六十三章 撃震の魔女2
先ほどまでとは異なる緊張感に包まれた船着場。
強制的に如何なる者も息を呑まざるを得ない、重圧を二人のエルフが撒き散らす。
大陸に五人しかいない魔女の一人。その力はディーティニアを除く魔女の中でも随一とまで謳われる撃震の魔女リフィア。
神聖エレクシル帝国を支える七剣。長い歴史の中でも歴代最強と謳われる永久凍土のアルストロメリア。
そんな二人が危うい雰囲気で相対する様に、キョウはやや意外なものを見たといった様子で彼女らから距離を取った。
周囲にいた他の群集は、既に蜘蛛の子を散らすように逃げ去っている。
「まーた始めたのか、あの二人。気にしなくてもいいよ、キョウ」
多少の困惑をしていたキョウの傍によってきて、呆れた物言いをしてきたのは古い付き合いもあるアールマティだった。
真剣勝負と言っても良い緊張感に溢れた二人を、アールマティが見る目は呆れていた。
「……なんだ、あの二人は仲が悪いのか?」
「いや、全然。仲は凄い良いよ。あんたと操血くらいにね」
「それならやはり仲が良くないんだな」
「えー? あんたがそれを言う?」
心底驚いた風のアールマティが眼を見張る。
本人―――キョウは否定するが、操血との関係は異常だ。
物心つく前に拾われたせいか、キョウは操血のことを憎からず思っているし、操血はキョウ=スメラギを溺愛している。戦場においては厳しいが、日常生活においてはアールマティも思わず、彼らに変態かーと言いそうになった経験もあった。赤面もののことを平然とやってのける操血と、それを当然のこととして受け入れるキョウ。
それに操血がまともに人間扱いするのはキョウくらいだ。他の七つの人災は名前も覚えて貰ってはいない。辛うじて顔くらいだろうか。アールマティだけは、キョウとともに傭兵をやったり、遺跡を荒らしたり、様々なことを一緒にやっていた時期が長いことあったため、最悪なことに操血に顔と名前を覚えられている。
殺されかけたことも一度や二度ではない。キョウの手助けがなければ間違いなく自分は今ここにいなかっただろう、と確信を持っている。その点にはアールマティはキョウに対して深く感謝しているのだが―――よく考えれば、操血に狙われた理由がキョウと仲が良かったということを考えると、原因の殆どは目の前の男にあるということだ。
十五年も昔に初めて会って以来。
髪を斬られたり、腕を折られたり、軽く三桁を超える死地に連れて行かれたり、人にはおおっぴらに言えない関係になったり、操血に狙われたり、と。
過去に想いを馳せていたアールマティは、とりあえず眼前のキョウの尻に回し蹴りを叩き込むことにした。
完全な不意打ちに、己の勝利を確信した影使いだったが―――彼女の蹴りが叩き込まれたのは、キョウの身体ではなく、もっと堅い代物。
不意打ちすらも読みきったキョウが、反射的に小狐丸を防御にまわしていたのだ。
勿論鞘に入った状態だったが、なにしろその黒塗りの鞘は軽いくせに恐ろしいほど堅い。
アールマティの脛がミシリっと骨が軋む音を響かせる。歯を食い縛るも、その程度で我慢できようはずがない。
弁慶の泣きどころとも言われる人体の急所を両手で押さえながら、アールマティは地面に座り込む。
痛みでぷるぷると震えながら、あまりの痛さで涙目になっている彼女は、とても今年で二十九歳を迎える女性とは思えない。
「お前にしては珍しいな。攻撃する前に殺気が僅かに漏れてたぞ?」
「……う、うぐぅ……。め、めっちゃ痛い……。攻撃、わかってたなら、避けてよ……これは、酷い……」
痛みのあまり、できることなら地面を転がりまわりたいほどだったが、外聞を気にするアールマティはそこまで己を捨て切れなかった。
荒く呼吸を繰り返す彼女に、確かに今のタイミングなら回避もできたな、と考えもしたが。
「いや……いきなり攻撃してくるほうが酷いと思うが?」
「く、くそぅ……。正論すぎて、なんかむかつくぅ……ぁぁ、でも痛い」
