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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
四部 西大陸編
78/106

幕間2  絶望の巨人種

幕間は主人公が登場しません。

読まなくても問題はない……ようなきもします。




















 西大陸と巨人の島(ジャイアントランド)を分け隔てる嘆きの道より、西に百キロ程度離れた場所に町―――とは言えないほど小規模な村落がある。

 幻想大陸の地獄の一つにもっとも近い場所ではあるが、女神の封印と神風の魔女の力によって平穏を享受することができていた。


 人口は五百人程度の本当に小さな村であり、そのためこの村に住む人間の結びつきはとてつもなく強い。

 全員が見知った顔というよりは、家族同然の付き合いをしているのだが、そんな村の中で例外ともいえる人物が二人いた。


 十数年も前に村にふらりと立ち寄った探求者の男。

 当時危険生物の襲撃に悩まされていた村を救い、村人達に請われるままに村に定住することを決めた男性がいた。

 彼はやがて村の女性と恋に落ち、村人達からも祝福され一人娘を天から授かることができ、幸せな家庭を築くことが出来たが―――ある日にその幸福は崩れ去ることになる。


 下位巨人種の襲来。

 嘆きの道の門の封印が弱まる周期ではなかったため油断もあったのだろう。

 神風の魔女が押し留めれなかった僅か一体のサイクロプス。魔女にとっては魔法の一撃で屠ることが容易い相手。

 だが、他の者にとってはそうはいかない。

 戦闘者としてのピークも過ぎた男性は、決死の覚悟で巨人種を迎え撃ったが結果は―――相打ち。

 

 その戦いに巻き込まれた村人も数多く、男性の妻もまた命を落とすことになった。

 残されたのは彼らの間に産まれた一人娘。

 今年で十四を迎えるまだ幼いともいえる年頃の少女一人だけ。

 

 しかし、彼女は涙を見せることはなかった。

 父から才能があると言われていた少女は、亡くなった父の代わりに村を守るべくその手に形見となった槍を握り締める。

 悲しみを殺し、痛々しい笑顔を見せながら―――。



















 ▼


















 巨人種が襲来してから数日後。

 亡くなった村人達の葬儀も一段落ついたある日、一人の少女が白い砂浜を駆け抜けていた。

 彼女が住んでいる村は海辺に沿って作られており、村人達は主に漁をしながら生活をしている。この海域は海獣種も滅多なことでは近寄らない比較的安全な場所だ。

 

 まだ朝日が昇ったばかりの少しばかり早い時間。

 キラキラと太陽光を反射して砂浜が輝いているのが美しいが、今はそれに見惚れている余裕は全くない。

 父の代わりに少しでも早く村を守れるだけの力を得るために、少女―――アインハートは日々の鍛錬に精を出していた。


 砂浜は足を取られやすく、走るのに向いている地形とは言い難い。

 しかし、だからこそ足腰の鍛錬には最適の場所だ。そのため彼女は、この砂浜を走ることを日課としていた。

 例え両親が亡くなってまだ数日しか経っていなくても、である。


「……はぁ、はぁ……」


 息を乱しながら疾走しているアインハートが、自分で定めた距離を走り終えたことで一息をつくために立ち止まる。

 空を見上げて、乱れている呼吸を整えるように深呼吸を繰り返す。

 朝日が視界に入り眼を細めた彼女は、額から滴り落ちる汗を手で軽く拭った。


 二、三分程度の時間が過ぎ去り、ようやく呼吸が整ってきたアインハートは、目の前に広がる砂浜に改めて視線を送る。

 ランニングの時は全く気にも留める余裕がなかったが、こうして落ち着いてみると何度見ても目を奪われそうになる景色だ。

 時間も忘れて魅入っていたアインハートは、そんなお金も取れそうなほどに美しい光景の中に一つの異質を見つけた。

 

 白一色の砂浜に、大の字になって寝ている人物がいたのだ。

 伸びた髪を適当に切っただけの乱れた短い髪。それが銀色―――いや、朝日の光でそう見えただけで、本来の色は白髪だ。それも老人のように色が抜け落ちてしまっている。無精髭にも多少の白いものがみつけることができ、その男性の頬にも皺が見られた。

 本来は蒼い気持ちのよい色合いをしていただろう作務衣。しかしながら、薄汚れてしまっており、どちらかというと黒色というに相応しい汚さだ。身長自体は多少長身と言っても良いだろう。アインハートよりは頭二つ分は高い。もっともまだ十四歳の彼女と比べることがどうかと思われるが。


