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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
三部 東大陸編
53/106

幕間1  九尾の狐と悪竜王と女神様

幕間は主人公は登場しません。


「よし、では始めるぞ。しっかりと話を聞けよ、テンペスト」

「わかっている。宜しく頼む、イグニード」


 北大陸の辺境。

 かつてテンペストの配下によって壊滅された漁村。

 そこには未だ復興しようという兆しは見られず、下位竜種と中位竜種によって荒らされて、荒廃した街並だけがここには残されている。


 そんな漁村に二つの人影があった。

 赤髪の長身の男と翠髪の長身の美女。

 悪竜王イグニード・ダッハーカと竜女王テンペスト・テンペシア。

 

 屋根が吹き飛んではいるが、それ以外は比較的まともな様相を呈している民家の一つに入り台所にて向かい合っていたところだった。

 竜王種という存在でありながら今のイグニードの姿は少々奇妙というほかない。

 

 白いエプロンに同色の三角巾。

 どう考えても似合っていない格好をしたイグニードは、しかしながら特に不機嫌な様子も見られずに堂々と仁王立ちをしている。

 対してテンペストもイグニードと同じ格好だ。彼女の場合は元が良いため、大した違和感も感じさせない。


「俺たちは特に食事をする必要はないから軽く見がちなんだが、人間はそうはいかん。食べなければ生きていけない。つまりだ、食事というものは人間にとって重要な行為にあたるわけだ」

「うむ。それを聞いたとき信じられなかったが、そなたが言うのならば間違いはないだろう」

「おうよ。かくいう俺も一万年前までは特に気にしていなかったんだがな、スラエの野郎と意気投合したときに飲んだ酒は美味かった……その後酔っ払った所を封印されたんだけどな」 

「……そ、そうか」


 かつての仇敵のことを思い出してズンっと急激に肩を落として落ち込み始めたイグニードに、テンペストはかける言葉が思いつかない。

 しかし、流石は悪竜王。即座に立ち直ると、テーブルの上に並べてある野菜を指差した。


「まずは異性を虜にするためには、胃袋を捕まえてしまえば良いってわけだ。料理ができる女ってのはポイントが高いんだぜ?」

「そ、そうなのか……。人間というのは奥が深いのだな」

「おうよ。料理一つとっても奴らの可能性は無限大だ。ってわけで、まずは野菜を洗うぞ」

「そのまま使うのは駄目なのか?」

「表面の汚れやら雑菌やらを洗い流さないと駄目なんだよ。そのまま料理してもいいけど、ばれたら間違いなく評価はマイナスになっちまうぞ」

「よし、やろう!! 今すぐやろう!!」


 突如やる気になったテンペストがトマトやらキャベツやら様々な種類のそれらを手にとって、洗い始めようとするが―――隣にある瓶から水を掬ってかけながら野菜を洗った途端、トマトはグチャっとあっさりと潰れる。

 両手を真っ赤に染めたテンペストが呆然としていたが、我を取り戻しキャベツに挑戦するも、それもまた軽がると砕き割ってしまう。


 愕然と粉々になった野菜の残骸を眺めていたテンペストだったが。


「……なんと、手強いモノたちだ」

「いや、全然手強くねーし。お前さんはもっと力を調整するべきだ」


 額に手を置いて呆れたように天を仰ぐイグニードは、まさか野菜を洗う程度のことで見本をみせることになるとは思ってもいなかったが、仕方なしと考えを改めてまずは洗い方から指導することになった。

 だが、それからも手にもつ野菜は全てが塵芥に消えていく。

 大量に用意してあった野菜は、イグニードが洗った物以外はこの場に残らなかったという事実に、ため息をつきたくなってしまった。


「ど、どうするのだ、イグニード? 材料がなくなってしまったぞ?」

「正確にはお前がなくしたんだけどな。まー、安心しろ。こんなこともあろうかと予備である程度用意していたからな」

「おお、やるではないか。流石はイグニードだ」


 眼も当てられない惨状になっている台所を掃除しながら、イグニードはテンペストに料理を教えることの難しさを再認識し始める。

 元々竜族は食事を取る必要はない。と言っても、それは王位種に限るが。

 世界の理も捻じ曲げる域に達した彼らは、生きるために食べ物を摂取する必要がないのだ。

 しかし、一応は味覚や嗅覚といった五感はあるため食べること自体は可能となっている。

 体内に取り入れたモノは、完全に分解され純粋なエネルギーとなって吸収されていく。

 つまり、竜王種は幾ら食事を取ったとしても太ることもなければ排泄することもないというわけだ。

 そんな彼らが料理などというものに興味を持つ筈もない。

  

