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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
三部 東大陸編
52/106

過去話3 言霊使いと影使い3








 季節は冬に差し掛かる今日この頃。

 冬の空は透き通るような一面が星空だ。


 暗殺騒ぎがあってから三日目の夜。

 和陽と敵対している隣国は、狙われているとわかっていながら計画通りに同都市にて夜会が開かれることとなった。

 この夜会は戦争で疲弊している仕官を慰労するためと大々的に発表していたため、今更中止には出来なかったのだ。ここで中止にしてしまえば、将軍が命惜しさに暗殺者に屈したと噂話の一つでも流されてしまう。

 そのような士気を下げるような真似をするわけにもいかない。


 夜会が開かれているのは都市の丁度中心。

 他の建物とは明らかに異なる大邸宅。天井が異常に高く、左右の壁には綺麗な窓硝子がはめられている。二階に位置するこの大広間は、数百名を迎え入れることが出来るほどに大きな造りとなっていた。石床に敷かれる豪華な刺繍がほどこされた赤絨毯。

 ホールの中心は後のダンスの余興のために大きく空けられており、それ以外の場所には白いテーブルクロスがかけられた丸テーブルが数え切れないほど置かれている。

 そのテーブルの上には皿に盛られた料理や飲み物が幾つも見受けられた。

 賓客には定められた席はなく、それぞれが立席という形でおもいおもいに食事を取ったり、談笑をしている。


 男性は燕尾服が多く、女性は自慢のドレスで着飾り、歓談の中で各自の服装を褒めあっていた―――例えそれが心のこもっていない賞賛であったとしても眉一つ動かさず会話を続ける辺り、立派なものだ、と警護にあたっているキョウは内心で何度考えたか数知れない。


 格好つけて夜会とは言うものの、ようするに貴族を招いての宴会騒ぎ。

 しかも、国の貴族だけではなく、この国を裏から支援している和陽と敵対している五大国の一つの貴族も招いているからここまで盛大に開かれていたのだ。

 和陽ほどの大国とこのような小国一つで互角に戦えるはずも無く、援助を打ち切られたらこの国も即終了。それがわかっているからこそ、機嫌取りに必死というわけだ。


 夜会の開始が宣言されてから大体一時間程度の時が流れていた。

 外にはそれこそ山のような護衛兵が警護を固めている。ホールの中には無骨な金属鎧をきた衛兵をいれるわけにもいかず、それなりに腕が立つ人間が、貴族に紛れて警護にあたっているところだ。

 キョウも歳若いながらも、先日暗殺者を撃退した腕前と経歴を買われてホールの中の担当を回されていた。残念ながら燕尾服なるものには縁が無く、何時も着ている服のため逆に目立って仕方が無かったのだが。

 

 ホールの奥に位置する貴賓席。

 そこには多くの人間が居たが中央にいる六十に入る手前の白髪混じりの男性。

 この国の軍部を支える将軍。ようするに、先日暗殺されかけた標的だ。

 

 この将軍は、個人としても指揮官としても優秀。

 戦場に出ては連戦連勝。和陽との戦争においても、今まで多くの勝ち星をあげてきた。

 キョウも戦場で時折見かけたが、刺々しい黒い金属の全身鎧を纏い、頭まで覆ってしまっているのだから、このような宴会の席で燕尾服で着飾っている姿を見ると、キョウとしては何やら気持ちが悪かった。


 キョウは、給仕の一人に差し出されたワイングラスを受け取りながら、周囲の状況に絶えず視線を送り続けている。

 護衛の数と参加している貴族を合わせればホール内の人数は軽く二百を超えるのだから、普通ならば暗殺者がくるはずもない。しかも、先日の影響で護衛の兵士は誰一人として気を抜いていない。衛兵の数も普段よりさらに多い。

 条件としては最悪だ。だが、キョウは彼女が必ず来ると信じていた。

 