 老人は静かに目を瞑り、砂浜に大の字になって寝息を立てていた。

 幾ら寒さも引いてきたとはいえ、朝から外で眠っている老人の行動は多少―――どころではなくおかしい。

 だが、それも仕方のないことなのだ。

 何故ならば、この老人は村の住人ではない。サイクロプス襲撃の悲しみが続く先日に、ふらりと村に立ち寄った流れ者なのである。

 不思議なことにどこで使用されているのかもわからない金銭しか持ってもいなければ、通常の会話も噛み合わない。

 もともと外から来た人間には厳しい村の人間は胡散臭い老人を村に泊めることもなく、追い出してしまった。

 それ以来、この老人はぶらぶらとこの付近に寝泊りをしているのだ。

 村の外で鍛錬をすることが多いアインハートは、そのためこの老人と何度か顔を合わせることがあったのだが―――。


「……またそんなところで寝ているんですか、ナナシさん」


 若干呆れ気味なアインハートの呼びかけに、眠っていた老人―――ナナシと呼ばれた老人は瞼を開ける。


「―――ふぁぁ。なんだ、またお嬢ちゃんか。こんな朝早くから精が出るな?」


 老人にしてはまだ若い声が口から飛び出してくる。

 それもそのはず。容姿はどこからどう見ても六十過ぎに見えるのだが、実際はまだ四十前半とのこと。

 先日の会話でそれを知ったアインハートは開いた口がふさがらなかった。年齢より多少老けて見える人物はそれなりにいるが、このナナシという男性は彼らの比ではない。

 その疑問を感じ取ったのかナナシは、苦笑いしかできなかったようだが。


 しかし、彼の胡散臭さは、容姿や会話だけでなく、名前にも漂っている。

 名無し(ナナシ)。明らかに偽名なのが、村人達が警戒を強めた理由の一つともいえた。


 だが、アインハートは不思議とこの初老―――に見える男性に強い警戒心を抱くことはなかった。

 それは何故だろうか。彼女自身はっきりとわかってはいないが、どことなく父に似た雰囲気を醸し出しているためかもしれない、と無理やりに自分を納得させる。



「せめて雨風を凌げるところで寝たほうがいいと思いますけど……」 

「うっへっへっへ。それはもっともな忠告なんだがなぁ。この綺麗な海を見ていたらついつい、な」


 無精髭を擦りながらナナシは眼前に広がっている蒼海に視線を送った。

 無限に広がっていると思わせる蒼い海をどことなく眩しそうに見つめる浮浪者に、アインハートは首を傾げる。

 確かに見事な景色だとは彼女も思うが、だからといってナナシのようにここまで真剣に眺めることができるだろうか。きっとできはしないはずだ。

 やはりどことなく違和感を覚えるアインハートだったが、ふとあることを思い出して胸元から木の皮らしきもので造られた小包を取り出すと、ナナシへと差し出した。

 

「はい、ナナシさん。どうせ碌に食事もとれてないんでしょ? 少ないけどおにぎり作ってきたから食べてよ」

「……おいおい、お嬢ちゃん。人が良いにも程があるぞ? 得体の知れないジジイと二人で話すだけじゃなくて、食い物まで分け与えるなんて、なに考えてるんだ?」


 自分の怪しさを自覚しているのか、ナナシは呆れながら小包を差し出してきている少女に対してため息をついた。

 対して呆れられたアインハートは、キョトンとした表情で―――しっかりとナナシを見返しながら包みを押し付けるようにして手渡してくる。


「私だって誰にだってこんなことをするわけじゃないし。ナナシさんが悪い人じゃないくらい目を見ればわかるもん」


 純粋ともいえるアインハートの台詞に、ナナシは言葉を失った。

 茫然自失といった様子で唖然と自分よりも二回りも小柄な少女を黙って見返す。

 十秒近くも呆けたように口を開いていたナナシはやがて、口角を緩めて苦笑をもらした。

 

「俺が、良い人か。ははははは、そりゃ、いいなぁ。そんなことを面と向かって言われたのは初めてかもしれん」


 突き出されていた小包を受け取ると、ナナシはゆっくりと立ち上がる。

 尻についていた砂を片手でパンパンと払いながら、アインハートに向かって深々と頭を下げた。

 

 今度は驚かされたのは少女の方だ。

 まさか大の大人が―――それも年齢的に父と娘ほども離れている相手が、たかがおにぎり程度の施しで頭を下げるとは考えてもいなかった。


「あんがとよ、お嬢ちゃん。この礼は何時か必ず返すとするさ」

「……うん。期待しないで待っておくから」


 ニカっと気持ちのよい笑顔で答えるアインハートに、ナナシの口元も綻んだ。

 元気で可愛らしいその姿がどこか懐かしい。

 会話をしているとかつて無くしてしまった何よりも、誰よりも大切な人間を思い出してしまう。

 それが悲しくないといったらナナシにとっては嘘になるだろう。随分と時が流れはしたが、あの頃の思い出は今も色あせず彼の心に残っているのだから。


「ああ、そうだ。なんなら槍の稽古でもつけてやろうか? お嬢ちゃんは槍を得物にしてるんだろう?」

「え? うん、そうだけど……ナナシさんって、槍を使えるの?」


 どこか胡散臭そうな視線を送ってくるアインハートに、ナナシは苦笑いをしながら右手の人差し指でポリポリと頬を掻く。

 確かにこのような格好をした男がいきなり、槍の稽古をつけるといったら、皆がアインハートと同様の態度を取るのは当然といえば当然の話だ。


「勿論だ。こう見えても結構な腕前のつもりだぜ」

「……本当かなぁ? それならお弟子とかもいたの?」


 やはり信用しきれない部分があるのか、アインハートがどこか探るように尋ねてくる。彼女の質問に、ナナシは過去に想いを馳せた。

 多くの人間に指導をしていた時期もあったが、弟子とは少し違う。よく考えれば、ナナシにとっての弟子といえるような存在は―――。

「―――ああ。そういや、いたな。一人だけ」

「……一、人? そ、そうなんだ」


 槍の稽古をつけると自信満々なナナシの発言だけに、それなりに指導に慣れているのかと予想をしていたアインハートの想像を斜め下に突き抜ける返答を頂くことになった。

 動揺で少しだけ少女の声が震えてしまったのは責められることではないはずだ。


「おう。こいつがまた腹が立つくらい優秀なガキでなぁ。本来は別の武器を使ってる片手間に槍術を覚えたくせに、それはまた凄まじい腕前になりやがって。俺の立つ瀬がなくなったもんだ」

「へぇ……そんな強い人だったの? そのお弟子さん」


 しみじみと語ってくるナナシの発言に興味を引かれたのか、アインハートが続きを促す。

 彼女に対して、ナナシは躊躇いなく頷いてどこか遠い目で空を見上げた。


「……ああ。二人ともが槍同士なら負ける気はまだせんけどな。互いに本来の武器で戦えば、俺でも勝てる(・・・・・・)気がしねぇ(・・・・・)