 掃除が完了し、隣の部屋に置いておいた箱に入った野菜を台所へと運んでくる。

 一つ、二つ、三つ……テーブルを占領する大量の野菜。

 それを見たテンペストが眼を輝かせた。


「これだけあれば、幾らでも失敗できるな」

「いや、野菜の洗い方の時点で失敗すんのはお前くらいだ」


 イグニードの冷静な発言も耳に入っていないようで、テンペストは猛然と野菜を洗い始めた。

 最初は再び握りつぶしてしまうことも多かったが、徐々にコツを掴んできたのか無事に生き残る野菜も出てきて、なんとか最初の段階をクリアーできたことに内心で胸を撫で下ろす。


「んじゃ、次は野菜を切るぞ。俺の動作をちゃんと見ておけよ?」

「任せるが良い。決して一動作も見逃さぬようにしておこう」

「……威勢だけはいいんだがな」


 大量にある野菜の中に手を突っ込んで適当に掴む。

 手の中に入ったのはじゃが芋で、丁度いいものがきたと考えたイグニードはキッチンナイフをじゃが芋にあてる。

 形に沿って、じゃが芋を動かしていくと見る見るうちに皮が剥かれていき、芋が白く変化していく。

 テンペストからしてみればまるで魔法のような悪竜王の手捌きに、おおっと驚きの声があがった。

 皮は切れることなく最後まで繋がっており、中々のナイフ捌きなのだが―――仮にも王位種である彼が何故ここまで手際がいいのかは謎である。

 じゃが芋をテンペストに放り投げると、彼女のそれを受け取りマジマジと見つめた。

  

「ま、そんなかんじだ。お前さんもやってみな。刃物で手を切らないように―――いや、ナイフの方が折れるか。とにかく気をつけろよ」 

「どれどれ」


 テンペストはやる気だけは十分で、皮が剥かれていないじゃが芋を取り出すとナイフの刃を皮にあてそのまま半分に叩き切った。

 ナイフはじゃが芋を支えていた彼女の左の手の平に突き刺さるも―――ペキンっと気の抜けた音を残して刃の半ばから宙に舞う。その刃はクルクルと回りながらイグニードの額に直撃した。


「意外と脆いものなんだな……このキッチンナイフというものは」

「……あー、そうだな」


 イグニードの額に直撃したナイフは、どろりっと水飴のように溶けて、床に落ちている。

 それを眺めながら、彼はテンペストに果たして料理を教えることができるのか、不安が襲ってくるのだった。

 その後、皮を剥くものの皮についている身のほうが多かったり、ごてごての四角形になったりと色々な状態の皮むきが続き―――。


 二時間以上もかけてようやく料理ができあがった。

 料理といっても最早難しいことは不可能だと考えたイグニードは、フライパンで野菜を軽く炒めるだけの品に決定。

 必死になって調理をするテンペストを微笑ましく思いながら、味付けは自分でするように指示をだし、台所の横の部屋のソファーに座りながら休憩を取る。

 

 近年稀に見るなかなかの大仕事となった調理実習が終わったことに安堵して、一息ついていたところ気になっていた外から中を窺っている気配が一つあることに気づく。

 

