六十章 獄炎の魔女と海獣王2
獄炎の魔女と海獣王。
両者ともに幻想大陸に名を轟かせる怪物同士。
人から恐れられる最古の魔女と海を統べる海獣達の王。
戦えばどちらが勝利するのか判断がつかない二体の化け物が―――数十メートルの間合いを取って向かい合う。
あらゆる存在を圧殺しようと発せられるユルルングルの殺意は尋常ではなく、見物をしているキョウ達でさえも咄嗟に戦闘態勢をとりかけたほどだ。
張り詰める空気。緊張する空間。
王位種の手加減も油断もない重圧を全身に感じながら、ディーティニアは何時の間にか乾いていた唇を舌で舐めて濡らす。
確かに強い。
高位巨人ペルセフォネや不死王ノインテーターなど歯牙にもかけない強者の気配を漂わせていた。
しかし、竜女王テンペスト・テンペシアや悪竜王イグニード・ダッハーカに比べれば格が確かに落ちている。
それに陸獣王セルヴァのように絶対魔法防御もないのだから、属性の相性云々はディーティニアにとっては可愛らしいハンデに思えてしまう。
両手の拳を開閉させ、幾度か繰り返しながら深い呼吸を行っていた。
眼前には威容を誇る海獣王が悠然と佇んでいるが、身体に恐れはない。
四肢は普段通り、ディーティニアの意志に問題なく従っていた。
肺の中に溜まっていた空気を吐き出し、新たに新鮮な空気を取り入れ、口を開く。
「本気で行くぞ、ユルルングル。獄炎の魔女の名を―――冥土の土産に持っていけ」
ユルルングルは、突如感じた煩いほどの警鐘が核に響き渡るのを確認。
生存本能がこれ以上ない危機を伝えてきたことに、躊躇い無く口を開いて透ける様な透明な青の水砲を放つことによって答えとした。
数メートルにも及ぶ巨大な水の塊が、視認も難しい速度でディーティニアに迫る。
そのまま直撃するかと肝を冷やしたナインテールとアトリを裏切り、ディーティニアの身体を守護するように巨大な炎龍が螺旋を描き出現した。
空気を焦がしながら煌く炎の龍は、ディーティニアを圧殺しようと眼前まで迫ってきていた水弾と激突。
拮抗するかと思われたが、終焉の終炎と呼ばれる炎龍は、容易くそれを蒸発させると、右手をユルルングルへと向けたディーティニアに従うように、赤く燃える巨体をうねらせながら宙を馳せる。
二度連続となる理解し難い破壊力の王位魔法に、さしものの海獣王も驚きを隠せずに、蒼い肉体を捻らせた。
だが、速攻となる炎龍に完全には避けきれずに胴体に直撃。抵抗もなくあっさりと突き破りながら水平線の彼方へと飛んでいく。
上半身と下半身が真っ二つに別たれたユルルングルは、頭が白浜に落ちると同時に水となって跡形も無く消え去った。
残された下半身が蠢いたと思った瞬間には―――その場には傷一つない蒼い大蛇の姿が現れている。
僅か一分も経たない時間で、二度も壊されたことに怒りを隠せないのか、巨躯が纏う雰囲気は明らかに変化していた。
ディーティニアの魔法で暖められていた温度が一気に下がり、逆に鳥肌がたつような寒さが周囲一帯を支配する。
ギョロリっと殺意に満ちた冷たい瞳を爛々と輝かせて、大蛇は目の前の脅威を全力で叩き潰すことにもはや躊躇いがあるはずがなかった。
「―――キィィィイイイイイイイイイイ!!」
海獣王の遠吠えが、この場にいる全ての人間に重圧を伴って襲い掛かる。
空から圧し掛かるような圧力に、誰もが膝をつきそうになる感覚に耐えながら―――歯を食いしばっていた。
鼓膜を破らんと響き渡る音波に、反射的に両耳を塞いだ。
眉を顰めてみれば、白浜や海に翳りが見受けられた。
何故、と自問自答するよりも早く、空を見上げる。
すると雲一つない晴天の空だったのが、何時の間にか薄暗い雲で覆われ始めていた。
彼方から次々とやってくる雨雲に疑問を感じるも―――それがユルルングルの仕業ではないと考えるほどディーティニアは眼前の化け物の力を軽く見てはいない。
視界に迸る閃光。
一拍遅れて聞こえる激しい雷の轟音。
やがて、ぽつぽつと降り始める雨。
いや―――ただの雨ではないのは一目見て明らかだ。