 その時、楽曲隊による演奏が始まった。

 演奏にあわせて各々がホールの中央にてダンスを披露し始める。


 変わり者の貴族の女性が、時折キョウにもダンスの誘いを申し出てくるが、そこまで付き合う余裕があるわけもなく、丁重にお断りしてホールの隅で意識を集中させ続けた。


 その時―――。


「……きたか」


 キョウは自分の口元が歪んでいくのが理解できた。

 気づいたのは偶然であり、奇跡。

 もしも、彼女に会うのが今回で初めてだったならば、見逃していた。

 それほどまでに影使いの移動は完全完璧に近かったのだから。


 黒い影が、踊っている貴族の隙間を縫うように歩いて行く。

 しかし、誰もがその影に気づいている様子は見られなかった。

 時には歩く速度を緩め、時には速め、時には止まる。

 ホール中央に位置しながら、そこにいる全ての人間の死角を渡り歩き、察知させない怪物の動きは、キョウでさえ見失いそうになってしまう。

 薄ら寒いモノを感じながら、キョウもまた彼女の後を追う。

 救いなのは、彼女は移動するのに寄り代となる踊っている貴族の影に隠れながら移動するしか手段がないということ。

 一直線に標的の下へは到達することが出来ずに、回り道をするしかないのが、キョウに有利に働いていた。


 影使いも、キョウに察知されたことに気づいているはずが、慌てる様子も見せずに―――。


 パリィン。

 

 硝子が割れるような音。

 その音に誰もが視線を奪われた。

 発生源は給仕の一人が手に持っていたトレイの上に乗っているグラスが砕けていたからだ。

 何故割れたかわからないような表情をしながらも、慌てて頭を下げる給仕の男性。

 

 そして、それを機会として―――影使いの姿がかき消えた。


 これまで人の死角を、影を利用するような動きではなく。

 瞬き一つで間合いを詰める疾風の速度。彼女は誰もが割れたワイングラスに注目をしている一瞬の隙で、標的のもとまで辿り着く。

 誰一人として彼女に気づいていない。

 歴戦の勇者である将軍(標的)でさえも、自分に命の危険が迫っているというのに反応さえ出来ていなかった。


 後は短刀で標的をなぞるだけ。

 それでこの仕事は終了。

 突き出される影使いの右手。

 魔法の照明にぬらりと光った短い刀身が、標的の喉へと突き刺さる―――。


「―――させ、ん!!」


 ギィンっと激しく不快な金属同士の軋み音。

 影使いの切っ先が標的を抉ろうとした紙一重。刹那の一瞬。

 間一髪のところで、キョウの刀が短刀を下から切り上げて上方へと弾いていた。

 

 パチクリ目を瞬かせ、防がれたことにたいして驚きつつも、それで動きを止めるような二流でもなく即座に後方へと飛び下がる。

 そして、キョウの叫び声と金属音でようやく、暗殺者の襲来に気づいたホールが騒然となった。

 殆どがパニックになるなかで、衛兵達は必死になって邪魔になっている貴族の隙間を潜り抜けて、影使いを捕らえようと動き始める。

 一方で出口となる扉のほう目掛けて貴族達は殺到し、ダンスを踊っていた者達もどうしていいかわからず棒立ちとなっていた。

 

 流石の歴戦の戦士である将軍も、自分が死の旅路に片足を突っ込んでいたことに肝を冷やしたのか、蒼い顔していたが―――それを見たキョウは、ふぅっとため息を吐いた。


 ―――ああ。やはりあんたは、違うな(・・・)


 興味を微塵も無くしたキョウは、刀の切っ先を影使いに向けて、彼女の動き一つも見逃さないように凝視する。彼女の場合は、それでも初動を見逃してしまうのだから、油断できよう筈がない。