「……つーか、入って来いよ。ヴァジュラ」

「―――っ!!」


 ビクっと気配が胎動する。

 気配を消していたのだろうが、生憎とイグニードに通じるレベルではなく、彼からしてみれば丸わかりだ。

 外でどうするか迷っていたようだが、意を決したのか入り口のドアを破壊して一人の金髪の優男が家の中へと入ってきた。


「き、奇遇じゃないか。なぁ、イグニード。こんなところでどうしたんだい?」

「……ここで奇遇で済まそうと思ってるお前が本気ですげーわ」

「し、失敬な!! 俺は―――」

「はいはい。もう面倒くせーからそこに座ってろ。もうすぐテンペストの手料理が出てくるんだからよ」

「くっ……」


 言い返せないことに悔しそうにするものの、テンペストの手料理と聞いて、彼の背中にある翼がこれ以上ないほどにバッサバッサとはためいていた。

 あまりのわかりやすさに呆れつつ、二人で竜女王の料理が出てくるまで待っていると、おおよそ十分ほど経ってようやくテンペストが台所から姿を現した。


「む……なんだ、ヴァジュラ。そなたも来ていたのか?」

「あ、ああ。イグニードに誘われてね!!」


 俺関係ねーし、と内心で思っていたイグニードだったが、テンペストが手に持っている皿を見て固まった。

 皿の上に乗っているモノはどう考えても彼が知る野菜炒めという代物ではない。

 黒炭のようにどす黒く固まってしまった、何か(・・)。そう表現するしかない得体の知れないモノが乗っていたのだ。

 悪竜王として、長きに渡る年月を生きてきた彼は、瞬時の判断に迫られていた。


 一体どうするべきか。

 逃げるか。戦うか。


 迷いは一瞬。イグニードは即座に自分の選択肢を選び取る。


 ―――悪竜王の辞書に逃げる(・・・)という文字はない。 


「ああ、俺ちょっと用事あったんだわ。知り合いに会いに東大陸に行って来るから、テンペストの料理はお前が食って良いぞ。良かったな、ヴァジュラ」


 しかしながら、戦略的撤退はまた別の話である。

 ぽんっと優しくヴァジュラの肩に手を置いて、良い笑顔を残してイグニードが翼をはためかせて上空へと飛翔する。


「え? ちょ、ちょっとまってく―――」


 戸惑っているヴァジュラを置き去りに、イグニードの姿は幻のように消え失せていた。

 竜王種の中でも最速のスピードを誇る彼は、瞬く間に二人の知覚範囲を超えて戦略的撤退を成功させる。

   

「さぁ、遠慮しないで一杯食べてくれ」

「……あ、ああ」


 諦めたヴァジュラが箸で黒炭らしき物体を摘むと、ゴリっと強烈に硬い音を鳴らす。

 匂いもまた凄まじい。どうしたものかと迷っている彼は、期待の眼差しを向けているテンペストを裏切れず、思い切って口の中へと運んだ。

 ぶわっと口内に広がる異臭と凶悪な苦味。

 幾ら体内に取り込んだものはエネルギーに転換できる竜王種といえど、しっかりと味覚はあるわけで―――。

 

 涙を我慢しながら必死になってバリバリと咀嚼するヴァジュラの姿がそこにはあった。



 

  






















 東大陸には迷宮の森と呼ばれる場所がある。

 大陸のやや南西に広がっている巨大な大森林。数十キロに渡って大地を埋め尽くす樹海。

 そこは浅い場所ならば大した心配もないが、奥に行くに従って複雑な道筋になり、熟練の探求者でも二度と出てこれなくなるという。

 ただし、樹海の中央にまで辿り着けば、手付かずの古代の遺跡が残されているという。

 その代わり、この森には王位種である幻獣王が住んでいるため、そこまで辿り着いても生きては帰れないと専らの評判だ。


 その迷宮の森を駆ける一人の金髪の幼女。

 彼女の速度は尋常ではなく、地面を一度蹴りつけるたびに十メートル近くの距離を滑空する勢いで疾駆している。

 巨大な木々ばかりで、視界も足場も悪い。

 しかし、そんな場所を幼女は躊躇いなく走り抜けていく。

 前に邪魔な木があれば避けるのではなく、手をかざして焼き払っているのが異常ともいえた。


 幼女―――ナインテールが駆け抜けた背後で、見えない衝撃波が渦巻いて周囲にある木々を薙ぎ倒し、大岩を爆砕し、更地へと変える。

 上空から見ればはっきりとわかるが、樹海の中に百メートル以上に渡るぽっかりとした大穴が作り出されていた。

 それも一つや二つではなく、既に十を超える数の大破壊の跡が樹海に刻まれてある。

      