「ふーん」


 どこか気のない返事になってしまったアインハートだが、それも無理なかろう話である。

 どれくらい強かったのか聞きたかったのだが、ナナシよりも強いと言われてもイマイチ理解できない。

 それこそ第何級の危険生物を倒すことができる、といった答えを期待していただけに若干の肩透かしをくらったという感じは否めなかったようだ。 


 その後も、世間話といった談笑を続けていたのだが―――そうこうするうちに、幾ばくかの時が流れていたようで太陽が会話を始める前に比べて少し高くなりつつあった。


「あっと、ごめんなさい……ナナシさん。そろそろ私行かないと」

「おお、すまないな。引き止めて悪かったよ、お嬢ちゃん」


 それに気がついたアインハート自分が鍛錬を忘れていたことに気がつき、若干慌てて暇を告げる。

 ナナシも己が彼女の鍛錬を中断させていたことに気づき、申し訳なさそうに頭を掻きながら謝罪したが、それにアインハートは首を横に振って答えた。


「じゃあ、また来るね。ナナシさん、体にだけは気をつけて」

「ああ。お嬢ちゃんもあまり無理はするなよ?」

「大丈夫だよ。だって私は身体を小さな頃から鍛えているから」


 笑顔を残し、アインハートは手を二、三度振ってそのまま海岸から走り去っていった。

 そんなまだ幼いともいえる少女の後姿を見送っていたナナシだったが、彼女の姿が見えなくなっても暫しの間そのまま視線を向け続けている。まるで大切な誰かを見送っているようにも見える不思議な雰囲気を彼は醸し出していた。

 


 ―――大丈夫だよ、お父さん。私はお父さんの子供なんだから。



「……似ているな、ちくしょう……」


 

 脳裏に響くアインハートとは異なる―――しかしながらどこか似た響きの声色。

 かつての宝物。今でも胸を張って言える誰よりも何よりも大切な相手。やはりアインハートという名の少女は、あまりにも似すぎていた。それがナナシがこの地から去らない理由である。


「未練だな……くそっ」


 抑えきれない感情を発散させるように砂浜の砂を蹴り上げる。

 パラパラと宙に散じながら、陽光を浴びて煌いた。

 音を立てて地面に落ちていく光景さえもが、心に棘を突き刺すような苛立ちを覚えさせてくる。


「……馬鹿野郎だな、俺は。槍を教える? はははっ……笑わせる」


 皮肉気に口元をゆがめて、己の両の手のひらを見つめ―――。


「今の俺は、槍を握ることさえ出来ない負け犬でしかないのにな……」


 どこまでも乾いた空虚な呟きが、ナナシの口から零れ落ちる。

 年齢の割には大層老けて見えるが、別に身体のどこかを悪くしているわけではない。だが、今のナナシは言葉に出したとおり、槍を碌に握ることさえもできない。

 いや、正確に言うならば―――戦うということが出来ないのだ。


 一年ほど前に味わった圧倒的なまでの恐怖。比類なき絶望。

 ナナシは、ある相手と戦い、そして恐ろしいまでの力量差で敗れ去った。命からがら逃げ出すことで精一杯。 

 その時に魂に刻み込まれた恐怖が未だ忘れられない。それが心的原因となって今のような初老に見間違える容姿になってしまった。


 ―――ああ、屑め。雑魚め。お前では相手にもならん。死ね。さぁ、死んでしまえ。肉片一つ。塵一つ。細胞の一欠けらも残さずに殺しつくしてやる。


「―――っ!!」


 決して忘れることが出来ない女の声が響き渡る。罵声ではない。嘲笑でもない。何の感情もこもっていない。ただ彼女自身が感じた思うが侭のことを口に出しているだけだ。

 すぐ傍にいるかのような錯覚さえ覚え、遂にはその重圧に耐え切れなくなったナナシはガクガクと両脚が震え、砂浜に膝をつく。

 胃の中のものが、せりあがっていき吐寫物となって綺麗な砂を汚していった。

 周囲に酸っぱい匂いが漂い、何度も何度も吐き続ける。

 

 誰もいない海岸で、ただ一人。

 ナナシという名の男は恐怖に震えながら、大地に蹲っていた。

 

 身体を小刻みに震わせながら数分。

 遂には吐き出すものもなくなったナナシは、汚れた口元を手の甲で拭きながらゆらりっと立ち上がる。

 その姿はまるで幽鬼を連想させ、顔は青ざめていた。

 持っていた木で出来た水筒の蓋をあけて口に含め、砂浜に吐き出す。口内の気持ち悪さが完全に取れたわけではないが、随分とましになったことに若干の余裕を取り戻すと、幾度か深呼吸を繰り返す。

 

 そして地面に転がっていたアインハートから貰った包みに気づくと、それをゆっくりとあける。

 中から出てきたのは三角型のおにぎり―――ではなく、俗に言う俵型。そんなおにぎりが三個。

 そのおにぎりを見たナナシの目が大きく見開いた。


 先ほどの恐怖とは異なる震える手でそのおにぎりのうちの一つを手に取ると、口に頬ばる。


「……ああ、ちくしょう。なんでこんなにうめぇんだ……」


 今まで食べてきたどんなご馳走よりも、今口にしているおにぎりの味は極上で。

 こんなおにぎりの形までもが、かつての愛した娘と同じことに得体の知れない感情が込みあがってくる。


 海岸に座り込みながら、残されたおにぎりを食していたその時―――。



 ズンっと遠方で何かを叩き潰す音が木霊した。

 それと同時に迸ってくる強大な気配。

 

 久しぶりに感じた強者の重圧に、ナナシは手に持っていた握り飯を海岸にぽろりと落とした。

 しかし、それに気づくことはなく、戦いに対する恐怖が染み付いている彼は、本能が即座にこの場からの逃走を選択させる。

 足を一歩踏み出したその時、ナナシの動きがピタリと止まった。


 何故ならば気配が立ち上っている方角。そこに覚えがあったからだ。

 先日立ち寄った村。即ち、アインハートが住んでいる場所。先ほど彼女が戻っていった方向。

 その事実に、冷や汗が止まらない。感じられる限り、この気配を放つのは十分に化け物と称してもいいレベルだ。

 明らかな敵意を剥き出しに、友好な様子は微塵も感じられない。

 少なくともアインハートが向かい合っても勝利の文字など決して浮かびはしないだろう。


 どうするべきか。

 決まっている。本能が、経験が、訴えてきている。

 今の戦いに怯えている己ではどうしようもないということを。

 早く逃げ出してしまえ、と身体中に指令をだしてきていることを痛感していた。


 だが―――。


「―――くそがっ。俺はやっぱり、大馬鹿だ!!」


 吐き捨てるようにナナシは呟くと、走り出す。

 未だ感じられる立ち昇る敵意に向けて。

 