今回は自業自得とはいえキョウと一緒にいると何時も不運が舞い降りる。
しかも、大抵がキョウにではなく、アールマティに降り注いでくるのだから、世の中の理不尽を改めて噛み締めた。
だが―――。
「―――あんたと、会えたことは。後悔はしてないんだから、不思議だよね」
「ん? 何か言ったか?」
「……別に、何もー。あんたの気のせいじゃない?」
思わず漏らしてしまった本音は、幸いなことにキョウの耳には届かなかったようで、胸を撫で下ろす。
そうだ。そうなのだ。キョウと出会って以来、とてつもなく大変な毎日が怒涛の勢いで押し寄せてきていた。平穏な日だったほうが少ない。挙句の果てには七人で一国を滅ぼし、七つの人災などという不名誉な名前までつけられた。
だが、言葉に出したとおり、不思議とそれに後悔した日々はない。ナンバーズと呼ばれたエレクシル教国の精鋭部隊にいた頃とは比べるまでもなく、毎日が充実した日々だった。
そして二年前のあの日、気がつけば幻想大陸と呼ばれるこの地に漂流していて―――味気のない日常を送っていた。魔族との戦いでは心が躍らず。日々の仕事を淡々とこなすだけで過ごすことができる日常。平穏な毎日。アナザーにいた頃とは雲泥の差があった。
それでも、心が乾いていた。これ以上ないほどに、心が何かを求めていた。
その何かがわからなかったが―――こうしてキョウと再び出逢えてしっかりと理解することが出来た。
血生臭い日々。死地と隣り合わせた日常。世界から疎まれた生活。
まともな人間ならば、絶対に遠慮したいであろう生活だったが、今思い返せば楽しかったのだ。
たった七人で世界を翻弄する遠い過去。それはエレクシル教国にいた頃では決して味わえなかった―――。
―――いや、違うかなぁ。
七人でいたから楽しかったわけではない。
キョウ=スメラギと十五年前に出会い、ともにいて―――二人でいることが何よりも楽しかった。
だからこそ、この男が幻想大陸にきて、こうして昔のように一緒に話すことが出来る今のおかげで、心が浮つく。とてつもなく嬉しいのだ。
「……黙り込んでどうした?」
「―――っ!?」
考え込んでいたアールマティを心配したのか、キョウが顔を覗き込むようにして近づけてきた。
それに慌てたのがアールマティである。脳裏で思い描いていた張本人の顔がとてつもなく近くにあったのだから。
咄嗟に後方に飛びのいた彼女だったが、先ほどのディーティニアの行動をなぞるように、踵が石に躓き―――そのまま地面に後頭部を叩き付けた。
ゴツンっと激しくなった鈍い音に、うわぁっと顔を顰めるキョウと、ぐぉぉおおっと女性らしからぬ呻き声をあげ後頭部を抑えて転がりまわるアールマティ。
今度ばかりは周囲の目も気にしてはいられない。
そんな彼女の呻き声を合図にしたわけではないだろうが、向かい合っていたリフィアとアルストロメリアが漸く動いた。
一瞬で間合いを詰めたアルストロメリアが容赦も躊躇いもない、戦斧を一直線に振り下ろす。
瞬きする間で見落とす瞬速の踏み込み。唐竹に両断しようと迫ってきた煌く剛刃に、リフィアはニィっと笑みを浮かべたまま一歩後ろに後退してその刃をやり過ごす。
笑みで開いた口の左右には、二つの八重歯がきらりっと光って見えた。
まるで吸血鬼みたいだ、と場違いな感想を抱きながら、キョウはアールマティを忘れて二人の戦いを眺める。
振り下ろされた戦斧が、石畳を再度砕きながらも、今度は止まることがない。
その隙を狙って間合いを詰めようとしたのか、前傾姿勢となっていたリフィアが動きを止めてさらに後方へと逃げ延びる。
一瞬遅れて、その空間を薙ぎ払った戦斧。巨大な武器を扱っているというのに僅かな隙さえ見せないアルストロメリアの動きに、キョウは感嘆の視線を送る。
続いて幾度も振るわれる神速の戦斧。
空間を薙ぎ払った後には、白銀の残滓が残される。
ため息がでるほどに美しく、まるで舞いを連想させるほどに華麗な武技であった。
