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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
三部 東大陸編
57/106

五十一章 魔人3

















「むぅ……なんじゃこやつらは」


 廃屋の中にてアトリを看病していたディーティニアは、突如として肌を刺すような怨念を感じて外に出てみれば、見渡す限りが白い怪異で埋め尽くされていた。

 彼女は知らないことだが似た者同士なのかキョウがしたのと同じ様に、クンっと鼻を鳴らしてみるも特に異臭は感じられず、死者の軍勢ではないということを即座に確認。

 ディーティニアからしてみれば、新手の不死王種が敵討ちにでもきたのかと予想していただけに、一番大きな可能性が潰れて眉を顰めた。


 村中を隙間無く覆い隠すような気味の悪い怪物に、警戒を強める。

 得体の知れない相手よりは、正体が判明している敵の方が余程気楽に戦えるからだ。


 白い怪異から感じられる敵意は尋常ではなく、間違いなくディーティニアに対して尋常ならざる殺意を向けている。

 しかしながら、相手の動作は緩慢であり、彼女でも十分に対処できること分析結果を思考が弾き出す。


爆炎の火球(フレイムボール)


 新品の木の杖を白い怪異に向けて、幾つもの火球を放つと、彼らはそれを避けもせずに飲み込まれる。

 地面に火球が着弾すると爆発を巻き起こし、軽く数十を超える敵を呑み込み消えていく。

 衝撃が白い怪物を薙ぎ倒し、彼女の前に大きな空白地帯を作り出すも、残された怪物に怯んだ様子は見られない。

 この様子から明らかに普通ではない相手を再確認し、敵が一体何なのかを見極めようと視線を鋭くするも、如何にディーティニアとて、魔人ムニンとは戦ったこともなく特異能力も知らないのだから判明するはずもなかった。


 考えるのは後でもできるか、と杖を一振り。

 巨大な炎槍が数個出現し、足を止めずに向かってきている怪物達を焼き貫いて蹴散らした。

 そのついでと言わんばかりに、進路の途中にあった廃屋を何個か破壊してしまったが、廃墟となって長いのだから気にする必要もないかと周囲の敵を次々に焼き滅ぼしていく。


 百を超える白い怪異を消滅させるも、その数はまだまだ多い。

 たいした強さもないが、面倒と思いながら杖を残っている敵に向けたその時。


「……ディー、テ」

「む? おお、起きおったか、アトリ。もう少し待っておれ。すぐに終わらせるからのぅ」

「……ん」


 ディーティニアの背後から、意識を取り戻したらしいアトリの声がかかり、眼前の敵を消滅させながら後ろを見ずに答える。もしも背後を振り向いていれば、彼女は気づけたかもしれない。アトリの眼がどこか虚ろであったことに。

 だが、今のディーティニアは白い怪物を相手取るのに集中していてそれどころではなく。

 彼女に短く返答したアトリは、何故か両手に弓を両手で引き絞り。

 狙いは白い怪異―――ではなく、正面のディーティニアに向け。


雷刃の爆砕(サンダーブレイク)


 引き絞った弓に顕現した雷の矢をディーティニアの背中に目掛けて躊躇い無く解き放った。


















 一方廃墟の外の平原にて、相対するのはキョウと魔人ムニン。

 可愛らしい容姿とは裏腹に邪悪さを秘めた笑みを浮かべて、宙に浮かんでいる。

 キョウを囲む敵の数は減る様子を見せず、ノインテーターの時の様に無限を思わせ、平原を白く塗りつぶしていた。


「さぁさぁ、お兄ちゃん。どうするの? ねぇ、どうするの? その子達は全く罪もない、私に記憶を奪われただけの被害者達。何度も何度も死ぬ苦しみを味わって、それでも死ねない哀れな人間。可哀相だと思わない? 酷いと思わない? そんな人間を躊躇い無く殺すなんて、心が痛まない?」