 超速度で疾走するナインテールを、ある程度の距離を保って追跡するのは女神エレクシルだ。

 必死なナインテールとは異なり、女神は、まるで散歩をするかのような足取りで逃げる獲物を追いかける。

 そして、女神が軽く手を振れば彼女の視線の先にある空間が歪み、軋み音をあげ圧壊されていく。

 数十メートルはある大木が、巨大な岩が、何の抵抗もできずに粉微塵になる様は、逃げるナインテールの背中に冷や汗を流させるには十分すぎる神の御技だ。


「さぁさぁ。はやく逃げないとペシャンコになっちゃうよ?」


 爆砕が続く轟音の中でも耳に届く女神の声。

 これではまるで狐狩りにでもあっているようだと自嘲気味に口元が歪むも、彼女とてそう簡単に諦めるつもりもない。

 背後で十何回目になるかわからない空間圧縮が、様々な自然物を飲み込み粉砕していく中で、女神に向かって両手を向ける。ぞわりっと立ち昇るナインテールの気配。それに僅かばかり足を止めるエレクシル。


九尾の妖炎(ナインフレイム)!!」


 九つの金色の狐尾が、ぴしりっと真っ直ぐに天に立ち上がりそれぞれから放たれる数十メートル級の爆炎の火球。

 邪魔するものが何もない、開けた空間を渡り九つの炎弾が女神の姿を飲み込んだ。大地にぶつかった拍子に爆発し、爆炎と爆煙を生み出す。

 しかし、エレクシルは特に意に介することもなく、平然と煙の中から歩みだしてきた。

 直撃したというのにダメージがまるで見られないことに、舌打ちをしたくなる絶望を感じながらナインテールは女神から一歩でも遠くに逃げ延びようと行動を再開させる。 

 

 逃げる。逃げる。

 ナインテールはひたすらに逃亡を続ける。

 逃げたところで決して助からないのは承知の上だ。

 女神から逃れられるとは微塵も考えていない。

 もしも、もう少し前の自分だったならば死の運命を受け入れただろう。

 だが、今のナインテールは何故か死ぬことを受け入れることが出来なかった。

 理由を考えるもよくわからないというのが現状だ。ただ、彼女が存在してから初めて面白い(・・・)と思わせてくれた男の姿が脳裏に嫌というほどちらついてくる。それが頭に思い浮かぶたびに心と身体が死ぬということを拒否していた。


 その時ゾクっと背筋を這う悪寒。

 地面についていた脚の筋肉を全力で爆発させる。蹴りつけると十メートル以上もの跳躍を可能として空高く飛び上がる。

 刹那の差で、大地を走り抜けていく鎌鼬。地面を抉り、木々を切り裂き、まるでバターのように容易くバラバラにしていった光景が眼下には広がっていた。

 切られた木々がグラリっと崩れ落ちそうになったのを見て、空中でそれに足をつけて蹴りつける。

 ドンっと激しい蹴り音が鳴り響き、ナインテールの姿がさらに空高く遠方へと消えていく。


 予想よりも生き延びられていることに若干の驚きを感じながら、エレクシルは散歩するように豆粒のように小さくなった標的の追跡を再開させた。

 トーン、トーン。そんな軽い足音で森の中を歩いて行く女神は、邪魔になる前方の木々を手を振るだけで構成され解放される不可視の圧力で破壊しながら突き進む。


 迷宮の森を更地に変えていく女神の行進。

 その追跡から全速で逃走したナインテールが遂に迷宮の森から脱出し、見渡す限りの荒野が続く平地へと辿り着く。

 姿が丸見えとなってしまうが、今は兎に角ここから逃げ出さないといけない。

 せめて人間の街にでも紛れ込めば、迂闊にエレクシルも手が出せなくなるのではないかと淡い期待を抱きながら―――地面を蹴りつけようとした瞬間、ナインテールの動きが止まった。