 舌で乾いた唇を湿らせて、黒い少女を真正面から睨みつけ。


「……今回は標的は諦めるかな」


 再度パリンっと硝子が割れる音が響く。

 地面に転がっていたワインの瓶が砕けた音だ。

 目の前に暗殺者がいるというのに視線を逸らす愚か者がこの場にはいるはずもない。

 だが、キョウを除いて殆どの人間が意識の何割かをそちらに向けてしまった。もしかしたら新手がきたかもしれない、と。

 意識が逸れれば影使いには十分で、彼女の身体が揺らめいて消える。


 逃すまい、と駆けるのはキョウだが、影使いは見事に彼から最も遠い位置から逃亡を図っていた。

 そのついでに、通り過ぎた衛兵の喉を撫でるようにして横に掻っ捌いて、姿を消していく。

 いや、どこに消えたかはわかっている。キョウの眼前。扉へ押し寄せて逃げようとする貴族達の中。

 人混みに紛れて彼女の黒い姿はキョウの視界から逃れていく。開けた場所でさえ、彼女の姿を見かけるのに苦労するというのに、このような人混みの中に入られては見つけ出す手段がない。


 眉を顰めたキョウだったが、違和感に気づく。

 そんな人混みの中で、ちらりっと黒い衣装の姿が見つけられるのだ。

 彼女ほどの使い手がそのような失敗をするはずも無い。

 それならば、彼女の狙いは―――。


「……生意気な」


 ふっと笑みを浮かべたキョウもまた、貴族達の人混みに入り込み、無理矢理にそこを通っていく。

 扉を潜り抜け、廊下を走り散っていく貴族を見渡しながら影使いの姿を見つけようとすると、やはりいた。

 闇色の濃い廊下の奥へと、カツンカツンっと足音を響かせて消えていく彼女の姿。

 

 キョウを誘うように、ほんの僅かに姿を現して影使いは誘導していく。

 やがて、夜会が行われていた邸宅を抜け出し、人気のない裏通りを駆け、十数分も走った先は―――街から離れた草原地帯だった。

 月の光が草原を明るく照らし、夜風が聞き心地の良い草同士が擦りあう音をあげる。


 ざっと地面の踏み締める二人。

 キョウ=スメラギと影使い。

 遠く離れた街の中心は非常に騒がしいが、ここまで離れれば衛兵が駆けつけてくるまでしばらくの時間を稼ぐことが出来ると判断しての場所選びだった。


 僅かな姿しか見せていなかった彼女だったが、ここにきて遂に全身を露にしながら音も無く短刀を抜く。

 キョウも街を走る際に鞘に納めていた刀を躊躇い無く抜き去り、構えた。


「そんなに俺と決着をつけたかったか?」

「……別に。標的を仕留めるには邪魔だと判断しただけ」

「ああ、そうか。まぁ、これでお前を倒せば賭けは俺の勝ちになるな」

「それは無理」


 短刀を弄ぶ影使いの表情は何時も通り無表情。

 しかし、放つ雰囲気は正反対に荒々しく、狂暴に染まっていく。

 トンっと軽く跳躍。地面に着地したその一瞬―――。


「―――だって、あんたは此処で死ぬから」


 彼女の姿が揺らめく。

 真正面にいたはずの影使いの姿を見失い、耳元で囁かれた平坦な声に背筋を震わせ、聞こえた背後に向かってキョウは自分の脇腹の横を通して背後に向かって刺突を放った。

 手応えは無く、咄嗟に左手でもう一刀を抜いて首を庇うように掲げる。


 触る程度の短刀の切っ先が刀の腹を打ち据えた。

 狙いは頚動脈。人を殺すことに躊躇いは無く、刃物さえあればたいして力も必要ないことを証明するような、急所のみを狙った短刀の軌跡に息を呑む。

 

 左に存在する気配の残滓に左手に持った一刀で薙ぎ払い。

 しかし、その気配はやはり残滓でしかなく、背後に聞こえる地面を擦る音。

 身体を無理矢理に回転して切り上げ。空気を断ち切る感触のみで、やはり影使いの姿は視界に映らない。

 迫り来る悪寒から逃れるように、地面を蹴りつけて右手に跳躍。少女からの第二撃は、逃げる一歩手前までいた空間―――しかもやはり首。撫で付けるような緩やかな短刀捌きだというのに、避けることで手一杯だ。