通常の雨粒ではなく、それは黒い雨だった。
まるで絵の具の黒色を混ぜたかのような、薄気味悪い色合いをしている。
「天候さえも操る、か。流石は生きた天災と呼ばれし王位種じゃのぅ。勿論、これもただの雨……というわけではなかろう」
身体を汚していく黒雨を忌々しそうに見ていたディーティニアが、ふんっと鼻を鳴らす。
そんな彼女の呟きが聞こえたのか、ユルルングルはシュルシュルと赤い舌を出し入れして笑ったような錯覚を感じた。
まるでそれは言葉を話さない海獣王が、その通りだと嘲笑っている姿にも見える。
最初はパラパラとした雨が大地を汚す程度だったが、階段を昇るように次第に激しさを増していく。
やがて肌を打つほどに強く、土砂降りとなっていた。
黒い雨が視界からユルルングルの巨躯を覆い隠し、聞こえるのは雨が降る音だけとなっている。
その瞬間、ぞわっとディーティニアの背筋を撫で付ける死神の手を感じた。
このままでは死ぬぞ―――冷たい囁きが聞こえた気がするが、唇を噛み締めながら彼女はその場から転がるように右手へと退避した。
迎撃しようとは何故か考えず、逃げ出したことが結果としてディーティニアの命を救う結果となる。
刹那の後。雨音をかきけす轟音が彼女のすぐ後ろで鳴り響いていた。
見れば白浜が大きく抉れ、それが森林の方まで延々と続いているばかりでなく、木々を圧し折る音が連続して続いているところだ。
受身になれば間違いなく敗北すると悟ったディーティニアが体勢を整えるために、ついていた片膝をあげようとするも―――そこで気づく。
自分の身体の重さに、強い違和感を肉体全体が抱いた。
確かに彼女の身体能力はキョウやナインテールに比べれば落ちる。
しかし、ここまで鈍い筈ではない。海獣王と戦っている緊張からかとも考えたが、そうではないことが本人が一番理解していた。
つまり、原因は―――。
「……この、黒い雨じゃな」
天から降り注ぐ黒雨。
ディーティニアが睨んだとおり、彼女の動きが鈍い原因はそれにあった。
陸獣王セルヴァが絶対魔法防御という特異能力を持っていたように、海獣王ユルルングルもまた一つの特異能力をその身に宿している。
蛇神の怒り。
天候をも操るユルルングルの力が入り混じった黒雨は、それを浴びた者の身体能力を低下させる。
それだけではなく、体力さえも徐々にだが削られていく。
しかも、この雨では火属性魔法の威力は減退する。
ディーティニアにとっては、これ以上ないほどに戦い難い特異能力なのは間違いない。
しかし、何故か当の本人は薄い笑みを口元に浮かべて、黒い雨の彼方に薄っすらと輪郭が見える海獣王を見据えたまま―――。
「なるほどのぅ。これは確かに厄介じゃが……奥の手をこうまで早く見せるか。それはつまり、もはやこれより後がないことをお主自身が証明しておるぞ、海獣王ユルルングルよ?」
「―――キュァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
返答は怖気を誘う殺意のみで構成された鋭利な視線と、獣の咆哮。
雨の空間を劈く叫び声に向けて、炎槍の連撃という呟きとともに巨大な槍をかたどった炎刃が切っ先を向ける。
降り注ぐ雨を蒸発させて巨大な的であるユルルングルへと数個の炎槍が放たれた。
炎槍がディーティニアから手放されたと同時に、ゾゾっと嫌な予感に身体を震わせる。
慌ててその場から飛び退くと、巨大な水弾が白浜に突き刺さり小爆発を巻き起こした。
炎の槍は、水弾に容易くかき消されるのが黒い雨で泥のように固まった地面が弾け飛んだ隙間から見える。
ごろごろと硬い砂浜を転がりながら、右手を空に向けて。
「炎天の雨」
空に打ち上げられた炎の雨は、雨雲から降り注ぐ黒い雨に塗りつぶされて奇跡を起こすことなく消えていく。
痛いほどに肌を打つ黒雨に、舌打ちをしながら立ち上がる。
逃げるディーティニアの身体を追いかけていたユルルングルの口蓋に蒼い水が収束していった。
怪物の口から超高圧圧縮された水の閃光が解き放たれ―――それは水砲とは異なり、僅か数センチ程度の厚さしかない。