それを紙一重でかわしきりながら、リフィアには余裕があるように見て取れる。
彼女の視線は、神速の戦斧の軌跡を確かに追っている。並の者ならば、一撃で屠られる攻撃を、軽々とさばききる様に、キョウはある種の違和感を覚えた。
その違和感に、一拍をおいて気づく。
リフィアは魔女の一人に数えられている。撃震の魔女とも呼ばれ、土の属性に特化した魔法使いだと聞かされていた。
そんな彼女が、武に優れているアルストロメリアの攻撃を、あそこまで的確に確実に回避することが可能なのか、と。しかもリフィアは、距離を取って魔法を使おうという素振りを見せない。
逆だ。魔法使いの戦い方とは正反対ともいえる行動を取っている。即ち、自分からさらに間合いを詰めようとしていた。
それが違和感の正体だったのだ。
「おい、アルマ。リフィア殿は、本当に魔法使いなのか? 戦い方が少々腑におちん」
「―――うぐぐ。痛がっているあたしに、助けを差し伸べず、かけた言葉が、それとは、酷すぎる」
「……ああ、すまんすまん。大丈夫だったか? で、リフィア殿のことなんだが」
「すごい適当すぎだよ!! ちっとも心配なんかしてないでしょう、あんた!?」
「いや、そんなことはない。ああ、絶対にない」
反省の色も何もないキョウに、言っても無駄だと気づいたアールマティが、ため息一つ。
まだ多少痛む後頭部をさすりながら、立ち上がると前方で行われている戦いに視線を向けた。
確かにリフィアとアルストロメリアの戦いは、魔法使いと魔法戦士の対決とは言い難い。むしろ、戦士と戦士の戦いと評価したほうが正しいのかもしれない。
キョウが訝しがるのも当然のことといえた。
「まぁ、うん。リフィアはれっきとした魔法使いだけどね、ちょっと特殊なの」
「特殊? いや、まぁ……アルストロメリア殿の攻撃をあれだけ回避できる時点で随分とおかしいと思うが。体術だけならディーテとは比べ物にならんぞ」
「うーん。まぁ、初めて見た人はそう思うよねぇ。ああ、ほらアレ見てみ―――」
アールマティが指差したのは、戦斧の攻撃の回転をあげたアルストロメリアの姿―――ではなく、怒涛の連続攻撃に遂に回避しきれなくなったリフィアの姿だった。
脳天目掛けて振り落とされる戦斧の剛刃。そのまま彼女の放つ巨大な刃がリフィアの頭を真っ二つに両断する軌跡で迫っていく。あまりの容赦のなさに、キョウも大丈夫なのかと心配になったが、それは無用な結果となる。
「―――しゃら」
ミシリっと音が鳴るほどに強く握り締めた拳。
それを―――。
「くさい―――!!」
裂帛の気合とともにあろうことか、真上に迫る戦斧へと跳ね上げるように、叩き付けた。
拳と鋼の刃。子供でもわかる結果になる。
そのはずが、ガキィンっと奇妙な衝突音を響かせ、リフィアの小柄な肉体とアルストロメリアの長身痩躯の肉体が同時に衝撃に耐え切れずに後方へと弾き飛ばされた。
弾かれながらも二人して体勢を空中で整え、地面を両足で擦りながら衝撃を殺す。
嬉しそうなリフィアと冷たい表情のアルストロメリアと対照的でありながらも、どちらも何故かこの戦いを楽しんでいる印象をキョウは受けた。
「……と、いうか。何故拳で武器を迎撃できる?」
「えー。別に出来ても不思議じゃないと思うけど? あんただって似たような技使えるでしょうに」
「あれは、横から衝撃を与えることによって圧し折るんだ。両刃の武器には使えんし、なにより今は拳で刃の部分を殴りつけてたぞ?」
戦斧は両刃ではなかったが、あれだけ分厚い鋼の武器を叩き折れる自信はキョウとてない。いや、へし折ったわけではないが、それでも真っ向から弾き飛ばすなど正気の沙汰の技ではなかった。
それに素人が相手ならともかく、アルストロメリアが相手ではなおさらだ。
言葉通り、腑に落ちないどころの話ではない。
目を細め、軽業師の如く縦横無尽に駆け回るリフィアの動きを捕捉する。