 それなのに今のキョウが浮かべるのはどこか狂った笑みだった。

 キョウ=スメラギは現在十五の年月を生きているらしい。

 らしい、というのは《操血》に拾われたために正確な年齢がわからないからだ。

 だが、それでも大体は合っているだろうというのが彼女の意見だ。

 今の今まで彼の名前が売れていなかった理由は、傍に《操血》がいたためである。彼女の活躍が常にあまりにも大きすぎるがために、キョウの手柄が表にでることはなかった。

 しかし、逆を言えば彼は幼い頃からそんな彼女とともに戦場で生き、戦場で育ったということだ。


 恐らくはアナザーにおいて《操血》を除いて、齢十五にして誰よりも多くの人間を斬り殺してきた生粋の虐殺者。


 そんな彼が、初めて出会えたのだ。

 自分を殺し得る、殺人者に。《操血》以外に初めて巡りあった同格の怪物に。

  

「―――感謝だ。感謝する。なぁ、影使い。俺は今、楽しいぞ。嬉しいぞ。手が震えてくる。身体が震えてくる」


 空気を振動させる、キョウの声。

 彼が発する気配が、凝縮し、濃縮し、圧縮され―――夜の闇よりなお深く黒い狂喜が荒れ狂う。

 気の弱いものなら、それだけで気を失いかねない重圧で影使いを押し潰そうと剣鬼は視界に見えない敵を牽制する。


 ごくりっと緊張を隠せないのはその鋭い威圧を身体全体に浴びた影使いだ。

 まさか気配だけで一瞬とはいえ足を止められるとは思っていなかった彼女は、その一瞬の隙をつかれることとなった。


 キョウがその場で反転、ぎらりっと睨んで右の刀で縦一文字の切り落とし。

 容赦の欠片もない一撃が影使いの脳天に打ち下ろされるが、彼女は間一髪で後方へと回避することに成功した。

 避けられた刀を腕の力で宙に縫い付けるように止めて、両足の筋肉を躍動。ボッと土を抉る音を残して身体全体で叩きつける刺突を放つ。

 その突きを身体を左に開いてかわしたかと思えば、視界の端から彼女の姿が流れて消える。

 

 地面を削りながら足を止め、追撃となる薙ぎ払い。

 しかし、その追撃も空を斬るだけに終わり、視線を側面に移動させようとしたその時、正面から迫り来る短刀。

 思わず呼吸を止めて反射で右手の刀で、その切っ先を受け止めた。

 じとりっと嫌な汗が身体中の毛穴から噴出しそうになる錯覚を感じつつ、正面の敵を睨みつけるが、相変わらず幽霊のようにその場から揺らめいて姿を消す。


 ふぅっと止めた呼吸を再開させる。

 キョウは彼女と自分の戦力差を分析。


 単純な腕力はキョウの方が遥かに勝る。

 単純な速度はキョウの方が遥かに勝る。

 単純な近接能力はキョウの方が遥かに勝る。


 全てにおいて上回っているキョウがここまで苦戦する理由。

 それは、ただ一つだけ。

 影使いは戦い方が非常にうまい。自分の能力を十全に使いこなしている。

 戦いの最中だというのに、キョウの意識を、注意を、視線を、予測さえも―――全てを誘導させて相手の死角へと回る。


「……人を殺すのに力はいらない。速度も必要ない。ご大層な技も無駄。短刀一つ、人の急所を裂けばそれで終わる」


 人体の動きを完全に把握した影使いの小柄な肉体が翻り、緩慢な動作だと思わせる動きでありながらキョウの速度を凌駕して、彼の超近距離範囲で短刀を振るい続ける。

 煌く白銀の切っ先が、滑るように急所のみを狙い続け、繰り出された。


 二刀を持ったキョウでさえも、反撃を許さないどれもが必殺となる攻撃に、ただひたすらに耐え続けた。

 剣鬼の予測、予想、感覚さえも外してくる化け物の短刀を、時にはかわし、時には防ぎ、時には皮膚を裂かれ―――それでも数箇所の切り傷で済ませるキョウに、影使いもまた舌を巻く思いだ。