「あまり時間をかけさせないでくれよ? ボクはこう見えても忙しい身なんだから」

「―――くっ」


 何時の間にかナインテールの背後に姿を現していた女神の囁きが耳を打つ。

 ぞぞっと全身に鳥肌が立ち、悲鳴を噛み殺しながらその場から大きく跳び下がった。

  

妖狐の爆撃(フォックスボム)!!」


 カチっと何かのスイッチが鳴った。

 エレクシルの足元から凶悪な爆発が巻き起こる。

 とてつもない衝撃と熱量がともなって、術者のナインテール自体も吹き飛ばされそうになるのを堪えながら、黒い煙幕をあげる眼前を見つめる。


「けほっ……煙たいな、全く」


 黒い煙の中から咳をしながら歩き出してくる女神には、まだまだ余裕が見受けられる。

 ナインテールの攻撃を二度もまともにくらいながらエレクシルの姿は、漆黒の巫女装束が多少焼け焦げている被害状況なのが非常に憎らしい。


 ―――いや、待て。何かがおかしい? 


 女神の姿に違和感を持つ。

 改めてじっくりとエレクシルの姿を見てようやく気づく。

 彼女の巫女装束が焼け焦げている(・・・・・・・)ことに。

  

 エレクシルの肉体のみならず衣服もまた―――彼女の魔力。いや、神力とでもいうべきエネルギーによって構成されている。つまり、エレクシルの衣服を焼き焦がすということは、彼女に多少なりともダメージを通すことができたということだ。

 それがおかしい(・・・・)

 女神の力は絶大だ。如何に直撃を受けようとも、ナインテールの攻撃でこうまで容易くエレクシルの防御を突破できるはずがない。

 疑心暗鬼に落ち入りそうだった幻獣王の視線を追って、自分の巫女装束の様子に気がついたエレクシルは、ああっとなんでもないようにポンっと手を打ちながら声をあげる。


「どうやらボクの想像よりも随分と力が落ちているみたいだね。そんな怖い顔しなくても、キミには朗報だよ? ここにいるボクは只の思念体みたいなものなんだ。本体は今外界(アナザー)で人を五人(・・)ほど探している最中で手が離せなくてさ」  

 

 やれやれとエレクシルが呟きながら焼け焦げている巫女装束を手で擦った瞬間―――新品同然の状態に戻っていた。


「ボクは意思を持った人形。本来の力の精々が十分の一程度の力しか持ってはいない。つまりは―――」


 女神は挑戦的に上から目線で幻獣王と呼ばれる超越種を見下ろして。


「―――頑張れば、キミでもボクを殺せるかもしれないよ?」


 言葉に出したそれは、とてつもなく軽く聞こえる。

 だが、実際にはナインテールの身体の動きを縛るほどに重く圧し掛かってきていた。

 如何に神の力を宿した人形といえど、それはつまり神の領域の片鱗を行使できるほどの存在というわけで―――。


「……可能性は、見えてきたということかなぁ」


 ふぅーっと深い深い呼吸をするナインテールは、一度眼を閉じる。

 何度も何度も深呼吸を繰り返し、数百年ぶりとなる幻獣王の本気(・・)を出すことを決断した。

 これまで彼女は片目をラグムシュエナの一族に分け与えていたため、本来の力の半分も出すことができなかったが、生憎と今の彼女は瞳を取り戻し、超越種としての力を十全に使用可能な状態となっている。

 だが此方と彼方の差は絶望的だ。例え女神の力が本来の十分の一であっても、ナインテールの全力を出したとしてもエレクシルに及ばないのは判りきっている。

 しかし、万が一でもいい。可能性が億に一つでもあるのならば、それにかける。 

 ナインテールの金色の瞳が獣のように縦に裂け―――周囲の空気を震動させた。


「―――超獣変化(メタモルフォーゼ)

