五十四章 休息
服屋での買い物を終え、大通りへと戻ったキョウとナインテールの二人。
ホクホク顔の色々と際どい衣装の幼女とは対照的に、長身の剣士の顔はいまいち冴えない。
もっとも彼の気持ちを考えれば、確かにそれも理解できよう話だ。
太陽はアトリと別れた時よりは幾分か西に傾いたようではあるが、まだ夕方というには多少早い時間帯である。
ナインテールは、ふりふりと九本見える金色の狐尾を動かしていて、太陽から下へと視線を下ろしそれに気づいたキョウが慌ててパシンっと尻尾を叩く。
「あっ……ごめんごめん」
てへっと可愛らしい表情で謝ると、次の瞬間には九本見えた尻尾が一本に戻る。
どうやら興奮のあまりに幻炎を解いてしまっていた様だ。
この先に不安を感じつつもキョウは、その光景を見られていなかったか周囲に軽く視線を送った。
幸いにも店から出たばかりであり、通りに人も殆どいなかったために誰かに目撃されたということはなく、彼は胸を撫で下ろす。
「本当に気をつけてくれ。九本の尻尾とか、幻獣王の名前そのままなんだからな。流石にそれでお前の正体がばれる……とは考え難いが、気をつけるにこしたことは―――」
キョウの台詞が途中で止まる。
何故ならば、彼の目の前にいた筈のナインテールの姿が何時の間にか消えていたからだ。
気配を探る間もなく、彼女は目と鼻の先の土産物屋らしき店の軒先に並べられている商品に夢中になっているのが見え、頭が痛くなる思いを抱く。
注意をしようとするも、子供のようにはしゃぐナインテールの姿を見て、咽まで出掛かっていた言葉は結局飲み込むことになった。
傍から見ている分には、どう見てもただの子供にしか見えない狐耳の幼女に呆れながらも、その後ろで静かに見守る。
こんな彼女の姿を見て、幻想大陸に五体しかいない魔獣王種の一体だと気づける人間は間違いなくいないだろう、と考えながらナインテールが飽きるまで見守ろうとしていたが―――初めて見るものだらけの彼女が簡単に飽きるわけもなく、碌な店もない田舎町の通りで町が赤く染まるまで時間を消費することとなった。
一通り見回って満足したのか彼女は、かなりの上機嫌でキョウと並んで大通りを軽やかにステップを踏んでいる。
夕陽に視線を一瞬向けると、小腹が空いたキョウはナインテールの手を掴んで通り沿いにあった軽食堂へと足を運ぶ。
店に入るとウェイトレスに手近にあった丸テーブルに二つ設置された椅子へと案内され、メニューを手渡された。
ナインテールは狐耳と尻尾を千切れんばかりに振って期待に胸を膨らませている様子が一目でわかる。
「うわぁ……ここが食事をするところか。どんなのがあるのさぁ?」
「あー。俺は軽くつまめるものを頼もうと思うが、お前はどんなのが食べたい?」
「んー、僕は基本的に食べるという行為をしないからなぁ。どんなの、と言われてもちょっと難しいかも」
「……食べない? どういうことだ?」
「あれ、知らなかった? 僕達王位種―――俗に言う第一級危険生物に限るけどね。その域に達した存在はマナさえあればそれをエネルギーに変換できるから食事という行為が必要ないんだよ」
「そうだったのか……。いや、まて。セルヴァは人間を捕食していたと聞いた気がするが」
「ああ、あいつは例外さぁ。あいつの特異能力覚えているよね?」
「絶対魔法防御だろ。流石に覚えているぞ」
「そのせいでマナを身体の中に取り込めないんだよ。だから生物を捕食してエネルギーを直接体内に取り入れないと駄目だったのさ」
「なるほど。ああ、もう一つ良いか? あいつは、ディーティニア曰く身体強化の魔法を使用したらしいが何故使えたんだ? マナを取り入れることはできないんだろ?」
「うん、それは簡単な理由だよ。人間や生物を捕食していたと言ったよね? そういった相手の体内にあるマナを蓄積していたんだ。だから一度使用すれば再び多くの生物を捕食しないと使用できない、まさにあいつの奥の手だったんだけどねぇ」
