六十九章 呪い竜2
第三級危険生物以上の怪物は、生きた天災とも言われている。
それはその領域に分類されている存在は、文字通り単体で天災に匹敵するだけの災厄を撒き散らすことが可能であるからだ。
その中でも第二級危険生物に数えられている種族は四つ。
ノインテーターを主とする不死王種。
魔王に仕える古参兵である魔人。
戦狂いとも言われる巨人王種。
竜園に蠢く竜種でも上位の戦闘力を誇る高位竜種。
キョウの眼前で、心地よさそうに温泉に使っている白色の竜。
クールカンは、戦意を僅かに滲ませることなく緊張感のかけらもない。
流石のキョウも、巨大な竜が温泉に浸かるという想像もしていなかった事態に些か面食らうものの、そういった変わり者もなかにはいるのだろう、とあっさりとこの光景を受け入れた。
「ぎゃははははっ。おめぇ、本当に人間か疑っちまうな。どんだけ肝が太いんだよ!!」
轟音響く大音量でクールカンは笑い続ける。
今まで多くの人間を見てきた。多くの亜人を見てきた。多くの同族を見てきた。
だが、今目の前にいる人間は、何かがおかしい。どこかがおかしい。呪い竜とまで謳われた、伝説にも名を刻むクールカンでさえも戦うと言う選択肢を選ぶことが出来ない。第六感が痛いほどに警鐘を鳴らし続ける。
彼はそれを素直に受け止めた。眼前の人間は―――人の姿をしただけの何か。そう表現するしか仕方のない異様な男だったからだ。
生きた天災として幾つもの街を破壊しつくした経験は数あれど、そんな天災の己よりも、余程おぞましい気配を漂わせている。
しかし、それが面白くてしょうがない。楽しくてしょうがない。興味を抱かせてしょうがない。
「で、だ。おめぇの名前は? 俺が名乗ったんだ。おめぇさんも名乗るのが礼儀ってもんじゃないのか?」
「ああ、失礼した。俺はキョウ。キョウ=スメラギだ」
「へぇ……少しばかり変わった名前だな。アナザー出身か、おめぇ?」
まさか竜種に礼儀云々をとかれるとはおもっていなかったキョウは、ゴホンっと軽く咳払いをして己の名前を告げる。
キョウの名前に疑問を抱いたクールカンが、巨大な頭をもたげさせ質問を問いかけてきた。それにキョウは頷くことで肯定とすると、巨竜は黒い瞳を瞬かせる。
「アナザーでもおめぇみたいな化け物が生まれるもんなんだなぁ」
しみじみと独り頷きながら巨体を揺らすクールカンが、ザパザパと波を起こす。
打ち寄せてくる波を、顔の前に手をやって防ぎつつ、ハァっとため息を吐いた。ゆっくりと疲れを癒したいところだったが、なかなか現実はそう上手くいかないようである。これも気狂い女神の試練なのか、と具もつかないことを考えながら巨竜を軽く睨みつけるが、相手は全く気にも留めていない。
「俺が化け物かどうかはどうでもいいが。それで、お前はなんでこんな所にいるんだ? 竜種は竜園にいるんじゃないのか? そこの呪い竜の大渓谷の主とか言っていたが……」
「ああ、それか。それなぁ……」
キョウの質問に、クールカンは話すべきかどうか迷っているような雰囲気で頭を夜空へと向ける。
瞬く星々を黙って見つめていたが、やがて決心がついたのかキョウのようにため息をつきながら頭を下ろして、湯に浸かっているキョウへと視線を向けなおした。
「おめぇさんここにいるってことは渓谷を渡ってきたんだろう? こちら側にあがる坂とは正反対に歩いたところにでっけぇ洞窟があるんだが、そこに多重結界を張られて封印されてたんだよ、俺はな。大体五百年くらい前だったか……使徒とかいう連中に人海戦術でやられちまってなぁ」
吐いた息が、距離を保っているキョウへとふりかかる。