 

  

   














 ▼




















 それ(・・)はあまりにも突然に現れた。 

 脳内を犯す絶望を引き連れて、村人の思考を奪う恐怖を身に纏い。

 三メートル程の巨躯を金属製の鎧で覆い、巨大すぎる剣を背中に背負った明らかな異質の存在を先頭に、数十の巨人種を背後に従えて。あらゆる人間を、村を、街を蹂躙するべく化け物の集団が見せ付けるように侵攻する。


 地響きを立てて東の地平線より出現した巨人種達を見た村人達は、唖然とした。

 それ以外にどうしろというのか。たった一体のサイクロプスにさえ村を壊滅させかけられたというのに。

 しかもサイクロプスだけではなく、その上位種でもあるギガス。そんな相手が数十体。


 それに加えて、金属の鎧を纏った者。

 一目で分かる、別格。武に心得がない村人達でさえはっきりと理解できた。

 目に見えるほどの凝縮された戦気とでもいうべき気配を発しながら佇む彼の者は、外見だけならば背後の巨人種よりも小柄ながら与えてくる重圧は桁違いだ。


「……残念だ。まさか我が故郷から解放されて最初に訪れた地がこのような場所だとは」


 言葉通り、溜息すら漏らしながら兜をつけた顔を左右に振る。

 顔が覆われているため表情はわからないが、顔をしかめているのは容易く想像ができた。

 低く鈍いトーンには確かに無念の情が込められている。


「我が武と渡り合えるものがいるはずもない、か。やはり我も魔女の後を追うべきだったか」


 淡々と語る鎧の者は、独りごちながら再度溜息をつく。

 それを聞きながら、村人達は―――本当に聞いているだけであった。

 本来ならば逃げ出すのが正しい選択だ。だが、これだけの危険生物を、脅威の前から逃げ出すことが出来るのか。

 結論はあまりにも単純で、残酷。可能性は皆無に等しく。危険生物の恐ろしさを知っている彼らは、生への道が閉ざされたことをいやがおうにも理解してしまった。


 天を仰ぐ者。泣き出す者。祈る者。苦笑いをする者。理不尽に怒る者。


 様々な者がいる中、鎧の巨人種は携えていた巨剣の柄を握り締めると天に掲げる。

 周囲にいる村人達に対して順に視線を送りながら―――。


「我は、高位巨人種(ティターン)が一柱。オケアノス。その名を死出の餞に持ってゆけ」


 死の風が押し寄せる。

 決して関わってはならない伝説の域に達した怪物の一体。

 生きた天災に数えられる単騎で街一つを軽々と滅ぼせる危険生物。

 高位巨人種でもその名を轟かせ、五本の指にも数えられる実力の怪物は紫電を剣に纏わせて仁王立つ。


 死ぬ。

 間違いなく死ぬ。

 ここにいる者達は抵抗することも許さずに、出来ずに無残に殺される。


 それは決定事項だ。

 もはや揺るぎのない確定事項。


 だが、それに抗うものがいた。

 たった一人だけ。絶望に逆らう者がいた。


「―――っ!!」


 空気を引き裂く音を残し、短剣がオケアノスの兜目掛けて飛来する。

 それは彼からしてみれば止まって見える速度だった。それでも、この反抗に驚いたのか反応が僅かに遅れる。勿論それでこの状況が好転するはずもなく、短剣は反応が遅れながらも容易くオケアノスの金属の篭手に覆われた片手に弾かれて見当違いの方角へと飛んでゆく。


 短剣が飛ばされてきた方向に視線を向ければ、顔を青白くさせながらも両手で槍の柄を握り締め、オケアノスを睨んでいる少女の姿があった。

 アインハート。まだ十四歳にしかならない少女は、この場を支配している高位巨人種の視線を真っ向から受け止めながら逃げ出すことなくその場に留まっている。


「……見事だ、ヒトの娘よ。我の前にして諦めも逃げもしないその心。称賛に値する」


 オケアノスは、驚きつつもそう口に出した。

 そこには嘲りもないにもない。心の底からそう思ったから口に出したということが、不思議と周囲の人間は悟ることが出来た。

 

 未だ年端もいかない少女が己と向かい合っている事実。

 武人として長い年月を生きてきたオケアノスの心がそれに躍らないはずがない。

 例えどれだけの力の差があろうとも。そんな心意気を持った敵を前にすれば、彼の心はこれ以上ないほどに滾る。


 彼の周囲に満ち溢れていた戦意が、アインハートに目掛けて収束していく。

 全身に鳥肌が立つ、というレベルではない。今にも気を失いそうになるほどの圧力。

 勝ち目は零だ。限りなく低いのではなく、零なのだ。

 何をどうしようが、奇跡が起きようが。アインハートでは目の前の怪物を打破できない。


「―――っ」


 逃げて、と叫びたかった。

 しかし、それは言葉にはならない。

 オケアノスを前にして、まるで喉を直接握り締められたように言葉を紡ぎだすことができなかった。

 ヒューヒューと隙間風の如き呼吸音。意識を手放したい。心底アインハートはそう考えた。


 だが、出来るはずがない。

 父は命を賭けてサイクロプスと戦った。

 文字通り、命と引き換えに村を救ったのだ。

 

 ならばこそ、自分も命を賭けねばならない。

 勝てる勝てないは二の次だ。


 覚悟を決めたアインハートは、重心を落とす。

 槍の柄を強く握り締めなおす。三角錐状の槍頭をオケアノスへと向けた。

 

 そんな少女の姿に、深い感銘を受けたのは村人達―――ではなく、槍を向けられているオケアノス本人である。

 