丸テーブルに両肘をつき、両手の指を絡ませる。
そこに顎を乗せて、上目遣いでキョウの顔を見上げた。
「剣士殿は誇っていいよ? 陸獣王セルヴァは、王位種の中でも間違いなく上位に位置する生きた天災だったからねぇ。魔獣王種の中でも、陸上であいつに勝てる相手は超獣変化した僕くらいかな」
「む……。なんだ、セルヴァはそんなに強かったのか?」
「当たり前だよ。大陸喰らいの名を冠する暴食の魔獣。体長は二十メートルを容易く超え、絶対魔法防御を誇り、身体能力及び再生能力強化。山をも吹き飛ばす閃光も放つあの怪物が弱いとでも思っていたの?」
「いや、弱いとまでは考えていなかったが……何せ他の王位種を見たことがなかったからな」
「……それもそうか。言われてみればそうだねぇ」
カラカラと小気味の良い笑い声をあげながら、幻獣王は満面の笑顔を浮かべる。
常人ならば彼女の笑顔に少なからず魅了されたであろうが、それに目もくれずメニュー表に目を通しながら、コーヒーとサンドウィッチ。ナインテールの分はホットケーキでいいか、と適当に決めて呼んだウェイトレスに注文を頼んだ。
全く気にも留められていない様子に、ナインテールはぷくぅっと頬を膨らませるも、相手が眉一つ動かさないことに諦めたのか深いため息をついた。
その時、キョウが何かを思い出したのか、ああっと短い声をあげる。
「もう一つ聞かせてくれ。他の王位種についてだ」
「別にいいけど。何が知りたいんだい?」
「出来れば全部―――と言いたいが、海獣王について優先して教えて欲しい。生憎と殆ど情報がなくてな」
「へぇ……。あいつもまた厄介な奴なんだよね。少なくとも水がある場所だったら無敵じゃないかなぁ」
幻獣王ともあろう存在が、無敵という単語を口に出したことに若干の驚きを抱く。
「どういうことだ? 無敵?」
「そ、無敵。最強とか最高とかじゃなくて、無敵って表現がしっくりくるねぇ」
「……どういうことだ?」
「ユルルングルの本体は視認できないような小さな核。その核が周囲の水を取り込んで、海獣王という怪物を形成するのさぁ。だから、あいつの巨体は自由自在。数センチの時もあれば、数十メートルを超える時もある」
「なるほど……お前がユルルングルを無敵と言った訳は―――」
「うん。あいつは例え胴体を真っ二つにされても、首を斬りおとされても、死なない。核から切り離された分は小さくなるけど、周囲に水さえあれば幾らでも回復は可能。そういうことで海獣王は海辺付近にいる限り無敵」
「……それはまた厄介な」
これから戦うことになるであろう相手の能力が判明したのは助かるのだが、それはまた随分とキョウの頭を悩ませる結果となった。
言葉では厄介と言ったが、それで済む問題ではない。
剣一本しか使用しないキョウとは相性が最悪である。いや、元々キョウと相性が良い相手の方が少ないのでこればかりは仕方ない。また、彼の奥の手である必滅呪詛でさえも、恐らく無駄に終わるだろう。真っ二つにしても、横一文字に両断しても―――殺せない相手には意味を為さない。それで運良く核を壊せれば良いが、それを当てにするのはあまりにも危うい。
今回の戦いでは、自分はあまり役に立たないのではないかと、頭が痛い思いである。
「あれ、もしかしてユルルングルと戦う気だった?」
「ああ、一応な。南の方で発見されたという情報を聞いたからな」
「……そうだねぇ。南の方に存在を感じるかな。あまり移動してないみたい」
「む。もしかして海獣王の位置がわかるのか?」
「うん。同じ魔獣王種ならどこらへんにいるかなら、なんとなくねぇ」
「ほー。それは便利だな。案内を頼むか」
「いいけど。ユルルングルとの戦いの時は僕に期待しないようにね」