しかし、逆に言えば水砲をそこまで小さく圧縮したということを意味していた。
高速で解放されたレーザーとでも言うべき、鋼鉄をも容易く切り裂く水の瞬閃がディーティニアへと襲い掛かる。
それこそ瞬きする間も与えない、水色の閃光が獄炎の魔女を貫いた―――と思われた一瞬、鈍っている動きでありながら、寸でのところ回避することに成功していた。
ぶわっと何度目になるかわからない悪寒が背筋を這ったのは仕方の無いこととも言える。
今のはそれこそ零コンマ一秒でも反応が遅れていたら、身体を斜めに両断。もしくは腕一本でも持っていかれたことは想像に難くない。
純粋な戦闘とい行為では、竜女王テンペスト・テンペシア以来となる死を体現した脅威に、ぶるりと恐怖か歓喜かわからない感情が身体全身を粟立たせていた。
ズンっと砂浜に地響きを起こし、ユルルングルの巨躯がうねる。
海中にいるかのように、陸上であるにも関わらず素早い動きでディーティニアへと迫っていく。
大蛇の鼻先に人間大の火球を打ち込みつつ、それに続いて数発の火球を放つも、海獣王にダメージを与えることは出来ていない。
だが、それはあくまでめくらまし。
火球の一つがユルルングルの眼前で炸裂。彼の視界を煙で覆い隠す。
勿論その程度で怯むことがない海獣の王は、煙を突き抜け、敵対している獲物の姿を捉えようとするも、どこにも見当たらない。
僅かに戸惑ったユルルングルの隙をついて、敢えて懐に踏み込んでいたディーティニアの両手が赤く光る。
狂炎の剣という名の巨大な炎剣が、彼女の両手に出現し、振りかざした赤の刃がユルルングルの下顎を真下から貫いた。
そのまま力を込めて振り下ろす。
手応えも無く、大蛇の頭を一直線に上体目掛けて一刀両断。
真っ二つになったユルルングルの横を駆け抜けながら置き土産とばかりに、火球をばら撒く。
派手な爆発を巻き起こして、その蒼い巨体に風穴を開けつつも、少しでも離れようと走るディーティニアが詠唱を紡ぎ始めた。
「其れは勝利の名を冠する者。其れはあらゆる障害を打ち破る者。二対の翼を広げる偉大なる戦神」
「―――!!」
尋常ではない魔法力の高まりに、危険に勘付いたユルルングルは、即座に破壊された肉体の再生を開始させる。
一秒もかからずに修復させた怪物は、先程放ったレーザーと同様のモノを口からディーティニア目掛けて解き放った。
心臓を圧迫するような死への恐怖を感じ取った彼女は、自分の第六感を信じて右へと跳躍する。
その判断によってディーティニアは命を拾うことになったが、水閃は背を向けている彼女の左肩を直撃した。
音も抵抗もなく一直線に放たれたレーザーは、ディーティニアの肉体に風穴を開ける。
パシャっと鮮血が遅れて噴き出す。絶え間なく激痛が彼女の左肩から全身に広がっていく。
だが―――。
「―――灼熱に、輝く星の支配者。十に変化する、地上の王者。金色に染まりし、無限の刃。白く天空を満たす炎を―――掲げん」
魔女は詠唱を途切れさせること無く完了させると、高まった魔法力をその場で解放させた。
パチリっと天に掲げた右手が、白く燃える光を発する。
近づくことを許さない、超高温の輝きが、降り注ぐ黒雨を蒸発させて、大空へと駆け上った。
その白光は、空に到達した途端、爆発を起こす。
神々しい、白夜にも似た白い炎が黒い雨雲に覆われていた空を逆に侵食していく。
渦巻く白炎の大海原が、空を支配する。
雷雲は瞬く間に駆逐され、降り注いでいた黒雨はまるで悪い夢だったかのように霧散した。
ここが昼間の砂漠にいるかと錯覚させるほどの灼熱の熱波をこの場にいる全ての生物に雄弁に伝えてくる。
遠くから見物しているキョウ達でさえも、この突然の変化に唖然としているのは正しい反応とも言えるだろう。
三十メートル超の威容を誇る大蛇が、小柄なエルフを恐れたように後ずさり―――。
「戦神の聖炎」
天に掲げていた右手が振り下ろされる様は、死刑執行を合図する姿にも見えた。