「……素晴らしい。素晴らしいぞ、ヒトの娘よ。我と汝の力の差は理解していよう。だが、それでもなお我に立ち向かってくるその心。実に見事な勇気だ。汝という戦士と会えた事だけで、我がここにきた価値があった」


 天に掲げていた巨剣を振り下ろす。

 十メートル以上も離れているはずのアインハートの身体を打ち付ける剣風。

 あまりの強風に小柄な彼女の身体がたたらを踏んだ。


 己が斬られたと勘違いするイメージ。自分と相手の力量差はあまりにも隔絶している。

 それが如実に、たった一振りの剣閃で叩き込まれた。

 

 三メートル程度の背丈の高位巨人種の姿は、後方にいる巨人種の誰よりも巨大に見える。

 いっそ圧倒的ともいえるオーラを発するオケアノスは、巨剣を片手に一歩を踏み出してきた。

 近づいてくるのは絶望だ。恐怖だ。畏怖だ。破滅だ。


 歯がガチガチと鳴るのが理解できた。

 それでもアインハートは退かない。逃げ出すことだけは決してなかった。


 それにオケアノスは満足そうに頷き―――。


「さらばだ、ヒトの娘。汝のことは我が生涯決して忘れぬ」


 気がついたときには既に高位巨人種の姿はアインハートの目の前にあって―――。


「―――あっ」


 どこか間の抜けた呟きが少女の口から漏れ―――。


 しかし、オケアノスは何の容赦もなく己が持つ剣を振り下ろす。

 太陽の光をキラリと反射させて、磨きぬかれた剣はアインハートの脳天から股下までを寸断する角度で叩き込まれた。 

 真っ赤な噴水があがる。

 真紅の花が一輪咲き誇るかと思われたその瞬間、誰もが目を疑った。



 鎧を纏った高位巨人種(・・・・・)が、数歩後方へと弾き飛ばされたのだ。

 


 死ぬと思っていたアインハートは現状が信じられないのか、どこか呆然と己の目の前に現れた男の背を見つめた。

 ぼろぼろの作務衣。薄汚れた背中。だが、どこか懐かしい。まるで父親の背中を見ているような大きさを感じさせる錯覚。

 その背中の持ち主はあまりにも意外すぎる人物で。


 激しく呼吸を乱しているナナシが、窮地に陥っていた自分を救ってくれたことに、アインハートは漸く気づいた。


「あ、あの……ナナシ、さん?」

「―――逃げろ、お嬢ちゃん!! できるだけ、遠くに!! できるだけ、速く!!」


 切羽詰った、鬼気迫るともいえる表情で、目の前の高位巨人種を睨みつけながらナナシが叫ぶ。 

  

 近くにいたアインハートはその叫び声に、ビクリと身を震わせる。


「ここは俺に任せて、お嬢ちゃんは兎に角逃げろ!! こいつの相手は、俺がしてやる!!」

 

 あまりにも突拍子もない発言と勢いに呑まれかけるアインハートだったが、ふとした拍子に気づく。

 ナナシの声が震えていることに。よく見れば、初老の男の膝もガクガクと笑っている。

 彼もまた他の人間と同様に、恐怖と戦っていたのだ。


「……ふむ。不可思議だ」


 一方のオケアノスは、己の兜の丁度右頬にあたる位置をさすりながら釈然としない様子で首を捻る。 

 彼の瞳は静かに、鋭く目の前に現れた老人らしき人間を貫いていた。

 

 彼以外気づいていないことだったが、あろうことか高位巨人種()を吹き飛ばすことができるなど一体どんな能力を使ったのか。触っている右頬は僅かにへこんでいることに感触で気づき、巨人種最高の鍛冶師が鍛えた一品にこのような真似をしでかした得体の知れない男を見る目が鋭くなるのも当然と言えた。


 オケアノスとナナシの視線が交錯。

 数秒もぶつかりあう視線だったが、ふっと巨人種の視線に侮蔑が混じった。


「……汝が何をしたかわからぬが、つまらぬ(・・・・)


 吐き捨てるように言い捨てたオケアノスに、ビクリと身を震わせるナナシ。


「なんだ、汝のその目は。まるで、負け犬だ(・・・・)


 明らかな嘲笑。侮蔑。

 それらが入り混じった言葉をぶつけ、オケアノスは剣先を突きつける。


「汝は、戦士ではない(・・・・・・)。そのヒトの娘のほうが余程戦士たる覚悟を秘めていたぞ」


 高位巨人種は、まるでナナシの心中を見抜いたかのように一歩を踏み出す。

 対してナナシは、恐れを隠せずに一歩後退する。


 だが、アインハートを背中に庇うことだけは止めてはいなかった。


「ナ、ナナシさんこそ、逃げて。私は、大丈夫だから」

「ば、馬鹿野郎!! 俺を誰だと思ってやがる!?」


 背後からかけられたアインハートの発言に、ナナシが怒鳴り返すが。

 別に誰でもないと、思わず言い返しそうになったが―――なんとかギリギリのところで言いとどまった。


「ああ、あ、あんなデカブツッ!! 俺が本気をだせば!! どうとでもなる相手―――」

「―――もう、いい。汝はそれ以上喋るな」

 

 ナナシの台詞を途中で遮ったのは、眼前で聞こえたオケアノスの冷たい言葉で。

 愕然とするナナシに閃光の如き横薙ぎが襲い掛かる。脇腹を薙ぎ払われたナナシはまるでボールのように飛ばされ、近くにあった納屋の扉に激突。激突音を残して扉を打ち破り、内部へと叩き込まれた。


「―――ナ、ナナシさん!?」


 声を荒らげ、アインハートがナナシの吹き飛ばされた小屋へと視線を向けた。

 死んだ、と誰もが思った。アインハートだけではなく、それを見ていた村人達全て。下位や中位の巨人種も皆。

 

 そんな中でただ独りだけ。

 原因を作ったオケアノスだけは、再度首を捻った。


 剣が何かを叩き切ったという感触がなかったのだ。

 まるで空気を断ち切っただけ。人の体を両断したという感覚が全くない。

 

