怯ませるに値するあまりにも禍々しい気配の塊を西大陸にて発見してしまった。

 

 ごくりっと彼女は唾液を飲み込んだ。

 遠く離れているというのに緊張を隠せないことに多少の驚きを抱く。


「―――なんだ、これは(・・・)


 テンペストが感じ取れる限り、それ(・・)は人とは言い難い。

 いや、この世界の生物とは言えない、何か(・・)の集合体だった。

 

 この気配の持ち主と戦えば、どうなるか。

 恐らくはテンペストは勝てるだろう。それは間違いない。

 単純な戦闘能力でいえば、竜女王が遥かに上回る。圧倒的に凌駕するはずだ。

 

 問題なのは、一体どうすれば―――どうすればこのような負の感情のみで構成されたモノが存在し得るのだろうか。

 

 愕然とする竜女王の傍らで、イグニードはガリっと強い歯軋りをする。

 今は遥か遠い彼方の負の結晶体に向かって、吐き捨てるように言葉を紡ぐ。


「ふざけるなよ、あの気狂い女神。なんてもの(・・・・・)を幻想大陸に呼び寄せやがる」


 ミシミシと骨が鳴るほどに両の拳を握り締め。


「―――文明を終わらせる悪霊。億千万の怨念。世界(アナザー)より産まれし大怨霊……」


 テンペストでさえも初めて聞いたような単語の羅列。

 この気配の持ち主のことをさしているのだろうか。イグニードの視線はさらに鋭く強まっていく。


てめぇ(エレクシル)は、幻想大陸(ここ)を終わらせる気かっ!!」


 悪竜王イグニードの苛烈な咆哮が、どこか虚しく蒼空の彼方へと消えていった。


























 ▼ 




















「―――くしゅんっ」

「……格好よく決めた割にはしまらねーな」


 操血を殺す。

 そう宣言したすぐ後に、サイレンスは可愛らしくくしゃみをしてしまった。

 凄惨な気配と言葉を放った後にしては、確かにしまらないといえばしまらない。


「……うるさい。誰かがサイレンスのことを噂してると思うの」


 ナナシに言われずとも自分でもわかっていたのかどこか不機嫌そうに言い放つ。

 

「あー。そうかいそうかい」


 触らぬ神に祟りなし。

 下手にこれ以上突っ込むべきではないと長い付き合いから予想したナナシは、肩をすくめる。

 

「それで、だ。操血を倒すって豪語するのは別に構わんけどよ。一体どうするつもりなんだ?」


 はっきり言ってサイレンスからの提案は、ナナシにとって魅力的だ。

 未だ彼女との戦いの恐怖が体に纏いついているが、そんなことを既に気にしている場合ではない。

 七つの人災全てが幻想大陸に送られてきているということは、間違いなく操血も来ているという訳で―――。

 いつまでも彼女から逃げ回ることは不可能だ。ならばまだ勝算が少しでも高い可能性。博打に等しいとわかっていてもそれにのるしかない。何故ならば、間違いなく近いうちに幻想大陸に存在する全ての生命は操血の手によって跡形も無く潰される。

 男も女も子供も赤ん坊も。動物も、先ほど戦った異形の怪物も。

 生きているのならば、確実に命をすり潰される。そこに理由などない。強いて言うならば、殺さない理由がないというだけで、全ての生命を終わらせる。それが、ナナシの知る限りの操血という女だった。


 ナナシ一人では操血と戦ったとしても勝ち目は皆無。

 だが、目の前の底が知れない人形遣い(サイレンス)と一緒ならば―――万に一つ(・・・・)が見えてくる。


「はっきり言うけどな。お前は強いぜ、サイレンス。その腹が立つ特異能力(アビリティ)を除外しても、お前は強い。むかつくくらいに強い。お前の得体の知れない(・・・・・・・)力を使えば、操血を除いて七つの人災最強は間違いなくお前だろうさ」

「……褒め殺し? 悪いけど何もでないけど」

「うっせい。事実だろうが。ああ、お前は本当に出鱈目に強い。でもな、それでも―――」


 ナナシは忌々しげに唾を吐き捨てて、地面を蹴りつける。


「―――操血が油断して、全力を出せない状況に持ち込んで、お前が十全の能力を発揮して、ようやく勝ち目は百に一度あるかどうかだ」

「……くすっ」


 ナナシが告げる絶望的な勝率を聞きながら、サイレンスは笑みを零した。

 それは暖かな笑みではなく、見ている者を恐怖させるような冷笑だ。

 