 一体何度の攻撃を放ったことか。

 これまで一撃必殺を信条としてきた彼女の根底を覆される衝撃をうけながらも、それをおくびにも出さずに淡々と足を止めずに攻撃を加え続ける。


 これでも無理か、と呆れて。

 彼女の間合いがさらにキョウへと近づいていく。


 気配を、足音を、呼吸音を、所作の物音を、意識して相手に擦りこんでいき、短刀の切っ先をより洗練させる。


 しかし、それでさえも剣鬼は薄皮一枚で命を拾い続ける。

 

 これでも無理か、と更に呆れて。

 彼女の間合いがさらにキョウへと近づいていく。


 互いの鼓動が聞こえるような超近距離。

 手を出せば届く領域で、互いに互いの命を貪りあう饗宴は終わらない。


 背筋をはしる電流。

 びりっと奇妙な感覚に、眉を顰めて咄嗟に右手にもつ刀を眼前で持ち上げた。

 今の今まで頚動脈を狙い続けてきた影使いの短刀が軌道を変えてキョウの両目を払ってきたことに、己の直感を信じた自分に感謝して刃を弾く。

 腕が痺れたからか、防がれたからか僅かに表情を変えた彼女へ、左刀で薙ぎ払う。

 

 初めて慌てたように見える影使いの姿が翻るも―――バサリっとキョウの手に残る何かを斬った感触。

 人の肉や骨ではなく、もっと柔らかいもので。


 ばさっと闇夜に浮かぶ蒼い髪。

 彼女の腰まで靡いていた長髪が、かわしきれずにキョウの刀で断たれた音だった。

 女性の髪を切ったことに罪悪感を抱くも、それで手を止めてしまったら逆に自分の命を落とす。

 申し訳ないと考えつつ、右刀を振り下ろすが影使いの身体が揺れて―――逃げるのではなく内へと入り込んできた。

 ただし踏み入ったのはキョウの右腕の外側へ。左の刀が届かない。それはキョウの身体が邪魔をしているから。

 ぞぞっと腹の底からくる恐怖にも似た冷たい感情。


 無造作に、自然に放たれた短刀が円月を描く。

 狙いは首。頚動脈を切り裂く軌道の刃を決死の覚悟で上体を横に倒して避け切ったが、本当の狙いはそこではなかった。

 宙で短刀を手放すと柄を下方に向かって軽く押す。鈍く輝く切っ先が、キョウの二の腕に突き刺さった。

 それを確認した影使いは、間合いを取ろうと後方へと逃れようとして―――キョウの表情を見て、彼女は自分の失策を悟った。

 キョウは右腕にはしる激痛に歯を食い縛りながら、右手で握った刀を影使いに向かって振りぬく。

 まさか動かすとは考えていなかった彼女は峰とはいえ、刀が直撃。骨が圧し折れる鈍い音が闇夜に響き、小柄な彼女は吹き飛ばされながら地面を転がっていくも、即座に立ち上がった。

 しかし、一目見ればわかるが、彼女の右腕はあらぬ方向にまがっており、この戦いではもはや使えないことは明白である。それと同時に、カランっと地面に刀が落ちる。

 キョウの右手から落ちた刀であり、腕から滴り落ちる鮮血が、彼の右腕が同じく使用不可能だと証明していた。


「……痛い」

「お互い様だ。見事なまでにやってくれたな。腕が動かんぞ?」


 皮肉にも互いに右腕を潰されたことに、何故か同時に苦笑する。

 影使いが苦笑とはいえ笑みを浮かべたことに驚いたキョウが目を丸くした。


「おお、なんだ。笑えるんだな、お前」

「……笑ってない」


 キョウに指摘された影使いは、再び無表情となるが視線は泳いでいる。

 