彼女の拳が、肘が、蹴り足が、アルストロメリアへと襲いかかる。が、それらを時にはかわし、時には戦斧の柄で受け止め―――時には戦斧の刃で迎撃していた。
やはり切れ味鋭く見える刃の部分に触れても、血一滴すら流さないリフィアの姿は異様にも見える。
だが、注視していたのが功を奏したのだろうか。
リフィアの身体を薄く包む金色の膜のようなモノが見えた。それは相当に薄く、太陽の光を浴びて、透明にも見えたため気付くのが遅れてしまったのだ。
「おい、アルマ。なんだ、あの金色の光は? 魔力を帯びているようにも感じられるが……」
「あれ。気付いたんだ? そうそう。リフィアが纏っているのは魔力の光。あいつがあんな馬鹿げたことができる理由。それは魔法を使用できるものなら誰だって使用可能な基本を究極まで練り上げただけ」
「基本? それはまさか……」
「そそ。ただの補助魔法。究極まで至ったリフィアの補助魔法は、周囲一体のマナを奪い去り肉体の超強化を行う。その結果が、アレ」
視線だけで合図を送るアールマティはどこか呆れているようだった。
それはそうだ。魔法使いという存在は、如何に魔法使いとしての純度を高めるだけに重点を置く。それなのに、リフィアは身体能力の強化という魔法使いらしからぬ道を突き進んだのだ。彼女が纏う金色の光は、アルストロメリアの戦斧の一撃さえも防ぎきる。
そんな真似ができるのか。心底驚かされたキョウは、目まぐるしく戦い続けるリフィアとアルストロメリアの戦いを視線で追い続けた。
「ああ。ちなみにリフィアの魔法使いとしての腕前も超一流だから。魔女の中では一番下かも知れないけど、あの馬鹿げた近接戦の戦闘能力をあわせて、ディーティニアを除く魔女最強の名を戴いているってさ」
「なるほどな。確かに魔法使いとは到底思えん動きだ。あんな動きで奇襲されたら、ディーテも危ういかもしれん」
完全に解説に回っている二人。
アールマティとキョウの視線の先で、アルストロメリアが掬い上げるような横薙ぎでリフィアの足を払う。
魔女は軽く跳躍。空中に跳んだと同時に左の足が鋭くしなる。鞭の如き蹴りが、アルストロメリアの横顔を強襲した。
咄嗟に右腕をあげてその蹴り足を受け止める、ズシンっと身体の芯に響く重みを残す回し蹴り。とてもリフィアの小柄な肉体が放つ一撃とは思えない。そのまま吹き飛ばされそうになるも、両脚で地面を踏みしめ耐えきると、左手一本で巨大な戦斧を斜め下から切り上げた。
しかし、リフィアは蹴った足に力を込めて空中に浮かんだまま横へと逃げる。その一瞬後を、轟風をたてて旋風が駆け抜けていった。
器用にくるりっと回転すると、地面に着地。
右手の親指で鼻を軽く撫でると、嬉しそうに笑いながら、金色に包まれた拳を我が娘へと向ける。
対してアルストロメリアも、戦斧の切っ先を己の母親へと突きつける。
「……しかし、完全に俺達は見物人になってるな」
「見てるのはあたし達だけじゃないけどね」
そういって、二人は周囲を見渡すが、リフィアとアルストロメリアを囲んで群衆が固唾を呑んで見物していた。
いや、違う。見物人の殆ど―――即ち騎士団の人間は、どちらが勝つか賭をしているようだった。
そんな気楽でいいのか、と考えを抱いて隣にいるアールマティにそのことを視線だけで問い詰める。
「いや。この二人の喧嘩さー。日常茶飯事なの。だから、もう慣れっこ」
「そうなのか。いつもこんな事やってるのか……」
「まぁねぇ。たいていはリフィアが挑発してそれにアルスがのるって感じなんだけど」
「何故、わざわざそんなことをするんだ? 暇人なのか、リフィア殿は」
「さぁ? 多分だけど自分の娘の成長具合を見てみたいんじゃないのかな」
操血とあんたの関係に少し似ている―――とは、言わずに心の内にとどめる。
キョウが否定するのが目に見えてわかっていたからだ。
「それで、結果はどうなるんだ? リフィア殿が勝つのか? それともアルストロメリア殿か?」