天空に渦巻いていた破滅を漂わせる浄化の輝きが、数百メートル規模で下降を開始する。
逃げ出したユルルングルが辛うじて海に到達したその瞬間。
白浜も海面も白く煌く、白夜の世界へと変貌する。
聖炎に面した海水は、瞬く間に蒸発し、信じがたいことに海が干上がっていく。
超範囲に渡る聖なる炎の裁きから逃れることは不可能なのは一目見て明白で。
回避を諦めたユルルングルは上空へ目掛けて水砲を吐き出すも、所詮は焼け石に水。
威力を弱めることも出来なかった結果、海獣王はディーティニアの超越魔法にあっさりと飲み込まれた。
純粋な破壊の権化と化した巨大すぎる白炎の鉄槌は、爆音さえも衝撃となって大地を圧壊していく。
人の理解を超えた圧倒的な破壊の魔法の威力に、恐れれば良いのか呆れれば良いのか、どんな反応をすればこの場に相応しいのかいまいちわからなかった三人は、とりあえず苦笑をすることにした。
波打っていた海辺を大きくへこませ、海を干上がらせた当の張本人は―――油断することも無く前方の干上がった海を睨みつけたまま佇んでいる。
遥か遠方から干上がった海を再び蒼く埋め尽くそうと海水が押し寄せて来ていた。
ディーティニアの睨んでいた先―――キョウ達がまさかと思う間もなく、ボコリっと干上がっていた海辺の砂が盛り上がる。
そこから出現した小さな蒼い物体が―――。
「―――キィィィィイイイイアアアアアアアア!!」
周囲の空間を軋ませる雄叫びをあげる。
すると、ディーティニアの周辺。いや、黒雨が降った場所全てから、地面を濡らしていた黒雨だけが浮上する。
それらは凄まじい勢いで、蒼い物体に集束していく。
数秒も経たずに、黒く染まった海獣王の巨躯がディーティニアの眼前に現れた。
まるで泥水で形作られたかのような、生理的嫌悪感を思い起こさせる黒い大蛇に、鳥肌が立つ。
あれだけの広範囲の破壊を受けながら無事だった訳は、単純である。
直撃を受ける寸前で、これは危険だと判断したユルルングルは、核を地面深くへと逃がすことによって、何とか消滅だけは免れていたのだ。
完全消滅の危機に瀕した海獣王は、これまで以上の殺意と敵意と憎悪に瞳を濁らせながらも―――後一瞬でも反応が遅ければ、消滅していた事実に若干の恐怖を感じていた。
「―――瞬く星々。終わりにして始まり。始まりにして終わり。原始の時から時間を刻む悠久なる時の流れ。時空を歪めし荒々しき世界の胎動。凝固する天空。凍結する大地」
黒い大蛇へと手をかざし、その前に描かれる巨大な魔方陣。
戦神の聖炎をも超える恐怖の再来に、声なき声をあげながらユルルングルは、ディーティニアに向けて集束された水砲を放つ。
魔女はそれを避ける素振りさえも見せないことに僅かな疑問を感じていた彼の予想を覆し、水弾はディーティニアの小柄な肉体を軽々と圧壊した。
水弾は、そのまま地面に着弾。
巨大なクレーターを造り上げる。砂や土を撒き散らし―――しかし、そこには肉片など一つたりとも見られなかった。
驚愕。それがユルルングルの行動を一手遅らせる。
「三全世界に渡り、万物全てを貫く終光の槍。天地開闢に等しい我が力―――とくとご覧じよ」
獄炎の魔女が朗々と謳う。
それは森羅万象を滅ぼす死神の祝詞。
ユルルングルが慌ててそちらへと視線を向ければ、遠く離れたそこには数十メートルに達してもなお巨大化を続ける炎の玉を創造しているディーティニアの姿があった。
右手をかざしている彼女は、手の至るところに裂傷を負い、額からは珠のような大粒の汗を浮かべている。
白いローブはところどころを赤く染め上げ、超越魔法の二連撃が相当な負担を身体にかけていることは想像に難くない。
「―――!!」
ユルルングルは気づかなかった。
勿論気づかないほうが当然だ。
彼を圧殺した聖炎を放った後に、既にディーティニアは次の一手を打っていたのだから。
幻炎による偽りの姿をこの場に投影させて、彼女はユルルングルの間合いから離れていたのだ。
膨れ上がっていく炎の玉は、もはや小規模な太陽にも見え―――それがあまりにも美しかった。