「……あっ?」


 その時ぐらり、とオケアノスの肉体が揺らぐ。

 ガシャンっと片膝を地面に付いて、なんとか倒れることだけは免れたが、その光景に他の者達の視線が釘付けとなった。


 特に巨人種からしてみれば大きな眼をさらに大きく見開く。

 自分達の絶対的な主が、何故突然膝をついたのか。理解できているものは誰もいなかった。


 ―――なんだ、この衝撃は? 鎧を通されたかのような違和感。原因がわからぬ。一体誰がやった? このヒトの娘なのか? いや、違う。ならば、この一撃(・・)を行った相手は……。


 ベコリっと音がしそうなほどにへこまされた腹部。

 鎧が大きく変形している事実に冷や汗がとまらない。これの原因となったのは間違いなく―――己が負け犬と称した男だ。



「……はぁ、はぁ。ふぅ……ふぅぅ……」


 ガラガラと小屋の中の物を押しやりながら、外へと這い出してきたのはナナシであった。

 あれだけ派手に吹き飛ばされていながら、血を流さず―――吹き飛ばされてできた怪我は負っているが―――五体無事で立ち上がる姿にアインハートは口が開いて塞がらない。

 確実によけることが出来るタイミングではなかったはずなのに、これは一体全体どういうことなのか。


「……特に武器を使った様子もない。汝の拳のみ……五体のみでこれ(・・)を為すか。非礼を詫びねばならぬようだ」


 先ほどまでの侮蔑は既にない。

 あるのは強敵と相対したときのような容赦ない気配。

 裂帛を思わせる意思とともに、剣先が向けられた。


 巨剣を上段に構えたオケアノスが、鋭く呼気を吐き出す。

 地面が爆発。それほどの勢いで踏み込んだ彼の巨剣が間合いを殺し、よろめいているナナシの脳天へと振り下ろされた。

 今度は間違いなく直撃する軌道を描く。

 誰もが惨劇を予想するが、その一撃は切っ先が地面を抉り吹き飛ばすだけにとどまった。


 地面をごろごろと転がって横へと逃げ出していたナナシの姿を追いながら、オケアノスに戦慄が走る。

 外したわけではない。彼の全速全力の斬閃を、二度もかわされた。

 一度ならばマグレはある。だが、二度続くことはない。


 つまりそれは、ナナシという名の男の実力。

 

「……え? ナナシ、さん?」


 愕然とするのは何もオケアノスだけではない。

 ナナシの実力を疑っていたアインハートも。そして、村人もだ。

 ただの人間が、何故高位巨人種の攻撃を避けることができるのか。彼らの驚きは至極当然のことである。

 

「……何、者だ? 汝、一体……」


 困惑した言葉が兜に隠れたオケアノスの口から紡がれる。

 それには答えることなく、ナナシは必死に乱れている呼吸を整えるように深呼吸を繰り返す。


 彼は呼吸を激しくしながらも、視線だけは油断なくオケアノスへと向けたままだった。


 それが油断となった。

 いや、油断というべきではないのかもしれない。

 この場でもっとも脅威なのは間違いなくオケアノスだ。それ故に彼に注意を払うのは仕方のないことなのだから。

 だからこそ、背後から襲い掛かってきたギガスの攻撃に反応が一瞬遅れた。


「―――ガァアアアアアアアア!!」


 雄たけびをあげながら突撃をしてきたギガスに、慌てて背後をみやるナナシ。

 本来ならば彼らのような下位、中位巨人種は命令がなければこのような行動にでることは少ない。

 ならば何故か。彼らの本能が警鐘をあげたからだ。どこかこの人間は危険だ、と。


「くそっ!!」


 吐き捨ててナナシがギガスの突撃から身をかわそうとして身体を捻る。

 容赦なく疾走してきた巨人種は、躊躇いもなくナナシへと近寄っていき―――。


 