「んと。勝敗はつかないかな。互いに全力でやるわけにもいかないし。下手をしたら周囲が荒れ地になっちゃうから。結局誰かが止めに入って引き分けにな―――」
瞬間。
アールマティの。キョウの。リフィアの。アルストロメリアの。その場にいた全ての人間亜人問わず、動きを止めた。止めざるを得なかった。
背筋をなでつける死の突風。己が死んだという幻覚さえ感じた圧倒的な殺気。圧縮され、凝縮された、どこまでも死というイメージを濃縮した気配が天をつく勢いで膨れあがり、空に浮かんでいた雲を散らしていく。
リフィアとアルストロメリアでさえも、戦闘をやめて船着き場の入り口の方角へと振り返る。
周囲に居た騎士達もまた、リフィア達の視線を追った。
彼らの視線が交錯する空間。
そこには、一人の魔女がいた。
禍々しいほどに赤く染まった魔力を微塵も隠すことなく身に纏い、相手を凍らせるほどに冷たい絶対零度の瞳でリフィアを射貫く。ごくりっとこの場にいた誰かが唾液を飲み込んだ音がやけに大きく響いた。
白銀の髪をなびかせて。翡翠色の瞳をぎらぎらと輝かせ。
逃げたはずの獄炎の魔女ディーティニアが、この場に現れた。
だが、彼女の気配は異常。異様で異質で、異端。
ある意味海獣王ユルルングルと戦ったときよりも遥かに恐ろしい魔力を立ちのぼらせている。
彼女を前にした誰もが背中に冷や汗を流し、身体を震わせた。
戦うという行為すらも選択させない、圧倒的な化け物の到来。
数多の魔族と戦ってきた一騎当千の騎士団さえも、動きを縛られるほどだ。
そして、騎士団の取った行動は迅速だ。
我先にと逃亡をはかった。船着き場から―――ディーティニアから少しでも離れようと脇目もふらずに逃げ出す。
リフィアに向かって、ご愁傷様といわんばかりに両手を合わせて逃げていく始末だ。
「……リフィア。何か言い訳はあるかのぅ?」
反射的に一歩後退してしまったリフィアは、どうすればこの場から逃れることができるか思考した。
いっそ潔く謝るべきか。土下座でもすれば許して貰えるかも知れない。
だがしかし、今更そんな真似ができるものか。自分は撃震の魔女。決して退かないことが誇りなのだ―――この場合は、凄くどうでも良い誇りなのだが。
「……熊さんパンツはさすがに年齢を考えた方がいいと思うんやけど」
ぶちっと何かが切れる音がした。
その音を聞いたリフィアは、自分が死刑執行書にサインをしたのだと理解する。
「―――其れは勝利の名を冠する者。其れはあらゆる障害を打ち破る者。二対の翼を広げる偉大なる戦神」
今まででも異常だったというのに、言霊を紡ぐと同時にその比ではない魔力が解放されていく。
その詠唱を聞いて、ぶはっと吹き出した男が一人。言わずと知れた、キョウ=スメラギだ。
どこかで聞いたことがあるなーと現実逃避をしたくなるが、彼女が今から使用する魔法に見当がついた彼が頬を引き攣らせてしまったのは当然と言えば当然。
その異常な魔力に気がついたリフィアもまた、ただ事ではないと察する。
アルストロメリアも、このままここにいては巻き添えを食らうと判断して逃げだそうとするも、リフィアはそんな彼女の腰にしがみつく。
「や、やめてください!! リフィア殿!! というか、本当に放して下さい!!」
「う、うちとアルスは一蓮托生やないか!! あんただけ逃げようなんて許さへんから!!」
必死になってしがみつくリフィアを引き離そうとするが、渾身の力でしがみついてるのか、引きはがすことが出来ない。
「灼熱に輝く星の支配者。十に変化する地上の王者」
一方で完全にぶち切れているのかディーティニアが詠唱をやめる気配は微塵もみられない。
躊躇いもなく言霊を紡いでいく獄炎の魔女に、うっすらと冷や汗を額から流すリフィアとアルストロメリアだったが―――両者とも顔を見合わせて頷き合った。
「原初の神々!! 無から産まれた混沌の女王!! 天の神!! 海の神!! 暗黒の神!! 愛の神!! 全ての時を、巨神を、魔神を、神々を!! 等しく切り裂く大鎌を呼び起こす大地の怒りを聞け!!」