「……へぇ」


 ミシリっとナインテールの両足が踏み締めている大地が悲鳴をあげるように罅割れた。

 彼女が放つ絶大な気配が地上を揺り動かす。細かい地震が断続的に起こり。


 ナインテールの幼い肉体が金色に輝くその瞬間―――それよりも僅かに速く赤い弾丸が彼女の横を通り過ぎた。

 幻獣王でも、女神でも視認が難しかった赤い弾丸の放った拳が、エレクシルの腹部を捉え―――彼女の肉体を数百メートルも後方に吹き飛ばす。 

 地面に何度も叩きつけられながら砂埃をあげて、迷宮の森の木々を薙ぎ倒して遥か彼方まで飛んでいき見えなくなった。 

 ガガっと足で大地を削りながら足を止めた、一人の人間。

 いや、悪竜王イグニードは自分が殴り飛ばした相手が飛ばされた方角を見ながら―――。


「かっかっかっか。面白いことしてるじゃねぇか。俺もまぜてくれよ」


 神様を殴り飛ばしながら、彼は何時ものように楽しそうに笑いながらナインテールに話しかけてきた。

 久々というか、幻想大陸に閉じ込められた当初以来となる旧友との再会なのだが、そこまで気楽に挨拶できるほどナインテールは現在の状況を楽観視していられない。


「……久しぶり、イグニード。どうしてここに?」

「お前さんに会いにきたんだよ。観光でくるわけねーだろ」

「いや、それはそうだけど……」

「まさか女神とやりあってるとは思っていなかったがな。まぁ、よくわからん状況だが……おかげでこっちに引き込みやすくなったか」

「……また何か面倒なこと考えてそうだねぇ」

「おうおう。すっげー面倒なこと考えてるぜ」


 かっかっか、と悪びれもせずにナインテールの発言を肯定する。

 相変わらずな旧友の姿に、エレクシル以上に厄介なことになりそうだと彼女の尻尾がへなへなと力をなくして垂れ下がった。


「んじゃ、お前。もう行って良いぞ」

「いや、僕も一緒に戦うけど……」

「本来の力が戻ってるみたいだが、まだ身体に馴染んでないようだしな。言ってしまえば邪魔だ、お前さん」

「なに、それ。酷い侮辱だ……と言いたいけど的を射ているだけあって反論できないなぁ。今回の所はお言葉に甘えさせて貰おうかな」

「おうおう。まぁ、また会いに行くからそん時に頼み事聞いてくれよ?」

「……出来る範囲ならね。ああ、僕は暫く人間と一緒に行動していると思うから会いにくる時は注意してほしいな。多分、キミの正体くらい見破りそうだし」


 ナインテールが人間と行動をともにすると聞いて、意外そうにイグニードの眉があがった。

 それもそのはず。確かにナインテールは王位種としてはかなり人間贔屓の節があり、自分から敵対するような行動を取ることはない。

 だが、それとこれとは話が別だ。

 仮にも幻獣王ともあろう超越種が一緒に人間と旅をするとはどういった了見なのだろうか。


「ああ、うん。凄い面白そうな人間を見つけてさぁ。なんと不死王ノインテーターを一対一で倒しちゃったんだよ、凄いでしょう?」

「……おいおい、不死王を? そいつは驚きだ―――といいたいが、俺はセルヴァを倒した人間を知ってるからな。残念ながらそこまで驚かんぜ」

「あ、それ同一人物だから」

「マジかよ!?」

「驚いてるし。ああ、なにさ? キミもキョウのことを知ってるの?」

「あー、まぁ、一応な」


 ガシガシと頭をかくイグニードだったが、彼の優れた聴覚が数百メートル前方でガラリっと瓦礫を押し退けて誰かが立ち上がる音を聞き取る。

 あまり時間がないことを確信したイグニードは、しっしとナインテールを追い払う動作をしながら前へと足を踏み出す。


「ああ、そうだ。お前さんに頼みたいことがもう一つ出来た」

「うん? はやく僕は逃げたいんだけど……」

「いや、まぁ、あのよ。多分キョウ=スメラギってやつの俺たち竜王種への印象が最悪に近いと思うから、それとなくイグニードさん凄くいい人。イグニードさん凄く優しい。イグニードさんかなり格好いいとか一日一回でいいから言っておいてくれ」