 クスクス、と頭痛を引き起こすような不快な声が夜の平原に響き渡る。

 キョウがどんな行動をするのか、どんな表情をするのか、それが楽しみで仕方ない。

 そんな様子が見て取れるムニンは、宙でくるくると一人でダンスを踊りながら、地面に佇んでいるキョウを見下ろしている。

 そして、パチンっと指を鳴らす。すると行動を止めていた白い怪物達が、歩みを再開させる。彼らが手にもつ剣が、斧が、槍が鈍く輝きキョウへと迫る。

 対して彼は、諦めたようにその場でいっそ優雅と思えるほどに背筋を伸ばして佇んでいたが―――。


 刹那の交錯。

 キョウへと武器を叩き付けて来た怪異達は、男も女も子供もさえも例外なく塵となって消え失せた。

 小狐丸による超速の斬撃。誰もが、それぞれ一太刀で滅ぼされた、一撃必殺。

 彼らがあげる怨嗟の声にも、眉一つ動かさず。例え子供であろうともキョウの太刀には迷いは無かった。


「……え?」


 ムニンが間の抜けた声をあげた。

 彼女は幾つかの予想をしていたが、そのどれとも当てはまらない結果だったからだ。 

 剣を振れなくなる。悔恨を感じつつも敵を斬る。ムニンへと憎悪をぶつけてくる。

 そういった予想とは全く別。躊躇いも無く子供さえも斬ったキョウへ、驚いたように大きく目を見開いて視線を送った。


「俺の前に立つならば、誰であろうとも(・・・・・・・)斬るだけだ。この程度の苦悩、十年以上も昔に通り過ぎた道だぞ」 

 

 言葉に出したとおり、キョウは特に変わった様子は見られない。

 後悔も苦悩も、罪悪感も何もない。敵対しているから斬った。

 彼にとっては目の前の白い怪異を斬るということはそれだけでしかなかった。


 今まで見てきた人間達とは、どこか異なったキョウに薄ら寒い何かを感じながら、ムニンは口元の笑みを消す。


「……なーんだ。つまらないなぁ。これじゃあ、全然楽しめない。もう、いいや」

「ああ、そうだな。俺もお前との戦いは楽しめん。すぐに終わらせよう」


 台詞を全て言い終わるや否や、キョウの右手が霞む。

 隠し持っていた短刀を抜き、宙に浮かぶムニンに向けて投擲する。

 だが、その時ズキリっとキョウの思考に奇妙なノイズが混じった。

 その影響か、外すことがまずない彼の放った短刀は、ムニンに当たることなく彼女の横を通過して消えていく。


「……」

「あはははは。どうしたの、お兄ちゃん? そんな不思議そうな顔をして」


 襲い掛かってくる敵を薙ぎ払いながら、キョウは自分の身体の動きに違和感を覚えた。

 今は普通に動かせているが、短刀を投擲しようとした先程、思考に混じった不協和音。

 気味が悪い得体の知れない感覚を確かめようと、もう一度ムニンに向けて短刀を投げつけようと左手に持った短刀が空に向かって放たれるその瞬間―――再度思考を乱す生理的な嫌悪を感じる雑音。


 キョウの手から放たれた短刀は、やはりムニンに命中することはなく彼方へと飛んでいった。

 感じる頭痛に眉間に皺をよせながら、両手に持った二刀の刃で、周囲の敵を嵐のように巻き込みながら手当たり次第斬殺していき、最後に二刀を一振り。

 無限に等しい敵の中、たった一人で戦場を支配するキョウに、半ば呆れた様子のムニンは肩をすくめた。

 これまで多くの人間や亜人を見てきたが、ここまで馬鹿げた戦闘力を誇る者を見たことがない。

 驚きと賞賛。彼女の瞳には確かにその二つの感情が見受けられた。


「それで、だ。これ(・・)がもう一人(・・・・・)の能力か?」

「……なんのことかな?」

「別にとぼけなくてもいい。先程から上手く隠れているようだが、俺の気配察知範囲内で気づかれないでいられるのは、この世界で一人だけだ。お前以外にもう一人、お前に匹敵する怪物がいるのはわかっている」

「……ふぅん」

「本当は一人か二人か、この街道にいる魔人がどちらか判断に迷っていたところだが、お陰で助かった。二体となれば、考えていた予想が成り立つしな。それにお前の能力が記憶の略奪とわざわざ説明してくれたのは助かった。ならばもう一人の能力も自ずと判明する」

「……」


 口を動かしながらも、近寄ってくる怪異を薙ぎ倒し、躊躇い無く仕留めていく剣士の姿を見ながら―――ムニンの内心がざわついていた。

 