リフィアがパシンっと両手を合わせて、瞬時に詠唱を開始する。
そして、パチリっと両手に満ちた魔力を両手に流し大地に叩きつけた。
地響きをたてて、大地に流れてゆくリフィアの魔力。地震を引き起こし、周囲一帯の龍脈から力を奪い取っていく。
「―――金色に染まりし、無限の刃。白く天空を満たす炎を掲げん」
時を同じくしてディーティニアの魔法も詠唱を終了させる。
後は両者ともに、発動の鍵となる言霊を一言言い放つだけ。じっとにらみ合う二人の魔女。
許してくれないかなーと、望み薄な期待を胸に秘めたリフィアだったが―――冷たい瞳のディーティニアは、まるで屠殺場の豚を見るかのような眼差しだった。
そして、獄炎の魔女は右手の親指で己の首をかっきる仕草をして、冷酷に笑う。
「―――戦神の聖炎」
「や、やっぱり駄目かぁあ!? 大地の咆哮!!」
ディーティニアが天に掲げた左手が、白く燃える光を発する。
天空へと駆け上っていった白炎が、圧倒的な熱量をともなって空を支配する。
雲は瞬く間に消し去られ、上空に広がっていた青空は、炎の海に取って代わった。
それでも、キョウの見る限り、海獣王に放ったときと比べると白炎の規模が随分と狭い。さすがに街に被害を与えないようにするくらいの理性は残っていたのだろう。ほっと胸をなで下ろす。
降り注いでくる聖なる炎の渦に対抗しようとしたのか、地面が波打ち数十メートル級の巨大な岩の槍が幾つも出現した。ただの岩の槍ではないのを証明するように、それらの表面は金色の膜に覆われている。まるでそれはリフィアが身に纏っていたオーラを思い起こさせる輝きであった。
「―――蹴散らせぇえええええ!!」
大地の咆哮の名前の通り、リフィアの雄叫びが響き渡る。
まるで弾丸のように、巨大な岩石の槍が天空から降り注ぐ聖炎を迎え撃った。
次々と生み出される数十メートルの破壊の連槍が、何度も何十も、白い炎を圧壊させるべく破壊を繰り返す。
それを見届けたアルストロメリアが、戦斧を力強く大地に叩きつけた。
「凍えよ。凍えよ。凍えよ。我がもとへ迫るあらゆる害意を防ぎきる氷結の網。赤の灼熱。金色の天雷。翡翠の天風。黄玉の大地。太古より無敵を誇る、永久凍土の棺を開け!!」
パキリっと戦斧が大地を噛んだ場所から氷が広がっていく。
急激に。急速に。出現した氷が幾十も重なり合い、障壁を生み出していく。
「もう、すこし持たせて下さい、リフィア殿。せめてこの防壁が完成するま―――」
「あ、ごめん。もう無理」
「え? ちょ、ちょっと待ちぃやぁ!?」
親指をたててやけに良い笑顔を向けてくるリフィアに、反射的に素で返してしまったアルストロメリアだが、それを気にする余裕はない。
天空から注いでくる聖なる炎の裁きは、リフィアの王位魔法と拮抗していたのも僅かな時間。
戦神の聖炎の威力を減退させることに成功するものの、遂に大地の咆哮を完全に飲み込むと、リフィアとアルストロメリアの二人へと襲いかかった。
肌を焼くほどの超火力。それが二人に届く直前―――。
「―――永久凍土の障壁!!」
アルストロメリアの王位魔法が発動。
無敵を誇る完全完璧な防壁が、二人を包み込む。
それと同時に、ディーティニアの裁きの炎が永久凍土の障壁と激突。
圧倒的な火力と、絶対的な防御がぶつかり合う。
それはまさに伝説に謳われる―――最強の矛と無敵の盾の逸話。
果たしてどちらが勝利するのか。矛盾とも言われるその結果は―――。
あまりにも当然の結果なのだが、あっさりと無敵の矛が勝利する形となった。
眩い光が、視界全てを包み込む。
船着き場の一部を飲み込み焼き焦がした戦神の聖炎は随分と手加減をしていたせいか、十数秒もすると完全にその姿をかき消した。
ただし残されたのは、確かにそこに魔女の裁きがくだされたのだという証明。破壊の跡が数十メートル規模で刻まれている。