ナインテールの発言に、キョウは軽く頷く。
同じ魔獣王種に属する間柄なのだから、同士討ちのような真似は出来るだけさせたくはないと考えていたからだ。
「わかっている。お前の手は手は煩わさせんから安心しろ」
「……なんか勘違いしてるかもだから言っておくけど。僕とあいつは属性の関係であまり相性が宜しくないんだよ。あいつは水。僕は火。あいつの十の力を相殺するには僕が五十は出さないと駄目だからさ。僕と獄炎の魔女は戦力外と考えておいた方がいいよ」
「……頭痛が酷くなってきた」
ズキズキと頭を襲う激痛。
第一級に匹敵する怪物三人。
言霊使いキョウ=スメラギ。
獄炎の魔女ディーティニア。
幻獣王ナインテール。
この三人がユルルングルとの戦いでは殆ど役に立たないということになる。
となると自然と残された天雷の魔女アトリが主な主戦力となるのだが―――キョウの正直な考えでいうと、中々に厳しいというのが本音であった。
確かにアトリは強い。幻想大陸で出会った中でも有数の魔法使いだ。
しかし、彼女一人で王位種を相手取れるかといえば、不可能である。
第一級危険生物の壁は、考えている以上に厚い。
どうしたものかと両腕を組んで天井を見上げていると、ようやくウェイトレスが注文した品を持ってきた。
考えるのは後にしようと、サンドウィッチを手にとって口に運ぶ。
一方のナインテールはというと、自分の前に置かれた二枚のホットケーキに目を奪われている。
手元に置かれたナイフとフォークの使い方もわからないのか、疑問符を浮かべていそうな表情で首を捻っていた。
そういえば彼女が食事を普段とらないということを思い出したキョウは、シロップをホットケーキにかけて、ナイフとフォークを両手に持ち、適当な大きさに切り分ける。
その姿を興味深そうに見ていたナインテールだったが、キョウは二枚とも切り分けるとフォークを彼女に手渡そうとしたところ―――。
「あーん」
「……フォークを自分で使え」
「いやいや。僕使い方わかんないしー」
「刺すだけだ。使い方も何も無いぞ?」
「乙女心がわからないなぁ、剣士殿も。じゃあ、ユルルングルの情報料ってことで要求するよぉ」
「……意外と強かな奴だな、お前も」
諦めたキョウは、フォークで切り分けたホットケーキを突き刺すと、待っているナインテールの口の中に結構無理矢理に突っ込んだ。
ぱくりっと音をたててホットケーキを口の中で咀嚼する彼女だったが―――次の瞬間には、ぴしりっと凍ったように固まっていた。
固まること十秒近く。彼女は、ダンっとテーブルを強く叩いて立ち上がる。
「な、なにこれ!? 甘い!? いや、美味い!? でもやっぱり甘い!? よくわかんないけど、よくわかんないよぉ」
「……俺はお前が何を言っているのかわからん」
「僕だってよくわからないさ。こんな、こんな気持ち初めてなんだから!!」
きらきらと瞳を輝かせて、興奮のあまり狐耳と尻尾が九本―――またか、と思いつつ尻尾を指差すも、それに気づく余裕が今のナインテールにあるわけもなく。
「もっと、もっとほしいよぉ。ねぇ、剣士殿ぉ、もっとちょうだい」
テーブルの上にズズッと身を乗り出すような体勢で、上目遣いのナインテールは誘うような色香を振り撒いて、甘い声で囁いてくる。
突然そんな発言を店内に響くような大声をあげれば、注目するのは当然。
まばらとはいえ、店内いた数組の客から視線を向けられ―――とてつもなくきわどい着物を着た幼女が、男に迫っている光景を目の当たりにして固まった。
身長百三十を少々超えた狐耳族の幼女と人間の男。
兄妹かとも疑ったが、それは種族の違いであっさりと予想は崩され。
結果、変な人を見る目で見られてしまうのは仕方のないことだった。
そんな視線がグサグサとキョウに突き刺さるが―――ため息をつくだけで、特に気にしないことにする。