ぶわっと生暖かい吐息。少々生臭さを感じる、まさに野生の獣のような臭いだ。
「で、だ。ようやく数十年前に封印が解けて外に出れるようになったのはいいんだけどよぉ……人間に封印されたなんていい笑いものだ。そのせいで竜園に戻りたくても戻れずそこの渓谷で暮らしてんだよ」
「……なんだ。竜種にも面子とかあるものなのか?」
「そりゃ、下位や中位のやつらにはあんまり関係ないけどな。俺達みたいなある程度の知能を持っていると、色々と人間関係も複雑でなぁ」
竜なのに人間関係とはこれ如何に。
しかし、クールカンにはクールカンなりの苦労があったようで、彼が人間ならば肩をおとしているだろうことは想像に容易い。
「そういうわけで、竜園に戻れない俺は適当に西大陸やら中央大陸を観光しつつ、そこの谷で日々を過ごしているってわけだ。ちなみにこの温泉も俺が造ったんだぜ? 俺がはいれるようにでかく造るのは苦労したけどよ」
白色竜の発言に驚かされたキョウが、思わず周囲を見渡す。
確かに巨大な岩風呂だが、まさか竜がわざわざ温泉のために造ったとは夢にも思わなかった。いや、その想像をできるほうがおかしいといえるだろう。
しかし、改めて巨竜の姿を見ると、横たわってはいるが身体の殆どは温泉に浸かれていない。明らかに深さが足りていないのだが―――。
「……自分の身体を計算にいれてなかったんだよ、ちきしょうが」
キョウの視線から何がいいたいのかわかったクールカンが、吐き捨てる。
彼が大陸のあちらこちらを旅して回ったときに見た温泉に興味を抱き、寝床のすぐ近くに自力で造ってみたはいいが、彼が見てきたのは人間用の温泉。そのためうっかりとそれを見本にして作ってしまい、現在のような半端にしか入れない状況になっているのだ。
「まぁ……これ以上掘ると岩盤がやばいみたいでなぁ。このくらいで丁度よかったのかもしれねぇな」
それならば作り直せばいいのでは、と考えたがそれを見越してかクールカンが独りぼやく。
何やら色々と報われない巨竜を少し不憫にも思ったキョウだったが、クールカンの先ほどの発言をふと思い出した。
「西大陸を観光……してると言ったか?」
「あん? おお。ここにいても暇だからな。時々ぶらぶらと見回りに行ってるぞ。ちゃんと見つからないように上空を飛び回ってるから、迷惑はかけてねぇと思うけど」
クールカンほどの竜種が姿を現せば大騒ぎになること間違いなしなのだが、果たして大丈夫なのだろうか。
そう考えていたキョウに、自分の行動をフォローするように付け加える。
何気に色々と気を使っている危険生物に、正直なところ驚きを隠せないキョウだった。
「……そうか。それなら一つ聞きたいんだが、最近の巨人の島の様子を知らないか?」
「巨人の島? あぁ……この前傍を通りかかったな、そう言えば」
「本当か? 出来ればその時の状況を教えて欲しいんだが」
「別に構わんが。少し待ってくれ。今思い出すからよ」
巨大な首を捻ったクールカンが、目を瞑る。
どうやら記憶を掘り起こそうとしているようで、巨竜の思考の邪魔をしないように口を閉ざして静かに待つ。
たっぷりと一分程度の時間が流れただろうか。周囲は不思議と虫の音すらしない。
ここにいる一人と一体の怪物に恐れをなして、遠くに逃げ出してしまったのだろう。
時間が緩やかに流れる。
そんな幻覚を感じるほどに、静寂が周囲を包む。
時折聞こえるのは、湯がたてる音だけだ。
「……そういえば、巨人の島と西大陸を繋ぐ門の封印が解けかかってたような気がするな。上空から見ただけだから何とも言えんけどなぁ」
「門の封印? なんだそれは?」