「まぁ、いいけどな。笑っていたほうが良いぞ。お前は見かけは可愛いんだしな」

「……か、可愛くなんてない」

「過ぎた謙遜は止めておけ。俺から見てお前は十分可愛い顔をしている」

「……」


 キョウの口撃に、どう反応していいのかわからない影使いは、若干戸惑った様子を見せていた。

 ここまで率直に容姿を褒められたことは彼女の生涯で一度もなかったからだ。

 世迷言を、と切って捨てることができない何かがそこにはあった。

 自分と同格の怪物に、何かしら―――例え容姿であろうとも褒められることに悪くはないと感じてしまう自分が居ることに言い様のない違和感を覚える。


「さて、休憩は終わりだ。続きを始めようか」

「……ん、そうだね。でも、その前に―――」

「ああ、面倒な奴らがきたか」


 二人の側面。

 人の背丈ほどまで伸びた草原の中から十名を超える黒装束の人間が音もたてずに現れた。

 それを驚きもせずに見ていた二人だったが、黒装束の男女は円陣を組むようにキョウ達を囲む。

 すぐに攻撃を仕掛けてこないことを確認しつつ正確な人数を把握すると―――十五名。

 誰もが、かなりの腕前だと予想することができる。

「……手出し無用って言った筈だけど?」


 周囲を囲む人間達に見覚えがあった影使いが、冷たい声色で円陣を組んでいる男達の後ろにいる老人に声をかける。

 そんな彼女の発言を鼻で笑った老人は、禍々しい笑みを口元に浮かべ。


「愚か者め。多少腕がたつからといって調子に乗りすぎたんだ、お前は」

 

 どこか蔑んだ視線を影使いに送り。


「本国からも了承を得た。お前は、ここまでだ(・・・・・)

「……首ってこと?」

「ああ。今まで良く頑張ってくれた。その褒美に苦しまずに殺してやろう」


 冷酷に告げる老人に対して、影使いは特に気分を害したわけでもなく、周囲の人間に注意を払いつつため息をついた。

 

「……まさかこの若さで無職になるなんて」

「くっくっく。なんだ、それ。お前なりの冗談のつもりか? 意外と面白いな」

「……いや、本気。これは困った」

「それなら俺と一緒に傭兵をやらないか? お前なら相手方の指揮官の首を持って帰ってくるの凄い楽そうだぞ?」

「傭兵とか嫌。なんか臭そう」

「……酷い偏見だ。ほら嗅いでみろ。別に臭くないだろ?」


 キョウは背中合わせになっていた影使いの鼻に自分の服の左袖を持っていく。

 嫌そうにそれを嗅いでみた少女の鼻に広がるのは、汗と男臭い匂いが入り混じった複雑な臭いだ。ようするに結構な臭さだった。思わず涙目になった彼女が、抗議の意味を含めて背後のキョウに蹴りを入れる。


「……めっちゃ臭い」

「おいおい。そんな馬鹿な。確かこの服は三週間前に洗ったばかりだぞ?」

「さ、三週間……」


 そそくさとキョウから離れようとする影使いに慌てて刀を地面に突き刺して彼女の肩を掴む。

 掴んできた腕を本当に嫌そうな顔をする年端もいかない少女に、少しだけ心が傷つく。


「い、いや。俺も普段はしっかりと洗濯してるぞ? 先日まで戦争にいっていたから洗う機会がなかったんだ」

「……近寄らないで。変態」

「変態は酷いな。戦場だったら綺麗にしている暇なんて碌にないから仕方ないだろう?」

「少なくとも数日前にはこの街に帰ってきたはず」

「……いや、ほら。うん、俺が悪かった」 

 