「……いや、ふつーに嫌なんだけど」

「頼むわ。多分近いうちにあいつの力借りることになると思うんだよなー」

「……一週間に一回くらいなら言っといてあげる」

「おし、頼む」


 親指をたててグっとジェスチャーしてきたイグニードに、何度目になるかのため息をついてナインテールはその場から姿を消した。

 残されたイグニードは首を回しながら、コキコキと音を鳴らす。

 ナインテールと話していた時のような気楽な表情は消え、同じ竜王種ですら滅多に見ることのない―――まるで肉食獣をイメージさせる獰猛な顔つきで、犬歯を剥き出しにして前方からゆっくりと歩いてくるエレクシルを睨み付けていた。


「いきなり殴りつけるとか酷いじゃないか、イグニード」

「かっかっか。全く効いてないのに、酷いも何もないと思うぜ?」


 イグニードの言葉を肯定するように、女神の肉体は全く傷というものが見られない、

 全力の一撃を叩き込んだ割には平然としている女神の頑強さに呆れつつ、その場で軽く足を開いて仁王立ちしたままだ。

 十数メートルの距離を取って向かい合う二人はどちらも笑顔ではあるが、不思議とそれは狂暴な威圧感を感じさせてくる。イグニードはともかく、エレクシルにしては油断が微塵も感じられないのがおかしいと感じる者もいるはずだ。

 幻想大陸含むアナザーにおいて唯一神と認められている彼女が―――竜王種といえど、油断もせずに相対しているのだから。ナインテールの時とは明らかに雰囲気が違っている。


「そういえば、最近やけに活発に動いていると思ったけど、どれだけ(・・・・)取り込めたんだい?」 

「……わかって聞いてるんじゃねーのか?」

「あっはっは。そうだねぇ。魔獣王種は基本的に本能のままに生きてるし、魔王なんかは手を取りあうような精神構造をしてないし。キミの考えに賛同するような相手はいないだろう?」

「あー、頭がいてぇ話だわ」


 言葉は参っているように聞こえるが、イグニードの顔からはそのような様子は全く見られない。

 やや前傾姿勢となり、両手を広げそれぞれの指をゴキゴキと鳴らした。 

 両者ともが口元を愉悦と喜悦で歪ませて―――。


「まぁ、楽しみにしているよ。キミの目的。キミの願い。ボクを殺すこと(・・・・・・・)。実はかなり楽しみにしているんだよ」

「ああ、楽しみにしておけよ。悪竜王イグニード・ダッハーカが、てめぇをぶち殺す」


 パチリっとエレクシルの身体から迸る白色の神気。

 ゾワリっとイグニードの身体から燃え上がる黒色の悪炎。

 

 王位種の域を容易く超えた、怪物の中の怪物。

 幻想大陸最強。悪竜王は、女神エレクシルの威圧感とも拮抗していた。


 地面が爆発。

 イグニードが残像も残さない超速度で、エレクシルへと牙を剥く。

 その速度を見極めたエレクシルが両手(・・)を真っ直ぐと迫り来る悪竜王へかざし―――。


「―――潰えよ(・・・)


 天から降り注ぐ超圧縮された白光。

 目の前の光景は一言で言うならば神の裁き。

 地上を浄化する神罰の輝きだった。

 眼にする範囲全てが不可視の圧力で覆い尽くされ、亜音速で押し寄せる。

 空に浮かぶ全ての雲が一瞬で消失。世界を射抜く圧力が、一秒もせずにイグニードの頭上に打ち下ろされた。

 

 例え十分の一しか力を出せない人形であろうとも、彼女の力は絶大。

 王位種を容易く滅ぼす神の審判。それがまともにイグニードへ降り注いだ。

 大地を超範囲に渡って大きくへこませた不可視の奔流。

 だが、そこに浮かぶ一つの影。


十六の災難(ディザスター)


 イグニードが纏うのは黒い悪炎。

 あらゆる光を、熱を、水を、風を、土を、雷を―――闇を。

 世界を喰らい滅ぼす極限の到達域。

 ミシリっと握り締めた拳が音を響かせ。

 漆黒の炎を宿らせた右腕が女神の防御結界と激突。

 キィっと結界が軋みをあげるものの―――拮抗は一瞬で瓦解。


 見事、と女神の呟きが世界に轟き。


「―――破滅の時間だ」


 神罰と神域を潜り抜け―――悪竜王は獰猛に笑った。







    

   

 









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