「もう一体は恐らく、思考の操作。もしくはそれに近い能力の筈だ」

「……それは、どうしてかなぁ?」

「簡単なことだ。アトリがかつてお前達と戦ったことを忘れていた。それはお前の記憶の略奪で納得がいく……が、単純に記憶を奪われただけではそれ以外の説明がつかん」


 舞うように白い怪異を断ち切り、一呼吸の間に十を超える敵を切り伏せ。


「あいつは記憶を奪われていたというのに、それを不思議に思っていなかった。それは流石におかしい。幾らなんでも自分の異常に気づくはずだ。ならば何故違和感に気づかなかったのか? それは多分だが、記憶を失っていることをおかしいと思わないように思考を操作されていたからだ」

「……」

「恒久的に思考を操作するのも実際には難しいはずだが、出来るだけ長い間―――そう、お前達の力が回復するまでの期間でも持てばいい。そのために浅く長期間思考操作できるように仕掛けたといったところか。でなくては、俺が二、三質問しただけで容易くアトリにかかっていた能力が解けるとは思えん」

「……ふぅ」

「的中しているとは思えんが、大きく間違ってもいないはず。どうだ?」

  

 ムニンの瞳から驚きと賞賛が消え―――その代わりに現れたのは警戒と殺意。

 もはや彼女には一片の余裕も無く、キョウを排除すべき最悪の敵ということを認めていた。

 天と地で睨みあう二人。そんなキョウの背後から、パチパチと拍手が聞こえ、白い怪異を押し退けて一人の少年が姿を現した。


 ムニンと同程度の年齢の少年。ややくすんだ金の髪に褐色の肌。

 燕尾服で着飾っており、ムニンと並んで立てばどこかの晩餐会にでも出席していておかしくはない組み合わせの少年少女でもあった。

 ただし、感じられるのは魔人ムニンと同程度の威圧感。微笑んではいるが、どこか禍々しい。

 人を人と思っていない、魔族の一体なのだということを自然と意識に植えつけてきている。


「いやいや。うん、凄い。憶測だけでよくそこまで。まぁ、ばれたのはムニンが自分の能力をばらしちゃったせいということもあるけどね」

「……ごめん、フギン。見掛けより頭が働く相手だったみたい」

「うん、それは仕方ない。僕も彼がここまで切れ者だったとは思っていなかったさ」


 そこはかとなく馬鹿にされているような気がしたキョウだったが、そういえば昔はよく似たようなことを言われたことを思い出し、そのおかげか特に彼らの挑発に乗ることも無かった。

 二体の魔人に一刀ずつの切っ先を向けて、油断せず交互に相手の挙動を見逃すまいと視線を送り続ける。


「大体はキミの言うとおりで合っている。うん、腹が立つほどに見事な予想だ。それだけわかっていながら、キミがここにいることが悪手にしかならないということを理解しているかい?」

「……どういうことだ?」


 粘つくような笑みを浮かべて、フギンは大袈裟に両手を広げる。


「思考操作をされている天雷の魔女と何故二人きり(・・・・)にさせたんだい? 僕が彼女を操ることが出来ないとでも思ったのかな」

  