どこまでも綺麗で、見惚れるほどの輝きを放つ真炎の塊。息を呑むほどに、その炎に魅入られる。
戦神の聖炎を超える魔女の裁きが、百メートル超にまで圧縮され、凝縮されて、一つの破滅そのものとなった。
万物全てを消滅させる灼熱の大破壊が―――今ここに解放の喜びをあげる。
「―――天地終焉」
瞳を焦がすほどに眩い赤光が世界を包む。
地面をも沸騰させ、焼滅させながらユルルングルの巨躯を飲み込まんと炸裂した。
其れは終焉を告げる光。其れは終局へと導く炎。其れは終末を齎す輝き。
王位魔法など歯牙にもかけない超越魔法。
ディーティニアがエレクシルを完全消滅させるために編み出した三つの人の枠組みを完璧に超えた極限の破壊。
空気を喰らい。風を喰らい。マナをも喰らい。
視界全てを埋め尽くす大破壊に我を取り戻したユルルングルは、黒く染まった水弾で迎撃しようとするも、天地終焉とぶつかり合った一瞬で蒸発して消えてゆく。
その時、干上がった海を元に戻そうと押し寄せてきた海水が海獣王の元までようやく到着。
そんな幸運に巨躯を震わせながら、海水を吸い上げてこれまでを遥かに超える水の砲撃を放った。
以前の数倍の威力を秘めたユルルングルの水流の大瀑布と拮抗するのは灼熱の大破壊―――それでも超越魔法を押し止めるには至らない。
第一級危険生物の全力を凌駕した炎光が、海にて無敵を誇る海獣王へと迫り―――。
圧倒的とも絶対的とも言うべき言葉ですら生温い、一万度を超える終焉の切っ先である魔女の裁きはいとも容易く―――足掻いていた海獣王ユルルングルの巨躯全てを飲み込んだ。
炎閃は、直線上の大海原をまるで地割れのように割っていき、水平線の彼方へと消えていきながら、海面を蒸発させる音が鳴り響いていた。
その光景をじっと見つめていたディーティニアは、息を吐き出しながら天を仰ぐ。
「―――感謝するぞ、海獣王。お主のおかげでワシも、一つ壁を越えることが出来た」
既にこの世から跡形一つ残さず消え去った超越種に決して届かない礼を贈る。
天を仰いでいた視線を下げ、地上を見渡す。
世界を紅蓮の色に染め上げていた超越魔法が消え去ってもなお、まだ空間は火傷をするように暑く煮えたぎっていた。
呼吸をすればそれだけで肺が熱で激しく痛むほどだ。
濡れていた砂浜は既に乾いており、足を踏み出せば砂がじゃりっと音をたてた。
王位魔法ならば何発うっても疲労を感じる程度ですむが、超越魔法とディーティニアが呼んでいる魔法だけは彼女の肉体にかける負担が半端ではない。
それこそ一度放つだけで、王位魔法十発にも匹敵するほどの体力と精神力を削られる。
戦神の聖炎と天地終焉の二連撃は、ディーティニアの身体の至るところに裂傷を作る結果となった。
焼け焦げた白いローブの隙間から、痛々しい火傷の痕が幾つも見受けられる。
一番酷いのが右腕だ。白磁のような白い肌が今では、無事な箇所を見付けるほうが難しい。
水閃に貫かれた左肩からは、肉と青白い骨がかすかに見える。
僅かに動く右手をゆっくりと開閉させながら、ディーティニアは満足そうな笑みを口元に浮かべ、ふらりと彼女の身体が傾いた。
疲労が限界に達したのか、ゆっくりと彼女の身体が後ろで倒れ込み―――。
背中に訪れた衝撃は砂浜に倒れ込んだものではなく、ぽすんっと誰かの腕に抱き留められていた。
硬くも、暖かく、そして優しい。
視線を移動させるのも億劫なディーティニアは、自分を抱き留めた相手が誰か確信を得ているのか背後も見ずに、満面の笑みを浮かべた。
「見事だ。よくやったな、ディーテ」
「……当然、じゃ。流石に、無傷というわけにはいかなかったがのぅ」
「十分だ。頑張ったな。立派だったぞ?」
疲労で瞼が重いディーティニアは、自分の頭をくしゃりっと撫でる大きな手の感触に至福を感じながら―――静かに意識を手放した。
意外とあっさりと決着。
海獣王が弱すぎるようにも見えますが、テンペスト達竜王種が飛び抜けて強いだけです。
ついでにディーティニアも桁がちょっと違うのです。