ぽっかりとくりぬかれた船着き場。
リフィアとアルストロメリアの姿が見えない。消滅させられたのかと焦った者も居るが、よく目をこらせば二人の姿を認めることが出来た。
すぐ傍の海に土左衛門のようにぷかぷかと浮いていたのだ。
気を失っているのか、身動き一つしない二人を見てディーティニアは、満足気に頷いた。
被害にあったのは二人だけ。
そこは上手く調整していたのだろうか。アルストロメリアからしてみれば、リフィアに巻き込まれる形となったため泣くに泣けない状態だったのだが―――。
「うわ……随分と派手にやったね。アナザーでもこんな大魔法使いいないし」
「全くだ。しかもこれでも全力ではないんだぞ? 下手をしたらシマイともやり合えそうだ」
「これで、全力じゃないの? 出来ればやりあいたくない相手だよ」
戦神の聖炎がもたらす破壊の範囲を見極めたキョウとアールマティは、その被害の一歩外にて平然と立ち尽くしていた。無論、こんな近くにいたらディーティニアの魔法の余波を受けたのだろうが、その熱も威力も彼らの前に張られている薄暗い靄が完全に防いだようだ。蜃気楼と見間違えるような揺らぎが発生しており、その光景は二人を守護しているとも見て取れた。リフィアの金色の魔力とは違った、どこか不吉をはらんだ黒色が見る者の不安をかきたてる。
「いつも思うが、お前の特異能力は便利だな。なぁ、影使い」
「そりゃ、あんたの尖りに尖った能力に比べたら誰だって便利に見えると思うけど。本来のあんたの能力だって万能だったくせに。変に制約をかけたから自業自得だと思うんだけどね、言霊使い」
「まぁ、そうだな。それを言われるとつらい」
パチンっとアールマティが指を鳴らすと、二人の前を覆っていた黒い靄が一瞬で消滅する。
改めて刻まれた破壊の痕を眺める。下手をしなくても死人が出ても可笑しくはないのだが―――幸いなことに被害はリフィアとアルストロメリアだけですんでいる。我を忘れるほど怒っていながら、この程度の威力ならばリフィアが防ぐと信頼していたということなのだろうか。
ハァハァと肩で息をしているディーティニアだったが、自分に視線を向けてきているキョウに気がついたのか、びくんっと身体を震わせる。顔を蒼くさせたとおもいきや、今度は紅潮させ、目まぐるしく変化していく。
気に掛けている異性に下半身……しかも履いてない状態を見られたのだから彼女の反応も当然といえた。
こういう場合は、なんと声をかければいいのか悩むキョウだったが、彼が頭の中でしっかりとした言葉にするよりもはやく、ディーティニアは両手で耳を塞ぎ―――。
「―――キョ、キョウの、ば、馬鹿ものぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!」
恥ずかしさのあまり先ほどと同様に、脱兎の如く逃げ出す獄炎の魔女。
そんな彼女の姿を見送っていたキョウは、何もしてない自分が怒られる理不尽さを感じながらも、追いかけるべきか悩むが―――結局ここにとどまることを選んだ。
今行ったとしても慰める言葉を自分は持たない。時間が解決してくれるだろう。そういった考えで結論づけると、とりあえず海に浮かぶ二人の土左衛門を引き上げにかかった。このまま放置して死なれてはさすがに寝覚めが悪い。
「……幻想大陸にきてから実は俺は結構普通の人間なのでは、と思う時もある」
「ああ、うん。奇遇だね。あたしも時々そう思ってるし」
他の人間が聞けば、それはない。と一喝しそうな台詞を口にする二人。
幸いなことにそれは誰の耳に届くこともなく風に消えていった。
やれやれと頭をかきながら救出を行うキョウは、この船着き場はしばらくの間使用不可能になるな、と他人事のような感想を抱く。
勿論、キョウの予想通り船着き場としての機能がストップすることになり―――この被害をもたらした獄炎の魔女の悪名はさらに轟くことになるのだった。
主人公が最近影が薄い気がしないでもないです