 そんなやり取りを黙って見ていた黒装束の男女は顔色一つ変えないが、老人は米神を引き攣らせており―――。


「最後までこちらを馬鹿にするやつだ。まぁ、いい。二人とも丁度怪我を負った状態だ。お前達ならば殺すのも容易かろう」


 十五名の黒装束達は―――それぞれが各自の得物を抜き放ち。

 厭らしい笑みを浮かべている老人は手をあげて。


 それより早く、キョウは突如影使いを抱き寄せる。

 あまりといえばあまりな暴挙に老人の動きが一瞬止まった。

 それと同時にビクンっと影使いの身体も僅かに動き、彼女の耳元で、動くなと囁く。

 耳に当たった息が、ぞくぞくとしたこそばゆい快感染みた感覚が背中を走り―――。



「―――範囲を確定。鋼鉄をも切り裂く鎌鼬。狙いは四方の十六名」


 地面に突き刺していた刀を手に取り、碌に動かない右腕で影使いを抱き寄せて―――刀の切っ先をくるりと自分の四方に一閃。

 それで全てが事足りた。


 音も無く。影も無く。色も無く。

 気がついたときには、エレクシル教国の超精鋭。数字持ちと言われた十五名の強者が―――ただの肉塊と化していた。

 バラバラっとまるで玩具のように肉体を引き裂かれて地面に落ちていく人間だったモノ。

 それと時を同じくして老人の上半身がずるりっと地面に落ちて血が噴水のように溢れ出す。


 何が起きたのかわかっていないのは影使いだけだ。

 ぽかんっと目の前の凄惨な光景をまじまじと見つめていたが、これを行ったのがキョウだと気づく。

 いや、彼しかいないのだから当然なのだが。


「……なに、今の?」

「さぁ? なかなか面白い手品だろ?」

「……ふぅん」


 じーと見つめてくる腕の中の少女に、とぼけつつ明後日の方向を向く。

 暫くそんな状態が続いていたが、自分がキョウに抱き寄せられていることを思い出した影使いが慌てて離れる。

 ドンっとキョウの胸を強く押して、逃げ出すと間合いを取って相対した。


「さて、妙な茶々が入ったがどうする?」

「……」


 キョウの問いに無言を押し通す影使い。

 向かい合うこと十数秒沈黙が続くが、ふぅっと息を吐きながら首を横に振った。

 

「……私は首になった。ということはもう標的を狙う理由がない。それなら、賭けはあんたの勝ち(・・・・・・)

「お、素直だな。俺としては助かるが」


 標的を殺せば影使いの勝利。

 ということは、既に狙う必要がなくなった今の状況は、自分の負けなのだろうと彼女は結果を受け入れた。

 手に持っていた短刀を納めると、参ったと両手をあげようとして―――右手を襲う激痛を思い出す。

 戦いの最中はさして気にならなかったが、平常状態になると痛みを我慢するのも一苦労で、涙がでそうになるのを必死で堪えた。


「それで、だ。例の賭けのことだが」

「……もしかして、身体目的?」


 自分の胸を片手で隠しながら、ざざっと後退する彼女が見たものは―――。


「―――はっ」


 冷たい眼差しで思いっきり鼻で笑うキョウの姿だ。

 その態度は十年早い、と物言わぬ雰囲気で語っているかのようだった。

 流石にこれは酷いと思いつつも、あまりの冷たい眼差しに口からでかかった文句が消えてゆく。

 

「お前の気殺の技術。歩法。相手の意識の誘導の仕方。その他とにかくお前の技術が欲しい」

「……別に良いけど」

「有り難い。よし、今から頼むぞ」

「え、いや? あたし骨を折れてるんだけど……」

「大丈夫。気合だ。俺も右腕が動かないがなんとかなる」

「いや。あんたはとりあえず治療するべき。右腕動かなくなるし」

「仕方ない。なら手当てしてからだな。それからやるか」

「ええ? うん、治療の後なら……いいのか、な?」

 

 無事な左腕で影使いの手を掴むと街の方角へと引っ張っていく。

 首をひねりながら仕方なくついていく彼女だったが―――街まで到着した後警備兵に見つかって散々追い掛け回されることになるのだった。 

 













 これが後に七つの人災と称される、影使い(シャドウ)との出会い。

 この後、二人で傭兵として戦乱の世を駆け回ったり、数多くの遺跡を盗掘したり、他の七つの人災と出会ったり、様々な経験をすることになるのだが―――それはまた別の話。









過去話は一旦〆です。

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