確かに他の人間が見れば、ろくでもない光景にしか見えないが、彼自身特に悪いことをしているわけでもないのだから。
観客を意識の外に追いやると、残ったホットケーキを順にナインテールの口に放り込んでいく。
一口一口をこれ以上ないほどに幸福そうに噛み締めている彼女の姿は、見ているキョウの方が驚かされる。
やはり女性は、甘いものに弱いのだな、と考えながらゴクンっと飲み込んだ音が聞こえるたびにフォークを動かしていった。
キョウは昔をふと思い出す。
確かに、アールマティも甘いもの―――特に東方のお汁粉と呼ばれる甘味を食べる時は幸せそうにしていた。何人前もたいらげていたものだ。
《操血》も実は甘いものがかなり好きだった。滅多に街に立ち寄ることがなかったが、寄った時には必ずといって良いほど甘味を食べていたのだから、嫌いと言うことはないだろう。しかも、甘いものを食べたその日は、余程のことがない限り人を殺すことがなかった。
もっとも親しかった二人を脳裏に描いていたが―――。
「……いや、あいつらを基準にするのはやめよう」
色んな意味で規格外の二人を再び記憶の底に沈めると、目の前のナインテールへと注意を戻した。
羞恥心を感じるが、どうにも自分でやっている行為が、親鳥が雛に餌をやっている行動にしか思えず―――それを考えたらあっという間に恥ずかしく感じていた気持ちが霧散する。
止まることなくホットケーキを食べ続けるナインテールの前では二枚という枚数では圧倒的に足りず、すぐに皿は空となってしまった。
「これでお終いだ」
「ええー。も、もっと食べたいよぉ」
「今日のところはやめておけ。また明日なら馳走してやる」
「む、むぅ。しょうがないなぁ……剣士殿を困らせるのも嫌だし、また明日に楽しみはとっておくよ」
「ああ、そうしてくれたら助かる」
席に戻ったナインテールは味の余韻に浸っているのか、どこか呆けたように宙を見つめていた。
身体中が弛緩していて、だらりっと椅子にもたれかかっている姿が何故か色っぽく見えるが―――そんな彼女の世話がようやく終わったと言わんばかりの態度で、キョウは冷め切ったコーヒーを啜りながらサンドウィッチを片付ける。
窓から外を見れば、夕陽は陰を落とし夜の兆しを見せ始めていた。
外を歩く人の数も随分と減っている。魔法の街灯も心もとなさそうに瞬いていたが、そこに虫が群がりはじめていた。
「……とりあえず一旦宿に帰るか」
「うんうん。そうしよう。ああ、そういえば僕のことは旅の連れには説明したのかな?」
「ああ、了承は得ている。というか、お前ディーテと知り合いだったのか?」
「獄炎の魔女のことなら、うん。僕も幻想大陸がアナザーと別れる前から存在していたしね。アナザーにいた頃に何度か会った事があったよ。僕が住んでいた森の近くに彼女達がいたし」
「通りで。お陰で随分と説得が楽だった。お前なら別に良いとかで、特に説得する必要もなかったしな」
「おー。僕のこと覚えてたんだねぇ」
どこか嬉しそうなナインテールが、口元を緩める。
まさか八百年以上前のことをエルフが覚えていてくれるとは考えても無かったのだろう。
「まぁ、そういうわけだ。とりあえず宿に帰るぞ」
「はいはーい」
席を立ち、代金を済ませようとカウンターに立ち寄り、支払いを済ませる。
軽食屋の建物から出ようとした時、ウェイトレスが何故か駆け寄ってきた。
「お客さんたち旅の人?」
「ん、ああ。北の方から昨日到着したばかりだが」
「あ、それなら、この街の名物教えてあげる」
「名物?」
「そそ。町の外れにね、温泉が湧いてるから。結構評判良いんだよ、そこ」
にこりっと笑ってウェイトレスは、無邪気な爆弾をなげつけてくる。
キョウの背後で、怪しくキラリっと目を光らせた狐耳族がいたことに―――誰一人として気づくものはいなかった。