「ええ、そうね。サイレンス一人ではそうなるでしょうね」


 そして、あっさりと認めた。

 自分では操血に勝つことは出来ないと至極当然のように認めてしまった。

 でも、と何かを付け加えるように囁いて。


「一つ聞くけど。そこに貴方が加わったらどうなるかしら?」

「……別にどうもならねぇよ。全力でお前のフォローに回って勝ち目がようやく百に二度になるか、ってくらいだろうよ」

「そうね。うん、大正解」


 くすくすと醜悪に口元を歪めながら、サイレンスは包帯に覆われていない片目で空を見上げた。

 肩近くまで伸びている手甲を装着した両手を大きく広げると、ガチャっと金属が重なり合う音が木霊する。


「ならば、そこにもう二人。傭兵王と剣姫が加勢してくれたらどうなると思う?」

「……」


 ナナシは僅かに沈黙する。

 しかし、それも本当に僅かな時でしかなく―――。


「決まってるだろうさ。それでもあの操血(化け物)の壁は堅くて厚い。四人がかりでも、いいところ百に五度ってところか」

「妥当な、読みね。ええ、サイレンスもそのくらいだと思ってる」

「……」


 百回戦ってようやく五回の勝ちが拾えるかどうか。

 しかも、相手が油断していて、なおかつ全力が出せない状況が前提で。こちらは逆に四人がかりのうえに全力を発揮しなければならない。そこまでやってようやく、という話なのだ。

 博打としては分が悪い。いや、あまりにも悪すぎる賭けだ。

 しかし、人形遣いは笑みを絶やさずに、言葉の先を紡ぎ続ける。


「喜びなさい、執行者。あの、操血を。人智を逸した最強であり無敵であり、不敗であり続ける怪物を―――打破できる可能性が百に五回もあるのよ」

「―――ああ、そういえば確かにそうか」


 サイレンスの無茶苦茶な発言に、ナナシは一瞬言葉に詰まるが、それもそうかとすぐさまに思い直す。

 一人で戦いを挑めば可能性は皆無。だが、四人で戦えばそれだけの可能性が見えてくる。

 座して死を待つか。それともその可能性に賭けてみるか。

 

 戦いの恐怖に縛られる身なれど、どちらを選択するべきか自ずと理解してしまう。

 覚悟を決めるときが、遂に来てしまったのだ。


「……ガルガンチュアの野郎は、協力してくれると思うけどよ。カクリヨはどうすんだよ?」

「あら、簡単だと思うけど? キョウのことをちらつかせればあっさりと手を貸してくれそうじゃない?」

「いや、操血と戦うんだぜ。そんな簡単に……」


 サイレンスと話ながら、ナナシは同じ七つの人災である剣姫のことを思い出す。

 思い出して。思い出して―――。


「……いきそうだな、おい」

「ええ。間違いなく」


 二人の予想は間違いなく実現する。

 例え操血と戦うことになったとしても、剣姫―――カクリヨ=スメラギは、キョウのためならば僅かな躊躇いも無いだろう。

 それほどまでに、カクリヨという名の女性は人間としての大切な部分が壊れているとも言えた。


「んじゃ、まずはガルガンチュアとカクリヨを探すとするかね。アテはあるか?」

「あるわけないでしょ。とりえず虱潰しに探し回るしかないわね」

「そりゃそうか……わかったよ」


 話に一段落ついた二人は、とりあえず足を東へと向ける。 

 東に向かった理由は特に無い。ナナシとサイレンスの二人の直感がそちらの方角に何かがあると感じたからだ。

 特に急ぐでもなく、一歩先を歩いていくサイレンスの背中を追っていたナナシだったが、ふとあることに気がついた。いや、気になったといってもいい。素直に答えるかどうかは不明だが、その疑問をナナシは質問した。


「そういえば、なんでそんなに操血の奴を殺そうとするんだ? 別にお前はそこまであの女に恨みを抱いているわけじゃないだろ?」

「……別に。なんとなく(・・・・・)、よ」

「そりゃ、らしくないな。普段のお前の行動とは思えんけどな」

「……いいでしょ、そんなこと」


 サイレンスの返答は冷たく、堅い。

 何時もどおりといえば何時もどおりなのだが、そこにナナシは違和感を覚えた。

 まるで敢えて普段どおりの己を演じているかのような姿で―――。


 訝しげに眼を細めるナナシの視線を背中に感じつつ、サイレンスは足音をたてずに無音で道を進んでいく。

 成るほど。確かに改めて今の自分の行動を省みれば、違和感しかない。無謀でしかない。


 人形遣い。歴史上二番目の高額な懸賞金がかけられた最悪の指名手配犯。それがサイレンス。

 気まぐれに虐殺を繰り返す操血とは異なり、サイレンスは全ての人間の命を問答無用で終わらせる。明確な憎悪と殺意のもとに、ありとあらゆる人類を抹消するために生きている。

 それが十二年前に、選ばれてしまった(・・・・・・・・)彼女の使命。彼女の役目。

 サイレンスという名の女性の内に渦巻く、億千万の負の感情の下に行動する。


 その彼女であっても、戦いを避けてきた操血と何故、戦わねばならないのか。

 理由は簡単。理由は単純。理由は明快。

 女神エレクシルとの邂逅にて、ある情報を聞いたからだ。

 

 剣魔―――キョウ=スメラギ。


 同じ七つの人災に数えられるキョウとは暫く会っていなかったが、エレクシルの恍惚とした表情で語る姿にあることを悟った。

 彼は、強くなりすぎた(・・・・・・・)