 そのまま彼を無視して、オケアノスへと襲い掛かった。



「な、んだと!?」


 驚かされたのがオケアノスだ。

 まさか自分に忠実な配下が己へと牙を剥くとは考えてもいなかった。

 振り下ろされる豪腕。真上から叩き込まれた拳。


 舌打ちをしながらその一撃を両腕を交差して受け止めた。

 如何に体格差があろうとも、高位巨人種と中位巨人種の身体能力の差は圧倒的。

 本来ならば、容易く受け止めることができる―――はずだった。


 メシリっと筋肉が悲鳴をあげる。

 鎧で覆われた身体がギシギシと痛みの声をあげつづけた。

 その一撃だけではおさまらず、拳を振り上げると幾度もオケアノスを殴り始め、その度に凄まじい衝撃が彼の肉体に襲い掛かる。

 彼の両足が地面にめり込み、地割れを引き起こす。

 ドンドンと巨大なハンマーで殴りつけているかのような衝撃音が響き渡った。


「……ア、ギィ? ヒィア?」


 呆然としていたギガスやサイクロプスが我を取り戻し、己の主を不届きにも殴り続けている同族を止めに入る。

 時には殴り。時には蹴りつけ。時には身体を押さえつけ。

 それでもギガスはオケアノスを殴りつけることだけは辞めようとしない。

 殴り続けている当の本人であるギガスは、何故自分がこんなことをしているのか。

 理解できていない。そんな表情がありありとでているが、それでも同じ行動を取り続ける。


「全く。貴方はまだそんな負け犬のままだったの? 見ていて不快なの。ねぇ、いい加減本来の貴方を取り戻しなさいよ」


 どろりっと脳髄が腐り落ちると錯覚するほどに不快な声が響き渡った。

 それは可愛らしい少女の声だ。だが、それでも不快としか言い様がない。背筋に悪寒が走る。耳を塞ぎたくなる。

 反射的にそんな行動を取ってしまうほどに。

 そこまで、その少女の声には―――この世界へ対する憎悪しかなかった。


 ナナシの傍にあった家の屋根に何時の間にか。或いは最初からなのか。

 腰を下ろしている一人の女がいた。不思議な女だった。外見は少女なのに女としか表現できない。


 黒曜石を思わせる黒髪。

 長い髪で、腰近くまで伸びているのを無造作にうなじあたりで括っている。

 顔の造り自体はいいのだろうが、左半分―――特に左目の辺りを包帯で覆い隠していた。

 小柄な肉体だ。精々が百五十センチあるかどうか。両腕は特に異質を放っていて、赤銅色の手甲が肩まで隠している。

 身体を包むような長い白衣を纏い、可愛らしくその手甲に覆われた右手の人差し指を顎にあてて、ナナシを見下ろしていた。


「お、お前……なんで、ここに!?」

「あら? あの女神(クズ)の話を聞いてなかったの? サイレンス(わたし)を含めて全員(・・)がここに送られるって言ってたじゃない?」


 愕然と見上げているナナシに、鼻で笑いながら白衣の女は返答する。

 それに黙り込んだ旧知の男に対して、はぁっとこれ見よがしに溜息をついた。


 狂乱を続けるギガスをちらりと横目で見たナナシは、現状の違和感に気づき―――今度は視線を白衣の女へ向ける。


あれ(・・)は、お前の仕業か……」

「そうよ。時間稼ぎくらいにしかならないでしょうけど」


 肩をすくめた白衣の女はどれだけ殴られ続けても、オケアノスへの攻撃をやめないギガスを見てクスリっと笑みを浮かべる。

 その笑みはあまりにも邪悪だった。見るものの心を鷲づかみにしながらも、嫌悪しか感じさせない厭らしい嘲笑だった。


「いい加減、覚悟をきめなさい。サイレンスはこれ以上手出しはしないから。あの三下どもの相手は貴方がするしかないのよ?」


 クスクスと耳障りな嘲笑を届けながら。


「戦いに怯えるのも、ここで終わりよ。それともそこの娘が殺されないとやる気がでないの?」

「―――っ」


 アインハートへと指をさす―――サイレンスと名乗った白衣の女に、オケアノス以上の脅威を感じ取り、後退する。

 高位巨人種を前にしても逃げ出さなかったアインハートは、己が取った行動に愕然とした。

 目の前の少女をしただけの何かは、高位巨人種以上の危険を発する得体の知れなさを醸し出していたのだから。


「て、てめぇ!?」

「怒るのはサイレンスにじゃなくって、あっちにでしょう?」



 指をアインハートから逸らすと、オケアノスへと向けなおすと同時に、ようやく反乱を起こしたギガスが地に沈む。

 二人の会話を聞いていたのか、高位巨人種は怒りに染まった視線でサイレンスへを睨みつけた。


「ほらほら。あのクズがお怒りよ? 美味しいところは譲ってあげる」


 圧力さえ秘めたオケアノスの視線を無視して、小首を傾げる。


「あのクズは、貴方の怖れる操血(クズ)じゃないのよ?」


 一転。

 嘲笑をやめ、口元に浮かべていた笑みを消し去り。

 真一文字に口を結ぶと―――。


「―――怯える時間は、もうお仕舞いよ」


 その一言だけは、どこか真摯な言霊が秘められていて―――。


「……くそっ。お前は昔から、むかつくやつだ」


 最低で。最悪で。どうしよもないほどの悪党で。

 それでも極稀にだが、正しいことを言うこともある。


 膝が笑っているのは相変わらずだ。

 どうしようないほどに戦いが怖いことに変わりはない。

 それほど容易く恐怖が拭えることはない。

 それでも、ナナシの行動に迷いはなくなり―――。


「わりぃな、お嬢ちゃん。その槍、貸してくれないか?」

「……え? う、うん……」


 二人の会話についていけないアインハートは、言われるがままに手を差し伸べてきたナナシへと自分がもっていた槍を手渡す。

 受け渡された槍の柄の握りを幾度か確かめていたナナシだったが、眼を瞑る。


 脳裏に浮かぶのは己に恐怖を叩き込んだ女の姿。

 それを思い出して、身体がぶるりっと小刻みに震える。

 だが、サイレンスの言ったとおりだ。ここにいる連中は、己が怨敵ではない。

 ならば、この身が竦む理由も、恐怖もないのが道理だ。


 槍の先端を前に突き出し、重心を落とす。

 これまでとは比較にならない覚悟を秘めた意思をナナシの瞳に見たオケアノスは、己の心が疼くのを自覚した。

 

「く、くはははは!! いい意思だ!! 見事な心意気だ!! これだからヒトはわからぬ!! 僅かの時でどこまでも変わっていく!!」


 周囲の配下の巨人種を下がらせると、オケアノスは巨剣を再度上段に構える。

 ナナシと同様にこれまで以上の覇気を漲らせ、己の全力を剣に込めた。

 ぶわりっと広がる高位巨人種の圧力。周囲の人間の希望を圧し折る圧迫感。

   

「我が望みは名誉ある闘争!! 強き者と戦い、死闘の果てに勝利を掴む!! それこそが我が望み!! 我が誇り!!」


 狂乱するオケアノスの闘争本能はどこまでも高ぶり、限界を突破していく。


「さぁ、始めよう!! 我と闘ってもらうぞ、ヒトの子―――」

「―――狂風一陣(テンペスト)


 静かな。

 猛り狂うオケアノスを邪魔する一言。

 まるで波のない湖面を連想させるイメージのナナシのしゃがれた声。

 

 次の瞬間。

 狂風が巻き起こる。

 世界全てを覆い尽くすと感じられる暴風が周囲一体を満たしつくす。

 肉体の自由を奪われるほどの風圧がオケアノスを包み込むのも一瞬で―――大気が波打ち形を持った疾風が駆け抜けた。

 その圧力は高位巨人種である己はおろか、王たる存在も超えているようにさえ思え。


 眼前を埋め尽くす色を帯びた破滅そのものが世界を支配した。


 それらが全て駆け抜けるのに必要とした時間は、数秒にも満たない時でしかなく。

 狂風の支配が終焉を迎えた後に残されたのは、完全な破壊。

 オケアノスの背後にいた数十の巨人種は胴体や頭を貫かれ(・・・)、物言わぬ躯となっていて―――それだけの殺戮をしでかしたナナシという名の人間(何か)は、目の前から一歩も動いていない。