 瞬間。

 遠く離れた廃墟の一画で、落雷と見間違えんばかりの光が迸った。

 眼を焼くような稲光。遅れて聞こえる雷撃音。衝撃で浮かび上がった砂埃。

 そんな魔法の爆撃が、遠目でもわかるほどに廃墟を破壊して―――やがて、光は消え失せた。


「おやおや。どうやらキミのお仲間は塵と消えたようだよ?」


 衝撃が治まった彼方を眼を細めて見ていたフギンは、視線をキョウへと移す。

 一体どんな表情をしているのか。それを脳裏に思い描いた彼は、たまらない快感に胸を躍らせながら―――あまりにも平然としているキョウを見て、呆気にとられる。

 状況をわかっているのか、この男は。そんな考えを抱きながら、ムニンがするように肩をすくめた。


「やれやれ。酷い男だね、キミは。仲間の心配をこれっぽっちもしないなんて」

「仲間の心配?」


 はっとフギンの言葉を鼻で笑ったキョウは、注意を二人の魔人だけに向けてその場から動こうとはしない。


「俺がディーテ(あいつ)の心配をするなんて百年早い。お前達こそ俺の相棒を甘く見すぎているぞ?」

「一体何を―――」


 魔人の台詞を遮る大爆発が巻き起こされる。

 今が昼だと勘違いするほどの灼熱の大業火。夜の闇を逆に侵食し、塗りつぶす煌々と輝く天上の光が瞬いていた。

 廃墟全てを焼き尽くさんばかりに燃え広がった、天雷の魔女の魔力を歯牙にもかけない圧倒的な大魔法力が遠く離れているこの場の三人の肌さえチリチリと焼く。

 廃墟に近かった白い怪異達は魔法の余波だけで、蒸発して消えていった。


 魔人たちでさえ言葉も無く、その場に佇むしかないほどの魔法力に―――恐れ慄く。

 何故ならば今まさに感じているこの魔法の荒波は、彼らが仕えていた東の魔王に確かに比肩していたのだから。

 いや、違う。単純な魔法力という点では、パズズさえも凌駕していた。


「アトリィィイイイイイ!! 痛いじゃろうがぁあああああああああ!!」


 木霊するように遠方から聞こえてきたディーティニアの叫び声に、噴き出しそうになるのを必死に堪えてチャキっと刀を鳴らす。


「で、だ。あちらの心配はいらないというわけだ。後は俺がお前達を倒せば終わりということだな」

「……ほざくなよ、人間」


 自分の企みをあっさりと潰されたフギンの頬が引き攣り、我を取り戻すとキョウから離れるように間合いを取る。

 キョウとの間に白い怪異を挟み、紛れ込む。


「もう、いい。潰すぞ、この人間を。やれ、ムニン」

「うん。すぐに終わらせようか、フギン」


 パチンっと指を鳴らしたムニンに従い、数多の怪異がキョウへの進軍を開始した。

 それらを相手に、相変わらず躊躇いも哀れみも無く剣を振り続ける剣士は、魔人二体の居場所を見失わないように視線を目まぐるしく移動させていく。

 右手の小狐丸が怪異が持つ武器を断ち、ついでと言わんばかりに首を落とす。

 左手のラギールの刀が小柄な少年の怪異を袈裟懸けに切り裂いた。背後に回ってきていた巨体をくるりと回転して横薙ぎで胴体を断ち切る。


 振り下ろしてくる怪異の剣を身体を開いて紙一重で避ける。ミリ単位の横を白剣が通過していき、空気を切る風が身体を撫でた。それに何の感情も感想も持たずに、逆袈裟の一撃が怪異を斜めに両断する。

 左右から襲い掛かってきた敵を、流れるような二刀による逆風で、真っ二つに切り裂いた。


 その瞬間―――白い怪異を潜り抜け、今の今まで宙に浮かんでいたムニンが地を這って駆け抜ける。

 それを見逃すキョウではなく、飛び込んできた彼女の頭目掛けて唐竹に縦一直線。

 

 寸分の狂いもなく、小狐丸がムニンの頭に吸い込まれるように叩き付けられ―――。


 ザザっと思考に混じる不協和音。

 キョウの持つ小狐丸の軌道がぐにゃりと曲がり、ムニンの頭蓋骨を砕き割ることなく地面に傷痕を残すだけに終わった。

 くそっと反射的に毒づいてしまうのは仕方の無いことだ。

 決定打になると思われるときに限って、思考に靄がかかり軌道を逸らされる。

 それは間違いなくフギンの仕業であり、能力の影響であった。

 脳からの指令。四股へと送られる伝令に割り込み強制的に捻じ曲げる。

 それがフギンの思考操作の能力から派生した、特異能力(アビリティ)の一つ。


「―――記憶、貰うよ?」


 にたりっと笑ったムニンの手がキョウの腹部に僅かに触れる。

 そして、一秒にも満たない接触時間が終わると、慌てて魔人はその場から飛び退いた。

 何故なら、その空間にラギールの刀による刺突が繰り出されていたからだ。

 肝を冷やす思いで逃げ延びたムニンだったが―――ぺろりっと舌で唇を舐めとりながらも、キョウを見る眼は残酷細まっている。


「一年分、くらいかな? これだけ記憶を奪う余裕がない相手も初めてだよ」

「油断するなよ、ムニン。その男。こんな近距離からだというのに、思考操作による妨害が殆ど意味を為さない。ふざけてやがるよ、そいつの精神力」


 