 女神の興を惹けるほどに。女神が執心するほどに。


 人でありながら。万能であり全能となりえる特異能力(アビリティ)を持ちながら、それを捨て去ってしまい、遂には女神(目的)に到達してしまった男。


 それが(・・・)まずい(・・・)。 


 恐らくは今現在のキョウと操血が出会ってしまえば全てが終わる。

 馬鹿で、愚かで、身勝手で、傲慢で。断言してしまおう、子供のように己を通し続ける操血は、やらかし(・・・・)てしまう(・・・・)

 キョウのことを偏愛し、盲愛し、溺愛し―――狂愛していながらも、その場の衝動に身を任せてしまうはずだ。


 サイレンスにとって、それは認められない(・・・・・・)


 それだけは、認めるわけにはいかないのだ。


 だからこそ、先手を取って操血を殺さなければならない。

 一切の手加減も無く。全力で。全開で。全盛をかけて。

 操血と剣魔が出会う前に、完膚なきまでにあの狂おしいほどの絶望的な最強を打破しなければならない。


 唐突にズキリっと痛んだ包帯に覆われた顔の左半分に手を当てて、口角を吊り上げる。

 何故かとりとめもなく、遥か昔のことを思い出したからだ。


 十年以上も昔の話。未だ七つの人災とサイレンス達が呼ばれる以前の話。

 キョウ=スメラギと初めて戦った時。サイレンスの包帯の()を見た彼は、何の躊躇もなくこう言い放った。


 ―――そんなこと(・・・・・)は些細なことだ(・・・・・・・)。俺にとって重要なのは、お前が強いという事実だけだ。

 

「―――あはっ」


 今思い出しても笑みがこぼれる。

 あの馬鹿者は、馬鹿という言葉すらも、馬鹿に対して失礼すぎる域に達した戦馬鹿は、そう言い切った。

 悪意と憎悪と憤怒と呪詛と。ありとあらゆる負の結晶体をこの身に抱えるサイレンスの闇は、人では耐え切れない。

 人はサイレンスに恐怖する。絶望する。諦観する。それと同時に、彼女を憎悪する。何故ならば、彼女はそういったモノの依り代になってしまったからだ。 

 もはや彼女は人の中では生きれない。それほどまでにサイレンスは人の枠組みから外れてしまった。

 

 だからこそ、キョウ=スメラギの異常性が際立つといえた。


 彼はサイレンスの闇を見て。深淵を覗き込みながらも、彼女に対して憎しみをぶつけたことがなかった。一切の負の感情をぶつけない。ただ、彼女を好敵手としてしか見ていない。感謝さえされた。

 それがどれだけ異常なことなのか。同じ七つの人災の他の者達でさえ、サイレンスに対しては負の感情を隠しきれないというのに。


「……あの時の借り。返してあげる。ねぇ、剣魔。感謝はしなくてもいい。サイレンスが好きでやるだけだから」


 ガリっと包帯を指で強く引っかくと、サイレンスは笑みを消し去る。

 自分にしか聞こえない程度でつぶやくと、幻想大陸のどこかにいるであろうキョウのことを青空の彼方に思い描く。


 そんな彼女を後ろから見ていたナナシだったが、勿論彼女の呟きなど聞こえていない。

 しかし、どこか浮かれているような雰囲気のサイレンスを視界におさめていた彼は―――。


「なんだ、お前。またキョウのことでも考えてんのか?」

「―――」


 ビクっと背筋を震わせて立ち止まると、ギギっと油の切れた機械のようにゆっくりと振り返る。


「い、一体なんのこと、かしら?」


 ひくひくと頬を引き攣らせていたサイレンスは、自分の言葉が震えているのを自覚する。

 自覚していながら、それを止めることが出来なかった。それほどまでに、今の彼女は動揺していたのだから。


「え? いや、お前が機嫌が良い時って大抵あいつが絡んでる時だろ?」


 何を今更という表情で語るナナシに、サイレンスは頬だけではなく口元までもひくつかせる。

 

 おーけー。落ち着け、サイレンス(わたし)。動揺するな。弱みを見せるな。そんなことは決してない。ありとあらゆる悪意の結晶体。憎悪と怨念で構成された大怨霊の依り代となっているこのサイレンスが、その程度のことで浮かれるはずが無い。落ち着いて、冷静になって反論するのよ。

 

 サイレンスはごほんっと咳払いをすると、じっと見つめてくるナナシを見返し―――。


「べ、べべべべべつに!! そ、そそんなことはないんだからねっ!!」


 

 そして彼女はおおいに自爆をする。

 そんな彼女を、生暖かい眼で見るナナシ。

 それがとてつもなく悔しかったサイレンスは、とりあえず無言でポカポカとナナシを殴りつけるのであった。

  



   


 

 

 










とりあえず幕間は〆です。

主人公をかかないと辛い……ぐふっ

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