「……く、ははは。なんだ、汝は。我以上の―――」


 ごぽりっと血があふれ出る。

 オケアノスの胴体にも他の巨人種と同様に、大きな風穴が開けられており、そこから青黒い血が彼の足元に血の池を作り始めた。

 それでも己を歯牙にもかけずに殺した相手の顔を睨みつけ。


「―――化け物、だったか」


 それだけを言い切ると、鎧を纏った肉体を地面へと放り投げるように倒れこんだ。

 ざしゃっと大きな音を立てて崩れ落ちたオケアノスを、眼を丸くして伺うアインハートや村人達。

 

 対してナナシは、とめていた呼吸を再開。

 ぜぇぜぇ、という呼吸音のみが静かなこの場に響いていた。


 そんな中で、パチパチと拍手が轟く。

 勿論発生源は、サイレンスという名の白衣の女でしか有り得ない。


「うん。腕は錆び付いていないようで何より。これなら、使える(・・・)かな」

「……はぁ、はぁ……。な、にが、使えるんだ、よ?」

「―――後で話すけど。それより、そちらのお嬢さんはほったらかしにしていいの?」

「あ、ああ? そ、そうだな……」


 ナナシは釈然としない様子で、アインハートへと足を踏み出した。

 

「有難うよ、お嬢ちゃん。この槍のおかげで―――」

「―――ヒィッ」


 ナナシが一歩近づいた瞬間、アインハートは怯えた声を上げて逃げ出した。

 脇目も振らずに、ナナシへ背を向けて、一目散に。


 一秒でも、一瞬でも、兎に角ナナシから離れるように、少女は駆ける。

 途中、足を石にとられ転び地面に身体を打ちつけた。それでも必死に立ち上がり、背後のナナシを見やったあと、再び逃亡を開始する。そこにはナナシへ対する恐怖しかなく、戦いのさなかまで見せていた優しさは微塵も感じられなかった。

 周囲の人間も、アインハートと同じだ。村に初めて来たときの胡散臭い人物をみる眼ではなく、怯えしか見られない。


 それも当然だ。

 ナナシが倒した相手は生きる天災。

 しかも、数十の巨人種も含め、それだけの敵を一瞬で滅ぼした。

 互角の戦いを演じていればまだ結果は違ったかもしれない。だが、ここまでの圧倒的な差を見せ付けてしまえば、彼らがナナシを見る眼に恐怖が混じるのは仕方のないことだった。

 

 今の村人やアインハートからしてみれば、ナナシは生きる天災以上の怪物にしか見えない。


 逃げ去っていくアインハートの後姿を見送っていたナナシだったが、彼はそれを黙って見送っていた。

 多少寂しくはあるが、これまで似たような経験は幾らでもしてきた。今回もまたそうであっただけだ。これまでの己の所業を考えれば、これは受け入れねばならない。


「……はぁ」


 しかしながら、己の娘に似たアインハートにこうまで怯えられるのは流石に心にクルものがあった。

 溜息を漏らしながらワシャワシャと頭を掻きながら、その場に借りていた槍を突き刺すと、背を向ける。

 これ以上この場にいないほうがいいと判断した彼は、誰からの感謝の言葉もなく―――ただ、恐怖のみの視線を背中に受けながら村から去っていった。


 















 

   

 

 

 ▼


























 村から離れること十数分。

 無言で歩き続けるナナシと、その背後について歩くのはサイレンスだけ。


 太陽が中天に差し掛かり、ちりちりと肌を焼いてくる熱さに辟易としながら、空を見上げた。

 忌々しげに地面を蹴りつけたナナシに、ニヤニヤと厭らしい笑みを送り続けるサイレンス。

 その笑みがどうしようもなく腹が立つ。


「何がそんなにおかしいんだよ、この性悪女が」

「別に? 貴方はいつも報われないな、なんて微塵もおもってないけど」

「うるせぇ。そんな言い方だと、思ってるも同然じゃねぇか」


 本当に苛立っているのか、ナナシは足を速める。

 もっとも、例え走ったとしても背後の白衣の女を撒くことは不可能だと知っているため、それは多少の嫌がらせにしかならない。

 案の定、サイレンスはたいして苦もなくそんなナナシの背中を追ってくる。

 ザッザッと地面を歩く音が二人分。沈黙が続く歩みを再開させて、数分も経った頃。


「そうそう。先ほどの貸しを返してもらいたいのだけど?」

「……なんだよ?」


 ぶすっとした顔で、足を止めて背後を振り返ったナナシだったが―――そんな彼が眉を顰めた。

 これまで見たことがないほどに真剣な表情で、サイレンスはナナシに視線を向けていて。

 得体の知れない雰囲気に、反射的にごくりっと唾を飲み込んだ。


「簡単なことなの。ねぇ、ナナシ―――いえ、カイザー=ディグファンネル。サイレンス(わたし)と同等で対等である貴方にだからこそ頼むのよ?」


 普段の吐き気を催す邪悪な笑みも今の彼女にはなく―――。


七つの人災(・・・・・)……執行者(・・・)人形遣い(わたし)と一緒に―――」


 七つの人災とまで呼ばれるに至った殺戮者。

 執行者の名を冠する男。今はナナシと名乗る神速の槍使いでさえも、呑まれる様な深淵の漆黒を垣間見せた人形遣いは―――。




































「―――あの操血(クズ)を殺しましょう」
























 悪魔の囁きが紡がれた。





















登場人物を整理するために 紹介を一時撤去しておきます。


そして現在のヒロインの平均年齢高すぎ。

一番若いのでアールマティ(29歳)


そしてサイレンス(31歳)の登場。

少し平均年齢が下がりました。

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