 二人は適度な間合いを保ちつつ、キョウの様子を窺っている。

 対してキョウは刀の切っ先を二人に向けつつ、霞がかった思考のまま戦闘態勢だけは崩していない。

 

 ふぅっと短く呼吸を整えるキョウは、今の状況の整理を開始する。

 目の前の二人は敵だ。それは間違いない。周囲の白い怪異も斬滅すべき敵だ。

 だが、何故敵対しているのか思い出せない(・・・・・・)

 いや、今キョウ(自分)が居る場所がどこなのかさえも、思い浮かばないのだ。

 ぽっかりと記憶に穴が空いたような違和感と異質感。


 いや、と首を振る。

 まずは目の前の敵を斬り捨ててから、わからないことを考えるべきだとキョウの思考は結論を出す。


 戦意が微塵も揺らぐことのないキョウの姿を見て、気味が悪いモノを見たかのように、背筋を冷たい悪寒がはしる二人の魔人。

 なんだ、この人間は。頭がいかれているんじゃないのか、と。二人は同時に似たようなことを考えていた。

 一年分とはいえ記憶を奪われたのだ。今何故、ここにいるのか彼自身も忘れてしまっているはずだ。目の前を埋め尽くす異形の光景を見てなお、取り乱さず平常通りを保つなど有り得ない。


「フォローは何時も通り、任せるんだ」

「……うん、任せたよ」


 キョウへと群がる怪異に紛れて、再度ムニンがキョウへと肉薄する。

 記憶を失ってなお、揺らぐことのない意思と刀で、迫り来る敵を斬り殺していたキョウの背後からムニンが飛び出し―――それを見逃す彼ではなく、背後に向けて左下からの切り上げを放つ。

 だが、ズキンっと頭痛が残されて、キョウの刀はムニンに当たることは無く上空へと流された。

 こうまでフギンに妨害されるのも記憶を奪われたことにより、彼の思考操作を忘却してしまったことの弊害である。  

 

 ペタリっとムニンの手が触れるも、それを許したのは一瞬。

 襲い掛かってくる怪異を薙ぎ払い、腰の力だけで撓るような鞭を連想させる回し蹴りが即座に撤退した彼女の鼻先をかすめていく。ハンマーか何かが通り過ぎたような物騒な轟音をたてて目の前を通り過ぎた蹴りに、頬を引き攣らせるムニン。


 自分の中から大切な何かが喪失していく気持ち悪さを感じながら、それでもキョウは平静を保ち続ける。

 迫り来る怪異にも負けず、彼を襲う底知れない喪失感にも負けず―――。


 思考を幾度も繰り返し。腕を動かし。足を動かし。身体中の筋肉を躍動させ。

 目の前の敵を殲滅し続ける剣鬼の姿は、それだけで見ている者の心を凍えさせるには十分だった。


 それでも―――現実は非情。

 ぺたりっとムニンの手が思考操作によって捻じ曲げられたキョウの刀をかいくぐり、彼の肉体に触れ、さらなる記憶を略奪する。

 小柄な肉体が翻り、ムニンはフギンの下まで駆け寄ると、地面を削りながら立ち止まる。

 

 魔人二体は、まさかここまでてこずるとは考えていなかったのか、僅かに息を乱しながら前方に居る剣士の姿を凝視したまま油断なく、すぐにでも動ける体勢を保つ。


「……何年分くらい、奪えたんだい?」

「大体数年分。これまでで一番厄介な相手だよね」


 互いに聞こえる程度の声で囁きあい、これだけ時間をかけてもまだ数年しか奪えていない事実に内心で驚愕し、それでも気を緩めない二人が再度行動を取ろうとしたその時、どこかおかしい違和感に気づく。