「なんだ、知らんのか。巨人の島からの侵攻を防ぐために、随分と大昔に女神が西大陸と繋ぐ道に結界を張ったらしいぜ。それのせいで巨人種は西大陸へ攻め入ることができなくなったとか」
女神、という単語にピクリっと眉を動かすキョウだったが、クールカンはそれに気づかず話を続ける。
「十年に一度くらいの割合で封印が弱まるときがあるっていうしな。詳しいことは知らんが……」
「なるほど。それ以外に何か変わったことは?」
「それ以外? うぅむ……他にあったかねぇ」
キョウの質問に再び黙り込んだクールカン。
その巨竜の様子に、キョウは考えすぎだったか、とほっと息を吐こうとしたその時―――。
「ああ、そういや。巨人王種が穴倉から出てきてやがったなぁ。しかも、三体。ありゃ、珍しかったわ」
「―――」
最悪だ、とキョウは息を呑んだ。
まさかの事態に、臍を噛む。第二級危険生物である巨人王種。それが三体。
万が一のことを考えていたが、キョウの予想をはるかに超える最悪の状況に、舌打ちをする。
巨人の島と西大陸を繋ぐ道を守護していると言う神風の魔女の力量がどれほどかわからないが、アトリを含め二人―――途中で合流する予定の流水の魔女もあわせて三人。
三対一ならば、巨人王種といえど十分に魔女達にも勝算はあるだろう。しかし、敵も三体だったならばどうか。流石に分が悪いはずだ。巨人王種の力がどれほどか不明だが、ディーティニアからの話によると決して甘く見れるレベルの相手ではないという。
多少急いで合流したほうが良さそうだ、と決断したキョウだったが―――その一方でクールカンは肝を冷やしていた。
何か癇に障ることを言ったのか、己の台詞を省みたが何度考えてもそれらしいことは思いつかない。
折角戦いを避けることができていたというのに、結局は戦う運命だったのか―――そんな己の不運を嘆きながら目の前の人と想像の中で戦うイメージをするが、どう足掻いても勝てる結果に結びつかない。
どうしたものか、と本気で悩んでいるクールカンに気づいたキョウが、目の前の竜の様子に気づき両手を湯の中からあげて宙に向けた。戦う意志がないことを身をもって示したということだ。
「ああ、すまない。参考になった。礼を言う」
「あ、あぁ? そうか。それなら良かった」
キョウの態度に、いまいち納得がいかないクールカンだったが、どうやら己は命を拾えたらしい事実に安堵する。
人間とは比較にならない年月を生きてきた彼ではあるが、死というものは恐ろしい。いや、長生きしているからこそ、恐ろしいのだろう。ましてや、眼前にいるヒトの形をした怪物と戦うことだけは遠慮願いたい。心底そう思っていた。
命を賭けた闘争は構わない。互角に戦える相手なら死力を尽くす価値はある。
しかし、戦いにならない闘争に価値はあるだろうか。あるはずがない。それは単純に自殺行為としか言わないはずだ。
「まぁ……参考にして貰えたならいいけどよ。じゃあ、俺はもう行くぜ」
ざぶんっと湯の中から立ち上がる巨体。ぶるりっと身体を震わせて、纏わりついているお湯を払いのけると巨躯に相応しい一対の翼をゆっくりとはためかせる。
強烈な突風。風が渦巻き、温泉にさざなみを巻き起こす。周囲の木々を圧し折る勢いで荒れ狂う風。キョウはというと、その突風に負けじと眼を細めて踏ん張っている。
「何かあったらそこの渓谷に来いよ。出来るだけ力になってやるよ、キョウ」
「お前ほど協力的だった危険生物も珍しかったな。本当に助かった。縁があったらまた会おう」
「……おめぇは面白いやつだ。面白くて怖い人間だ。また縁があるのを祈ってるぜ、ギャハハハハハッ!!」
一際強く翼を上下させ、哄笑を残してクールカンの巨体が浮き上がる。