 あの剣士が。常に戦意を保ち続けてきた人間が。

 まるで呆けたかのように空を見上げていたのだ。

 隙だらけの彼の姿に、安堵よりも懸念が先に来る。あれだけ記憶を奪われても戦い続けてきた剣士が、そう簡単に諦めるはずがない、と。


 その時―――雨が降った。

 ぽつぽつと音をたてて、黒い雨(・・・)が降り注ぐ。

 魔人二体の背筋が粟立った。全身にどっと冷たい汗が噴き出して服を濡らす。

 空を見上げていたキョウが、静かに視線を下ろしムニンとフギンを視界に入れた。

 彼の瞳に魅入られたかのように、身動き一つ取ることができない。唇が乾き、喉が擦れたかのように呼吸一つするのにも苦労する状態。

 ひぃっとムニンが悲鳴をあげる。今まで感じてきた誰よりも、恐ろしい圧迫感を滲ませて、心臓を鷲掴みにされた幻覚を感じた。

  

 ゆらりっと其れ(・・)の身体が黒く揺らぐ。

 ムニンに忠実で、恐れを知らないはずの白い怪異達でさえも、脅えたように後ずさっていた。

 

 世界が凍る。

 空気が音をあげて軋み音を響かせる。

 ガタガタと身体中が震えるのが二人とも理解できた。

 

 魔人はこれを知っている。この現象を知っている。

 世界の理を捻じ曲げる幻想大陸最強の怪物達が降臨したときに起きる現象だ。


 だが、何故だと二体は脅えながら目の前の人間を穴が開くほど睨みつける。

 この男は確かに人間だ。それなのに、何故こんな現象が起きるというのだろう。


 それともこの人間は―――超越存在に匹敵する気配を纏っているというのか。


 視認できるほどに濃密な、黒い殺意。

 夜の闇よりなお深い、真の漆黒。刀を振った剣の軌跡には、瞬く黒しか残らず。

 人を殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して―――。


 何時しか七つの人災と謳われたキョウ=スメラギ。


 ―――剣魔とも称された彼の最悪期(・・・)の姿がそこにはあった。






















    


「おお、お疲れさん。どうじゃった?」

「……聞かないでくれ」

「む、むぅ?」


 ズーンとこの世の不幸を背負ったような雰囲気のキョウが帰還したのは、ディーティニアがアトリをボコボコにしてから十分程度が経ってからだった。

 そんなキョウの珍しい姿に、獄炎の魔女は気圧されてしまい、言葉に詰まってしまう。


「……くそ。まさか、またあんな無様な姿をさらしてしまうとは」

「よくわからぬが、元気をだすのじゃぞ?」

「……ああ。お前は優しいな、ディーテ。俺には今のお前が天使に見える」

「な、な、な、な、な、何を、何を言いだすのじゃ、お主!? 天使みたいに可憐で可愛いなどと、流石のワシも恥ずかしいぞ……」

「いや、そこまでは言っていない」


 冷静なキョウの突っ込みを全く聞いていないディーティニアは何やら両手で身体を抱きしめて、くねくねとその場で奇妙に踊り始める。

 それを気色悪そうな視線で眺めながら―――ふ、と傍に転がっている黒焦げになっている何か(・・)を見つけた。

 最初それは廃屋が燃え残った残骸かとも思っていたのだが、どこかがおかしい。何かがおかしい。

 

 じっと注視してみて、その正体が判明した。

 頬が自然と引き攣る。ぴくぴくと痙攣した。

 それは当たり前といえば当たり前で―――。


 それ(・・)は、黒焦げになっていた天雷の魔女アトリの姿だったのだから。


「お、おい。大丈夫か、アトリ!? しっかりしろ。おい、大丈夫か!?」

「……ぅぅ」

「アトリ!! おい、アトリ!!」

「……犯人は、ディーティニア……」

「いや、知ってるから!! とにかく、死ぬな!! 気をしっかりと持て!!」

「……がくっ」

「アトリィイイイイイイイイ!!」


 黒焦げになったアトリ。

 気色悪くクネクネとしているディーティニア。

 アトリを胸に抱いて、必死で声をかけているキョウ。

 

 奇妙な三人組みの、そんな光景が忘却の街道で繰り広げられていたことを知る者はいない。  










   

Q. あれ? フギンとムニンは?

A. キョウ=スメラギ ver.剣魔 に惨殺されました。


気づいている人も、気づいていない人もいると思いますが、何話か前に過去編が差し込まれています。過去の話なので読まなくても特に差し支えはありません。

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