キョウの見つめる先、その巨躯が宙に浮かび、空気を打ち抜く音を響かせて呪い竜の大渓谷の方角へと飛翔して―――すぐに見えなくなった。
思いがけない情報を手に入れることが出来たキョウは、ディーティニアにこのことを知らせるために温泉からすぐに立ち上がるのだった。
▼
クールカンは、己の住処へと戻る途中、己の巨躯をぶるりっと震わせた。
決して湯からあがったせいではない。
果たしてそれは恐怖か。畏怖か。己の幸運に対してか。
白色竜は、ぼんやりとした思考で己を襲っている感情の正体を考える。
クールカン・イーシュムカ。
彼は第二級危険生物に属する高位竜種。
その実力は、高位竜種の中でも一、二を争うと言われている。
第一級危険生物には劣るものの、かつては彼単体で幾つもの街が廃墟と化したとも伝説は語る。
数百年前に使徒数人の手によって呪い竜の大渓谷に封印をされたが、あくまで封印されただけだ。
上手く誘導され、入り口に結界を張り巡らされただけであり、敗北したということではない。
その彼が。呪い竜とまで恐れられ、謳われた巨竜が。
刀一本を携えた裸の人間相手に、戦うという行為を選択することができなかった。
それを恥とは思わない。滑稽だとも思わない。
あれを前にすれば、きっと誰もが同じ行動を取るはずだ。
第一級危険生物。超越存在と似た気配と匂いを漂わせていたのだから。
空気を引き裂き、空を翔る巨竜だったが、そんなクールカンの耳が奇妙な音を拾った。
幻聴か、とも考えたが、どうやらそうではないらしい。高速で飛翔する彼の耳に届く音など、そうはないはず。
だが、確かに聞こえたのだ。耳を澄ませば、徐々に聞こえてくる男女の声。
「―――おい? 本当にこっちでいいのかよ?」
「―――間違いないってばさぁ。剣士殿の匂いがするしねぇ」
「―――匂いって、まじかよ。お前の鼻はどんだけすげーんだ」
「―――例え百万キロはなれていたって剣士殿の匂いは嗅ぎ取れる自信はあるさぁ」
「―――うそくせぇ!! 一体どんな匂いなんだよ」
「―――なんというか、身体中が蕩ける様な匂い? なんか子宮が疼いちゃうんだよねぇ」
男の方はどこかで聞いたことがある声だった。
キョウと話していたときを遥かに超える重圧を秘めた気配。ぞぞっと背中を駆け抜ける絶対死の予感。決して関わっては為らない絶対強者。クールカンとは正反対の方角から凄まじい速度で近づいてくる何か。その方向に顔を向けた巨竜だったが―――。
停止する暇もなく、赤い髪が逆立った人間の姿をした何かが背中の翼をはためかせ、突撃してくる。
彼の片手は小柄な九本の尻尾をはやした幼女を、空中を引きずるように引っ張っていた。
轟っと音が渦巻き、赤髪の男―――悪竜王イグニード・ダッハーカがクールカンと交錯する。
十メートル超の巨竜と人間大の男。
交錯すればどうなるかは誰に聞いても明らかな結果だ。
しかしながら、イグニードは目の前にいたクールカンを邪魔だ、と片手で一閃。
何の変哲もないただの張り手で―――呪い竜はあっさりと弾き落とされた。凄まじい衝撃。骨を圧し折られたと勘違いするほどに強烈な一撃。しかも、イグニードは殺すつもりではなく、自分の進行方向にいた相手を押しのけた程度の認識しかしていない。
そこまでの圧倒的な差が、そこにはあった。
「―――ギャァアアアアアアアアアアアアアア!!」
叫び声をあげながら、クールカンは呪い竜の大渓谷へと墜落していく。
なんとか体勢を整えようと翼を動かすが、時間と距離が足りなく―――彼の巨体は渓谷の崖下に大きな風穴をあけるのだった。
短いですが、アップさせていただきます。
都合のいいせつめいキャラ登場―――即たいじょう。